ANNIHILATOR - 災禍篇
EPISODE114 別離

「ルイ! オーキド博士は……」

 広域通信を聞いてヨハネはホロキャスターを耳に当てる。ルイからの返答は素っ気なかった。

『あの爺さん、勝手に決めて勝手に行ったんだよ。まぁ、今のあの爺さんの権限なら、確かに街の目を覚ますのには打ってつけだろうがな』

「オーキド博士の身柄を、連中も狙っている」

『その点に関しては心配ないんじゃねぇか? テレビ局で白昼堂々なんてよ』

 否、相手の出方から鑑みて、これは最早最終決戦だ。

 テレビ局程度ならば制していてもおかしくはない。

「僕が向かったほうが……」

『いや、ヨハネ。てめぇはエスプリと一緒に用意しておいた区画に向かえ。連中を一掃する』

 その言葉にヨハネは眼を慄かせた。

「赤の金を使うって? そんなの、大丈夫なのか?」

『相手のEスーツは量産体制が整っている。しかも防御力に関して言えば一級品だ。スナッチシステム、それにEスーツによる大規模侵攻。正直なところ、一掃する以外にないだろう』

 だがそれは最終手段だ。全滅は出来るかもしれない。諸刃の剣であるのはしかし明白である。

「……駄目だ。エスプリにあれは使わせられない」

『じゃあどうするよ、ヨハネ。今追いかけられてんだろ? そいつを振り払えなきゃ、ハンサムハウスに帰ってくるんじゃねぇぞ』

 確かに。追跡している一人を振り払えなければ自分はどこにも行けない。

「ここまで、か」

 逃げるのはここまでだ。

 ヨハネはクロバットに旋回を命じる。身を翻したクロバットが空気の刃を形成し、Eスーツにぶつけた。

 Eスーツはナイフを保持しておりそれで弾き落とす。

 ヨハネはゆっくりと、クロバットに掴まったまま降下する。

「勝負を捨てたか」

「勝負? 逆だ。これからが、勝負だ」

 エスプリにばかり頼っていられない。自分も戦わなければならないだろう。

「クロバット……何の変哲もない、通常のポケモンに映るが」

「ああ、その通りだとも。それで僕が、――勝つ」

「面白い事をいうものだ」

「冗談めいているのはそっちだろう。僕をどこまでも追跡し、アジトを明かさせようとしている」

 Eスーツは鼻を鳴らし、ナイフを掲げる。

「その気はないと見えた」

「僕だって一応はエスプリの助手なんだ。こういう時、役立たないでいつ役に立つ」

 クロバットが戦闘体勢を取る。Eスーツがナイフを構えて口にした。

「先ほどまでの、エクステンドスーツの機能を見ているはずだが」

「それ、なんだけれど、ちょっとばかし疑問がある。何で全員があの粒子を放出しながら戦わないのか」

 その言葉にEスーツがピクリと動く。これはともすれば大はずれかもしれないが、ここで勝負に出ないでどうする。

「何の事だ?」

「とぼけるなよ。あの粒子、あれにポケモンを服従させる効果があるのは分かった。でも、全員がじゃあ、それを放出するかと言えばそうじゃない。さっきから見ていると、一人が放出役、他が攻撃役って感じだ。つまり、放出と攻撃は一度に出来ない。お前の場合、僕のクロバットに対して放出に徹すれば、攻撃は出来ないんじゃないか?」

 その推論にEスーツが挑発する。

「どうだかな。もし、まだ見せていないエクステンドスーツの機能があれば? その場合、クロバットは戦わずして打ち負ける」

「それこそ、どうかな。さっきまでの戦いを基に僕は戦術を練った。そう簡単に突き崩せると思うな」

 完全にブラフである。戦術など、一切ない。

 相手の出方に対して強気に出ているだけだ。

 だが、ここで精神面に押し負ければお終いである。

 Eスーツは哄笑を上げる。

「面白い事を言う。となると、覚悟は出来ている、と見るべきか」

「そちらこそ。僕と一対一をする、覚悟があるんだな?」

 ここまで虚飾を固めてきて、ヨハネは今にも崩落しそうであった。

 ――頼む、相手にこれ以上追及させるな。

 その賭けに汗が滲む。

 Eスーツは姿勢を沈ませてフッと呟いた。

「……報告よりも、面白い小僧だよ、貴様は」

 跳ね上がったEスーツにヨハネは命令の声を弾けさせる。

「クロバット! クロスポイズン!」

 翼を交差させたクロバットが毒の一閃をEスーツに叩き込む。Eスーツはクロバットの翼と鍔迫り合いを繰り広げた。

 火花が上がり、クロバットがその膂力を押し返す。

「今分かった事が二つ」

 ヨハネは声にしていた。

「毒に対して、結構まずいくらいに精密機械なんじゃないか、そのEスーツ。それともう一つ、ポケモンのパワーにそのEスーツは届かない」

 クロバット程度のパワーでも押し返せる。

 その確信にヨハネが活路を見出そうとする。

 Eスーツはナイフの刃毀れを見やり、次いでクロバットとヨハネを見据えた。

「……なるほど。ただの金魚のフンではないらしい」

「僕は今までEアームズポケモンと戦ってきた。今さら、人間のEスーツなんて怖くはない」

「確かに、エクステンドスーツのパワーでは通常ポケモンのパワーすら超えられない。所詮は強化服。その域を超えるようには出来ていない。カウンターEスーツやフレア系列のEスーツよりも弱く設定されているのは量産しやすくするためだ。元々、数で圧倒するためのEスーツである」

 ならば、勝機はある。

 そう考えかけたヨハネへと、Eスーツは差し込んだ。

「……だが、人間相手では無類の強さを誇る。忘れたか、ヨハネ・シュラウド。元々Eスーツは人間相手に優位を取るためのものである事を」

 相手がホルスターから取り出したのはもう一本のナイフである。駆け出したEスーツにヨハネは声にしていた。

「クロバット、エアスラッシュ!」

 空気の皮膜を纏いつかせて瞬時に刃と化す。刃がEスーツの表層を叩きのめしたが、それでもEスーツは止まらなかった。

 そのまま一直線に向かってくるのは――自分に、である。

 まずい、とヨハネはクロバットに連続で命令する。

「エアスラッシュで路面を巻き上げて吹き飛ばしで粉塵を上げさせる!」

 その命令通り、クロバットがEスーツの足元の路面を捲り上げる。不意に上がった粉塵を吹き飛ばしで強風にして相手の目をくらませる作戦であった。

 しかし、Eスーツはそれを逃れて転がり、ヨハネを標的に据える。

 一斉に、どっと汗が噴き出したのを感じた。

 Eスーツがナイフを掲げてこちらへと接近してくる。

 クロバットがエアスラッシュで追撃するも、その防御力で相手はヨハネの首を狙ってくる。

 ヨハネは逃げ出そうとして、ここで逃げればクロバットの命令が生きない事に気づく。

 もし、自分が逃げ出せばスナッチ性能でクロバットが敵のものになってしまうだろう。

 逃げる事も、ましてや攻撃も出来ない。

 どうする、と迷った胸中に差し込むようにEスーツが跳躍した。

 ナイフが煌き、ヨハネの首を刈ろうとする。

 後ずさってヨハネはそれを寸前で回避するも、瞬時に咲いたもう一つのナイフの一閃が網膜に焼きついた。

 仰け反ったが、額を割られたらしい。

 血が噴き出し、ヨハネは視界を染める赤に困惑する。視界を固められた、これだけでも戦力としては落ちたも同然。

 ヨハネはクロバットに指示する。

「クロバット! そいつを攻撃しろ!」

「命令の体を成していないな」

 Eスーツが飛び退り、クロバットの発生させた風の刃を全て回避する。

 ヨハネは必死に視界を元に戻そうとするが、額の傷は思っていたよりも派手に血が出る。

 戦闘続行は不可能に思われた。

「くそっ、どうして……。僕は、一人で戦う事すらも出来ないのか……」

「残念ながらそのようだな。次の太刀の前に死ね、ヨハネ・シュラウド」

 Eスーツが再び接近する。

 風圧の刃が再び襲いかかるが、全てがあさっての方向を貫くばかりである。

 当然か。

 自分が見えていないのに、クロバットに命令が届くはずもない。

 これで、本当に終わり。

 ヨハネは拳をぎゅっと握り締める。

「ここまでか」

「死ね。ヨハネ・シュラウド」

「――今までの僕ならば」

 クロバットの刃がEスーツと自分の間に割り込む。

 Eスーツが咄嗟に後ずさり、その攻撃を回避した。空気圧の刃ではない。

 全く別の攻撃である。

 それも、エアスラッシュよりも威力の高い刃であった。

「……何故、見えている?」

 問いかけるEスーツにヨハネは両目を瞑ったまま、言葉を返していた。

「僕が見えなくとも、クロバットには見えているのだろう」

 その言葉にEスーツが息を呑む。

「まさか……同調か? だがそのようなデータはなかった」

「当たり前だ。僕が今まで、同調を使った事なんて、あの日以外はなかった。あの日以降、僕はポケモンで同調を使ったのは記録上存在しない」

 ヨハネの視界は拓けていた。その眼差しの先にはEスーツが片腕を掲げている。

「しかし、同調だからと言って何とする? クロバットの攻撃程度では敗れない。今の、刃の攻撃には肝を冷やしたが、所詮は不意打ち。油断しなければいいだけの話だ」

「油断しなければいいだけ。本当に、そう思っているのだとすれば、来いよ。僕は全力でお前を倒す」

「……抜かせ!」

 Eスーツが駆け抜けてくる。

 ヨハネの同期した視界にはそれが克明に映っていた。

 声帯を震わせず、ヨハネは手を払う。

 クロバットが空気の刃を放出し、Eスーツに命中させた。

「何度も言わせるな! クロバットのその攻撃は通用しない!」

 ナイフでクロバットの刃を叩き折り、Eスーツが肉迫する。

 今度こそ、自分の息の根を止めるために。

 しかし、ヨハネにとってしてみれば、そこに踏み込んだ時点で、勝ちであった。

「クロバット、エアスラッシュを、その方向に」

 クロバットのエアスラッシュが突き刺さる。

 瞬間、Eスーツが解除された。

 突然のEスーツの無力化にフレア団員が無様に転がる。

「何だ、何をした?」

「Eスーツにだって間接や制御のための基盤などの弱い部位はある。クロバットの攻撃は全て、その局所部位を攻めていた。Eスーツが攻撃に耐え切れず自壊しただけだ」

 その事実が信じられないのだろう。フレア団員はよろめいて立ち上がり、今一度、Eスーツを纏おうとして失敗する。

「僕は、多分誰よりも近くでEスーツというものを見てきた。だから分かる。Eスーツの弱点が。一度強制的に変身解除した場合、カウンターEスーツでも二時間は連続変身は出来ない。お前は、もう変身出来ない」

「馬鹿な……馬鹿な! 我がエクステンドスーツが敗北するだと? こんな、ただのトレーナー相手に!」

「ただのトレーナーじゃない。僕はエスプリの、助手、ヨハネ・シュラウドだ。覚えておけ。クロバット、攻撃」

「ま、待ってくれ! 慈悲はないのか? 今、私は生身だぞ? 攻撃するのに良心の呵責は」

「今さら、何を言っている。どっちにせよ、お前達は僕の大切なものを奪おうとした。その報いを食らえ」

 クロバットの風圧の刃がフレア団員を叩きのめす。

 手刀のように後頭部へと叩き込まれた一陣の風にフレア団員はその場で昏倒した。

「……ここで峰打ちを選択したのは、我ながら甘い、という事かな」

 フレア団員は一撃も切り裂かれていない。全て、空気圧を利用した峰打ちであった。

 ヨハネはEスーツの核となるバックルを奪い、その場から立ち去ろうとする。

 その時、不意に火線が開いた。

 突然の攻撃に足を取られる。

 粘性のある蜘蛛の糸が足に絡み付いていた。

 見えないヨハネにとってしてみれば、その攻撃の主さえも分からない。

 血を拭おうとすると声が弾ける。

「動かない事ね、特待生」

 その声にヨハネは聞き覚えがあった。それが誰なのかも瞬時に判断する。

「先輩……」

 ヒガサがいるのか。だが、血で固められた視界では分かりようのない。

 クロバットを旋回させようとして強烈なプレッシャーが肌を粟立たせる。

 本当にヒガサとアリアドスなのか?

 それにしては肌を刺すプレッシャーがあまりにも強い。

「本当に、先輩なんですか」

「見えていないのね。わたくしは、この戦いに介入していない。だからこそ、あなたを殺さない選択肢もあるのだけれど」

 しかし、言葉とは裏腹にアリアドスの攻撃の照準が背中に向けられたのを感じ取った。

「……僕を殺すんですか」

「今のあなたならば造作もないでしょう。今までの恨みつらみもある。……でもそれは、劣等生に返すべきもので、あなたにではないわ」

 不意に殺気が凪いでいったのを感じ取った。もう自分を殺す気はないのか。

「でも、先輩。あなたは、フレア団だ。僕は、それと戦う」

「存じているわよ。でも、わたくしはただの三級フレア団員で終わるつもりはない」

「……どういう事なんです?」

「シトロン、あなたに幾度となく接触したあの男の真の目的を教えてあげる。その名はミュウツー」

 何を言っているのだ。ヨハネの疑問を他所にヒガサは言葉を継ぐ。

「ミュウツー? それがどういう意味を」

「ミュウツー完成のために、あなた達の仲間であるところのユリーカは軟禁されている。全てはミュウツーのため。オーキド博士を利用するつもりであったのは、彼ならばミュウツーを安全に制御出来る確信があったから」

 何を言っている? ミュウツーとやらが完成するか否かなど、自分に教えてどうする?

「先輩、それを僕に言ってどうしろと」

「わたくしはこれから、フレア団を離反する」

 その言葉の意味が分からない。黙りこくるヨハネにヒガサは言い放つ。

「準備は整った。わたくしの手にはミュウツー細胞の一端、破壊の遺伝子がある。これをアリアドスに打ち込めば、わたくしは一時的とは言え、同調以上の強さを得る事が出来るでしょう」

「そんな事をして、何をすると……」

「エスプリと最後の勝負を」

 ヨハネが絶句しているとヒガサは続けた。

「元々、下らない勝負かもしれない。でもわたくしにとってこれは清算なのよ。最初で最後の、ね」

「……意味が分からない。エスプリとあなたが争う理由なんて」

「争う理由は明白。わたくしがフレア団で、彼女が劣等生だから」

 歯噛みする。また自分の前から大切なものが消えていこうとしている。

「駄目だ、先輩、許可出来ない。だってあなたは、生きるべきだ。生きて、罪を償うべきなんだ」

「特待生、最後にあなたに挨拶しておきたかった。恐らく、エスプリは赤の金のユニゾンを使う事になるでしょう。わたくしは欠片も残らない可能性がある」

「何のつもりなんですか……。エスプリを追い込むつもりで?」

 その言葉にヒガサはゆっくりと否定した。

「逆よ。エスプリにあの力を使いこなしてもらわなければ、未来はない。これが、あなたのために出来る、唯一の事」

 どういう意味なのか。ヨハネは問い質す前に答えに至っていた。

「……でもそんな、そんな事って」

「特待生。気づいていたかいなかったか分からないけれど。わたくし、あなたの事、嫌いじゃなかったのよ。だからこれは、あなたを奪い合う乙女同士の、決着のつけ方」

 ヒガサの気配が遠のいていく。駄目だ。まだ行かせられない。

「行っちゃ駄目だ! 先輩、あなたはまだ……!」

「さよなら、特待生。エスプリというこの街の良心のために、わたくしをせめて死なせて頂戴」

「駄目だ!」

 振り返ったヨハネの視界にはヒガサはもういなかった。



オンドゥル大使 ( 2017/03/15(水) 22:30 )