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災禍篇
EPISODE105 煉獄

 灼熱の予感にクロバットを先行させたのは結果的に功を奏した。

 空気の皮膜を作らなければ、今頃自分は飛び散った破片で全身を貫かれていただろう。

 ヨハネは視界を覆い尽くす業火の地獄の中心にいた。

 何が起こっているのか。

 赤い景色の中では判然としない。

 ただ、つい先ほど、エスプリがユニゾンを行ったのだけは確かだった。

「あれは、赤のユニゾンのはず……」

 その時、通信が回復した。ルイの声が弾ける。

『何やってんだ! 今の爆発で死んじまったんじゃねぇだろうな!』

 荒っぽい声にヨハネは言い返した。

「……残念ながら生きているよ。僕は」

 そう付け加えたのは炎の中で対峙する二つの影が見えないからであった。

 エスプリとフラダリ。

 二つの存在がその信念をかけてぶつかり合っているはず。

 だが、もうもうと巻き起こる噴煙のせいで、まともに直視する事も出来ない。

「これじゃ、とんだ災厄だ……」

 咳き込みながらヨハネは視界の確保に努めた。クロバットが粉塵を吹き飛ばし、出来るだけ自分の足場を保護してくれるように動く。

 クロバットに進化していなければともすれば焼き尽くされていたかもしれない。それほどに皮膚をひりつかせる熱量は凄まじい。

「こんなの……、地雷原に踏み込んだみたいに……」

 辺り一面、火の海に沈んでいる。

 ミアレの高層建築などほとんど消し飛んでいるようだった。背の高い建築物のガラスはことごとく割れ、粉砕されている。

 これでは市民はパニックに陥っている事だろう。

 ヨハネはハンカチを取り出し、排気を吸い込まないようにしながら這い進んだ。

 エスプリがいるはずだ。

 だというのに、行けども行けども何も見えない。

 その時である。砕け散った街並みの中、不意に開いた無風地帯があった。

 クレーターが穿たれた中心に対峙するのは、二つの影である。

 一方は黒。金色の血潮を全身に滾らせている。赤く染まった手首と足首から炎が棚引いていた。

 エスプリだ、と声を投げようとして、もう一方の影が身じろぎする。

「ここまでやるとは思わなかった。さすがは王の血筋だ」

 ――王の血筋?

 ヨハネは気配を殺して、その場に蹲る。聞き耳を立てていると、エスプリが痛烈に叫んだ。

「何だって、こんな事をするんだ、お前は!」

「必要だからだ、我が御子よ。王の血は、生き残らなければならない。それは歴史の強制力とでも言うべきものだ」

「あたしは……あんたの娘なんかじゃない!」

 叫んだ声にヨハネは心臓を射抜かれた気分だった。

 今、何と言った?

 マチエールが、フラダリの娘だと?

 フラダリは王者の面持ちを崩さず、獅子の仮面の下で不敵に嗤った。

「お前は生き残るべきなのだ。それを今、自らで証明した。この炎はお前が招いた災禍だ。いずれ王の血筋以外、全てを滅ぼすという予言なのだ。この火はお前の大切なものも焼くであろう。その時こそ、真に必要なものが見えてくる」

「あたしは、絶対に……、あんたなんかには与しない!」

「言葉で言うは易いだろう。だが、その志、貫けるほど強いか? 探偵戦士、エスプリよ」

 試されてエスプリは歯噛みしたようであった。

 いや、何よりも……。

「マチエールさんが、フラダリの娘だなんて……」

 にわかには信じがたかったが、フラダリは踵を返した。

 その背に追いすがろうとして、エスプリが膝を折る。全身から金色の血脈が失せていった。

「時間切れか。いや、こちらもだな」

 フラダリの獅子の仮面が開き、その睡蓮のように透明度のある瞳がエスプリを捉えた。

「いずれ、この血の決着はつける。その運命はわたしにある」

 歩み出していくフラダリへとエスプリは言葉を投げた。

「待て! 逃げるな! 戦え!」

 どれだけ吼えてもフラダリが立ち止まる事はなかった。それどころか、エスプリのほうが声に力がなくなっていく。

「頼むから……、敵として立ってくれ。でないとあたしは……。誰を敵だと思えばいいんだ。教えてよ、ユリーカ。あたし、どうすれば……」

 エスプリが不意に倒れ伏す。ヨハネは駆け寄ってその肩を揺すった。

「マチエールさん? マチエールさん!」

『デルタユニゾンの後遺症だな。しばらくは昏倒するだろう』

 落ち着き払ったルイの声にヨハネは叫び返した。

「何だって、お前らはいつもいつも!」

『キレんなよ、ヨハネ。オレだってキレたい気持ちさ。まずい事を聞いちまったな。あのフラダリとマチエールが親子、ねぇ』

「お前、絶対にマチエールさんには言うなよ」

 含めるとルイは茶化した。

『それほどまでに大事か?』

「ああ、大事だとも。だって、血を分けた人間同士が、戦うなんて……」

 自分には耐えられないだろう。なんていう残酷な宿命なのだ。

『まぁ、まだ決定ってわけでもないし、調べは進めておくぜ、ヨハネ』

「……頼む」

 今はルイに頼るほかない。この事実の如何が分かるまでは迂闊に動けないだろう。

〈もこお〉が歩み寄ってきてアタッシュケースを開けた。どうやら〈もこお〉はサイコパワーで壁を張っていたようだ。

 エスパーポケモンらしい。ヨハネが〈もこお〉の頭を撫でてやると、〈もこお〉は首を傾げた。

 主人が倒れているのに〈もこお〉は何を感じるのだろう。

 その身に降りかかった災厄を、自分はどうする事も出来ない。

「ゴメンよ、〈もこお〉……。僕には、彼女の運命の一つだって、どうにも……」

 何も出来ない自分が憎い。

 だが、〈もこお〉は今すべき事をきっちりと見据えているようだ。Eスーツを解除し、アタッシュケースに収める。

 いつだって冷静なのは、古き相棒であった。

 エスプリ――マチエールの事をよく分かっている。

「お前みたいに、僕も彼女の心が分かればな。そうしたなら……」

 少しだけでも、その辛さを分かち合えるのだろうか。

 否、きっとそれさえも傲慢なのだろう。

 炎と粉塵の舞う中、ヨハネはハンサムハウスに向けて駆け出した。

 今は敗走だと、そう思っても仕方がない。

 少なくとも勝った気分ではなかった。














「とんでもないね。これがデルタユニゾンとやらの力か」

 鉄塔の頂上に佇み、風に煽られているのはコルニであった。

 蘇生措置が施されたばかりの身体を慣らすために動き回ったが、まさか中心街で爆発が起こるとは思っても見ない。

「アタシが思っていたよりも事態は深刻みたいだね。それもこれも、エスプリの仕業か。それともユリーカの心配するフレア団の仕業か」

 今回、フレア団の頭目が動いているとユリーカから警告があった。だがそれ以上に、コルニにとって重要な事がある。

 それは、この案件に自分の仇が絡んでいるかどうかだ。

 コルニは鉄塔の上から火消しに奔走する人々を観察していた。

 明らかにカタギではない様子の赤スーツはやはりそこいらに点在している。だが、自分の仇であるあの女の姿はない。

「矢面に立つような間抜けじゃないとは思っていたけれど、予想以上に慎重だなぁ。これじゃ、見つからないかも」

 しかし、そのような愚を冒すわけがない。

 地を這い蹲ってでも必ず見つけ出し、その正体を暴く。

 コルニは背中合わせになっている相棒に呼びかけた。

「そうだろう? 〈チャコ〉」

 ルチャブルが腕を組んで警戒の目を走らせている。ミアレシティは大打撃を受けた事だろう。

 だが、それがたった二つの存在によるものだとは誰も思っていまい。

 エスプリとフラダリ。

 この両者はいずれ争う。今は、自分の問題だ。

 コルニは必死に例の女を探したがやはり見当たらない。

「赤スーツをひっ捕らえて吐かせるほうが早いかな?」

 その時、封鎖線を越えてきた一団が目に入った。若者集団で、全員が水色の腕章をしている。

 そのうち先頭が叫んだ。

「我々は自警団、ディルファンス! このミアレは何者かによって支配されている! その支配を甘受していいはずがない!」

 どうやら新手の自警組織らしい。コルニは鼻で笑った。

「馬鹿だなぁ、あんなに目立つ真似をして。旗も掲げちゃって。もっと目立たないようにすればいいのに」

 それさえもパフォーマンスなのだろう。ディルファンスとやらのリーダー格がカメラを回し、中継している。

「ご覧ください! これが、世界に誇る文明都市、ミアレシティで巻き起こっている惨状です! こんな蛮行を、我々は許したつもりはない!」

 許したつもりはない、と声が連鎖する。見ていられないな、とコルニが肩を竦めたその時であった。

 噴煙の中から不意に現れた影があった。

 灰色の鎧を身に纏っており、全身に白いラインが走って輝く。

「何者だ! このミアレを実効支配する、裏組織か!」

 リーダー格が掴みかかろうとすると、その腕をひねり上げて瞬時に攻勢が逆転した。鎧を纏った人影に向けてディルファンスの面々がポケモンを放り投げる。

「行け! スリーパー」

 繰り出されたスリーパーが振り子を揺らして鎧の人物を念力にかけようとする。

 その背後に回ったのは堅牢な鋼タイプのコドラであった。前方のスリーパーを退けようと思えば、後方のコドラへの注意が疎かになる。

 どうする、とコルニが見つめていると、鎧の人影は不意に動き出した。

 前に歩み出てスリーパーの念力を振り解く。

 だが、それは迂闊だ。コドラの猪突を受けざるを得ない。

 やはり所詮は赤スーツの尖兵か。

 そう感じていた矢先である。

 鎧の人型の肩部装甲が展開し、緑色の粒子を撒き散らした。

 瞬間的な出来事であった。

 傍目から見れば、何もしていないに等しい。

 だというのに、次の瞬間、コドラとスリーパーは平伏していた。

 ディルファンスのトレーナーが瞠目する。

 目の前で自分のポケモンが飼い慣らされていた。

 その衝撃の光景にコルニも戦慄する。

「何が起こったんだ?」

 先ほどよりも注意深く、鎧を見据える。

 肩の部位が展開して一瞬だけ粒子を放出した以外は何もしていない。ただすっと佇んでいるだけなのに。

 コドラもスリーパーも攻撃の意思さえもないようだった。

「す、スリーパー! どうしたんだ! サイコキネシスで捩じ切れ!」

 主の命令にスリーパーは聞く耳を貸さない。それどころか、すっと鎧が指先を掲げると、その身を翻した。

 スリーパーが主であるトレーナーへと牙を剥く光景が展開されていた。

 トレーナーは戸惑うばかりである。

「す、スリーパー?」

「サイコキネシス」

 鎧が命じると、スリーパーは迷いなく思念の渦を主人に叩き込んだ。吹き飛ばされるディルファンスの構成員に全員が声を張る。

「何かをされた! 近づくな、みんな!」

「それは無理だな。コドラ」

 コドラが前に出て足を掻いた。突撃の準備はいつでも出来ているようであった。

「諸刃の頭突き」

 コドラが一直線にディルファンスの人々を散り散りにする。逃げ惑う彼らには何が起こったのかまるで分からないようであった。

「ポケモンを操る? いや、命令系統を一時的に逸らした?」

 だが、そんな容易い光景とも思えない。緑色の粒子が一瞬だけ噴出されただけだ。

 その一瞬で全てが移り変わってしまうなど。

 降りるべきか。コルニは逡巡したが、まだだ、と判ずる。

 まだ、相手の力量が不明である。

 粉塵の舞う中、出てきたのはクセロシキであった。彼自身も両手両足にEスーツを装着している。

「首尾は?」

「上々ですね。この新型Eスーツ、なかなかに使えます」

「ボールジャック機能を強化させた粒子が一時的にスナッチと同等の効果をもたらす。ワタシとしても怖いくらいだヨ。ここまでポケモンを完全に支配下におけるとは」

 コドラとスリーパーがディルファンスに攻撃を仕掛ける。

 思念の刃で切り裂かれそうになった女性にコルニは静観を貫けなくなった。

「ああ、もう!」

 こんな時に出るつもりじゃなかったのに。

 それでも、目の前で死体が積み上がるのは納得出来ない。

 鉄塔を蹴りつけて空中でアタッシュケースを開く。

 アタッシュケースと自分と〈チャコ〉が連星のように一直線に繋がった。

「Eフレーム、イグニッション!」

 その呼びかけに応えて、アタッシュケースから飛び出したのは黒い鎧である。

 暴風を纏いつかせながら、空中で変身を完遂させたコルニは以前までよりも挙動が随分と変わった事に気がついていた。

 ユリーカが細工をしたのか。

 自分の身体の一部のようにEスーツが馴染む。

 螺旋を描きつつ、コルニは踵を突き上げた。

 バックルに格闘と飛行のユニゾンチップを入れ込み、瞬時にレバーを引く。

『エレメントトラッシュ』の音声でオレンジ色に輝いた脚部が空間を飛び抜けた。

 掲げられたその輝きに灰色の鎧が気づく。

「必殺! ローリング踵落としィ!」

 反応した相手には突き刺さらなかったものの、その威力は数十倍に跳ね上がっていたようだ。

 地面を抉ったその一撃だけで、捲れ上がった路面で視界が遮られる。

 灰色の鎧の挙動が遅れる。

 当然の事ながら侍らせているスリーパーとコドラも、であった。

「閃光闘者! イグニス! 命、爆発!」

 声を弾かせて片手のブレードを突き上げる。そのまま灰色の鎧へと突き刺さるかに思われたが、その前に割って入ってきた影があった。

 クセロシキがEスーツの膂力でブレードを受け止める。

 もちろん、相手も全力であったが、今のクセロシキは思いのほか弱々しい。すぐにでも振り払える、と判じようとした神経にクセロシキが言葉を差し込んだ。

「イグニス……? 死んだはずでは」

「地獄から蘇ってきたのさ。お前らを叩き潰すために!」

 前後の情報の不足にクセロシキが逡巡の間を浮かべたのも一瞬。すぐにこちらと相手の力量差を測り、声にする。

「今は下がらせろ! このイグニス、以前までとはまるで違う!」

「分かっているじゃない。〈チャコ〉」

 舞い降りてきた〈チャコ〉が灰色の鎧の背後に回り込む。

「また手品を使うかい?」

 灰色の鎧に身を包んだ人間が是非を問うたようであった。しかし、クセロシキは頭を振る。

「駄目ダ。今のイグニス相手に、スナッチ粒子程度では相手取れん」

「スナッチ粒子って言うんだ?」

「一時的にポケモンのデータの側面であるおや、の情報を誤作動させる。スナッチそのものは理論としてあったが、あまりに不可解な事が過ぎるのと、実地研究の乏しさから今日まで取り上げられなかったが、ワタシはようやく実用化にまで引き上げた。もっとも」

 クセロシキが指を鳴らすとスリーパーとコドラがその場に倒れる。

 完全に昏倒しているようであった。

「力を無理やり引き出すため、それなりに代償はつきものダ。ポケモン側には極度の疲労を。操る側には、その機能を使っている間、他の事は出来ないようになっている」

「そう器用には立ち回れないと思えばいいのか」

 クセロシキが苦虫を噛み潰したように口にする。

「……その通りダヨ。イグニス、頭が回ってやり難いナ」

「それはお互い様だ。こっちも、一度死んで棺おけに片足を突っ込んだ。まさか自分が死ぬとは思ってもみなかったからね」

「だがその力、以前ワタシから奪取したプロトエクシードスーツの純粋性能を引き出している。助力があったナ?」

「言う必要、ある?」

「いや、ここでは一旦休戦するとしよう。お互いに痛くもない横腹を突かれるのは慣れていない」

「そりゃそうだけれど、目撃者はどうするの?」

 ディルファンスの面々は既に逃げ切っていた。クセロシキは鼻を鳴らす。

「所詮は一般人の戯れ言ダヨ。口に戸を立てさせるまでもない。ただ、そちらの存在だけはイレギュラーダ。イグニス、まさかエスプリと共闘を?」

「それは、これから考えようかな。ここまで破壊行為をするなんて聞いてないし」

 未だに炎が燻る現場を眺めるとクセロシキも同じ気持ちのようであった。

「あれは、ワタシの規格にあるカウンターEスーツではない」

「もう違うみたいだけれど?」

 クセロシキは確信を含んだ声音で呻った。

「やはり……、主任が何かを行ったか」

「あのさ、もうEアームズは使わないの? 便利な戦力出来たじゃん」

 顎でしゃくってやるとクセロシキは口角を吊り上げた。

「馬鹿ナ。お前とて分かっているのだろう? これが如何に欠陥だらけなのか」

 分かっていなくてここで破壊しないわけがない。泳がせる考えも浮かぶのはまだ倒せると思っているからに他ならない。

「まぁね。もっとうまい事、スナッチ機能を使えるようになってから実戦投入かな」

「ワタシは、この混乱を好機を捉えている。今ならば何が起こっても、ミアレ市民は納得、否、黙殺する」

 つまり試すのならば今だと感じてこのEスーツを使ったわけだ。クセロシキもどこか追い詰められているようであった。

「誰かさんにプレッシャーでもかけられてるの?」

「……ワタシの成果を奪ったお前が言うかネ? まぁ、それも込みだが、プロトエクシードスーツのノウハウを使い、ワタシは主任を倒さなければならない。そのためならばどれだけでも泥を被ろう」

「フレア団内でも随分ときな臭いらしい。それをエスプリが突けば一網打尽?」

 イグニスの問いかけにクセロシキは哄笑を上げた。

「そこまで組織の弱さを過信するなヨ、イグニス。フレア団は強いさ。お前が思っているよりもずっと」

「でも、アタシがここにいる時点で、だよね」

 いつでも灰色のEスーツを始末出来る。しかし、その気がないのは相手も理解しているはずだ。

「初撃で殺さなかった。それだけでもう充分ダ」

 Eスーツは確実に馴染んでいる。今ならば大隊を相手取っても勝てる自信があった。

 これもユリーカのお陰か、と思うと頭が上がらない。

「そのEスーツ、完成させないの?」

 クセロシキの歪なEスーツの装着を目にして言った事だが、彼からしてみればとんだ言い草であったようだ。

「ワタシのEスーツなんて完成させてどうする? 逃げるための脚と、一撃をいなす腕があれば充分ダ」

 その証拠に先ほどのブレードの痕がEスーツの掌に刻み込まれていた。

 今ならば倒せる。

 だがお互いにここは一旦退くのが賢明だと判じている。

「取引をしようよ」

「取引?」

「アタシはそいつの事を口外しない。灰色のスナッチのためのEスーツ。少しだけ泳がせる」

「ほう、それは何故?」

「見返りが欲しいからさ。アタシがそれを見逃す代わりに、あんたには情報を漁って欲しい。研究者ならばお手の物のはずだ」

「フレア団の、情報を売れというのか?」

 首肯すると他の赤スーツがざわめいた。フレア団の一員だという責任から鑑みればこの交渉、いい方向だとは思えないはず。しかし、クセロシキにはさらに高次の目的がある。研究者はある種合理的な判断をする事を、自分は知っている。

「……皆はエクステンドスーツを回収。そのまま帰投せヨ」

「し、しかしクセロシキ副主任は?」

「話すべき事がある。ワタシが交渉の矢面に立たなければエクステンドスーツに対して先手を打たれる。それだけは阻止しなければならない」

 部下達は不承不承ながらもその命令を呑んだ。

 エクステンドスーツなる灰色のEスーツを回収し、潮が引いたように赤スーツ達が立ち去って行く。

 イグニスは武装を解かずに問い返した。

「あんた一人で大丈夫なの?」

「言っただろう? 逃げるための脚と、いなすための腕があればいいと。今のお前とて、一撃程度ではワタシを沈められんよ」

 その確信があってここにいるのだ。イグニスはさっそく口火を切っていた。

「組織の中でも指折りの、ナンバーツーの所在を知りたい」

「ナンバーツー? 何故追う?」

「アタシの仇だからだよ。それ以外にない」

 シンプルな答えにクセロシキはフッと笑みを浮かべる。

「どこまでも怨嗟に囚われた存在ヨ」

「言うのは勝手。アタシはそれさえあればいいんだよ」

 生き返った今となってはそれ以外に必要ない。求めるのはシンプルな答えだ。

 クセロシキは肩を揺らして嗤った。

「どこまでも……、エゴに塗れている。ある意味、エスプリとは正反対か。ナンバーツーの情報、ワタシとて噛みつかれればまずい」

「でも、掴めないわけじゃない」

 探り探りでありながらもクセロシキがこの交渉に前向きなのは分かっている。それはナンバーツーが今の今まで王以上に探れない人間であったからだ。好機である、と相手緒も思っているのだ。

「ナンバーツーの、偽名さえも分かっていないのに掴めるも何も……」

「偽名なら、分かっている」

 今まで自分を散々愚弄した名前。これに導かれ、自分はイグニスとなった。だが、それさえも与えられた運命の道筋の中なのだ。

「何という?」

「――コード、ファウスト。ファウストという名前の、女だ」

 まさか自分を支援していた人間が仇だとは思いもしなかった。しかし至極簡単な答えなのだ。

 自分を支援している間、決定的なアリバイが手に入る。虚を突かれる事もない。

 つまり一番に無難な位置なのだ。気づけなかった自分に歯噛みする。

 クセロシキは怪訝そうであったが情報は受け取ったようであった。

「ファウスト、ネ。調べておこう。して、そちらに情報を流し続ければいいのかネ?」

「いや、断続的で構わない。どうせ、この混乱でミアレはしばらく騒がしくなる」

 こちらの判断にクセロシキは文句も挟まない。

「なるほどネ。それはある。この混乱でさえも利用するという人間の小汚さが。だが、これを作り出したのは他でもない、エスプリだゾ?」

 それは想定外であったが、自分には今、それを制するだけの力がある。

 右手にはめた腕時計型の端末に視線を落とし、イグニスは言い放った。

「もしもの時は、アタシがエスプリを殺す」

 それで文句はないのだろう? という声音にクセロシキは微笑んだ。

「どこまでも、お前達は理解し難い」

「それはこっちの台詞だ。殺されたくなかったらもう消えろ」

「そうさせてもらうヨ」

 姿勢を沈めたクセロシキは一回の跳躍でミアレの高層建築を飛び越えて行った。

「逃げるのに必要な脚、か……」

 呟いて変身を解く。惨憺たる街の有り様に、部外者とは言え一つだけ言いたい事があった。

「これが、お前達の望んだ結末か? エスプリ」



オンドゥル大使 ( 2017/02/28(火) 16:28 )