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災禍篇
EPISODE124 人間

 意識が浮遊している。

 波の表層でたゆたっている。

 どこに向かうのか、自分でさえも判然としない。

 そんな中、不意に光が瞬いた。

 記憶の奔流である。

 ハンサムと出会い、別れ、ユリーカと組んで戦い、ヨハネと出会い、今の今まで戦い続けた。

 どこまでも戦いしかないのか。

 マチエールの心の瞳が見据えたのは果てのない荒野であった。

 どこに向かえばいいのか?

 太陽も、月も、風も何も教えてくれない。

 何を守ればいいのか。

 荒野には何もない。

 守るべきものも。賭すべき何かも。

 だから、歩いた傍から零れ落ちていくのは、信念であった。

 自分が何を支えにして生きていけばいいのか分からない。

 荒野が夜に染まる。

 オーロラのように広がったのは亡霊共であった。

 今まで戦い、倒してきた亡霊達が自分の進路を阻む。

 足に纏いつき、肩にすがり付いて、亡霊の質量にマチエールは何度もよろめいた。

 その度に、今までの記憶の残滓が、脳裏を過ぎる。

 この時、こうすればよかったのに。ああすればよかったのに。

 後悔の念が湧き上がり、マチエールの足を止めた。

「あたし……どうすればよかったんだろう。これから先も、戦うしか出来ないのかな」

 自分の行くべき道が見えない。何をすれば、どこへ行けば辿り着けるのか、全く分からない。

 生き地獄だ、と誰かの声がする。

 振り返るともう一人の自分が佇んでいた。

「何してるの? もうやめちゃいなよ」

 もう一人の自分の声にマチエールは頭を振る。

「駄目だ。だってあたしがやらないと、この街が涙を流す」

「そんなのさ、もう背負っているのも馬鹿馬鹿しくない? ここでもうくたばったほうが幾分かマシかもよ?」

「何で、そんな事言うの! あたし自身なんでしょ? だったら、どれだけ苦しかったのか、分かるはずなのに」

 胸元で拳を握り締める。鏡像はせせら笑った。

「そんなの、勝手に義務付けただけじゃない。誰が強制したわけでもないし、悪魔になれるかって聞いてきたユリーカはもういないし。勝手にドロップアウトしちゃえばいいんじゃないの? だって、誰のために戦っているのか、もう分からないんでしょう?」

 マチエールはその場に膝を折る。

 何のために、誰のために自分は戦うのか。

 それがもうほとんど見えなくなっていた。

 どこへ向かうべきなのか。何が終着点なのかさえも。

「あたし、何のために戦えばいいんだろう……。ユリーカは、何も言ってくれない。ヨハネ君も、あたしに何かしろなんて言わない。誰か教えてよ。おやっさん……、あたしはどうすればいい? 何が、自分にとって最善なんだ?」

「そんなの、自分で考えれば? 今まで何にも考えていなかった頭で出来れば、だけれど」

「うるさい! あたしは、何も考えたくなかった! だって、考えると、胸が締め付けられて、苦しくって……。だから考えないようにしていた! でも……もうどうすればいいの? フラダリはあたしの父親、それは本当なの? 嘘って言って欲しいのに、誰も否定してくれない。あたしって何? 何のために、ここにいるの?」

 月に手を伸ばす。その指先が砂となって舞い落ち、パラパラと崩れ落ちた。

 悲鳴を発する前に、鏡像が指差して哄笑する。

「お前、もう終わりだよ。だって自分が何のために戦うのかの決定権さえも、分からなくなっている。じゃあ、もうやめちゃえば? そんなの、いつまでもやっていたって仕方がない」

「あたしは、でも! ミアレのために!」

「そのミアレは何をしてくれた? あたしからユリーカを奪い、残酷な運命を突きつけ、さらに言えば弾圧さえもした。そんなミアレ、信じるに値するの?」

 その現実にマチエールは慟哭した。















 夢の中の悲鳴をそのまま引き移して、マチエールは身体を起こした。

 汗をじっとりと掻いている。

 アタッシュケースが近くにあり、そこからパイプが身体に繋がっていた。

『気がついたか』

 ルイの声音にマチエールは吸着したパイプに指を伸ばす。

『やめとけよ。一応は生命維持装置だ。外したら何が待っているか分からねぇし』

 ルイはどこか不貞腐れているように自分に接してくる。

 そういえばルイと話す機会はとんとなかったな、とマチエールは悪夢を払うために口を開いた。

「あたし、負けたんだ……」

『相手も化け物だった。それだけの話だ。あんなのに勝てなんて誰も思わない』

「でも、負けたんでしょ」

 それは弱さだ。マチエールが恥じ入っていると、ルイはぶつくさと呟く。

『どいつもこいつもどん底みたいな顔してやがる。あのよぉ、オレが言う立場でもないんだが、お前ら、それほどまでに堕ちたのか?』

 ルイの言葉にマチエールは目を瞠る。今まで傍観者を貫いてきたルイが意見するなど初めてであった。

「堕ちた、って、あたしが」

『ヨハネもだよ。お前ら、何だってそんな、地獄見たみたいな目ぇしてんだよ。もっとしゃんと、前向けよ。死んだわけでも、ましてやもう戦えないわけでもないだろ』

 マチエールは先ほどの悪夢を反芻する。

 もう戦えないわけではない。

 しかし、戦う大義を見失ってしまった。

 何のために、誰のために。それを考えれば考えるほどにどつぼにはまっていくようであった。

「……あたし、難しい事は考えられない。そういうタイプだと思っていた」

『ああ、オレもそう思っていたが、案外、てめぇら二人とも難しく考える性質だったんだな。ヨハネの野郎も腐った事言いやがって』

「ヨハネ君が何か?」

『喧嘩してきた。あの野郎、マチエールの代わりに自分が戦うとか言いやがった。どれだけそれがお前の存在意義を踏みにじるのか理解もしてねぇで。そんな奴だが、間違っていない事もある。マチエール、聞かせろ。もう戦う気はないのか?』

 問い詰められてマチエールは困惑する。

 まさかルイの口から覚悟を問いかけられるとは思ってもみなかったからだ。

 何でお前が、だとか、そんなの言われる筋合いはない、だとか、これまでならば言えただろう。

 これまでのように、ただ戦っているだけならば。

 ――だが、これからは。

 ただ闇雲に戦うだけでは手の中を滑り落ちていくだけである。

 どうすればいいのか。

 何のために戦うのかを自らの答えとして見出さなければならない。

「……あたし、頭も悪いよ」

『知ってる』

「だから、さ。ユリーカに言われて戦うのが結構、心地よかったんだ。だってユリーカはいつだって、バカバカうるさいけれど、間違いはしなかったからさ。でも、ヨハネ君と一緒にしばらくやってみて、何よりも分かったのはあたし、そうやって逃げていたんだな、って」

『誰も逃げたなんて咎めないだろうが』

「でも、考えるのを放棄して戦っていたんだって事が、よく分かった。デルタユニゾンが、あたしに呼び起こしてくれたのかもしれない。何のために戦うのか。誰のために戦うのかって事を」

『赤の金のユニゾンの事なんて、責める奴はいない』

「赤の金は、結局、きっかけだったんだと思う。あれを境にして、あたしが何の考えもなく戦っていいんじゃないって分かった。この力を振るうのには、きっちりワケが要る。それを何ていうか、改めて思い直したっていうか」

『てめぇらしくもねぇ考えだ』

「あたしもそう思うよ。だって、こんなの、今までのエスプリには要らなかった。Eアームズが出たから戦って、それが敵だから、フレア団だから倒してきた。でも、そういうのってよくないのかもしれない、って今のあたしは思う。フレア団だから、だとか、そういうんじゃないんだ、きっと。責任を求めるのは己自身であって、誰かのせいにするのが、正しいワケじゃない」

『難しい事言うじゃねぇの。マチエールの割に』

 今までならば馬鹿にされていると思って怒っていた言葉だが、今は冷静に受け止められる。自分は考えなしに戦ってきた。否、考えるのをやめて戦い抜いてきた。

 きっと、戦いの先には終わりがあると信じて。

「でもきっと、きっとだけれど、戦い続ける限り、終わりはないんだと思う。守る事って、そんな簡単じゃない。あたしは今まで、フレア団のEアームズだとかを倒せば、それでこの街の守り手なんだって思ってきた。思い込んできた。でもそれって、相手と何も変わらない。自分が正しいんだって思っているだけで、相手もそうなんだ。力を振るう事に、酔っていたのかもしれない」

『酔っていた、ねぇ……。オレはそうは思わねぇけれど。エスプリを正しくこなせたのは、てめぇだけだろうし、他の奴に任せたらきっと、もっと酷い結果になっていただろうな』

「……ヨハネ君の事、気にしてるの?」

『気にするって言うか、気に食わねぇだけ。あいつ、分かっているようで分かってねぇんだよ。自分がエスプリの代わりになれば、ってお前、それは結局、エスプリの否定なんだって分かれって話だ』

「そっか。ヨハネ君がそんな事を言ったんだ」

 自分の代わりに戦うと。そこまで言ってくれた人間を裏切る事など出来ない。

「ルイ。あたしがあのガンピってヤツに、勝つ方法があるのかどうか調べてよ」

 するとルイはこちらの顔を覗き込んで問い返す。

『正気か、てめぇ。言っておくがガンピのEスーツはハードポイントが三つもあるんだぞ? 単純計算でEスーツの三倍だ。その出力のあるEスーツを倒そうと思ったら、並大抵の事じゃ……』

 そこまで言ってルイは嘆息をついた。

 自分の覚悟が伝わったのか、ルイの言葉尻が弱まる。

『今さらだったな。並大抵の事をやってのける奴にしちゃ、無鉄砲で考えなしだ』

「教えて。あるの?」

『その前に、きっちり動けるようにしておけ。次にいつ来るか分からねぇけれど、ガンピは倒すんだろ? 正義とか、悪だとか、そういうんじゃなく』

 ルイの声音にマチエールは拳をぎゅっと握り締める。

 そうだ。善悪で戦うのではない。

「あたしはエスプリだから、戦うんだ」

 その答えに満足したのか、ルイが投射画面を手繰る。

『方法が全くねぇわけじゃない。フレアエクスターミネートスーツに本来秘められた能力を引き出せば、むしろ三倍程度の出力なんて生易しいくらいだ。そいつを相手取るに当たっての心得さえあればな』

「あるんだね? あのEスーツを倒す術が」

 ルイは腕を組んで憮然と呻る。

『簡単じゃねぇぜ? それに、行けても五分ってところだろうな。勝負を完全に物に出来るわけじゃない』

「でも、その手段があるのなら」

 こちらがあまりにも食い下がったからだろう。ルイは渋々答えた。

『……金の力、デルタユニゾンは元々、エクスターミネートスーツの最終形態が露出したものだ。つまり、部分的に最終形態の力を小出しにしている、とでも言えばいいのか。フレアエクスターミネートスーツを主人がお前に与えたのは、何も当て推量ばかりじゃない。これを使いこなした時、とんでもない戦力になると踏んでいたからだ。……それが敵か味方かはさておいて』

 ルイが編み出したEスーツの能力図面は自分にはさっぱりだったが、それがガンピを打ち破る力となるのだろう。

「教えて。時間がない」

『焦るなって。てめぇもそうだが、ヨハネも共々、焦ったって何もいい事なんてねぇよ。今は、焦るよりもきっちりと物に出来るかどうかの判断を慎重に』

「そんな暇、あると思ってるの?」

 問い質した声音にルイが息を呑んだのが伝わった。自分の覚悟は本気だ。

 本気で、戦い抜かなければならないのだ。

 ここまで来たからには、もう後戻りなど出来ない。

『……覚悟だけは買うぜ。だがよ、てめぇもヨハネもそうだが、何だってそう、死に急ぐような眼をしてやがるんだ? オレは、たくさんの人間の人格データを得た。フレア団でな。色んな被験者の死に際のメンタルだとか、そういうのを馬鹿になるほど観てきた。だが、てめぇらみたいのはいなかったぜ。自ら、死地に赴くようなのは。何が楽しい? 何で、普通に生きる事が出来ねぇ?』

「多分、あたし達は生まれた時から、そう決まっているんだと思う」

 胸の内にある思いを言葉にする。一つ一つ、確かめるように。

『生まれた時から、ねぇ』

「あたしには戦うしかない。それしか、もう道は残されてないと思う。……ヨハネ君の先輩の金持ちが死ぬ前に、あたしに託した。それって意味がある事だと思うんだ。意味のあるヤツにしか託せない事だと思う。あの金持ちは嫌なヤツだったけれど、最後の最後には、きっちり筋を通した。多分、そういう事」

『筋を通す、ねぇ。システムでしかないオレには、不合理にさえ映るな』

「でも、あたし達には、そうやって託して、託し合ってきたものだけが意味のあるものに見えるんだ。輝いているものに。それって、間違いなのかな?」

『オレに聞かれてもな。所詮、人格データなんてそれまでの話だ。オレはシステムだ。人間じゃねぇ。物事には合理的な事と、不合理な事がある。それをフィフティフィフティの感覚で処理するのがオレなんだ。だから、人間がたまにバグったみたいな事をやるの、オレには結局分からなかった。それって意味あるのか、って思ってきた。……これまでは、な』

 その言葉にマチエールはルイの顔を見やる。どこか苦々しげに、彼女は頭を振った。

『わかんねぇ、つもりだった。そんな不合理、理解しようとも思わないはずだったのに……。今のオレには何でだか、お前らのやる不合理さが、一種のバグが、理解出来るようになっちまったらしい。それの後押しをしたいとさえも思っている。可笑しいよな? 究極的に中立なプログラムとして造られたオレが、お前らに傾いている』

 自嘲気味に話すルイにマチエールは言っていた。

「何も、可笑しくないんじゃない? だって、それはルイにも響き合える心があったって事なんだから」

 その言葉にルイが目を見開く。何かおかしな事を言っただろうか、とうろたえていると、ルイは神妙に呟いた。

『オレに、心があるって? 機械だぞ、オレは』

「でも、ルイは不合理を理解出来るんだから、そういう事なんじゃないの?」

 ルイ自身も戸惑っているようだったが、やがて手を払ってそれを打ち消した。

『ああ、もう! やめだ、やめ! オレの事はどうだっていい。てめぇらの事だ。本当に、あのガンピって化け物に勝ちたいのか? 勝って何がある? 何の意味があるってんだ』

「意味とかじゃない、多分」

『じゃあ何だ? それを聞かない限り、オレはEスーツには触らないぜ。直しもしない』

 憮然と言い放つルイにマチエールは答えを胸中に探ろうとした。

 何故勝ちたい?

 飢えているのか?

 ――違う。

 戦う事に意味があるからだろうか。

 ――それも違う。

 何が、自分をここまで駆り立てた。何のためにならば、自分は戦い抜ける?

 堂々巡りの思考の中、不意に、扉がキィと開いた。

〈もこお〉がその場に佇んでいる。ルイが手を払った。

『今はちょっとあっち行ってろ。邪魔だ、邪魔』

 その言葉を聞いても〈もこお〉は動かない。

 その時、マチエールの中で弾けた言葉があった。

「……簡単な事じゃないか。あたしは、相棒をがっかりさせたくない。あたしが、あたしの誇れる自分であるために、戦う」

 その言葉にルイが唖然としたように口を開いていたが、やがてその信念が本物だと察したらしい。

 舌打ち混じりにルイは言いやる。

『言っておくが、これをどうしたってオレの責任じゃねぇ』

「分かってる」

『危ない賭けだし、正直、おススメも出来ねぇ』

「分かってる。ありがとう、ルイ」

 謝辞を述べてルイはケッと毒づいた。

『礼を言えばいいってもんじゃねぇんだぞ……。これから言う事は、道に外れた事かもしれねぇし、ともすれば、お前の寿命を縮めるかもな』

「何をするの?」

『Eスーツのリミッターを外す』

 その言葉にマチエールは掌に視線を落とした。

「今まで、リミッターが?」

『当たり前だろうが。分かりやすく言うと、三割程度しか使ってねぇよ』

 そんな小さな数値で今まで戦ってきたのか。それに驚愕していると、ルイは苛立たしげに髪をかき上げた。

『三割って言っても馬鹿にすんなよ。Eスーツほどの兵器なら三割でも充分なんだ。そもそも、百パーセントの性能を使うのなんて兵器って呼ばねぇ。それは博打って言うんだよ。で、オレはこのリミッターをいじって、それを五割にする』

「五割……少ないんじゃないの?」

 たったそれだけか、と落胆しかけたマチエールにルイは懇々と言いやった。

『馬鹿野郎。三割でも充分な兵器を五割まで引き上げるんだ。これまでの稼動限界共々、解決はするが、どうなるか分からない。純粋に、未知数の部分が多いんだ。特に赤の金なんて……何が起こるかまるで分からない。その時になるまで性能なんて不明のまま、戦う事になる』

 今までもそうであった、と言いかけて今まではルイとヨハネのバックアップがあった事に気づく。その前にはユリーカがきっちりと性能を予見してくれていた。

「じゃあ、どうなるの?」

『フレアエクスターミネートスーツの能力の半分の権限を、マチエール、てめぇに譲る。それはつまり、何が起こっても責任が持てないって事だ』 

 全て、自分のせいになる。

 赤の金で引き起こした爆発が思い返されるが、今はあれ以上の事が起きると思って立ち向かう他ない。

「いいよ、やって、ルイ」

『やってってお前……簡単に言うがな、主がプロテクトを何重にもかけてるんだ。その間は何も出来ねぇし、させられねぇ。多分、戦いになったら一発勝負』

 たった一回きりに賭ける。

 その緊張に一瞬だけ声が出なくなったが、マチエールは首肯した。

「いいよ。ルイ。あたしだってやれる」

 その眼差しを見やって、ルイは嘆息をつく。

『本当に、人間ってのは分からねぇな。何で、自分にとっての不利益だって分かっていても、それを被れるんだ? 全然、理解出来ねぇ』

「理解出来なくっても、ルイ、今のあんたはそれをやってくれている」

『ああ、クソッ。そうなんだよな、クソッタレ。それが自分で分かるから腹立つ。何なんだ、この感じは』

 きっと、それが人らしくなっている事なのだ。

 そう言おうとしたが黙っておいた。



オンドゥル大使 ( 2017/04/04(火) 22:42 )