EPISODE107 蒼炎
当てなんてあるはずがなかった。
ユリーカもいなくなった。ルイもいなくなった。ヨハネだけが残された仲間であったのに、今はもう信じられない。
どうすればよかったのだろう。
マチエールは斜陽の空に問いかける。
自分はこの空の色と同じ色に、街を染めてしまった。
煉獄の赤に染まった街は、そこいらで警察や消防が駆けずり回っている。
自分はと言えば、Eスーツのケースすら持っていない半端者。
この体で、街を守るなんてよく吼えたものだ。
「……あたし、大事な時に何も出来ない」
こんな大惨事を招いておいて、何も出来ないなどお笑い種ではないか。
自分はやはり無力なのだ。
どう足掻いたところで、好転するはずもない。
何よりも――あの男の言葉が決定的であった。
フラダリ。フレア団の王。
血は争えない。呪縛のようなものだ。
自分の父親が誰かなど考えた事もなかった。まさかそれが自分の道を阻むなど。
「あたし、呪われてるんだ……」
どうしようもない。
そう思ってとぼとぼと歩いていると、そこいらで抗議の声が上がっているのを目にした。
「我々は反政府組織、ディルファンス! 今の秩序に異を唱える!」
そう叫んで警官隊ともみ合いになる集団を、マチエールは遠巻きに眺めていた。
市民の混乱。心が休まらない時に、人は争いに駆られる。
誰もが不安の種を抱えているのに、それを起爆させたのは自分だ。
恐ろしく歪なバランスだったに違いない。
Eアームズによる被害、情報統制、さらに言えば知り過ぎた人間は消されるという監視社会……。
市民の鬱屈とした感情が遂にあふれ出したのだ。
ディルファンスなど前哨戦に過ぎないだろう。
これから、ミアレは少しずつ壊滅を始める。
その舞台として、この街が使われる事だろう。
街が泣くのが聞こえる。
さめざめと涙を流すのが分かる。
もう手遅れなのだ。
エスプリは死んだ。
否、もう死んでいたのだ。
どれだけ苦難に立たされても立ち上がってきたエスプリは、もういない。
この街は混迷と無秩序の中に放り込まれたるつぼである。
その時、警官隊側に空間が開けた。
何人かの警官が道を開ける。
絶句した。
「灰色の……Eスーツ……?」
現れたのはEスーツを纏った人間である。灰色で、肩口が異様に発達していたが、間違いなくEスーツであった。
紫色のバイザーが目元だけを覆い、口元にはクラッシャーが備え付けられている。
クラッシャーが可変し、牙を形成した。
直後、灰色のEスーツ数名が跳躍し、ディルファンスの人波に割って入った。
舞い上がる人影。Eスーツの相手がディルファンスを次々と制圧していく。
ディルファンスも黙ってはいない。ポケモンを繰り出して抵抗しようとする連中がいたが、灰色のEスーツ達は隊列を成して陣を組んだ。
三角陣の頂点に立つ灰色のEスーツの肩の部位が可変し、緑色の粒子を棚引かせる。
その瞬間、攻撃に向いていた全てのポケモンが一斉に動きを止めた。
直後に訪れたのは信じ難い光景であった。
ポケモン達が向き直り、ディルファンスの主達に牙を剥いたのである。
その行動に全員が困惑している間に、一つ、さらに一つと制圧されていく。
訓練された動きであるのと同時に、ポケモン達を完全に支配下に置いているのだと分かった。
「あれは……、ポケモンを操っている? でも、おやの命令を無視させるなんて普通……」
出来るはずがない。
あのEスーツは間違いなくフレア団のものだ。
――戦わなければ。
習い性で飛び出しかけてマチエールはぐっと堪える。
自分はもう戦わないと言ったばかりではないか。
だというのに、どうしてここで出て行かなければならない。
こんなもの、放っておけばいい。
そう判じる心とは裏腹に、マチエールはEスーツ部隊が制圧の声を響かせるたびに、胸を締め付けられる思いだった。
もし、Eスーツがあれば。
自分が前に出て、人々を救うのに。
考えてから、何を馬鹿な、と頭を振る。
「あたしは、もうエスプリじゃないんだ……」
だが、目の前の惨状を見て見ぬ振りが出来るものか。
歩み出しかけて、Eスーツ部隊へと降り立った影があった。
水鳥のように軽やかに。その体躯から蒼い炎が湧き上がる。
マチエールは目を瞠っていた。
「イグニス……、っていう事は、コルニ?」
連絡のなかったコルニが出てくるなど考えられなかったがイグニスは間違いなく、コルニの用いていた体術を使い、Eスーツ部隊を蹴散らしていく。
「一つ、二つ!」
弾ける声にあれは間違いなくコルニだと断言出来た。しかし何故? 何故今になってコルニが姿を現すのか。
イグニスの背後に迫ったEスーツに降下したルチャブルがフライングプレスをお見舞いする。
〈チャコ〉も健在だ。やはりあれはコルニなのだ。
ルチャブルとの連携は以前にも増して先鋭化しているようであった。
Eスーツに纏っていた違和感が払拭されている。
今や、イグニスは完全にその力を物にしていた。
「イグニスだ。対Eスーツ機動!」
Eスーツ部隊が一度後退し、その陣形を立て直す。
全部で五人のEスーツ部隊がそれぞれ役目を帯びて隊列を組んだ。
一人のEスーツが肩部から粒子を放出しつつイグニスへと突っ切る。
攻撃の気配はない。
むしろ特攻に近い。
その動きにイグニスが跳躍し、後ずさった。
それを挟み込んだのは二人のEスーツである。
咲いたのは蹴り技。回し蹴りがイグニスへと突き刺さろうとする。
だが、それより遅れていながら、イグニスは腕と足を使って巧みに防御を敷いた。
「あのさ……アタシに格闘技って釈迦に説法にもほどがあるんだけれど」
その通りだ。だが、相手の本懐はそれだけではない。
残り二名が分散し、まずは背後を取った。
これだけで通常ならば諦めのつく陣形。
常人の神経では勝てるとは思えないだろう。
それが常人ならば、の話であるが。
「後ろを取る? 芸がないなぁ」
挟み込んだ二人を振り解き、イグニスが足首にユニゾンチップを埋め込んだ。
『コンプリート。ファイティングユニゾン』の音声と共にオレンジ色に輝く蹴りが背後を取ったはずのEスーツの腹腔に突き刺さる。
当然、それで追撃は終わりだと感じる。
だが……。
「まだ一人、残っている……」
マチエールの呟きに導かれたように、最後の一人はイグニスの直下に突然、出現する。
その動きに驚愕したのは何もマチエールだけではないらしい。
「へぇ、そんなところから」
「潰えろ! イグニス!」
「悪いけれど、潰える予定はないんだよねぇ」
Eスーツは完全に気配を消してイグニスの直下から奇襲を仕掛けたものの、その程度で眩惑されるイグニスではない。
宙返りを決めたイグニスが一撃をいなし、さらに返した拳でそのEスーツを退ける。
結果、五人のEスーツ部隊がたった一人のイグニス相手に劣勢であった。
「もう肩で息してるじゃん。体力ないなぁ」
イグニスの余裕に比してEスーツ部隊は明らかに疲弊している。それは熟練度云々よりも、備え持った素養が違うからだ。
「イグニス……、こちらの戦闘に介入しないと踏んでいたが」
「事情が違うんだよ。いや、この場合は命令系統が違う、というべきか。警察に介入なんてクセロシキがさせるはずがない。別働隊だね。ファウスト、か」
「我ら、不滅のエクステンドスーツ部隊! 敗北は許されない」
「あ、そう。だったら、これは許されない敗北だね」
イグニスが瞬時にブレードを展開し、Eスーツの一人へと肉迫する。その動きを誰も捉える事は出来なかっただろう。
マチエールでさえも、エスプリになっていなければ見えなかったであろう軽やかさだ。
ブレードが首筋にあてがわれ全員が色めき立つ。
「貴様!」
「動くと首を落とす。脅しじゃないよ? アタシ、正義とかどうでもいいから、必要なら殺すし」
それを黙って見ていられなかった。
マチエールは割って入りかけて、その足が止まる。
何をしようとしているのだ。自分は、もう関係がないはずではないか。
だというのに、何故首を突っ込もうとする。
自分には関係ないのだ。何度も言い聞かせたが、やはり無理であった。
Eスーツもないのに、ここで立ち入ったところで仕方ない。普通ならばそうだろう。
だが、今まで街の守り手を自称してきた自分には、我慢出来る話ではない。
「やめるんだ!」
弾けた声音にイグニスが注意を引かれる。
その瞬間、四人が一斉に飛びかかった。
全員がEスーツである。
その脚力、膂力は常人とはまるで違う。
瞬時に肉迫されたイグニスは舌打ちしてブレードを離した。
人質が解放され、イグニスが不利に立たされる。
「何だって、エスプリでもないのに出てきたんだ? そんな馬鹿だったなんて思わなかったよ」
イグニスの言葉に返す事も出来ない。マチエールを見やり、イグニスは戦闘状況を見据えた。
「ま、いいや。あんたが入ってきても来なくても、アタシにはこれがあるし」
掲げられたのは右腕の腕時計であった。変身してもスーツの表層に出てきている。
それだけでも奇妙なのに、イグニスはその腕時計端末のボタンを押し込んだ。
『コアモード、レディ』の音声と共に腕時計型の端末から流し込まれたのは銀色の血潮であった。
イグニスの全身へと巡っていき、次の瞬間にはイグニスの装甲が反転していた。
内部から燻るようであった蒼い炎が全面に達し、装甲そのものを蒼く変色させる。
血潮は銀。
輝くその対比にマチエールは言葉を失った。
胸部装甲が展開し、そのまま肩へのプロテクターと化す。
開閉した胸部から覗くのはメカニックな内観であった。細やかな内部部品の中央に輝くのは心臓の如き――脈打つコア。
蒼く輝くコアを抱いて、イグニスは生まれ変わっていた。
今までとはまるで違う。
一線を画すその存在感にEスーツ部隊も圧倒されている。
「何なんだ……その姿は……」
「アタシも初めてでね。どうやらイグニスの発展形らしい。名乗るのならば、イグニスコア、というのが正しいか」
イグニスコア。
その形態へと移行したイグニスが姿勢を沈める。
直後には、全身に装備されていたブレード、羽根が飛び散っていた。
まるで水晶が砕けるように一瞬の事。
しかし、その一瞬で何もかもが変革していた。
即座に相手の間合いへと入り込んだイグニスコアがまずは一人。顎へと裏拳を放ち、瞬時に昏倒させる。
それを判じられる前にさらにその隣の相手へと足払いをかけ、姿勢を崩した間に、中央の陣に入り、Eスーツ部隊を分散させた。
全員が突然の事に事態の把握が追いついていないようであった。
マチエールも、フレアEスーツで拡大化された意識でようやく捉えられたほどの超スピードである。
加速を得たイグニスコアが瞬間的にEスーツ部隊の中央へと切り込んだ。
否、通常ならばそれさえも分かるまい。
突然にイグニスコアが立ち現れたように見えるだろう。
事実、姿勢を崩されてからEスーツ部隊は気づいたようだった。
「貴様、いつの間に……!」
「へぇ、見えてないんだ? その新型でも?」
攻撃に移ろうとした相手はハッと動きを硬直させる。
お互いがお互いへの攻撃姿勢になっている事に遅れながらも気づけたらしい。
「惜しいね。同士討ちに持ち込めたのに」
それを計算でやってのけたイグニスコアに全員が震撼したようであった。感覚で捉えられたマチエールでさえもその速度には絶句するしかない。
『リフォーメーション』の音声が響き、イグニスコアの装甲が元に戻っていく。展開していた胸部装甲が戻り、一時的に排出した武装がイグニスの下へと帰って行った。
「これ、時間制限あるみたいなんだよね。まぁ、あれほど速ければまず間違いないだろうけれど、どうする? これでもアタシとやる?」
もう勝負は見えた。
Eスーツ部隊はその脚力で一気に後退する。
「……好きにはさせないぞ」
「それはこっちの台詞なんだけれど、今の正義はそっちにあるかなぁ」