EPISODE102 帝王
変身を遂げたマチエールはすぐさま相手の動きを察知する。
飛び退ると、頭部のあった空間を青い砲弾が引き裂いた。
ヨハネによると波導、というものらしい。波導に関する知識は、残念ながら自分にはない。
「……ルイ。波導の水ポケモンを、どう扱えばいい?」
『オレに言えるのは、相手の土俵に飛び込まない限り、撃ってくるって事だな』
相手の土俵。つまり水中戦をしろという事か。しかし、青のユニゾンでも水中戦までは想定していない。
「……短絡的に青になればいいってもんじゃない」
『そうだな。この場合は、ニョロゾに頼れよ。長いんだろ?』
「言われなくっても」
マチエールはホルスターからニョロゾのモンスターボールを探り当て、繰り出した。
「行け! ニョロゾ!」
飛び出したニョロゾが相手の水ポケモンを捕捉しようとする。しかし、その前に路面が捲り上がり、水脈と共に波導の攻撃が放たれた。
「アギルダー!」
瞬間的に繰り出したアギルダーがニョロゾを突き飛ばし、その素早さをフォローする。
確実な手はバグユニゾンで相手の位置を特定し、その上で撃ち込む事であったが、水に潜む相手は毒の榴弾で勝てるとは思えない。
「やっぱり、飛び込むっきゃないか。その場合、通信は?」
『行けるが、オレとだけになる。ヨハネには関知出来ないぜ?』
そのほうがちょうどいいのかもしれない。ヨハネは負傷しているようであった。
「……いいよ。ニョロゾ、水道に飛び込む!」
ニョロゾが駆け寄って手を掴む。エスプリはニョロゾに導かれて水道に着水した。
濁った水はミアレという街の穢れを象徴しているかのようであった。
一寸先はほぼ闇。だが、フレアEスーツの最適化機能によって視野が確保される。
その瞬間、砲撃があった。ニョロゾが先んじて察知し、自分共々回避する。
ここから先はニョロゾの戦闘神経に頼るしかない。水中で動く術はさしものEスーツでも存在しなかった。
「ニョロゾ……敵は見えるのか?」
〈もこお〉は地上で待っている。ニョロゾの思考を読む事は出来ないが、長年の勘がそれを可能にした。
ニョロゾが片手でハンドサインを出す。相手の位置関係を的確に示したそれを読み取り、エスプリは息を詰めた。
――相手は思っていたよりも近くにいる。
どこだ、と探った視界の中に青いオーラが迸った。水道の奥深くに、じっと息を押し殺した影があった。
片手のハサミだけが異様に巨大で、砲塔、という言葉を想起させる。
本体は目つきの鋭い水棲ポケモンであった。
「あれが、波導の?」
にわかには信じられなかったが、直後に巻き起こったのは波導による水流の変化であった。風のように水の流れを操り、自在に翻弄する。
身体からオーラが巻き起こっており、それによるものだと知れた。
「何て、無茶苦茶な……」
小柄なのにあの波導だけでミアレの水道全てを掌握しているのが窺える。倒さなければ、とエスプリは戦闘神経を尖らせる。
ニョロゾが片手を突き出した。ハイドロポンプの発射姿勢であったが、水中でのハイドロポンプは意味を成さなかった。
それどころか波導でくるりと撃ち返されてしまう。ニョロゾが受ける前に、エスプリは自分の身体を盾にした。
「これくらいしか、出来る事なんて……」
そう言いやったエスプリは肌が粟立ったのを感じる。振り向くと相手のポケモンは片腕のハサミを振り翳し、その照準を自分に向けていた。
波導が練り上げられて一発の砲弾と化す。
今までの比ではない。さしものEスーツでも貫通するのが窺えた。
「でも、避け切れない……」
他のユニゾンを、とホルスターを繰りかけて、今の自分にはどのユニゾンも使用不可能な事に気がつく。
せめて、ニョロゾの次の攻撃に充てる事しか出来ない。
ここは自分が一撃を受けて、ニョロゾが確実に相手を仕留める。それが定石であろう、と身体を振り向けようとした。その矢先である。
ニョロゾが無理やりエスプリを引っ張り込んで前に出た。
対応しようもない。
青い波導の砲弾がニョロゾへと直撃した。
仰け反ったニョロゾがその攻撃に昏倒する。
致命的なのがすぐに分かった。波導は相手の弱点を詳らかにする。ニョロゾは弱点属性を突かれたも同義であった。
「何で……ニョロゾ、あたしが信用出来なかったの?」
問いかけて、薄く目を開けるニョロゾの挙動に、違う、とエスプリは感じ取る。
ニョロゾは任されたのだ、と今の今まで思っていたのだ。自分の主人であるハンサムから、助手でしかなかったマチエールを。
だから、彼の思考には助ける、はあっても自分が助かる、はないのだ。
そんな事にさえも気づけなかった。エスプリは水中でニョロゾの手を握り締める。
「行かないで、ニョロゾ……。おやっさんが行って、ユリーカも行ったのに、ニョロゾにまでどこかに行かれたらあたし……」
仮面の奥で涙する。
その瞬間、ニョロゾの身体が光に包まれた。何が、と判じる前に、次の砲撃がニョロゾを破砕しようとする。
しかし、その砲弾は当たる前に逸れた。
作用したのは他でもない。サイコパワーだ。
ニョロゾが光を振り払ってその体躯を露にする。
巻き毛のような触角に、腹の渦巻き模様共々緑色に染まっている。そのポケモンが手を払うと、波導攻撃はことごとく空を切った。
エスパーの技だ。
ルイが声にする。
『信じられない……。ニョロゾが自律進化した……。ニョロトノだ』
「ニョロトノ……」
ニョロトノがエスパー技を使い、水底に張り付いていた相手のポケモンを浮かせる。そのサイコパワーは〈もこお〉より上なのが窺い知れた。
『分析、出た! 相手の正体はブロスター、特性は波導攻撃を強化するメガランチャーだ!』
ルイの解析結果がエスプリの仮面の内部に投影される。弱点タイプも判明し、エスプリはニョロトノの後姿を眺めていた。
それは、守ると決めた男の背中だ。
その姿にハンサムの姿を重ねる。そうだ、ハンサムはいつだって、自分を守ってくれていた。その志は死んでいない。
ポケモンによって受け継がれている。
エスプリはニョロトノの手を握り締めた。サイコパワーでその意志が伝わる。
――勝つ、という強固な意志が。
「……そうだね。今は、勝つしかないんだ。だからあたしは……!」
水流を流転させ、ブロスターを地表へと引き出そうとする。当然、相手は抵抗した。
エスプリはニョロトノの補助を得て、水中をまるで魚のように遊泳する。ブロスターへと拳を叩き込んだ。
一発では地表に出てくれない。もう一発、と拳を腰だめに構えた時、ブロスターの眼がこちらを睥睨した。
全身から迸ったオーラがエスプリを弾き飛ばす。しかし、その背中に制動がかかった。ニョロトノが助けてくれている。
今は、その力が何よりも心強い。
咆哮と共にエスプリは回し蹴りをブロスターに打ち込んだ。地表を割ってブロスターが水脈から出現する。
「ニョロトノ、戻れ!」
ボールに戻したニョロトノを労い、エスプリはバックルに埋め込んだ。
『コンプリート。ウォーターユニゾン』の音声の後、エスプリはハンドルを引く。
「デルタユニゾンシステム発動! Eフレーム、フルコネクト!」
ラインが金色に染まり、全身を走る青のラインと重なり合う。
胸部装甲が展開し「W」の文字を強調するかのごとく金が迸った。照り輝く黄金を得て、エスプリの躯体に力が宿る。
水面を蹴りつけると一足飛びでブロスターの腹腔を拳の射程にした。
ブロスター共々地上へと舞い戻ってくる。
相手はどうやら波導で寸前に受け流したらしい。ダメージは少なく、すぐさまこちらへとハサミの内部を開けた。
「危ない!」
ヨハネの声が弾けた瞬間、エスプリの腹部を青い波導弾が破っていた。
だが、それはまやかしだ。
「残念だったね。青の金のエスプリは、この程度じゃ死なない」
弱点を露呈する波導であっても、それさえも受け流す柔軟さ。それこそがフルコネクトしたウォーターユニゾンの本懐であった。
ブロスターが矢継ぎ早に波導弾を打ち出す。一発の攻撃力を捨ててでも連射に回した波導弾は、エスプリが手を掲げた事によって阻まれた。
正確には、手の形状が解け、円形の盾と化したのである。水の盾が波導の弾丸を受け流した。
「これが、新たな青のユニゾンの力……。発現したタイプはエスパーだ!」
ニョロトノの能力に導かれてエスプリは駆け抜ける。水の手足がのたうち、ブロスターを拘束した。
ブロスターは逃れようともがくも、伸縮自在な水の縄が逃さない。
遂にはハサミを掲げ、掻っ切ったがこちらにはダメージは一切なかった。
「流水の心。それに、さらなる力が組み合わさったんだ」
エスプリが片手を払う。
すると、半身が弾け飛んだ。エスプリの半身は幾重にも分裂し、黄金に耀いたかと思うと、相手へと特攻した。
一つ一つが質量を持つ影だ。
波導弾で撃ち落としていくも、それらにはダメージがない。ブロスターに肉迫した影がまず一発、その身体を蹴り上げた。
次いで辿り着いた二つ目が拳を打ち込む。
さらにもう一つ、水の勢いをそのままに飛び蹴りが放たれる。
ブロスターがよろめいて、その背中に埋め込まれた機械を露出させた。Eアームズであった。
「行くよ、ニョロトノ!」
ハンドルを引くと『エレメントトラッシュ』の音声が鳴り響く。
エスプリの肉体が幾重にも分裂した。それぞれが質量を持ち、意思を持つ自分の分身である。
それらが一斉に駆け出した。
ブロスターの波導が迸り、最高潮に達する。その勢いが分身を根こそぎ叩き潰そうとしたが、それよりもこちらの動作のほうが速い。
飛び蹴りの姿勢を全ての分身が取る。
次の瞬間、何重にも威力を相乗させた蹴りがブロスターの肉体へと打ち込まれていた。
全ての蹴りがブロスターを捉え、その身体が傾いだ後、相手の背後にエスプリ本体が立ち現れる。
手を払うとブロスターの背筋に固定されたEアームズが爆発した。
ブロスターが力なく横たわる。
青の属性が解けてボールが排出される。エスプリはそれを手に仮面の下で微笑んだ。
「エスプリ!」
クロバットで浮遊していたヨハネが合流する。エスプリはサムズアップを寄越した。
「大丈夫。ニョロトノのお陰だよ」
「ニョロトノ……っていう事は、進化を?」
事の経緯を話すべきか迷ったが、その前に破壊したEアームズから声が迸った。
『やはり、ここまで強化されたか。エスプリ。最早、猶予はないと思ったほうがいいのかな』
エスプリはバイザーを上げてその声を聞く。ヨハネが忌々しげに口走っていた。
「その声は……!」
『久しぶりだ、ヨハネ・シュラウド君。だが、キミがここまで意固地だとは思わなかったよ。もうそろそろ悪の道に転がっていてもおかしくないと思っていた』
「僕はお前達の思い通りにはならない。エスプリも、だ」
強い語調に相手は鼻を鳴らす。
『どこまでも思い通りにならない人間だ。しかし、ぼくはね、意外とそういう奴が好きなんだよ。むしろ、ぼくなんかの思い通りになる程度ならば、それはその程度だっていう事なんだ。それはぼくの、血を分けた肉親であっても同じ事』
「お前の肉親なんて知った事か! 僕らはお前らが全員で来ても、勝ってみせる、戦い抜いてみせる!」
ヨハネの確固たる意思の声音に相手は少しばかり沈黙を置いた。
『……そうか。まだ知らなかったのか。いや、これはぼくの口から言うべきじゃないな。もっと切迫した時、キミ達は知るだろう。己の中にこそ、真の敵が潜むのだと言う事を』
「僕達は強い絆で繋がっている。そんな事はさせない」
その言葉に相手が哄笑を上げた。エスプリは胡乱そうに聞き返す。
「何がおかしい?」
『いや、絆、と来るか……、って思ってね。ヨハネ・シュラウド君、この世で最も人間にとって疎遠な言葉と言えばそれに他ならない。絆、とのたまう奴ほど、最後の最後に裏切られてしまうのさ。その絆に、ね』
「メガシンカも絆の力だ。エスプリのポケモンが進化したのだって」
エスプリはボールを手にしていつでも繰り出せるようにする。
『そのようだ。ブロスターに勝ったのは素直に賞賛しよう。しかし、完成が近いな。そろそろ仕上がってきてもいい頃合だが、まぁいいだろう。ぼくは介入しないよ。この戦いには、ね』
「何を言っている? Eアームズは倒した」
『Eアームズではない。最早新たなる存在だ』
その瞬間、天空を飛び回るヘリが羽音を散らせた。そのヘリの腹腔が開き、内部に格納した何かを降下準備させる。
「何だ?」
『キミ達は一度知るといい。完全なる敗北を』
降り立ったのは赤いスーツを纏った人型であった。銀色の血脈が宿っており、赤い部位が内部から輝いている。
「新たなる、Eスーツ?」
「ただのEスーツではない。まだ、戦うつもりはなかったがプロフェッサーの頼みとあれば仕方ないな。何よりも、君達が保護しているオーキド博士の身柄を、強行的手段をもって奪うほかなくなった」
獅子の威容を持つEスーツの主は重々しく口にする。
その声音にヨハネがたじろいだのが伝わる。
「誰なんだ……」
「申し遅れた。我が名はフラダリ。フレア団の王である」
バイザーが上がり、獅子のEスーツのヘルメットが解除されてその相貌が露になった。