ANNIHILATOR - 黙示篇
EPISODE96 願望

 駆け抜けるのは風よりも速いもの。

 街頭を足音だけ残し、跳躍する影に通行人が慄いた。

「ひっ、幽霊……」

 足音のみ、しかも質量が存在するそれを市民達は幽霊と呼んだが、厳密には幽霊どころか、実体の存在するポケモンであった。

 ヨハネは地上展開するクリムガンに騎乗し、路面を踏み砕きながらそれを追う。手には双眼鏡があり、それによって敵が見えていた。

「……ルイのバックアップ付きの双眼鏡……デボンスコープだったか。これがないと今回の敵、見えもしないってのは皮肉な」

 ルイに頼るつもりなどなかったのである。しかし、不可視の敵を相手に、フレア団の技術を使えるルイの助けを得ない選択肢はないとエスプリが判断したのだ。

 そのエスプリは、というとヨハネの指示を受けてクロバットに掴まっていた。

 ホロキャスターに声を吹き込む。

「エスプリ、思っていたよりも相手、素早い。しくじらないようにだけを注意して」

『本当に、それだけの注意でいいのか? ヨハネ。出来る事ならこう言いたいんだろ? フレアエクスターミネートスーツには頼るな、と』

 見透かした声のルイが自分にだけの個別回線で割って入る。ヨハネは歯噛みした。

 そうだとも。

 フレアEスーツを使わせる事それ自体が自分は反対である。だが、エスプリはこれから先の戦いを生き抜くためには必要だと判じた。ならば、自分の口の挟める領域ではない。

「……戦うのは彼女だ。僕は結局、こうやってサポート程度で」

『ヨハネ君、敵との距離、開いていない?』

 エスプリの声にヨハネは慌てて応じ、デボンスコープを覗いた。

「距離は……。大丈夫、一定だ。でも見えないから、関知出来ない可能性も」

『それはない。あたしはこれからアギルダーのユニゾンを使う。普通に使って三十秒しかなれない姿だから、デルタユニゾンを使った場合の試算は?』

『おおよそ、十秒前後、ってところか。変身出来るだけマシだと思える秒数だな』

 ルイの返答にエスプリは少しばかりの逡巡を挟んだものの、充分だと感じたようである。

『……分かった。バグユニゾンを実行する。ヨハネ君、索敵を』

「分かった。敵性ポケモン……見えないから何とも言えないけれど今回のEアームズのポケモンには間違いない」

『分析しようにも見えないんじゃ話にならないからな』

 ルイの声音にヨハネは苛立たしげに唇を噛んだ。

「黙ってろよ……。今、僕とエスプリが喋っている」

『おいおい、何イラついてるんだよ、ヨハネ。オレの言い分にいちいち目くじら立てていたら、キリがねぇぞ』

 応じようとしてエスプリの声が弾けた。

『ヨハネ君、指示を。撃ち込め、と指示があった瞬間、バグユニゾンを実行する』

 全ては自分にかかっているのだ。ヨハネは腹腔に力を込めて、クリムガンの振動を補正する。

 デボンスコープ越しに覗いた相手ポケモンは緑色の体躯をしており、決して力強いとは言えないポケモンであったが、見た目通りの戦力でないのはモロバレルの時に証明されている。

 息を詰めて、攻撃タイミングをはかった。相手のポケモンがこちらの追撃に業を煮やし、振り返った瞬間、ヨハネは叫ぶ。

「今だ!」













 飛翔状態からの狙い、というのは思っていたよりも付けづらかった。

 殊に、掴まっているのは自分のポケモンではなく、ヨハネのポケモンであったから、慣れているとは言いづらい。

 しかし、クロバットは主君への忠実な姿勢を自分にも貫いてくれている。いいポケモンに育った、と他人でありながら思う。

 今のエスプリは白の状態であった。バグユニゾンになるのには、一つの濁りが命取りになる。

 攻撃するその瞬間まで別のユニゾンは使わなかった。

 ヨハネがクリムガンの背に乗り、必死に追いかけているのが視界に入る。強靭な足腰がミアレの路面を踏み砕いていく。

 相手は、というと全く見えない。

 不可視のポケモンであった。

 しかし質量は存在する、という事前情報からゴーストタイプではないのは割り出していた。

 エスプリは右腕を掲げる。もう片方の腕で必死にクロバットに掴まっているせいか、姿勢が僅かにぶれる。

 この状態で精密射撃など可能なのか。否、通常ならば不可能に近い。

 バグユニゾンは極限の集中力を要する。それなのに足場の不確かな今の状態から放てるのかも疑問であった。

『ヨハネが追い詰めているぜ。エスプリ、今は狙い撃つ事だけに専念しな』

 別回線でルイが話しかけてくる。気が散ったが、ルイはサポートも行ってくれているために無下には出来ない。

「デルタユニゾンシステム……結局、バグユニゾンのもう一つの属性の割り出しは出来なかった」

『時間もデータも足りねぇんだよ。そんな状態でよくやると褒めてもらいたいくらいだぜ』

 厚顔無恥のこのシステムに辟易しながらも、エスプリはヨハネの判断を待った。

 そして、その時が訪れる。

『今だ!』

 その叫びにエスプリはホルスターからアギルダーのボールをバックルに埋め込んだ。

『コンプリート。バグユニゾン』の音声と共にヘルメットの両側の「B」の意匠が彩られていく。

 バイザーが緑に染まり、極限の集中力が身体に内包される。エスプリはその集中を要したまま、バックルに追加装備されたハンドルを引く。

『デルタユニゾンシステム、レディ』の待機音声が響き渡るや否や、全身に黄金の意匠が施されていく。

 ラインが金色に染まり、ヘルメットの内側のデュアルアイセンサーが緑色に輝いた。

 直後に反対側のハンドルを引く。『エレメントトラッシュ』の音声に導かれ、エスプリは右腕を突き出した。

 今まで手首のスロットは一つであったが、今回は四箇所、スロットが開く。銃口もそれぞれに存在し、極限の集中がヨハネの指し示した先にいるポケモンの存在を感知した。

 不可視であるが質量のあるポケモンである。矮躯で、伸縮自在な舌を突き出してクリムガンに反撃している最中であった。

 意識が延長され、一秒をまるで数時間のように感じるように引き伸ばされていく。

 恐ろしく長い時間の中、エスプリは照準補正システムに頼った。赤い照準器がエスプリの右目に四つ集中する。

『ロック、オン』の確定メッセージがヘルメットの内部を振動させ、エスプリは照準の先にいる相手ポケモンに一射した。

 その実、一発の攻撃が四発の榴弾になっている。

 相手ポケモンはそれを受け止めて、その場に硬直した。不可視の膜が剥がれ、背中に背負った機械が露出する。

 どうやら背中のEアームズで元々の身体機能を拡張させているらしい。一部分が剥離したようにまだ景色と同化している。

『カクレオンだ。元々が、隠密に特化した見えないとされているポケモンだな』

 ルイのサポート情報にエスプリはただ、バックルの排出ボタンを押す事しか出来なかった。

 まさしく十秒の刹那の剣。

 しかし、たった四発の榴弾でカクレオンは行動不能に陥っていた。前回までのバグユニゾンよりも強いのは見ても明らかだ。

「カクレオンの様子がおかしい。まさか、アギルダーの発現したデルタの力は、毒?」

『皮肉っちゃそうだな。元々、アシッドボムの応用の機能なのに毒、か。もっといいタイプもあったかもしれねぇのに』

 しかし、これは大いに期待出来た。何故ならば相手の動きを封じる手段が今まではほとんど存在しなかったからである。

「これで、殺さずに穏便に事を済ませることが……」

 出来る、と安堵しかけたエスプリに差し込むような声が迸った。

『エスプリ! このカクレオン、まだ!』

 ヨハネの慌てた声に相乗するようにカクレオンが舌を伸縮させてクリムガンを襲った。クリムガンは強固な腕で弾くが、カクレオンはまたしても景色の中に隠れようとする。

 させるわけにはいかなかった。

 次の瞬間にはエスプリはクロバットから離れ、カクレオンへと直下していた。

 空中で飛び蹴りの姿勢を取り、カクレオンの背筋のEアームズに向けて流星の一撃が突き刺さる。

 Eアームズからスパークの火花が散り、カクレオンの迷彩効果を無力化する。

 振り返り様に攻撃しようとしたカクレオンの舌がエスプリの胴を割った。

 だが、その胴体は何事もなかったかのように再生されていく。

『コンプリート。ウォーターユニゾン』

 水のユニゾンを得たエスプリが肉迫し、カクレオンの首筋に手刀を叩き込んだ。水とはいえ、一気に絞り出したその勢いは凄まじく、カクレオンを昏倒させるのには充分であった。

「Eアームズ、は破壊完了、か」

 追いついてきたヨハネの声にエスプリはバイザーを上げて汗を拭う。

 一瞬の判断ミスが命取りになる局面であった。倒れ伏したカクレオンを見やり、エスプリが声にする。

「多分、操っているヤツは生きていると思う。でももうEアームズは破壊しちゃったし、このまま捨てるのも忍びない」

 カクレオンの首根っこを引っ掴んで考え込んでいるとヨハネが提案した。

「スクールに引き取ってもらおう。あそこなら、まだポケモンを持っていない下級生もいるだろうし、よくしてくれるはずだよ」

 エスプリはその言葉を信じる事にした。

「だね。とりあえず今は、カクレオンアームズを倒せた事を祝おう」

 強敵であったがデルタユニゾンシステムは正常に動作している。このままならば何の問題もないだろう。

 ――しかし、エスプリは感じ始めていた。

 恐らく、このままただ純粋に強化された、というわけではあるまい。

 それならばフレア団が自分を野放しにするはずがないからだ。Eアームズ研究を推し進めるフレア団からしてみれば自分は邪魔者以外の何者でもないのだから。

「どうしたの? マチエールさん」

 ハッとしてエスプリはヘルメットを脱ぐ。マチエールの姿に戻ったエスプリはヨハネの肩に引っ付いている〈もこお〉の頭を撫でてやった。

「元はと言えば〈もこお〉が感知してくれたお陰だからね」

〈もこお〉のパワーによってカクレオンの存在が分かったのだ。未だに〈もこお〉は自分からしてみれば離れられない相棒である。

 だが、もう一人の相棒は……。

〈もこお〉の顔を見る度に、あるいはヨハネと話す度に思い出す欠落。

 ユリーカは、今頃どうしているのだろうか。

 自分の代わりにフレア団に身を置いた相棒は、一体何を目指しているのだろうか。 

 その行く末に不安を感じるのは何も間違っていまい。

 ともすれば――かつての味方同士で争い合う悲劇になりかねない。

 それだけは、とマチエールは切に願ったがこの街は残酷だ。

 願った事をことごとく裏切ってしまうだけの魔力を秘めている事は、裏に潜む人間ならば誰しも分かっている事なのであった。



オンドゥル大使 ( 2017/02/13(月) 23:09 )