EPISODE4 変身
投光機の光に晒され、ヨハネは目を覚ます。
アルバイト先での帰路の折、どうしてだか謎の赤スーツ集団に絡まれた。そこまでは覚えているが、それ以上が分からない。
首を振って意識を保とうとすると自分の隣に寝転がされた少女に気づく。
「マチエール、さん……?」
何故彼女が。そう感じている間にも事態は進んでいるようだった。白衣の男がコンソールに向き合い、赤スーツの少女達に急かされている。
「あら、起きたのね、特待生」
その声音には聞き覚えがあった。
「ヒガサ、先輩……?」
「アリアと、お呼びなさい」
ヒガサがどうしてだかゴーグル型の仮面をつけて高圧的にこちらを見下ろす。
この光景の意味を頭の中で整理しようとしたところでマチエールが身をよじった。
「ああ、もう。何であたし、捕まっちゃったかなぁ」
「害虫も起きたのね。あそこで殺さなかっただけ、温情があったと思いなさい」
「そんなのは感じたくもない。んで、あんたら何? ワケ分かんないよね……。ここ、どこ?」
「質問の多い事。さすがは劣等生ね」
アリアは踵を返し投光機の向こう側にある何かと向かい合った。
光が強く、逆光のせいでヨハネにはよく見えない。
「あれ? 君、何でここにいるのさ?」
その段になってようやく、マチエールは自分の存在に気が付いたらしい。ヨハネは頭を振った。
「分からない……。僕も拉致されて……、ここは」
仰ぎ見ると地下空間であるのが分かった。高い天井に、幾つかの基盤の剥き出しになった機械類が固まっている。
「あいつら、何? ワケ分かんないよね……」
マチエールの攻撃的な眼差しに、白衣の男はたじろいだようだった。
「あ、アリア女史。本当に、やるのですか?」
「無論。わたくしが、七号アナイアレイターになる、と言っているのですからね」
「アナイアレイター?」
聞き返したヨハネにアリアは鼻を鳴らす。
「特待生を連れてきなさい。一番いい席で、ミアレ崩壊を見せてあげるわ」
少女らに羽交い絞めにされて、ヨハネは立ち上がる。近づくと、アリアが何かに座っているのが分かった。しかしその何か、が段違いに巨大であったのだ。
六つの脚部を持つ機械の蜘蛛であった。頭部に当たる部分には黄色い単眼があり、アリアの座っている座席は操縦席である。
「何をするつもりなんです……、先輩」
「ここでは! アリアとお呼びなさいと、言ったはずよね? 特待生。スポンサーの目もあるのよ」
その言葉にヨハネはこの地下空間に張り巡らされた監視カメラの多さに目を見開いた。まるで衆人環視である。
ヨハネは操縦席の隣に座らされた。アリアがモンスターボールを引き抜き、眼前のコンソールを操作する。モニターの下に半球型の窪みがあった。
「イクスパンションアームズ! コネクト、アリアドス!」
その声と共にモンスターボールが窪みに収納される。窪みの周囲にある鉤爪がモンスターボールをがっちりとくわえ込み、回転を始めた。
モニターに表示される謎の曲線が交差し、操縦席が持ち上がった。
巨大な機械蜘蛛の背部へと、自分とアリアが入っていく。機械の操縦席は他にもモニターがあり、最初から人が乗るように出来ているようだ。
『アリア女史、調子はいかがですか?』
「悪くないわ。イクスパンションアームズ、第七号、アリアドスアームズの起動を確認。これよりミアレ市街地を攻撃する」
その言葉にヨハネは目を慄かせた。
「ま、待ってください! 攻撃? 何でそんな事……」
「決まっているでしょう。わたくし達が、支配するためよ」
「支配って……。先輩なんでしょう? だったら何で!」
「物分りの悪いのね、特待生。優れた血の者が劣った存在を導くのは世の理でしょう? さぁ、始めるわよ。神経伝達、ハーモニクス、準備」
アリアが背もたれに備え付けていたパイプをゴーグル型の仮面に繋ぐ。その瞬間、彼女は痙攣した。
「先輩?」
「……大丈夫。よく見えるわ。これが、ポケモンとの、同調……」
既に心ここにあらずと言った様子のアリアが半球型のコンソールに触れる。それだけで機械蜘蛛が動き出した。モニターで窺う限りでは、巨大なエレベーターを目指しているようである。
「上に出るって言うのか……」
させるわけにはいかない。ヨハネは阻止しようと視線を走らせたが、それらしい解除方法は思い浮かばない。
「先輩! やめさせてください!」
「手遅れよ、特待生。フレア団が法になる……」
うっとりとした声音にヨハネは必死に操縦席に体当たりした。しかしびくともしない。
「どうにかしないと! これじゃ……」
その時、モニターに「障害物感知」の文字が走った。目を凝らすと機械蜘蛛の真下でマチエールが立ち塞がっていた。
「彼を離せ!」
「劣等生が……。踏み潰してあげる」
機械蜘蛛が足を持ち上げてマチエールを振り払おうとする。ヨハネは叫んでいた。
「逃げて!」
「逃げて? 冗談……」
機械蜘蛛の脚部が唐突に止まる。思念の青い光が纏い付いていた。
「あのニャスパー……!」
忌々しげに放たれた声音の先には〈もこお〉がサイコパワーを振り絞っている。
「ナイス、〈もこお〉! さて、今度はあたしの番だよね」
〈もこお〉の思念で拘束を振り解いたマチエールが構えを取る。しかしどうするというのか。こちらは巨大な機械の蜘蛛である。敵うわけがない。
「どうすると言うの! あなた、踏み潰されてもおかしくないのよ!」
「それは、こいつを見てから言ってもらおうか」
マチエールが取り出したのは漆黒のバックルであった。中央にシャッターがあり、右側にハンドルが付いている。
それを目にした途端、アリアの反応が変わった。
「まさか……、あなた、まさか……」
「さぁ、ここまでしか聞いてないぞ、ユリーカ。このEアームズ相手に、あんたのバックアップなしでどこまでやれる?」
唇を舐めて、マチエールは腰にバックルをセットした。ベルトが伸長しバックルを固定する。
「貴様! カウンターイクスパンションスーツの持ち主か!」
アリアの言葉を反芻する前にマチエールは強気に睨み返す。
「イクスパンションフレーム!」
マチエールの呼びかけにアタッシュケースが突如として開いた。中に収められていたのは漆黒の鎧のパーツである。それが宙を舞い、螺旋を描いてマチエールへと装着された。
マチエールの身体が漆黒の鎧に包まれていく。
「――コネクト!」
最後にヘルメットが被せられ、黄色いバイザーが顔を覆いつくす。「E」の文字を象った表示がバイザー上で点滅する。
「探偵戦士、エスプリ! ここに見参!」
白いラインが鎧を縁取った。『ノーマルユニゾン』の電子音声が続く。ヨハネはただただ言葉をなくすばかりである。
「変わった……」
「毎夜、毎夜……邪魔立てしてくれたあの小賢しい羽虫が、まさか劣等生だったなんてね!」
「だったらどうする? あたしを倒す?」
「倒す? 馬鹿も休み休み言いなさい! 殺すに決まっているでしょう!」
巨大蜘蛛の脚部がそれぞれ嵐のように稼動し、鎧を装着したマチエールを襲う。
「逃げて! マチエールさん!」
「今はエスプリだっての」
マチエール――エスプリは逃げるでもなく、何と機械蜘蛛の足の一撃を片手で止めてみせた。
「片腕で……!」
「Eアームズの使い方、分かっていないね」
「何を偉そうにっ!」
巨大蜘蛛がエスプリを叩いて弾き落とそうとする。エスプリは後退し、手を払った。
「Eアームズを使いこなすって言うのは、こう言う!」
瞬間、エスプリの姿が掻き消えた。
直後に激震が見舞う。下腹部モニターが腹腔へと入って拳を突き上げたエスプリを映し出していた。
「こいつ……! 稼動なさい! アリアドスアームズ!」
収納されていた車輪が展開され、機械蜘蛛が疾走する。しかし、エスプリは振り落とされもしなかった。
「そういうお前は! Eアームズの真髄の、十分の一も分かっちゃいないようだね!」
アリアが歯噛みしてエスプリの姿を追おうとする。照準に見定め、ロックオンされた。
「食らいなさい! 蜘蛛の巣!」
弾き出された蜘蛛の糸は通常とは段違いであった。ほとんど電柱と大差ないほどの太さを誇る蜘蛛の糸が、弾力を持って鞭のようにしなったのだ。
エスプリを叩きのめそうとした一撃が薙ぎ払われる。
しかしエスプリは跳躍して回避しつつ、バイザー越しにこちらを見据えた。
「蜘蛛の巣? Eアームズの使い方、本当に分かっていてやってるの?」
エスプリが着地し、真正面から蜘蛛の糸と拳を交し合う。
交錯した拳の威力に、蜘蛛の糸がたわんだ。
「押し負けている……!」
一気に肉迫したエスプリが機械蜘蛛の単眼へと狙いを澄ます。
「偽りの仮面を砕き、真の力を示す。そうだろ、おやっさん!」
放たれた拳が蜘蛛の単眼を射抜いた。
その瞬間、コンソールから火花が散り回転していたモンスターボールが止まる。
操縦席が開き、仰ぎ見たその時には、エスプリが佇んでいた。
「彼、返してもらうよ」
その言葉を聞き止める前に、ヨハネはエスプリに抱えられていた。
「その、何を……」
「逃げるんだって! 〈もこお〉!」
〈もこお〉がサイコパワーで跳躍し、エスプリの背中に飛びつく。
エスプリが姿勢を沈め、天井を見据えた。片手を引いて拳を握り締めている。
「おいおい、まさか……」
そのまさかであった。エスプリが機械蜘蛛を足がかりにして跳躍したかと思うと天井に拳を向けたのだ。ただの人間の拳に過ぎないその一撃に地下空間が震え、次の瞬間には天井を突き破っていた。
〈もこお〉がエスパー技でアシストし、推進剤のように紫色の光を棚引かせながらエスプリが障害物を叩き壊していく。
破砕音が間断なく耳朶を打ち、ヨハネは嵐のようなその出来事に舌を噛まないようにするのがやっとだった。
不意に静寂が訪れたかと思うと地面から飛び出していた。
ミアレシティの路面を引き裂き、エスプリが踊り上がった。
高層マンションの屋上に降り立ったエスプリが息をつく。〈もこお〉がその背中からじたばたしながら降りた。
ヨハネは今にも心臓が爆発しそうだった。
――今、何が起こった?
――自分は、何に巻き込まれたのだ?
それらを反芻する前に、エスプリが手を差し出す。
「大丈夫? いきなりでゴメンね。いや、先にEアームズ出してきたのあいつだしさ。不可抗力、ってヤツで」
黄色いバイザーの降りたままのエスプリに警戒心を示していると、それを察したのか彼女はヘルメットを脱いだ。
「よいしょっと。やっぱり、ヘルメットは息苦しいね。それに地下だったし。色々とサイアク。まぁ、お互いにほら、災害に巻き込まれたと思って」
冗談ではない。とんだ災厄だ。ヨハネは尻餅をついたまま立ち上がれなかった。
それを見てエスプリ――マチエールが笑う。
「可笑しいな、君って。なーんで、いっつもびくついているのさ」
「……これだけの事があれば、びくつきもするよ」
ようやくその手を取る事が出来た。立ち上がろうとして腰が砕ける。
「完全に腰抜け、ってヤツだ」
マチエールの笑みに、ヨハネは釣られて笑った。
「何なんだ、一体」
「そういや、君の名前、聞いていなかった。ここまでやられておいて名前も知らないのは、不運だ」
マチエールの言い草がどこか現実離れしていて、ヨハネは呆然と名乗った。
「その、ヨハネ……。ヨハネ・シュラウドだ」
「そっか。あたし、マチエール。探偵の副業で正義の味方、エスプリってのをやってる。よろしくね」
ヨハネには分からぬ事が多過ぎた。だが、雑多な頭の中でもシンプルなのは、彼女がただ者ではない事であった。
ふと空を仰ぐと星が乱れてこぼれ落ちていく。
――流星雨の、夜であった。