ANNIHILATOR - 運命篇
EPISODE130 依頼

「あー、すいません。ケーキってありますか?」

 ヨハネがそう問いかけたのはケーキなどついぞ買った事がないからであった。

 ケーキ屋の店先の娘が、はぁと生返事する。

「ございますが、どのようなものをお探しで?」

「ちょうどこう、ホールって言うんですか? ホールケーキを」

 手で円形を示しながら答えると娘は目を輝かせた。

「お祝い事ですか? なら、ホールケーキ、様々ございますが、メッセージカードなど添えられるのでしたらご要望にお答え出来ますよ」

 捲くし立てられてヨハネは困惑してしまう。

「メッセージ……でも、二人ともそういうの嫌いそうだしなぁ。どうしようか……」

「ひょっとして、サプライズですか?」

「サプライズ……うーん、そうなのかなぁ……」

 答えを決めあぐねていると様々なプランが提案された。

 ヨハネはその中で出来るだけシンプルなものを選び、時間を指定する。

「明日の午後七時に」

「はい、承りました」

 ふぅ、と息をつく。

「困ったな……。ケーキを買うなんて初めてだから」

 緊張もする。ヨハネの思案を他所に、あのさ、と声が飛んだ。

 うわっ、と驚愕によろめくと当の声の主は心外だと眉根を寄せる。

「アタシが何か変な事した?」

「いや、別に……心臓に悪いよ、コルニ」

「何が? アタシが生きて帰ってきて、そんなに?」

 それもそうなのであるが、コルニは前にも増して神出鬼没になった。

 それもこれも死んだからなのだと、と説明されてしまったが、当然の事ながら納得出来るはずもなく。

「死んだから気配がなくなるって変だって。マチエールさんには気配あるし」

「アタシにないのがそんなに変?」

「コルニは元々なんだろうけれど、でもさ、いきなり過ぎるよ」

 ヨハネは河沿いに歩きつつコルニを見やる。

 いきなり過ぎる。

 ユリーカが帰ってくるのも、コルニが生きていたと分かるのも。

 だから自分には心の準備が一切出来ていなかった。

 生きていてくれて嬉しい。それはそうに決まっている。

 だが同時に覚えるのは違和感であった。

 死別したと思っていた相手が生きていたなど、心臓に悪いしかない。

 困惑のほうが嬉しさよりも勝っているのである。

 だからどう対応するのかなど頭に入っているわけもなし。

 ヨハネは死んだはずのコルニと白昼でケーキ屋を選別していた。

「ねぇ、ヨハネ。これを世に何て言うか知ってる?」

 突然の問いかけにまたもヨハネは面食らう。コルニは何を言わせたいのだ。

「えっと……心霊体験」

「ばか。デートだよ」

 デート。その言葉の持つ違和感が強くって何も言えない。

「デート、って誰と誰が?」

「アタシと、ヨハネがじゃん。何でそんな事にも気づかないかな」

 デートという言葉が浮いているのは何もコルニが生きて帰ってきたからだけではない。

 ミアレの隅々で見られる殺気立った人々の行進のせいでもあった。

「フレア団を許すなー! エスプリは敵だ!」

 行進しているのは自警団を名乗る組織、ディルファンスの構成員である。

 学生も多く、彼らの中には明らかに年少者も混じっている。

「……僕の知っているミアレは、こんな街じゃなかったんだけれどな」

「不満とか不安が湧き出したんでしょ。そりゃ、みんな喚きたくもなるよ」

 不満と不安。Eアームズによる継続的な破壊の爪痕。さらに言えば、エスプリの赤の金の姿による広範囲の爆発。

 それによって市民を制御していたたがが外れたようであった。

 今、ミアレは混乱の中に落とし込まれている。

 ディルファンスの連日の行進。それによって増える人々のストレス、不安、何もかもがない混ぜになった感覚。

 この街にもう、自分の知っている人間など誰一人としていないのではないか、とさえも思わせられる。

 事実、ヒガサは死んだ。

 もういないのだ。

 それを思うと、胸に穴が空いたような虚無感を感じ取る。

 胸の穴から大切なものが滑り落ちていくようであった。

 心が磨耗している。

 このままでは消え去ってしまいそうであった。

「……アタシがいるよ」

 だからか、呟いたその声に一瞬気づけなかったほどだ。

 振り返るとコルニが口笛を吹いていた。

「アタシがいるって。ヨハネさぁ、この世の地獄を見たみたいな顔してる。そういうの、よくないよ」

「この世の地獄、か……どうなんだろう」

 分からなくなってしまった。

 だがユリーカが帰ってきたのだ。

 それだけでも得るものが大きい。

 ヨハネはまず、祝おうと、そう提案したのだ。

 コルニにだけ明かしたサプライズである。

 ユリーカとマチエール。二人の探偵の復活に、まずは自分から祝うべきであろうと。

 しかし、当の二人はどこか余所余所しい。

「あれさ……何でなんだろうね」

「あの二人? そりゃ、お互いに思うところがあるからでしょ」

「でもさ、僕は知っているんだ。二人とも、お互いをすごく思っている。なのに、言葉が出ないなんて」

「お互いが分かるから、なのかもしれないね」

「分かるから?」

 立ち止まって声にするとコルニは後頭部に手をやった。

「だってさ、お互いに離れていた時間がどれほどに苦痛だったか、分かるからそう容易く仲直りってのにはならないんだと思う。そりゃ、あの二人が自発的に離れたわけじゃないけれど、多分、二人とも何て言うのかな、負い目、みたいなのはあると思う」

「負い目って……だってユリーカさんはマチエールさんとの交換条件のために引き出されたわけで……マチエールさんもルイとフレアEスーツを手渡された以上、戦わなきゃって必死で……」

 あっ、とそこで感じ取る。

 それが負い目なのだ。

 お互いに相手に酷な運命を強いた、という、負い目。

 それが彼女達に繋ぐ言葉をなくしている。

 ようやく分かったか、とコルニは小石を河に投げた。

「ヨハネってさぁ、大切な事にはどこか鈍感だよね」

「そうかな?」

「本当にそう。アタシが攻めたって気づきもしない」

「攻めたって……だってコルニ、そんな気ないじゃないか」

「そんな気はあるよ! あるけれど、言わないだけで」

 そのようなものだろうか。ヨハネは疑問であったが、他人の感情に鈍感であるのだけは当たっていると感じていた。

「ケーキって、どういう時に食べるんだっけ」

「何言ってるの。お祝いだとか、誕生日だとか、そういうのに」

「そういうの、僕には分からない」

 その一言だけで察したらしい。コルニは以前、自分の記憶の片鱗を見せたからだ。

「……ヨハネ」

「分からないんだ。どれだけ普通ぶっても。他人よりも勉強をよくしても。……先輩に、特待生って馬鹿にされても。何をやってもよく分からなくってさ。だからなのかな。僕に、祝う価値なんてないのかも……」

 それを言い切る前にコルニの手がヨハネの頬をつねった。あまりの痛みにヨハネは言葉を霧散させる。

「痛い! 痛いって! 何するのさ!」

「ヨハネのばーか。そういうの、気にするもんじゃないよ。それに、自分で言ったんじゃん。お祝いをしたいって。だからヨハネがそんな沈んだ感じで、二人が喜ぶと思う?」

「そりゃ……ないと思う」

「でしょ? ヨハネ、色々と詰めているのは分かる。でも、明日と今日くらいは、さ。清々しい顔でいようよ」

 清々しい顔で、か。ヨハネは自嘲する。

 自分はそれほどまでに、酷い顔をしていたのか、と。

「……分かった。出来るだけ明るい表情で」

「そうそう。こんな感じ」

 コルニが自分の頬っぺたを引っ掴んで引き伸ばす。

 あまりの変顔にヨハネは笑うよりも引いてしまった。一瞬で餅を引き伸ばしたような顔になるものだから、コルニの顔面の筋肉を心配してしまう。

「……それ、痛くないの?」

「いや、別に。ほら、変顔だよ、変顔」

「いや、うん。変顔だね……」

 痛そうに見える、という点を除いてではあったが。

 無理をしてでも笑うべきなのだろうか。

 そう判断を彷徨わせていると、不意にディルファンスの行進が滞った。

「何だ!」、「落ちて来やがった!」と怒声が飛ぶ。

 二人は駆け寄っていた。

「何があったんですか?」

「このポケモン、急に落ちてきたんだよ。何だって言うんだ、これ……」

 視線の先にいたポケモンにヨハネは息を詰まらせる。

「フーディン……。こんな高レベルのポケモンが、自然落下してくるはず……ないよな」

 空を仰ぐ。するとその視界の先に燃え盛るヘリが入った。

 真っ逆さまに落下してくる。

「墜ちるぞ!」

 誰かの悲鳴が聞こえた、それと同時に。

 ヘリが空中分解し、破片がミアレへと降り注ぐ。

 乗っていた人間はどうなったのか、と一瞬だけ思案したがそれも全くの無駄であった。

 あんな状態で生きているはずなどない。

 紅蓮の舞う中で消火器を持った人々が即席の消火活動に当たる。自警団、を名乗るのは伊達ではないと言いたげだ。

「ここにいるの、まずいかもね」

 コルニの声にすぐに人盛りが出来る事をヨハネは予感する。

 しかし、フーディンを放ってはおけなかった。

 その手を差し出す。

「ヨハネ……! どこのポケモンかも知れないのに」

「でも、落ちてきたんだ。怖い目に遭ったのは確かだと思うよ」

 ほら、と手を差し出すとフーディンはそっとその手を繋いだ。

 その瞬間、電撃的なイメージが脳内を駆け巡った。

 命が散る記憶。鮮烈なビジョンにヨハネはよろめく。

「大丈夫? 何やった! お前!」

「大丈夫、だ……僕は。でも、フーディン、これはこの記憶は」

 主が死んだ、とフーディンは訴えかける。

 だが、このビジョンの主は――。

「クセロシキ……まさか、死んだって言うのか」

「何、どういう事? クセロシキってフレア団の? 何で?」

 答えを明確に結べないまま、ヨハネはフーディンを立ち上がらせる。

 思念で浮かび上がる事で体力を持続する術は心得ているらしい。

「……行こう。ハンサムハウスへ。きっと、お前が行くべき場所はそこだ」

 何よりもフーディンのビジョンの中に映った敵の記憶。

 それは――白いエスプリであった。

 だがどうして? 

 エスプリが敵になるわけがない。

 ではあれは誰なのか。その疑問を氷解するのに、自分達だけでは足りないだろう。

 動きかけて、ヘリの残骸に乗り移った影があった。

 俊敏に動き回り、周囲のディルファンスを牽制する。

「Eスーツ……! 何だってあいつらが!」

 コルニの声にEスーツ部隊が通信を開いた様子であった。

「確認しました。クセロシキのフーディンです」

 相手のEスーツ部隊は三人。

 一人がスナッチフィールドを敷いてもう二人がこちらを挟み込むように展開する。

「逃げられないか?」

「無理、だろうね。でも、アタシなら、戦える」

 バックルを取り出したコルニがヨハネを庇うように前に出る。

「さぁ、暴れますか。行け、〈チャコ〉!」

 投擲されたモンスターボールからルチャブルが繰り出される。ルチャブルはコルニと背中合わせになって挟み込んでくる敵を見据えた。

「愚かなり、シャラシティのコルニ。既にスナッチフィールドの中だ。ポケモンは使えない」

「どうだか。そんなご大層なものには見えないね。行くよ。Eフレーム、イグニッション!」

 ルチャブルの傾けたアタッシュケースから飛び出したのは黒い鎧であった。暴風域を作り出し、一時的に相手の攻撃を防御する。

 鎧が吸着しコルニの姿を覆っていた。

 デュアルアイセンサーが輝き、最後にヘルメットのバイザーが降りる。青い炎が全身から迸った。

「閃光闘者、イグニス! 命、爆発!」

 コルニ――イグニスが相手へと肉迫する。両腕のブレードは形を変え、今は双刃と変化していた。

 双刃にイグニスはユニゾンチップを挿入する。

『スティールユニゾン、ファイティングユニゾン』の音声が相乗し、その刃がEスーツ部隊と打ち合った。

 Eスーツ部隊はナイフでいなしているものの、その実力は明らかにこちらのほうが上である。

 双刃を翻し、イグニスが相手を押し出した。ルチャブルが蹴り上げてEスーツと拮抗する。

 スナッチフィールドを展開しているEスーツは動けない。その射程を加味した動きであった。

 Eスーツ部隊の一員が歯噛みする。

「貴様……、フレア団に造られた分際で」

「そっちが喧嘩腰ならいつでも。来なよ」

「二人で行く。流星の陣」

 一人が前に進み出る。その後ろにぴったりともう一人がついている。

 前の一人をルチャブルが蹴散らした。だがその時には最早スナッチフィールド間近。これ以上の接近は出来ない。

「かかったな!」

 もう一人が前のEスーツを飛び越えて攻撃を仕掛けてくる。

 イグニスはしかし動じなかった。華麗に舞い上がり、ルチャブルがその逆立ちした手を受け止める。

 そのままさらに高空へと躍り上がるイグニスの刃が相手のEスーツの肩口を捉えた。

 よろめいた相手へとイグニスは容赦なく、追撃を見舞う。

『フライングユニゾン、ファイティングユニゾン、ツインエレメントトラッシュ』

 背部の翼が展開し、イグニスが飛翔した。

 その脚部を軽やかに上げて、回転を加えつつイグニスが真っ逆さまに落下してくる。

「必殺! ローリング踵落としィッ!」

 ローリング踵落としが相手へと突き刺さるかに思われた。

 しかし、Eスーツ部隊は退き際を心得ている様子であった。

 これ以上の攻撃は無意味だと知るや、スナッチフィールドの中に逃げ帰る。

「……ただで済むと思うなよ」

 先ほどまでEスーツの頭部があった空間を引き裂いた一撃が粉塵を舞い上がらせる。

 その中で、青い炎が燻る。

「なーにが、タダで済むと思うなよ、だよ。アタシの肩慣らしにもならない」

 Eスーツが撤退したと見るや、イグニスの変身を解除する。

 ヨハネはしかし、奇妙な引っ掛かりを覚えていた。

「……何で、連中に墜ちるヘリの居場所が分かったんだろう」

「何だって、連中が落としたとか?」

「いや、それはないよ。だって、フーディンが教えてくれた。連中は違う。何か、別の力が働いている」

「別の力って……」

 ディルファンスの面々が今の戦闘を見ていたのか詰め寄ろうとしてくる。

「ちょ、ちょっと! エスプリじゃないか!」

「市民の敵!」

 投げかけられる罵声にコルニと自分は駆け出していた。

「アタシはイグニスだってのに!」

「……みんなからすれば、イグニスもエスプリも……敵のEスーツも同じなんだ」

 その事実が単純に悔しい。

 コルニは出来る事ならばやり返す、というタイプであったが。

「ところでさぁ、フーディンの教えてくれた事って何?」

 ヨハネは首肯する。説明せねばなるまい。

「……でも、お前は、一面では敵だったんだよな」

 クセロシキのポケモンという事は自分達と幾度となく戦い抜いてきた相手だという事になる。

 しかし、今はそのような事を隠し通す事さえも、フーディンからしてみれば惜しいのだろう。

 彼は自分の情報を開示した。ならば、それに応じるのが探偵の助手の義務である。

「僕らを見込んでの事なのか……。とにかく、今はハンサムハウスに」

 話はそこからだった。



オンドゥル大使 ( 2017/04/14(金) 22:39 )