EPISODE106 悪者
マチエールを寝かしつけてから、ヨハネはニュースで街の惨状を知った。
街頭アナウンサーのパキラがマイクを手にして混乱を伝えている。緊急時のためか、ヘルメットを被っていた。
『ご覧ください! この破壊の爪痕を! とんでもない事が文明国であるカロスで起こったのは疑いようのない事実です。政府はこれに対して緊急特別総会を組織し、招集をかけている模様です。一体誰が、何のために、という部分は完全に不明との事で……。スタジオ、聞こえていますか?』
カメラがスタジオに戻るがキャスターも困惑の顔色を隠せないようだ。
『やはりこれは、テロなのでしょうか?』
『まだ情報が錯綜しています。とりあえずミアレ市民には一度。落ち着くように呼びかけるのが一番でしょう』
ヨハネは歯噛みする。覚えずリモコンを投げつけた。
今の今までミアレの平和を守ってきたエスプリが仕出かした事なんて言えるはずがない。
『……落ち着けよ、ヨハネ』
「これが落ち着けるか。僕は、今すぐこいつらの横っ面を叩きたい気分だ」
『落ち着けって。助手だろ?』
「でも、何でこんな……。フレア団の王、フラダリ。あいつだって……」
そこから先を口にしようとして憚られた。ルイは知っているのか。
それを先回りしたかのように、ルイはぼやく。
『マチエールの血筋についてはオレも調べているよ。でも、元々ストレートチルドレンだ。母親の事なんて知りたくもないのかもしれない。ましてや、父親なんてな』
フレア団の、頭目こそがマチエールの父親。彼女はそれを自分だけの秘密にしているはずだ。
ならば自分は何も知らない助手を演じるしかない。
だが、こんな役回り、誰かに代わってもらえるならば代わって欲しいところであった。
柱を殴りつけヨハネは目を瞑る。
「僕が、もっと強ければ……」
強ければマチエールに辛さなんて感じさせないのに。口惜しく発した言葉にルイが応じる。
『これはマチエールの問題と取るべきか、それともオレら全員の問題と取るべきか』
言うべきではない、とルイでさえも感じているのだ。ならば、やはりそうなのだろう。
「……何も知らない様を演じろって?」
『それが一番なんじゃねぇか? だってこんなの、全員で背負うには重過ぎるぜ?』
「でもマチエールさん一人でも、多分重いよ」
きっと抱えてしまえば、二度と再起出来ないほどの。
ヨハネは思案する。こんな時、ユリーカならばどうする? 相棒ならば何をすればいい?
〈もこお〉に目線で問いかけても、つぶらな瞳が返すのは無表情のみ。
〈もこお〉に答えを求めるべきじゃない。これは、マチエールの血の問題なのだ。
『遡っても、こいつ自身の経歴をユリーカが改ざんしているからな。どれも偽造だ。やっぱり、フラダリの娘だなんて嘘じゃねぇのか?』
「でも、嘘にしては迫真めいていた」
そもそもそんな嘘だと分かるような事でマチエールを誤魔化す事は出来ないはず。
彼女は戦士だ。
なればこそ、一番に敏感なのは真実か否か、という部分。
その本能の嗅覚が事実だと告げたのならば、それは事実なのである。
『マチエール自身が認めちまったから、余計にやりにくい、な』
「フラダリのEスーツは? 解析出来ないのか?」
『まったくの新型。それも、オレが関わる以降のものだから、どうしようもない。設計図でさえも見せてこなかったところをみると、主はオレさえも信じていなかった事になる』
フレア団の新たなるEスーツはそれだけで充分な脅威。ヨハネは頭を振る。
「どうすれば……。僕らに何が出来る?」
『それは……おっと、起きたようだぜ』
マチエールが目をしばたたき、ヨハネの顔を窺う。
ヨハネは出来るだけ平静を装った。
「おはよう。マチエールさん」
「ヨハネ君……? あたし、あいつに負けて……」
急に起き上がったマチエールはうっ、と頭痛に呻いた。彼女からしてみれば考えたくもない出来事が矢継ぎ早に起こったのだ。
何かがあってもおかしくはない。
テレビがミアレの惨状を伝える。アナウンサーが渋い顔をしてワイプ画面から瓦礫の街を睨んでいた。
「これ、あたしがやったの……」
「違うよ、マチエールさんは何も」
「あたしがやったんだ……こんな事……」
マチエールは自嘲する。心底可笑しいとでも言うように口にした。
「あたし、街を守るために戦ってきた。街の涙を見たくないって。でも、駄目じゃん。あたしが一番に、街を泣かせている……」
「違うよ、不幸な事故だったんだ。誰も、デルタユニゾンの結果がこうなるなんて思っていない」
マチエールの手を握ろうとすると彼女はそれを振り払った。
「近づかないで。ルイと話し合っていたんだ。デルタユニゾンがどうなるのか、分かっていなかったなんて言い訳は聞けるわけがない」
確かに危険性は説かれていた。だが、赤の金のユニゾン一つで街が崩壊するなど誰が信じられるだろう。
「でも、僕は……」
「もういい。ヨハネ君の話は聞きたくない」
マチエールは飛び起きるなり、コートを引っかけた。その背中をヨハネは呼びかける。
「でも! でも僕は、君のために……」
「……あたしのためって何?」
マチエールはそこで立ち止まり、震える声で返した。返答に窮する。
マチエールのためと言いながら結局のところ、自分の事しか見えていなかった。その事実を覆い隠せるはずもない。
「でも僕は……」
「ヨハネ君、あたし、もう駄目みたいだ」
振り返ったマチエールの頬を涙が伝う。今まで見た事のない表情だった。
「マチエール、さん……」
「もう戦えない。戦う資格なんてない」
「マチエールさん、それは違う」
「違わないよ。あたしは、結局ヤツらと同じだ。利己主義で動いていた。あたしが動ければ、それが正義だって。でも、そんなはずがなかった。自分の向いた方向が正義なんて、そんな都合のいいもの、この世に存在するワケがないんだ……」
ぽろぽろと涙を流すマチエールにヨハネは気の利いた事を何も言えなかった。今まで抱えてきたものの堰を切ったように、マチエールは咽び泣く。
「でも、エスプリは正義の味方だ。僕はそう信じて」
「じゃあ、もうあたしの事は信じないで。もう、あたしはエスプリを続けるつもりはない」
マチエールが扉を開け放つ。その背中にヨハネは一番投げてはいけない言葉を放っていた。
「逃げるの?」
言ってから、しまったと感じた。この現実から一番に逃げたいのはいつだってマチエールだった。だというのに、それを踏みにじるような言葉を。
訂正する前にマチエールは振り向きもせず返す。
「うん、もう、逃がさせて欲しい」
駆け出したマチエールを止める手段は自分にはなかった。伸ばした手は虚しく空を掻く。
今の今まで一人で戦ってきたのだ。逃げてもいいのかもしれない、とヨハネは思っていた。
『おい、ヨハネ。逃がしていいのかよ』
「でも、僕にそんな資格はなかった。助手である資格も、もうない」
『じゃあお前も逃げるのか?』
「逃げて、何が悪いんだ。カロスの平和なんて、最初から警察やそこいらの人達に任せればいい」
ルイは息をついて後頭部に手をやった。
『勝手だな、お前』
その言葉にヨハネは振り返っていた。
「……何だって?」
『勝手だって、言ったんだよ。マチエールはまだ分かる。今の今まで、自分にかかる負荷なんて全部無視して戦ってきた。死んでも死に切れず、蘇ってまでこの街に尽くした。その結果があれじゃ、逃げたくもなる。だがな、ヨハネ。てめぇは、そこまで真剣だったのかよ? どうせマチエールに、金魚のフンみたいに付いて行っただけじゃねぇのか?』
ヨハネは柱を殴りつけていた。ルイを睨み、言い捨てる。
「……取り消せよ、ルイ」
『取り消さねぇな。ヨハネ、てめぇのは嫌だから逃げるって言う、子供の駄々だ。マチエールの苦しみとはまるで違う』
「取り消せって、言っているだろ!」
拳をぎゅっと握り締める。今の今まで戦ってきた事を、ルイのような存在に愚弄されて堪るか。
だがルイは言葉を仕舞わない。
「取り消さないし、てめぇが臆病者で、卑怯なのは違いないだろうが。マチエールに全部の責任おっ被せてよ、ここから逃げるか! ヨハネ・シュラウドよォ!」
啖呵を切ったルイにヨハネは我慢の限界だった。身も世もなく叫ぶ。
「僕だって、どうにか出来るのならしたいよ! でも、どうにも出来ないじゃないか! 僕が代わりに、エスプリになれるのならそうする。でも、成れないんだろう? だったら、どうしろって言うんだよ……。マチエールさんに気の利いた事も言えなかった。僕は……じゃあ僕は、彼女の何なんだ……」
膝から崩れ落ちる。自分はマチエールにとって何なのだ。その命題の前に、身勝手なプライドは意味を成さなかった。
『……意味のある存在になりたいのならよ。マチエールを追いかけろよ』
「やめてくれ。そんなの、空気が読めないだけじゃないか」
『女を泣かせたんだ。空気もクソもないだろ。追いかけるのが、男の務めだ』
しかしヨハネには何の自信もなかった。マチエールを呼び戻したところで、彼女に苦しい道を強いるだけ。そんな無責任な立ち位置でいるのはそれこそ卑怯だ。
「どうすればいいんだ……。僕はもう……取り返しのつかない事をしてしまった」
『取り返しのつかない事? マチエールは、それをいくつも重ねてきたんだぜ。人の命だけじゃねぇ。信念や心、絆。自分の替えの利かない相棒でさえも、あいつは犠牲にしたんだ。まだ間に合う、ってのは気休めだが、オレはこう思っている。絶望するには早いってな』
ルイの言葉にヨハネは顔を上げる。ルイは真っ直ぐにヨハネの顔を見据えていた。
「追いかけろってのが、どれほど酷なのか、分かっているのか? もう一度、エスプリに戻って、戦い続けろって言う事なんだぞ。僕は結局、何もしてあげられないって、そういう事がどんなに……」
どれほどに残酷な事なのか。もう一度エスプリになれ。その上で自分の身の振り方を決めろと、そんな事を自分の口から言わせろというのか。
『ヨハネ、てめぇはマチエールに、嫌われたくねぇから、だから助手なんてやってんのか? 違うだろ? 嫌われてもいいから、あいつの近くにいるって事を決めたんじゃねぇのかよ』
そうだ。自分はどう思われてもいい。嫌われても構わないから、マチエールの傍にいたいと思っていたはずだ。
しかし現実にはどうだ。
マチエールをこれ以上傷つけたくない。それは自分の役割にしたくないと、エゴばかり。
「僕は……悪者になりたくないんだ」
『それは偽善って言うんだ。ヨハネ、このままいい人で終わるつもりか?』
その言葉にヨハネは首を横に振る。
嫌だ。
いい人で終わりたくはない。
彼女の「特別」になりたい。
だがこれさえも、自分の曲がった欲望の側面ではないのか。それをまざまざと見せ付けられるのが嫌で、自分はここまで答えを保留にしてきた。
今しかない。
今しか、彼女への気持ちを伝えるのには。
ヨハネはルイに言い置いていた。
「……遅くなるかもしれない」
『留守番程度はしておいてやるよ。お前が一番、後悔しねぇで済む答えを探してきな』
おかしな話だ。
敵対対象として送られてきたルイに諭されるなど。
「……お前に諭されるなんて思っていなかった」
『オレも、人間相手に説教垂れる事になるなんて思わなかったぜ。案外、複雑に造ったんだな、主も』
「行ってくる。追わないと」
しかしまだ、言うべき言の葉は見つからない。
それでも追えと、ルイは言うのだろう。
マチエールを呼び止められるのは、今、自分だけなのだ。
『せいぜい、遅くなるがいいぜ。マチエールの気持ち、取り戻して来いよ』
ヨハネはハンサムハウスを駆け出した。
どこにマチエールがいるのか、それは分からない。だが今は、馬鹿と思われても、しつこいと思われてもいい。
――自分の気持ちを、伝えなくては。
そのために、走り続けるしかない。
その時、視界の隅で〈もこお〉が跳ね上がった。
肩に掴まった〈もこお〉の気持ちを判ずるまでもない。
この長年の相棒も、同じ気持ちに違いないのだ。
「行こう、〈もこお〉。マチエールさんに……」