EPISODE129 地獄
「全てを封じ、全てをなかった事にするために、こうするしか方法がなかった。ワタシのその愚かさを恨むのならば恨め、ミアレの人々ヨ」
クセロシキはそう回顧しつつ、ヘリの一定の揺れの中にいた。
運び出されたEスーツは今や荷台に積まれており、このままカロスの地を旅立つ事が決定されている。
全ては自分のエゴが招いた結果だ。
分かっている。
それでも、エスプリに、イグニスに、ミアレの街を信じ抜く輝き達に、自分はこれ以上情けない姿を見せる事が出来なかった。
たとえこれが裏切り行為であっても、フレア団に貢献するよりかはマシなはず。
クセロシキはそう判断しての行動であったが、何よりも恐れていたのは自分の放ったエクステンドスーツの装着者による追跡であった。
「Eスーツの追跡者は?」
「ありません。周囲五十メートルにEスーツ反応はゼロ。空での襲撃なんて、あり得ませんよ」
そう笑い話にするが、自分は何よりも危惧している。
この空で襲撃してくるもの。それがいるとすれば、今自分の持っている全てのEスーツが奪われかねない。
フラダリならばやるか、と身構えて、否、とその考えを仕舞った。
シトロンさえいれば継続出来る計画だ。
自分を追うのはフラダリという王らしくない。
ならば、ここで恐れるべきは自分の部下達か。
フレア団の上級科学者達にはしかし、既に話は通してある。
彼女らはEアームズを造り続ける事であろう。自分の意思など度外視して、彼女達にはフレア団の貢献に依拠する未来がある。
だが自分にはそれがない。
皮肉なものだ。
研究副主任を名乗っておきながら、こうしておめおめと逃げる事しか出来ない。
自分を情けなく感じる前に、このミアレの街を飛び去ってしまいたかった。
その時、操縦席の団員が声にする。
「反応……? おい、これは何だ?」
操縦する団員の狼狽にクセロシキは声を振り向ける。
「何ダ?」
「いえ……こちらを追い抜く飛行体があったもので。それも過ぎ去りましたが……民間所有機か」
ふぅ、と息をついた、その瞬間であった。
ヘリの扉に音を立てて何かが爪を引っかける。
馬鹿な、とクセロシキは困惑する。
ここは高度五百メートル。
常人が到達出来るはずがない。
「な、何だ!」
「落ち着け! ポケモントレーナーか……」
クセロシキは腰を浮かせてフーディンのボールに指をかける。
それと扉が開け放たれるのは同時であった。
気圧差で一瞬だけ視界が白くなる。フーディンを出す前に、その男はクセロシキの腕を引っ掴んだ。
確かに生身の男であった。
ポケモンなど使っていない。
ろくな装備もしていない男である。
片手にはフックを備え付けた拳銃があるがそれだけだ。
ヘリに飛び移る際に使ったそれだけが、男の武器であった。
「よぉ、クセロシキ副主任」
真っ先にフレア団に置いていった被験者達を疑ったが、その男から感じ取れるのは弱々しいEアームズ被験者のそれではない。
禍々しく双眸に宿った野心と殺意。
それが男の凄味を引き立てる。
助手席に座っていたフレア団員が銃口を突き出す。
男が目を丸くした。
「対応が遅いな」
せせら笑う声が響く前に、銃声が木霊する。
あまりに近い銃声に一瞬だけ無音の世界を漂ったクセロシキであったが、すぐにそれから立ち直る。
銃弾は確かに、心臓を射抜いたはずなのに。
男は一瞬だけよろめいただけで、ヘリから落ちる事もない。
それどころか今も気圧と暴風で煽られるヘリの扉にしっかりと爪を立てて、指を引っかけている。
男は左胸をさすって、はは、と笑ってみせた。
「いい腕だな。しっかり心臓だ」
――化け物。
その判断にフレア団員が叫んで銃声を連鎖させる。
男が拳銃を掴み、そのままフレア団員を投げ飛ばした。
団員は高度五百メートルから投げ落とされた結果となる。
即死は免れまい。
「な、何ダ……、お前、何なんダ」
クセロシキでさえもうろたえる。
この男の目的は、と窺った視線に男はクセロシキの顎を引っ掴んだ。
「クセロシキ副主任。フレア団で、Eアームズの研究を行い、エクステンドスーツを開発した逸材」
「Eアームズ被験者の肉親か」
それくらいしか思い浮かばないクセロシキの思考を男は嘲笑う。
「被験者の肉親。面白いジョークを考えるのだな。それもまた、逸材か」
操縦者が混乱し、ヘリを右往左往させる。男がそれで落下するのならばまだよかった。
男はクセロシキを固定するベルトに手を伸ばし、それを掴んで落下を免れている。
「何をするんダ……Eアームズ被験者には申し訳ない事をした。その贖罪の気持ちは――」
「んな事はどうだっていいんだよ、クセロシキ副主任殿。俺はな、奪いに来たんだ。何もかもを。この手で地獄に染め上げてやる」
男の声音に怨嗟の響きが宿る。
何なのだ。この男の目的も知れず、ヘリがミアレの空を制御不能の状態で飛翔する。
「落ち着け! この男が何者なのかも分からずに!」
「で、ですが、クセロシキ様! 人間じゃ、ありませんよ!」
その声に男は哄笑を上げる。
「人間じゃない。そうだな、人間、じゃあない。アドバンスド、と名乗っておく」
「アドバンスド……。貴様、まさか……!」
「気づくのが遅いよ、クセロシキ副主任殿。さぁ、地獄の乱舞と行こうぜ」
――アドバンスド。
その名称通りの存在ならば、ここで狙うのは明白。
Eスーツの奪取であろう。
「させるか!」
クセロシキは簡易式のEスーツを身に纏う。
両手両足の保護のみに特化した、最小限のEスーツであった。
それだけでも常人からしてみれば超人的な膂力と脚力を発揮するEスーツ。
殴りかかったクセロシキに対し、男はあまりに無防備である。
一撃をその頬に受ける。
それでようやく、男の唇が切れて血が滴った。
それで遂に思い知る。
――緑色の血の持ち主である事を。
「やはり貴様、アドバンスド……!」
「言っただろう。名乗ったのはこっちから先だ。フェアのはず」
クセロシキは即座に殴り返された。瞬間的な格闘術で勝るわけがない。
クセロシキはすぐに気圧され、足元に置いていたEスーツのアタッシュケースを男は手に取る。
開いて中にあったバックルとモンスターボールを掲げた。
まるでそれそのものが支配の象徴のように。
「来たな。神の座だ」
モンスターボールの中身は極秘事項のはずである。
それはあまりにもそのポケモンが規格外であったからだ。
扱う、扱わないの次元ではない。
それを使うのは、最早この世界において、王を凌駕する――。
バックルを腰に装着した瞬間、ベルトが伸長される。
「ユーザー認証か。アマクサ・テトラ、と。俺の名前を入れておこう」
「アマクサ・テトラ……。アドバンスド第十三号か」
「知っているじゃないか。カマトトぶらないでくれよ、副主任殿」
バックルの両側にはハンドルがあり、中央は半球状に落ち窪んでいる。
男――アマクサ・テトラはボールをセットした。
『フレアエターナルスーツ、レディ』の待機音声が重々しく響き渡る。
「この際だから言っておこう。――Eフレーム、コネクト」
瞬間、ヘリを引き裂いたのは荷台にあるはずのアタッシュケースの部品である。内部に備えられていた鎧部品がテトラに纏いつき、直後、その姿を変貌させていた。
白磁の鎧に、黄金の血脈が宿っている。
内部マスクにデュアルアイセンサーを備えたそのヘルメットのバイザーが降りた。
金色のバイザーに赤い稲妻が走る。
「エスプリ……?」
そう誤認したのも無理はない。
相手はエスプリの色を全て逆さに映したかのような姿である。
ネガ写真のような存在が風を受けて黒いマントを翻す。
「エスプリ、か。そう名乗るのもやぶさかではないが、改めて。俺のこの姿は魂を超越した、存在。その名は――」
それが紡がれる前にクセロシキは攻撃を見舞っていた。
「フーディン! 念力で叩き潰せ!」
瞬間移動したフーディンがテトラの背後を取る。
確実に相手を叩きのめしたと思えた一撃であったが、テトラは慌てるでもない。
「前後両側からの攻撃。定石だ。なかなかに見どころがあるぞ、副主任殿」
関係がなかった。
前から攻めたクセロシキの腹腔を、相手は拳一発で破っていたのだから。
当然、フーディンは困惑する。
突然の主の死に。
「フーディン、か。悪くない、が、これでも受けるんだな」
『スナッチシステム、レディ』の音声と共にヘリへと降り立ったのは灰色のEスーツ部隊である。
フーディンの狼狽を他所に射出されたスナッチボールがその姿を捉えようとする。
フーディンは必死に何度も瞬間移動を繰り返して逃れようとしたが、スナッチの網から逃れる術はないのだろう。
遂にスナッチボールが捕獲を遂行したかに思われた瞬間、フーディンは落下した。
自らにかかる重力を一気に引き上げたようだ。
「ふむ……惜しいほどに賢いポケモンだな。だがまぁ、主がこれでは仕方あるまい」
クセロシキの骸を掲げる。
テトラは完全にその腕で腹部を貫通させていた。
操縦席の団員が歯の根を鳴らしながら指を伸ばす。
「そこのお前。自爆スイッチか? 賢くないぞ」
指摘されて団員は泣きじゃくる。失禁もしているようであった。
「副主任殿。生かしてメンテナンスにあなたを呼ぶつもりだったが、思っていたよりもあなたは勇敢で愚か者であった。俺は殺しなんてしたくないんだがな」
腕を引き抜くとクセロシキが僅かに呻く。
「まだ息があるのか。一息に殺してやるのが礼儀だと思ったんだがな」
「……ワタシを、殺すのは」
「後にしろとでも言いたげだ。俺も後にしたかったんだが、あんたが思ったよりも強かで、困ったんだよ。それに、フレアエターナルスーツ、試してみたが悪くない。このまま……」
クセロシキが手を突き出す。当然、その拳を受け止めたテトラであったが、握られているそれに感嘆の息を漏らした。
自爆スイッチである。
「やるじゃないか。クセロシキ……」
「ここで死ねぇっ」
荷台を犠牲にして、クセロシキが空に散った。
ヘリが爆発の光と衝撃波でボロボロに崩れ落ちていく。
ああ、とクセロシキは感じ取る。
「もう、ワタシは、ここまでのようだナ。エスプリ、後は……」
その言葉が紡がれる前に、余剰衝撃波が肉体を弾き飛ばした。
降り立ったテトラはミアレの高層建築から仰ぎ見る。
砕け散ったクセロシキの、その魂の遺物の残骸はミアレ全域に散ったらしい。
「おいおい、派手にやったなぁ」
それを見咎めるのは筋骨隆々の大男であった。
従うように眼を炯々と輝かせた細身の男が追従する。
「テトラちゃん、目的のものは手に入れたのね」
細身の男を抱いてその顔を近付けさせる。接吻代わりに額を小突いて、テトラは報告する。
「思っていたよりもやる。クセロシキ副主任殿は空で散った。それがこの街で幅を利かせていた、自称悪人の成れの果てだ」
自称とつけたのは悪にはさらに深い悪があるからである。
それはたとえば自分達であり、この街に巣食うさらなる悪意でもある。
「でもよぉ、テトラは手に入れたけれど、おれ達どうするんだ? まさかいちいち探しに?」
「鈍いね」
そう答えたのはするりとした体躯の女であった。
空を仰ぎ、女は口にする。
「ロストイクスパンションスーツは解き放たれた。それはつまり、宿主を探しているって事よ。わたし達が、それに相応しいかどうか」
「あっちが見極める、ってわけね」
細身の男の返答に女は満足したようだ。
テトラは鼻を鳴らす。
「スカー。何か見えたか?」
輪に混ざろうとしないのは先ほどから遠くを見渡している一人の男であった。
顔に一筋の傷痕があり、その姿から「スカー」の異名を取る。
「……六時の方向に落ちた。まずはそれから探るつもりだ」
「やる気あるじゃねぇか。いつもは鈍足のスカーでも、今回ばかりは躍起ってわけか?」
筋肉を滾らせた男の声音にスカーはぷいと顔を背ける。
「……別に。テトラがやるべきだと決めた。我々のリーダーはお前だからな」
白い装甲を身に纏ったテトラは両手を掲げて声にする。
「これから俺達が、この街を地獄に染め上げる。行くぞ、アドバンスド。その名に恥じぬ戦いを見せつけてくれ」
「……存分に」
「分かってるけどよぉ、そう容易く見つかるかねぇ」
「わたし達自身にかかってる、ってわけね」
「ワタシは嫌いじゃないわ、そーいうの!」
全員がミアレに向けて歩き出す中、テトラはこの街のシンボルに目を向けた。
光り輝く鉄塔、プリズムタワー。
「その名が悪に爛れる事を知れ。ミアレを血と饗宴で染め上げる」
風が流れ、テトラの纏うEスーツのマントを鋭く煽った。