EPISODE7 英雄
火災が巻き起こり、そこらかしこで火が燻っていた。瓦礫に押し潰された家屋で必死の救助作業が繰り広げられている。
「まだ消防車両は来ないのか!」
「道を瓦礫が塞いでいて……」
消防員の苛立ちと比例して人々の恐慌に駆られた声が相乗する。その時、瓦礫に塗れた道路を跳躍してやってくる影が大写しになった。漆黒の鎧を纏っており、白いラインが眩しい。
「何者だ……」
呆気に取られる消防員を前にその人物はモンスターボールを繰り出す。
「行け! ニョロゾ!」
出現したのは腹に渦巻きを持つ青い体躯のポケモンであった。ニョロゾが両腕を突き出すと水の砲弾が構築された。
「ハイドロポンプ!」
消防車に匹敵する水の噴射が燻る火を掻き消していく。逃げ遅れた人々に降り注いだ瓦礫を鎧の人物は裏拳を見舞った。それだけで瓦礫が消し飛び、自由になった人々が目を見開く。
「何て、パワーなんだ……」
唖然とする消防員にその人物は振り向いた。仮面の人物である。黄色いバイザー越しに覗く瞳はこちらを射竦めるほどの気迫がありながら、同時に温和な気風が感じられた。
「ニョロゾ。鎮火してからここを後にする。雨乞い!」
ニョロゾが手を振り翳すと暗雲が寄り集まり、雨を降らせた。軒並み炎が鎮まっていく。その間に消防員が指示を飛ばした。
「い、今だ! 突入!」
炎の勢いが少しばかり弱まったビルへと全員が突入していく中、その消防員は鎧の人物に駆け寄っていた。
「その、あなたは……」
「エスプリ。街の平和を預からせてもらっている」
「エスプリ……」
消防員からエスプリは跳躍して離れていく。ニョロゾが「あまごい」を展開しつつ、エスプリと並んで駆けていった。
ほとんど嵐のように、遠ざかっていったその人物に消防員は呟く。
「仮面の、ヒーロー……?」
「まだまだ。相手の本丸は見えないのか」
エスプリはニョロゾを伴って駆けつつ、目に入った被害箇所へと雨を降らせ、鎮火させていく。
ニョロゾはこういった時に役立つポケモンであった。強さもそれなりで、エスプリは気に入っている。
駆け抜けるニョロゾとエスプリを遮る影があった。
赤スーツの構成員で、サングラスをかけた少女達だ。
立ち止まりエスプリは出方を見る。
「こんな時に集結するって事は、あの金持ちの取り巻きだって考えていいのかな?」
問いには答えず全員がボールからポケモンを繰り出した。
「ゴローニャ!」
「イワーク!」
前回相手取ったゴローニャと岩へびの巨大なポケモンが鎌首をもたげた。
イワーク。相性上、相手取るのに不足はないが、この場合は恐らく本丸の時間稼ぎ。ここで消耗戦をさせるわけにはいかない。
「言っておくけれど、邪魔するんなら、容赦はしない。トレーナーズスクールとは違う」
「ゴローニャ! ロックブラスト!」
ゴローニャが身体の重心を中央に維持したまま岩の散弾を発射する。完全にエスプリ狙いの攻撃であった。
「ここでポケモンを狙わないだけ、まだ状況判断ができているってワケか。ニョロゾ! 冷凍ビーム!」
ニョロゾが指先から放った凍結の光線がゴローニャの射線を射止めた。その隙にエスプリは相手へと肉迫する。
イワークが吼えてエスプリを叩き潰さんと尻尾を打ち下ろした。砂利が舞い上がる中、エスプリの纏っている鎧の白いラインが輝く。
「こんの! 倒れろ!」
渾身の力で放った拳がイワークの巨体を打ち据えた。イワークが僅かに後退する。しかし、簡単に道を譲ってくれるほどポケモンは甘い耐久力ではない。
尻尾が槍のように突き出され、打突の勢いを帯びた。
鋭いその一撃を、エスプリは満身で受け止める。
イクスパンションスーツに内蔵されている人工筋肉が軋みを上げ、中に収まるマチエールのパワーを二倍、三倍と膨れ上がらせていく。
遂にはイワークが持ち上がった。支えを失ったイワークをエスプリは狙い澄ます。
「ニョロゾ! ハイドロポンプ!」
水の砲弾が発射され、イワークの頭部を叩き据えた。一撃で昏倒したイワークが相手側へと倒れ伏す。
慄く相手へとエスプリは接近していた。その首根っこを掴み、一気に押し倒す。
「これでどう? もう、あたしの前には立たない。それくらい分かるよね?」
首筋に当てた手刀はいつでも振るい落とせる。少女らは鼻を鳴らした。
「殺しなさい」
「いいや、ここでは殺さない。君らの目的ってさ。取り巻きの中心にいるあの金持ちのためだろ? だったら、まんまと時間を稼がれた。一人ずつ殺していく時間さえも惜しいんだよ」
エスプリは突き飛ばして周囲を探った。
黒煙の上がるミアレシティはどこも恐慌状態だ。相手の本丸の位置を特定するのに、〈もこお〉のサイコパワーとヨハネの手腕を頼るしかない。
「イトマルのEアームズは予想以上の効果をもたらしたワケか。パニックに陥ったミアレでその真の目的を知る者は少ない。でも、絶対に防いでみせる」
そうでなければ、このEスーツを身に纏う資格はない。
その時、不意に思考に切り込んでくるイメージがあった。
これは〈もこお〉のパワーだ。
ヨハネはその正確な位置を見つけ出したらしい。
〈もこお〉が自分に幾つものビジョンを見せる。
――美術館の背後にある針葉樹林が揺れている。風の揺れではない。明らかに人為的なものであった。
「エレベーターが、ミアレ美術館の裏に?」
〈もこお〉のビジョンに従い、エスプリは駆け出す。しかし自分では追いつけまい。
今からミアレ美術館まで行くのにはこのイクスパンションスーツの脚力であっても五分はかかる。
その間に全ては成されてしまうだろう。
美術館に攻撃されればお終いだ。
「四の五の言ってられない。行け、アギルダー!」
放ったモンスターボールから出現したのは赤い頭部を持つ矮躯であった。
紫色のローブのような身体で、今も棚引くその全身は細やかな疾風を生み出している。
エスプリはアギルダーに命じた。
「あたしじゃ追いつけない。でも、お前の素早さなら、届く」
その直後、アギルダーは掻き消えていた。誰も、アギルダーの接近は予想出来ないだろう。
イワークとゴローニャが道を塞ごうとしたが、緩慢な二者の動きはアギルダーにとって読むまでもない。
瞬時にすり抜けたアギルダーに、気づいてさえもいないだろう。
「さて、君らがここで、あたしをすり減らすと言うのなら、応じようじゃないか」
エスプリは戦闘姿勢に入った。イワークが岩石の身体を唸らせ、空気の膜を引き裂く突進攻撃を見舞ってくる。
通常のポケモンが食らっても危うい、捨て身の突撃。それをエスプリは、ニョロゾのサポートを得ずに、真正面から受け止める。
イワークの巨体から放たれるその威力はイクスパンションスーツに身を包んでいても背骨を貫通するほどであった。
激痛が一瞬だけ視界をブラックアウトさせたが、生命維持装置が無理やりその視界を叩き起こす。
「……まだ、負けちゃいない」
イワークの頭部をがっしりと捕まえる。ニョロゾが跳躍し、その両手を合わせた。
掌の合間から生み出されたのは無数の泡であった。両手を展開するに従って泡が数珠のように繋がり、ニョロゾに纏いつく。
「バブル光線!」
泡を手足のように操り、ニョロゾがバブル光線をイワークの頭部に叩き込んだ。
岩の表皮に亀裂が走る。その隙をエスプリは見逃さない。
身を翻してイワークの視界から逃れ、その背に飛び乗った。眼下には岩の切れ目。ニョロゾが作ってくれた急所がある。
「そこ!」
叩き込まれた手刀がイワークの急所を突き、その瞬間、イワークが身悶えした。
沈黙したイワークに代わってゴローニャが滑り込んでくる。自分自身を質量にした岩の突進攻撃であった。
「転がる、か。でもそんなのは!」
ニョロゾが進み出て泡の防御膜を形成する。泡で滑ったのか、あらぬ方向をゴローニャは突き進んだ。
「背筋にハイドロポンプ!」
がら空きの背中へとニョロゾの「ハイドロポンプ」が突き刺さる。岩の表皮が強力な水の砲弾の前にすり減らされていく。
「逃げ切る!」
エスプリは駆け出そうとする。それを阻んだのは三人目であった。
今までノーマークであった三人目がポケモンを繰り出す。ゴローニャの進化前、ゴローンであった。それそのものが岩石と言っても差し支えのないゴローンはしかし、ニョロゾの敵ではない。
「退けって!」
エスプリが薙ぎ払おうとした瞬間、ゴローンの体内が赤く膨れ上がった。瞬間的に光が明滅し、爆発の火炎がイクスパンションスーツを打ち据える。
完全に不意をついた自爆攻撃。
それを至近の距離で受けたのだ。
イクスパンションスーツがどれほど高性能でも、三十秒ほどの昏倒は余儀なくされた。
深く沈んでいく意識の中でエスプリは願う。
――間に合ってくれ。