ANNIHILATOR - 邂逅篇
EPISODE6 戦士

 探偵とやらを自称した彼女はやはり、と言うべきか翌日の学校には行くなと忠告してきた。

「やっぱり、ヒガサ先輩を疑っているんだよね?」

「疑う? あれは確信だよ。一回距離を置いたほうがいい。多分、そのヒガサって金持ちも、来ていないと思う」

 その予想にはヨハネも面食らう。どうしてそう言い切れるのか。

「僕らが相手の正体に勘付いたとは、分かっていないかもしれないんじゃ」

「希望的観測だよ。それに、ちょっと確かめたい事がある。ヤツのEアームズはアリアドスだった。アリアドスは単体では動かない」

 腰を上げたマチエールは〈もこお〉を連れて街を闊歩した。必然的にヨハネは付き添う事になった。マチエールだけではどうにも危なっかしい。

 昨晩、一ミリも動かせなかったアタッシュケースをマチエールは軽々と提げている。自分では窺い知る事さえも出来ない何かが、あの箱には入っているのだ。

「水道だ。ちょっと降りてみよう」

 マチエールはミアレシティの四方八方を走る地下水脈へと着目し、何と路肩から飛び降りた。

 水道までの高さは十メートル相当ある。

 その高さを物ともせず、マチエールは着水した。ヨハネは、というと足が竦んでしまっている。

「来ないの?」

 マチエールなら勝手に行ってしまいそうだ。ヨハネは震える足をゆっくり水道のパイプにかけた。そのまま、パイプを抱きかかえて降りようとする。

「そんなんじゃ、日が暮れちゃうよ」

 不意に身体が持ち上がり、ヨハネは急速落下に見舞われた。〈もこお〉のサイコパワーが働き、尻餅をつく前に浮遊させられた。

「最初から〈もこお〉に頼めばいいのに」

「いや、その……」

 しどろもどろなヨハネを置いてマチエールは水道を突き進む。及び腰になりながらヨハネは尋ねていた。

「何で水道?」

「Eアームズ状態のアリアドスが毎回、どうやって地上に出ていたと思う?」

 下水、とヨハネは事柄が繋がったのを感じ取った。それを悟ったのかマチエールは手を払う。

「どこかに昨日の地下に続くエレベーターがあるに違いない。でもまぁ、こっちから向かうのは無理だろうね」

 それが分かっていながら何故、地下道を選んだのか。

 そこいらに毒ポケモンがひしめき、ドガースやベトベターが壁に吸着している。ガスの濃度が濃くなってきた。肺が圧迫されるような感覚だ。

「こんな奥に……」

「虫・毒タイプのアリアドスはこういう場所のほうが好む。それに、あの金持ちの魂胆だ。布石は打っているはずだよ」

 不意に何かが落下してきてヨハネは短く悲鳴を発した。

 イトマルであった。アリアドスの進化前だ。

「何だ……イトマルか」

「近くなってきたね」

 何が、と応じようとしたヨハネの視界に入ってきたのは、巨大な蜘蛛の巣であった。

 イトマルが密集し、蜘蛛の巣を補強している。その奥には換気のためのダクトがあった。

「何でこんな所に、イトマルの巣が……」

「これこそが、ヤツの張った網だろう」

 網? と尋ね返す前にマチエールはホルスターからボールを抜き放った。

「ヒトカゲ!」

 繰り出されたヒトカゲが着地するなり深く呼吸する。

「火炎放射!」

 発生した巨大な炎熱がイトマルの巣を焼いた。焼き払われたイトマルが散り散りになっていく。イトマルの眼に敵意が宿った。一つ一つは小型のポケモンであるが、密集すればそれは大きな力のうねりと同義。

 発射された糸の弾丸がヨハネとマチエールを襲った。

「どうやらここから先に進ませるつもりじゃないらしい」

「命中する!」

「――させないよ」

 ヨハネに当たりかけた糸の弾丸を弾いたのはマチエールの右腕だった。右腕だけに鎧が装着され、糸の弾丸を跳ね返す。

「Eスーツはこういう使い方も出来る」

 いつの間に開いていたのか、アタッシュケースから飛び出した黒い鎧のパーツが中空を引き裂くように回転し、一陣の疾風を生み出していた。

「鎧が……まるで風起こしみたいに」

 マチエールがバックルを取り出し腰に装着する。ベルトが伸長し、待機音声が流れた。

『カウンターイクスパンション、レディ』

 イトマルの攻撃を弾きつつ、マチエールはベルトのハンドルを引いた。

「Eフレーム、コネクト!」

 その呼び声に鎧が一瞬でマチエールに纏いつく。彼女の全身を覆った漆黒に白いラインが走り、最後にヘルメットへと黄色いバイザーが降りた。

『ノーマルユニゾン』の音声が響き渡り、Eの文字がバイザーに浮かび上がる。

「探偵戦士、エスプリ! ここに見参!」

 エスプリへと変身を遂げたマチエールが構えを取る。イトマルが磁石のように一斉に動き、糸の弾丸を放射する。

 エスプリの行った事は少ない。

 手を薙ぎ払い、姿勢を沈めた、それだけだ。それだけなのに、弾丸の軌道を全て読み切ったかの如く、正確無比な拳を放った。

 糸は解け、エスプリの手に絡まっている。それを払っただけで糸から力が失せていった。

「すごい……」

 感嘆の息を漏らしているとエスプリが声にする。

「こんなんじゃないよ。まだ前哨戦だ。ヒトカゲ! あの巣の向こう側だ! 絶対に用意しているはず」

 放たれた火炎が踊り狂いイトマルの巣を焼き尽くす。一つ、焼け落ちたイトマルの巣の向こう側には予想通り換気ダクトがあった。しかし換気ダクトから漏れてくるのは浄化された空気ではない。

 漂うガスよりもなお色濃い、紫の瘴気であった。

 判じたエスプリが声を飛ばす。

「毒ガスだ! ハンカチで口を覆って!」

 ヨハネは慌てて口元を覆う。換気ダクトの奥で赤い光が明滅した。

「そこにいるな! ヒトカゲ、火炎放射!」

 鋭く鳴いたヒトカゲがダクトに向けて火炎放射を放った。すると、中から無数の小型機械が飛び出す。

 イトマルであった。しかしその背に背負っているのは赤い甲殻である。

 イトマル一体一体に小さな鎧が備え付けられているのだ。赤い光を放つそれがイトマルを締め上げ、内部から強化された毒ガスを放たせている。

「Eアームズ、イトマル、か……。アリアドスを母体にして増やしたイトマルを尖兵に、ミアレシティそのものを毒ガスで混乱状態に陥れるつもりなんだ」

 浄化槽であるはずの換気ダクトを知らぬ間に汚染するつもりだったのか。その事実にヨハネは戦慄する。

「そんなの、テロ行為じゃ……」

「もうそんな域を超えている。ここで全部、潰すしかない」

 ヒトカゲがイトマルへと火炎を放とうとする。その瞬間、イトマルを締め付けていた拘束具の赤いランプが激しく明滅を始めた。

 ハッとしたエスプリがヨハネを抱きかかえて駆け出す。

「自爆だ! ヒトカゲ、ここは逃げる!」

 ボールに戻すのと、爆発の連鎖が網膜に焼きついたのは同時だった。

 換気ダクトへと続く道が崩落する。爆発の余韻で聴覚に支障が出ていた。

 エスプリがバイザーを開き、ヨハネへと言葉を投げるが聞こえない。ヨハネは信じられないとでも言うように頭を振った。

「何で……、何でこんな事に」

「……相手は本気だ。本気で、ミアレを崩しにかかっている」

 ようやく戻ってきた聴覚の世界が捉えたのは、エスプリの押し殺した怒りの声であった。彼女は怒っている。自爆まで考えていた張本人を。

「でもこれじゃ、地下に行く事も出来なくなった……」

 望みの綱は切れたのか。ヨハネの絶望に対し、エスプリは、いや、と首を振る。

「この程度のはずがない。恐らく、これは張っていた策の一つだ。こっちが駄目になったって事は、相手はより強攻策を取ってくると思っていい。……地上だ。行くよ、ヘンタイ君」

 有無を言わせず、エスプリはヨハネを抱きかかえて地上へと一足で跳躍した。肩に〈もこお〉が飛びついている。

 ミアレシティの至るところで黒煙が上がっていた。同じようにイトマルが爆発したのだろう。

「何で……。どうなっているんだ」

「作戦の第一段階は失敗、と見たんだ。多分、毒ガスによる支配と制圧。でも、一つがばれれば芋づる式に全部ご破算になる。そのために、張っておいた地下への入り口は封鎖した。イトマルの死をもって」

 エスプリがぎゅっと拳を握り締める。彼女は怒りに震えている。

「でも、これで相手も動けないんじゃ……。Eアームズを付けたイトマルだって充分な戦力のはずだろう?」

「囮だね。本丸は、この街の中枢を狙うに違いない」

 エスプリが駆け出そうとする。その背中を、ヨハネは呼び止めた。

「待ってくれ! 僕にも、出来る事はないのか?」

 どうして自分でもそのような声をかけたのか分からない。ただ、エスプリは無謀な戦いに身を投じようとしている。その背を、何も言わずに送るのだけはあってはならないのだと、本能が告げていた。

「出来る事? ヘンタイ君の出来る事なんてないよ」

「僕も、この街を守りたい。ミアレシティが好きだから」

 その言葉にエスプリがハッとしたようだった。目を見開いた彼女は厳しく問い質す。

「……言っておくけれど、結構馬鹿だよ、君」

「それは百も承知だよ。でも、何か出来ないかな?」

「ゴルバット、持っているって言ったよね?」

 自分の手持ちが呼ばれるとは思っていなかったので気後れ気味にヨハネは首肯した。

「ああ、持っているけれど」

「飛行タイプならこの事態を何よりも速く察知出来るはずだ。ゴルバットを使って敵の位置を探る。〈もこお〉くらい、持ち運べるよね?」

「ゴルバットの足の力なら、多分……」

「〈もこお〉。頼みがあるんだ」

 わざわざ屈んで、エスプリは〈もこお〉に頼み込んでいた。

「ヘンタイ君のゴルバットと組んで、あたしに敵の位置を教えて。それまであたしは出来るだけ、イトマルの自爆に巻き込まれた人達を救ってくる。何人助けられるか、分からないけれどね」

〈もこお〉はしばしの沈黙の後、胸を手で叩いた。任せておけ、という事なのだとエスプリは了承したらしい。

「〈もこお〉を頼んだ。〈もこお〉のサイコパワーならあたしにすぐ届く。敵の本体……多分、倒し損ねたアリアドスアームズだ。そいつを今度こそ叩く」

 エスプリは黄色いバイザーを降ろして姿勢を沈めた。もう行くと決めた戦士の姿が、そこにはあった。

「気をつけて……」

「ヘンタイ君もね」

 駆け出したエスプリはまさしく疾風であった。すぐに見えなくなる。ヨハネは残された〈もこお〉と目線を交し合った。

「やるしか、ない。行け、ゴルバット!」

 繰り出されたゴルバットが紫色の羽根を広げる。

「〈もこお〉を掴むんだ」

 ヨハネの指示に、ゴルバットの足が〈もこお〉をがっちりと掴み込む。〈もこお〉を掴んだまま、ゴルバットが高空へと昇っていく。

「敵の本丸を見つけ出せ!」

 ヨハネの指示にゴルバットが羽根を翻してミアレシティを舞い上がった。自分はせいぜい祈るしか出来ない。

 この街を守る戦士の行く末を。


オンドゥル大使 ( 2016/10/05(水) 21:42 )