EPISODE126 光速
戦闘準備が出来たぞ、と口にしたルイはどうしてだか憔悴していた。
「何があったんだ?」
『こいつに聞けよ……。オレはバックアップ、もうしねぇからな』
「ありがとう、ルイ」
アタッシュケースを担いだマチエールと目線が合い、覚えずヨハネは逸らしていた。
「マチエールさん、戦うのか?」
「いけない?」
「僕じゃ……駄目なのか」
その言葉は我ながら女々しかった。だが問わずにはいられない。その懸念を、マチエールは一言で吹き飛ばす。
「あたし、正義の味方だから。この街の守り手になるってもう、決めたし」
言葉の軽さとは裏腹にその覚悟が双眸に見て取れた。自分の迂闊な考えを見透かしたように、透明度の高い睡蓮の瞳。
この瞳の色はフラダリと同じなのだな、と不意に浮かんだ考えにヨハネは己を恥じ入る。
「僕は……でも、戦いの補助はさせてくれ」
「いいよ。ヨハネ君も助手だし、それくらいはね」
暗にそれ以上は自分の領域だと言っているようなものであった。
戦うのは自分だ。傷つくのは自分だ、と。
拳をぎゅっと握り締める。
今この場で、彼女の手からアタッシュケースを奪い、自分が戦うと宣言出来ればどれほどいいだろう。
しかし、それを実行するような勇気もなければ、その言葉がどれほどにマチエールにとっての罵倒なのかも理解していた。
理解している頭は、思っていたよりも冷酷に、彼女の運命を受け入れている。
――ああ、自分は、こうして機会を逃す。
あの時もそうだった。
自分の最大の汚点。この髪の原因になった、あの時もまた……。
そこまで思案していたヨハネの頬をマチエールがつねる。
「難しい顔してないで、行くよ。もう戦いは始まっているんだから」
エスプリが現れれば相手も現れるという寸法か。ヨハネはしかし、最後の一線を張った。
「もし……今度の戦いで負けたら、エスプリにはもう変身しないで欲しい」
こんな事を言うのは卑怯だ。だが、マチエールがこれ以上傷つくのを見たくない一心である。
マチエールはきょとんとしていたがやがて理解したようだった。
「……分かったよ。そこまで食い下がるような馬鹿でもないし、そうなった場合、エスプリをやめる……というのはまだ分からないが、考えに入れよう」
きっとマチエールは負けてもエスプリをやめる事はしない。
そのくらいならば潔く死を選ぶ。
それがありありと理解出来たが、ヨハネは唇を噛んでそのビジョンを振り落とした。
今までミアレを守ってきた、街の守り手。
ここに来てやめろというのは裏切り行為か。
それとも、自分は臆病になっているのだろうか。
ヒガサが死んだ。その一端をマチエールが握っていないはずがないのだ。だというのに、彼女はヒガサの事を何も言わない。
その僅かなひずみが、自分とマチエールの間に降り立っている。
これが大きな溝となるか、あるいはその溝を埋める出来事が起こるか。
そんなもの、期待したって仕方がない。それはきっと奇跡と呼べるものだろうから。
ハンサムハウスを飛び出したマチエールにヨハネは追従する。
クロバットを繰り出し、上空を見張る眼になった。
マチエールがバックルを取り出し、夜風にコートをはためかせる。
『カウンターエクスターミネートスーツ、レディ』の待機音声が響く中、マチエールは高らかに叫んだ。
「Eフレーム、コネクト!」
その声にアタッシュケースから黒い鎧が導き出されていく。
それぞれ虚空を引き裂き、一陣の風となってマチエールを保護する。
吸着した鎧がマチエールの姿を一瞬のうちに変貌させていた。
黒い鎧に白いラインが輝く。目元を守るデュアルアイセンサーのマスクが装着された後にバイザーが降りる。
オレンジ色に染まったバイザーに「E」の文字が象られた。
「探偵戦士! エスプリ、ここに見参!」
エスプリの出現に街の対応はあまりに素早かった。
ミアレの高層建築に姿を現したのは灰色のEスーツ部隊である。
「奴ら、また……」
ヨハネが攻撃を見舞おうとしたところで、Eスーツ部隊の中心に陣取る大剣の人影が目に入った。
柄を握り締め、その場に静かに佇む鎧姿。
銀色の鎧が月光を反射して煌いている。
――四天王、ガンピ。
その威容にヨハネはたじろいだ。
纏っている空気は既に、常軌を逸している。
戦神と形容してもおかしくはないほどに、渦巻く殺気。
「来たか。待ちわびたぞ」
その声にもいささかのてらいもない。ただ単純に、この戦いを待っていたとでも言うべき声であった。
「あたしは、ここで終わらせに来た」
「それはこちらも同じ事よ」
ガンピが剣を振り上げるとEスーツ部隊はことごとく退散していった。連中の目的はガンピとエスプリの戦いに邪魔が入らぬようにする事だろう。
「ヨハネ君、クリムガンを」
ヨハネは首肯してボールを放り投げた。キャッチしたエスプリがバックルへと埋め込む。
『コンプリート、ドラゴンユニゾン』の音声と共に茨の鞭が手首から引き出された。
「二度も同じ真似は食わん」
「どうだかね。まずは小手調べだ」
「そのような暇、あると思うな。――来やれ」
その声と共に黒い鎧がガンピの鎧姿を覆い尽くしていく。肩に拡張されたのはハードポイントを有する鎧であった。頭部形状を成すヘルメットは闘牛のような角を有し、悪鬼の如く眼窩が輝いた。
ガンピが変身を遂げて吼える。
エスプリは駆け出していた。
ミアレの建築物を蹴りつけて一瞬のうちに肉迫する。
速度が弱みであった紫のエスプリでもガンピの装甲姿に比べればまだ速いほうだ。
懐に潜り込み、その茨の鞭がガンピの首根っこを押さえつけた。
直後に膝による一撃がガンピの頭部を打ち据える。
前回よりもこちらに分がある、と思いたい戦いであった。だがそれは瞬時に逆転する。
ガンピが大剣を片腕で振るう。
発生した暴風に煽られる形でエスプリが距離を取った。
片腕で、ならばまだ生易しかっただろう。
ヨハネは目にする。
ガンピは人差し指と中指の間に、柄を挟んだだけで剣を払った。
その一撃がほぼ必殺のそれに見えるのだから、ヨハネは戦慄する。
エスプリも気づいたらしい。茨の鞭を突きつけて叫ぶ。
「嘗めているのか!」
「嘗めている? 決してないな、そのような事。何故ならば、我はいつでも全力よ」
つまり今の一撃はこの時点でのエスプリを下すのには充分だという事。
ほぞを噛んだのはこちらの形となった。エスプリはもう一方のハンドルを引く。
『デルタユニゾンシステム、レディ』の音声と共に茨の鞭から冷気が発生した。
凍結の属性を帯びた鞭が振るわれるが、ガンピは大剣の刀身でいなす。
『エレメントトラッシュ』の音声と共にその鞭が瞬時に剣の形となった。
打ち合った火花が散り、エスプリが肉迫する。
もう一方の手からも剣が発生し、ガンピの体躯へとそれが薙ぎ払われる。
完全に不意をついたはずの一撃。
それをガンピは片方を剣で防御し、もう片方を肘で拘束していた。
心の臓を貫くかに思われた一撃を固定され、エスプリが外そうともがく。
その隙を逃さず、ガンピは大剣を振るい上げた。
落雷のような激しい一撃。
高層建築の屋根瓦が弾け飛び、塵芥が舞い上がった。
その中をエスプリが逃れて後退する。
ギリギリで回避したものの、もう紫のユニゾンは使えない。
エスプリは次いでニョロトノのモンスターボールを埋め込んだ。
『デルタユニゾン、レディ』の音声と共に片腕を突き出す。
思念と水の自在性を仕込まれた身体が変異し、片腕を水の盾と成す。
もう片方の腕は激しくのたうつ水のジェットカッターであった。
剣士の構えでエスプリが突撃する。
ガンピが剣を振るい落とすのを、片腕の盾でいなし、もう片方の剣を今度こそ、その心臓へと突き立てるはずであった。
『コンプリート、スティールユニゾン』が発せられる前までは。
「鋼か……」
ガンピの左半身へと灰色の血潮が流れ込む。心臓に至るはずであった切っ先が弾かれ、その勢いも手伝ってエスプリはつんのめった。
その隙だらけの肉体へと、ガンピの拳が打ち込まれる。
ヨハネの眼からしてみても相当な威力であっただろう。
恐ろしく強力な一撃にエスプリが吹き飛ばされた。
水の属性を纏っていなければ即死の速度でエスプリの身体が建築物にぶつかる。
「エスプリ!」
「あたしは、まだ……」
エスプリが跳ね上がり、水の属性を帯びた蹴りを放った。
だが鋼を備えたガンピの前に全て弾き返される。
「馬鹿の一つ覚えは、戦場においては命取りだと知れ」
ガンピが剣を薙ぎ払う。エスプリの胴が断ち切られた。
迂闊に近づいている。それはヨハネでも分かる。
しかし、エスプリは強情に接近戦をやめない。
「一度分からせる必要があるようだな」
ガンピがその重量からは信じられないほどの軽やかさで後ずさった。
右肩口に埋め込まれたのは新たな属性である。
『ロックユニゾン』
オレンジ色の血潮が滾り、ガンピが片手を開いた。
直後、エネルギーの光条が一射される。
単純エネルギーを爆発させて放つ破壊光線。
あまりに強力なその一撃をエスプリは避け切る事が出来なかった。
左肩口が蒸発し、エスプリが後退する。
水の属性でも再生に時間のかかる傷にガンピが鼻を鳴らす。
「いつまで児戯を続けるつもりだ? あるのだろう? とっておきが」
その言葉にヨハネが驚愕する番であった。
こちらに策などあるのか。
あるのならば教えて欲しいほどである。
だが、エスプリはその言葉に乗った。
「……ばれちゃあ、しょうがないね」
エスプリが属性を変化させる。青を捨て、埋め込まれたのはヒトカゲのモンスターボール。
「まさか……」
ヨハネが懸念を吐き出す前に、エスプリの姿が変貌していた。
赤のエスプリが手首と足首から炎を迸らせる。
『デルタユニゾン、レディ』の音声と共に黄金のラインが全身へと走った。
今までと違うのはその黄金の輝きである。
研ぎ澄ましたかのような輝きがヘルメットにまで及び、片目を侵食した。
ヘルメットに走ったのは一条の傷痕のような黄金の線である。デュアルアイセンサーが右眼だけ赤く点灯した。
「何が、起こって……」
全く理解出来ない範疇の出来事に戸惑う間に、エスプリがヨハネへと声を振り向ける。
「ヨハネ君! こいつを工場地区へと誘導する! 手助けを!」
そう言われてしまえば自分は従うしかない。
エアスラッシュを連発し、ガンピを出来るだけ遠ざけようとする。
その間に、エスプリは力を溜めているようであった。全身に赤く煮え滾ったような黄金が宿り、エスプリの内奥から呼応する。
次の瞬間、エスプリの姿が掻き消えていた。
どこへ、と首を巡らせるヨハネの視界に映ったのは、ガンピへと突進するエスプリの姿である。
黄金のエネルギーの塊がガンピを押し出し、そのまま力の瀑布で突き上げているようであった。
馬鹿な、とヨハネは目を見開いた。
出力が前回とは桁違いである。
赤の金とは言え、ガンピほどの質量を力任せに振り回せるはずがない。
「ルイが疲れていたのは、これなのか……」
放出されたフレアエクスターミネートスーツの真の力。
ガンピはさすがに予想外であったのか、黄金の突撃に遅れ気味の対応をする。
「この力……待っていた、待っていたぞ!」
大剣を振り上げたガンピがそのまま打ち下ろす。
だがその時、既にエスプリの姿はない。
中空で足場もない状態のガンピへと、さらに高空へと踊り上がったエスプリの拳が叩き込まれる。
地面に落下した直後、膨大な粉塵と泥が舞い上がった。
それほどまでに攻撃力が上がっているのだ。
ヨハネは信じられない心地で眺めていたが、粉塵を引き裂いた次の攻撃にその注目が移る事になる。
『グラウンドユニゾン』
その音声だけで全ての現象が静止した。
粉塵も、泥も、何もかもが全て。
地面にかかわりのあるものが何もかも、ガンピの力となっていく。
粉塵は風に運ばれ、ガンピを中心軸に据えた砂嵐となり、エスプリの次の一手を拒んだ。
距離を取りつつも、ガンピが位置取るのは、こちらの思惑通り、工場地区であった。
ここならば赤の金の力を存分に振るえる。
その確信を得たのは向こうも同じだったのだろう。
「来い。全身全霊で相手になってやる」
ガンピが片腕で大剣を掲げる。
「……後悔するなよ」
駆け抜けたエスプリはまさしく光速。
その速度から放たれる飛び蹴りはほぼ予測不可能と言ってもいい。
その蹴りと打ち合ったのはガンピの大剣である。
まるで攻撃地点を予測したかのように迷いない。
「まだ使いこなせていないのか。少しばかり直進的が過ぎるな」
その評にエスプリが次の攻撃を撃ち込む。
直下から突き上げる拳を、ガンピは何と片腕で受け止めた。それだけでも驚愕に値するのに、何ともう片方の手には大剣をしっかりと握っているのである。
「取ったか」
薙ぎ払われた一閃を跳び越えて、エスプリがガンピの背後に降り立つ。
振り返り様に振るわれるのと、その背筋に肘打ちが打ち込まれるのは同時であった。
ここに来てガンピの重装甲がよろめいた。
まさか、と瞠目したヨハネにエスプリが構えを取って姿勢を沈める。
ガンピに考える隙を与えない。
右へ、左へと放たれる光の一撃はガンピを的確に打ち据えている。
――勝つのか。
ヨハネの胸に湧いたその淡い期待を打ち砕くように、ガンピが吼えた。
大剣を両腕で保持し、自分を中心として回転切りを放つ。
ガンピが追い込まれているのか。
あるいはエスプリが追い込まれているのか。
一進一退の攻防に息を呑む。
だが、よくよく観察してみればその差は歴然であった。
エスプリが肩で息をしているのに対してガンピの構えには余裕がある。
勢い余って攻め過ぎているのだ。それを警告しようとして、エスプリはハンドルへと手を伸ばした。
まさか、この状態で飛び蹴りを放つ気か。
その判断にヨハネは覚えず声を上げる。
「駄目だ、そんな状態じゃ……!」
ヨハネの声にガンピが応じていた。
「その通りだ。確かに、前回よりはマシになった。だが、それは付け焼刃、というもの。光速に近い攻防、こちらも疲弊したが、そちらほどではない」
エスプリが構えを取る。
ハンドルを引くと『エレメントトラッシュ』の音声が鳴り響いた。
「あたしが……勝つ!」