EPISODE122 贖罪
しかし、この空間で救うべき人間が二人もいる。
「い、イグニス……。この状態は何を示している?」
うろたえるユリーカをイグニスは抱き留める。『リフォーメーション』の音声でコアモードが解除された。
「博士も。ここであんたらの好きにはさせない」
「好きにさせない、と来たか。シャラシティのコルニ。王と打ち合って死んだと思い込んでいたが、生きていたか。意外であったが、しぶといな」
シトロンの声に、イグニスは振り返って片手を掲げる。
「それ以上近づくな。ユリーカの身柄はアタシが預かる」
抵抗するかに思われたがシトロンは肩を竦める。
「そいつは助かる。なにぶん、人一人を殺すのにも時間がかかってね。どうするべきか決めあぐねていたんだ。もうミュウツーは完成する。オーキド博士、あなたの手によって最終段階を踏めば、ね」
オーキドは諦めたように顔を伏せ、シトロンへと歩み寄った。それがどうやらオーキドの選択のようだった。
「博士、あんたは何故」
「ユリーカ君を連れて行くんだ」
放たれたオーキドの言葉にコルニは仮面の下で驚愕する。
「どういう……」
「今のエスプリに必要なのは、かつての相棒。ワシのような老いぼれじゃない。ワシは代わりがいるが、ユリーカ君にはいないのじゃろう」
シトロンが片手を上げる。歩み出たのは小型のポケモンであった。襟巻きを有しており、体内の電流が跳ね上がる。
「エレザード。ぼくの手にしている、唯一の手持ちだ。ここで逃がすとでも? イグニス」
背後にはファウストが構えている。その手にはモンスターボールがあった。
「行きなさい、カエンジシ」
放たれたのは炎の鬣を持つ四足の獣である。
カエンジシ。よく覚えている。
祖父を殺した、炎の女の手持ちであった。
「やはり……、ファウスト」
「もうファウストじゃない。私の名前はパキラ。これが真の名前よ」
パキラが攻撃姿勢を取らせる。
前にはエレザード。後ろにはカエンジシ、というこの状態で逃げ出すのは至難の業だ。
自分一人ならばどうにか出来るがこの場合、ユリーカを連れ出さなければならない。
「ユリーカ。目を瞑っていてくれ。多分、手加減出来ない」
どういう、とユリーカが返す前にイグニスは腕時計型端末のボタンを押し込んだ。
再びコアモードが実行され、胸部装甲が展開する。その核へと、イグニスは手を伸ばした。
核を抉り取り、その部位へとモンスターボールを埋め込む。
直後、空間が逆巻き、青いエネルギーの瀑布が視界を遮らせた。
「Eフレーム、ファイナルイグニッション!」
内側から点火した炎が身体を包み込み、装甲に銀色の血潮が宿る。バイザーが僅かに上がり、口元だけを露出させた。
全身から立ち上る蒸気が溢れんばかりのエネルギーを表している。
「瞬神超者、イグニスコアハート! 命、爆発!」
その姿にユリーカは絶句していた。
「イグニス、コアハート……、馬鹿な、規格外だ」
ユリーカとて恐らく意図して造ったわけではない姿なのだろう。
そのシルエットにパキラが鼻を鳴らす。
「ズミを倒した姿ね。そのEスーツ、焼き尽くしてあげるわ! あなたのお爺さんと同じようにね!」
カエンジシが口腔内に炎を充填させる。
イグニスコアハートはその手にある連結された双刃を振り翳した。
ユニゾンチップを取り出し、二つの刃に挿入する。
『コンプリート。ファイティングユニゾン、スティールユニゾン』
オレンジの光と白銀の光が宿り、カエンジシの炎を回転させた刃が遮った。
その攻撃にパキラが歯噛みする。
「そこまでの力……なおさら惜しいわね、ここで潰えるなんて!」
カエンジシが牙を突き出して飛びかかる。イグニスは双刃を振り翳してカエンジシを退けたが、その背後にはエレザードの充填された攻撃があった。
「エレザード、パラボラチャージ」
放たれた電流が背中を射抜く。一瞬だけ身体が言う事を聞かなかったが、今の状態ならば一撃程度はいなす事が出来る。
背中に双刃を担ぎ、イグニスコアハートはユリーカの手を取った。
「一気に行く。無理やりだから、目を瞑って。舌を噛まないように」
何をする気なのか、というユリーカの眼差しにイグニスコアハートはバックルへとユニゾンチップを挿入する。
『フライングユニゾン、フライングユニゾン、デュアルエレメントトラッシュ』
身体に纏いついたのは空色のエネルギー波であった。飛行タイプのエネルギーを踏み台としてイグニスコアハートが浮かび上がる。
「させない!」
カエンジシが奔るが、イグニスコアハートは言ってのけた。
「今は、決着はつけない。でも、いずれは」
次の瞬間、構築されたエネルギーを踏みつけ、イグニスコアハートの身体を押し包んだ皮膜と共に瞬時に踊り上がった。
隔壁を突破し、障壁を排除し、何もかもを破砕して、イグニスコアハートが至ったのは地上であった。
雨が降りしきっている中、イグニスコアハートの光がミアレに落ちていく。
降り立ったイグニスコアハートはモンスターボールを抜いて、コアモードへと戻った。
コアモードも時間制限を越えていたようで『リフォーメーション』の音声で胸部装甲が戻っていく。
肩で息をしつつ、イグニスはユリーカを見やった。
ユリーカは久方振りの地上に周囲を見渡しているようだ。
「本当に、地上に来たのか?」
「フレア団の包囲からは逃げ出せたみたい」
息をついて変身を解除する。時間が延長されたとは言え、イグニスコアハートの連続変身は避けたほうが無難だろう。
「……そうか。だが、私は置いてきてしまった」
「ルイの事か? でもネットワークさえあれば」
イグニスの声音にユリーカは頭を振る。
「いや、最初からだ。最初から、あの男は私の技術ではなく、ルイ・アストラルのOSに着目していた」
どういう事なのか。問い質さなければわからない事が多そうであった。
「あの、さ。アタシも一応、復讐を後回しにしてあんたを回収したわけでさ。ちょっとばかしまずいのはお互い様なんだよね」
「マチエールは、バカはどうしている?」
「戦っているよ。今も、ヨハネと一緒に」
「そうか」と応じたユリーカの瞳は少しばかり寂しそうであった。
「……何を遠慮する必要があるの? もう自由の身じゃん」
「いや、コルニ。お前には言っていなかったが……ミュウツーが完成する。それが実行されれば全てが潰えるんだ」
「別に、完成させりゃいいじゃん。倒せばいいだけの話だし」
その切り返しにユリーカは言葉を紡ぎ損ねたようであった。何が、そこまで重要なのか分からない。
「倒せばいいだけ、か。それがどれほどの事なのかは、やはり伝わらないようだな」
「その、勝手に納得されても困るんだけれど」
ユリーカは決して自分を過小評価しているわけではないだろう。ならばそれほどまでに――ミュウツーが脅威という事になる。
「ああ、すまないな。だが、私としても久しぶりの外で、何をまず、すればいいのか分からないんだ。何を、するべきなのだろう」
「……会いなよ。エスプリとヨハネに」
「会わせる顔がないよ」
「それでも、さ。会わなきゃいけない。一切合財を呑み込んで、ってのは無理かもしれないけれど、でも、会わなきゃ進まない事だってあるんだ。今、何がピンチなのか、アタシにも分からない。アタシも必死だったからね。でも、エスプリは戦い続けている。それは間違いようのない事実なんだから」
こちらの言葉にユリーカは頭に乗ったデデンネを撫で付けた。
「どうするべきなのか、問うべき相手を置いてきてしまった」
「だからルイならネットワークでいくらでも……」
「そういう問題でもないんだが、私は、恐らく取り返しのつかない事をしてしまっていた。贖罪のために、マチエールとは会わないほうがいいのかもしれない」
その言葉にイグニスは奥歯を噛み締める。
変身を解除し、歩み寄って……ユリーカの頬を叩いた。
その一発はあまりにも不意打ちだったのだろう。ユリーカも茫然自失のようであった。
「何を……」
「甘ったれてんじゃない! 会いたくない? 会えない? そんなの知るか! あんたの都合で会わないのは、そりゃ逃げだよ! 逃げてどうする! エスプリとヨハネはさ、たった二人で、あんたがいなくってもそれでも強敵と戦ってきたんだ。あんたに何回すがりつきたかったか知らない。でもたった二人で戦ってきたのは事実! だって言うのに、会わない? それは逃げだって言ってるの!」
「私は……私は逃げているつもりはない」
「つもりはなくってもそうなんだよ! あんた、会わないのが大人の選択だと思っている。そうやって答えを引き伸ばして、遠くで見守るのがささやかな幸せだって。クソくらえだよ、そんなの! 大人ぶってどうする! あんたもアタシも、まだ子供だ! そんなどうでもいい事で大人になったって何もいい事なんてない! もっと自分の気持ちに正直になれ!」
思いの丈をぶちまけた気分であった。
ユリーカは目を見開いていたが、やがてつかつかとコルニに近づくとその頬を張る。
弱々しい力であったが精一杯の抵抗であるのが窺えた。
「私だって会いたいよ! でも、会えない。取り返しのつかない事をしてしまったんだ! それをどうにかしない限り、会う資格なんてない!」
「資格だとかどうだとか、難しく考えてどうするのさ!」
「私は、私なりに考えて!」
「違う!」
もみ合いになってコルニはその場に倒れ込んだ。ユリーカが馬乗りになって拳をぶつけてくる。
「お前に何が分かるんだ! 私は、これまでどれほど苦しんできたか! だっていうのに、どうやって、マチエール達に会えって言うんだ。私はあのシトロンの、妹なんだぞ……。これまでエスプリを苦しめてきた人間の、その血筋なんだ。だったら、何も言う資格なんて」
堰を切ったようにユリーカの目から涙がこぼれ落ちる。
泣きじゃくるユリーカにコルニは言いやっていた。
「……アタシ達は同じなのかもね。お互いにお互い、距離が分からなくって。自分の目的のために誰かを犠牲にして。その人の笑顔を奪って。……でもさ、自分にだけは正直でいようよ。そうしないと、色々と後悔すると思う。アタシは、もう復讐のために身を捧げると誓った。敵も見えた。パキラを倒して、アタシは成し遂げる。そのためならばもう迷わない。……あんた達といるのも、楽しくないわけじゃないし」
ユリーカがハッとして面を上げる。コルニは起き上がって言っていた。
「一緒に戦おう。もうここまで来ちゃったらさ。あんまり意地張ったって仕方ないよ。アタシもそうだしあんた達もそう。お互いのために、共に戦う道を選ぼう」
ユリーカは涙を拭い、強気に言い返す。
「……言っておくが今のは雨だからな。雨粒なんだからな」
「分かってるって。アタシも雨粒のせいにしたい」
「雨粒なんだって言ってるだろ!」
ぺしっと手が払われる。ユリーカは相変わらずのようであったが、その部分に救われるであろう。何よりも、ヨハネのためである。
マチエールを支えてきたヨハネもそろそろ限界が近いに違いない。自分の事も含めて決着をつける必要があった。全ては、相棒のために。自分も〈チャコ〉のために、これ以上の消耗は避けたい。
「ユリーカ。あんたが出てくれたのには意味があるよ。シトロンの思い通りにさせないのに、あんた以上の適任はいない」
「……だが、私は結局、ミュウツーを育成可能な状態まで仕上げてしまった。愚か者だ、私は」
「それも、仕方のない事なんだろう? ユリーカはいつだって、最善を選ぼうとしてくれている。それは一度でも知り合えば分かる」
ユリーカは服飾を握り締めて、違うんだ、と頭を振った。
「私は、悪魔に魂を売った、結局、因果応報だって事なんだよ。悪魔になれるかってマチエールに偉そうに説いておきながら、私自身、悪魔になんて成り切れていない」
ユリーカの言葉に暫時、沈黙を挟んでいたが、やがてコルニは手を差し出した。
「それでも、いいんじゃないか?」
「……どうして」
「悪魔になんて、ならないほうがいいに決まっているんだ。ユリーカ、あんたが充分に悪魔のつもりだったとしても、実際には悪魔でも何でもない、ただ一人の、子供だったって事じゃないか」
きっとそのほうがいいに決まっている。コルニの言葉をユリーカは咀嚼するように繰り返した。
「私は、悪魔じゃない、それでいいのか……?」
「これからは、悪魔じゃなく、対等な立場の相棒として、マチエールと接したらいい」
それがきっと、いい結果をもたらすはずだから。コルニの弁にしかし、とユリーカは及び腰であった。
「私に、今さらそんなの」
「許されないって? じゃあ、アタシが許す。ユリーカ、あんたは充分に苦しんだよ」
その言い草に目を瞠っていたユリーカであったが、やがて自らの掌に視線を落とす。
「悪行しか生まない、悪魔の手だと思っていた。もう穢れ切っていると」
「アタシからしてみれば、まだ善人の手だ。これからたくさんの命を救う事が出来る」
暗に自分には出来ない道だと感じていた。
ユリーカの技術はこれから先、人々を救えるだろう。だが自分は。復讐に生きるしかない自分という存在は。
もう長くはないはずだ。
それは薄々と感じられた。
「コルニ……私は、お前に酷い事をした」
「コアモードの事なら、役に立っているほどだ。何も悪い事じゃない」
「違う……、私はこの際になっても、お前に言えない。言えないほどに酷い事をした」
何をされたのかは分からない。しかし、とコルニはその頭を撫でていた。
「多分、そんなに悪い事じゃないと思う。アタシの感覚が麻痺しているだけかもしれないけれどさ。きっと、その悪行だっていつかはどこかで助けになる」
全ての人間の行いに、完全な悪性などない。
善性と悪性、どちらも付き纏うのが人の性だ。
だから純粋な悪人などいるはずがない。コルニはそう信じていた。
――だがパキラだけは。
何があってもパキラとの決着だけはつけねばならない。これは善悪を超越した、最早宿命である。
「……復讐に生きるしかないお前に、私は余計な事を仕出かしたのかもな」
「その余計な事が、アタシをまだ人間の域に留めてくれている」
お互いに軽口を交わし合い、ユリーカは微笑んだ。コルニも笑おうとして、やはりパキラの影を拭えずにいた。
パキラを倒した時にのみ、自分はようやく人並みになれる。
その時まで、まだ笑えない。心の底から泣く事も、だ。
まだ心を捨て、復讐者として生きなければ。
その無理を慮ったのか、ユリーカが窺う声を出す。
「お前、大丈夫なのか?」
「エスプリに比べればまだ、ね。問題なのは、あいつだろう。ヨハネと二人っきりで、今の今まで戦ってきた。折れそうになる心を必死に留めて、それでもなお色濃い戦場に身を浸してきたんだ」
その苦痛たるや、自分でも推し量れない。
初めて会った時のような生易しさはもう存在しないだろう。
あの二人は歴戦の兵だ。
「……ダメだな。マチエールとヨハネ君と会ったらまた、弱くなってしまいそうで」
「弱くたっていいだろ。まだ人なんだから」
そう、まだ人なのだ。
悪魔でも、ましてや天使でもない。
自分達は小さな人として、この地を這い蹲るしか出来ない。ほんの小さな存在に過ぎないのに、いつしか全てを支配出来ると錯覚している。
小さな人に出来る事はほんの些事。
だがその些事でも、少しでも世界をよく出来る事を祈っている。
そうすれば、祈りの力はやがて世界を動かすうねりとなる。
うねりの中にいるだけなのだ、とコルニは感じていた。
大きなうねりに身を任せてこの戦いも行われている。
Eアームズも、Eスーツも、ミュウツーでさえも全て。
うねりの中の、一時の輝き。
その輝きに命を賭すかどうかの話である。
「コルニ。いずれは言う時が来る。その時、私を殴ってもいい」
ユリーカの弱気な声にコルニは指を鳴らす。
「だったらその時、アタシを殴るのは誰の役目かな?」
「……きっと、ヨハネ君だろうさ」