ANNIHILATOR - 邂逅篇
EPISODE2 探偵

 フレアエンタープライズ傘下のトレーナーズスクールは時間にルーズな人間が集まっている。

 だからと言って自分もそうであるとは思っていなかったし、何よりも五分前行動を心得ていたのであるが、今日ばかりは大幅に遅れた。

「マチエールさん、ですね。学生証とパスコードを認証しました」

 事務で受付を終えてからヨハネは教室へと向かう。もう授業が始まっている頃だろう。

「広いんだね」

 マチエールが周囲を見渡している。ヨハネは襟元を正した。

「一応、名門校だからね。一時期天才を輩出した学校≠ニして持て囃されたし、それなりには」

「へぇ、天才。会ってみたいもんだね」

 マチエールの一定の歩調に〈もこお〉は必死についてくる。その様子が痛ましかったのでついつい口出しした。

「ボールに入れれば?」

「ああ、〈もこお〉はそういうんじゃないんだ。ボールだとか、そういう関係じゃない」

「ブリーダーなの?」

「いんや、ポケモントレーナー」

 少女の腰のホルスターには三つのボールが留められていた。

「編入に当たってアドバイスしておくと、それなりのレベルじゃないと、相手にならないとか言われる。僕もよく言われるけれど」

「君は、どんなポケモン持ってるの?」

「僕はこいつ、ゴルバットだ」

 ボールを翳すとマチエールは指を弾いた。

「毒使い?」

「そういうわけじゃないけれど、ズバットから進化するゴルバットは初心者の育成に向いている。何よりも、進化したクロバットは信頼関係の証となるからね」

 そういう理由でズバットを選び、順当に育成してきたのである。弱くはないが、強いわけでもない。今の地位にさほど苦労はしていない。

「信頼、ねぇ。あたしも信頼されているのかな」

 ボールの一つを手に取ってマチエールは問い質す。その様子がおかしく、ヨハネは吹き出してしまった。

「いや、ポケモンに聞いたって分かるわけ」

「分かるもんだよ。こっちが思っている以上に、ポケモンは。だからこそ、怖い」

 思わぬ言葉であった。怖い、とは。

「そりゃ、強力なポケモンほど怖いもんだけれどね。でも、ゴルバットは容姿で思っているほど凶暴でもないし、最初期の図鑑に書かれていたほど残忍でもない事が、最近分かってきたんだ」

 胸を反らして知識を披露するとマチエールは目を輝かせた。

「もしかして、図鑑持ってるの?」

「いや、あれは特別に許された人以外は持っちゃ駄目で。僕は前の試験で落ちた」

 笑い話にしようとするとマチエールは疑問符を浮かべる。

「あれ? 図鑑ってそんなに資格とか要ったっけ?」

「他の地方ではどうかは知らないけれど、カロスでは結構、図鑑所有者ってだけでもうエリートトレーナー相当の地位は得られる。元々トレーナー登録の時点で、そういう差異は発生しているものなんだけれどカロスは特に、だね。最初に登録したトレーナー名から変えるのも役所仕事で時間がかかる」

 カロスの社会問題と化している部分だ。下級とされるトレーナー登録から、数度の試験を経ない限り、上級トレーナーとして扱われない。その弊害を少しでもなくすためのトレーナーズスクールである。ある程度の契約金を積めば、年齢経歴性別に関係なく入れるのだ。

「へぇ……、じゃあ君は? どういう名前のトレーナー?」

「僕の登録名は塾通い、かな。トレーナーズスクールに通っているのなら無条件に名乗れるトレーナー名だ」

「あたしも塾通いになるのか。それはちょっとやだな」

 肩透かしを食らった気分だった。自分の名乗っているトレーナー名を嫌だと言われれば立つ瀬もない。

「まぁ、登録名はいずれ選べるし、そういう点では先進国の中でも、トレーナー人口の受け皿に限って言えばとても進んでいると思うよ、カロスは」

「なーんか、色々知っているよね」

「そりゃ習うからね。トレーナーズスクールには一般教養を持ち込むのは珍しい事じゃない。それまでトレーナーって割と旅がらすな部分があったんだ。行政も、何もかもを保障してくれるわけじゃないし。でも、カロス地方だけは、その状況に一石を投じるために各地のトレーナー登録の一本化、行政のバランスを取る事を何よりも掲げている。トレーナーの番号を一番に重んじているのはカロスだろうね。行政も、全部がトレーナー番号に頼っている」

「それっていい事なの?」

「悪い事じゃないだろうさ。だって便利だし」

 番号を一本化する事によって機関ごとのばらつきを抑え、ある程度均一なサービスを受けられるようになっている。それに貢献したのもフレアエンタープライズの力が大きい。

「へぇ、フレアエンタープライズってそんなに大きいのか」

「おかげさまでトレーナーズスクールもきっちり人が配備されている……っと、こんなことを言っている間にも授業が進んじゃう。走ろう」

 駆け出したヨハネの進路を遮るように人影が現れた。金髪の巻き毛の少女でヨハネを認めるとわざとらしい声を出す。

「あら? 特待生は重役出勤もありなのかしらね?」

「ヒガサ先輩……」

 苦々しく口走るとヒガサはマチエールを目に留めた。

「遅刻に、それに女の子を連れ添うなんて、随分といいご身分だこと」

「これは、その、理由があって」

「ねぇ、こいつ誰? 何で急に偉そうにしているの?」

 マチエールの分を弁えない台詞にヒガサが注視した。

「……こいつ?」

「だから、そういうのは言っちゃ駄目だって!」

「妙なお友達ね。このトレーナーズスクールでわたくしを見るなり、こいつ呼ばわりしたのは初めてだわ」

「そう? あんたみたいに変な喋り方するとこいつ呼ばわりされると思うよ?」

 きょとんとするマチエールを制するよりも先にヒガサは頬を引きつらせた。

「……面白い子を連れて来たのね、ヨハネ特待生。そんなにクラスの注目が欲しい?」

「そういうんじゃありませんって。この子、どうやら編入生みたいで」

「編入生だけれど、こいつ何なの?」

 相変わらずヒガサを「こいつ」呼ばわりするマチエールの態度にヨハネは戦々恐々だった。ヒガサを怒らせればろくな事がない。

「いいわ。まだ教育不足なようだし、お召し物も……」

 鼻を鳴らす。マチエールの着ている服は確かに一級とは言えなかった。そこいらに穴が開いている上に、ボロ衣で補修してある痕も見られる。

「随分とまぁ、個性的な事で」

「いやぁ、それほどでもないよ」

「……褒められてないよ」

 ヒガサは高圧的な態度を崩さないまま、マチエールを検分する。

「よくもまぁ、ミアレの往来を歩けた事ね。ある種、感心するわ」

「何だかなぁ。褒め殺しても何も出ないよ?」

 ヒガサはマチエールを攻めても効果的ではないと判じたのかヨハネへと照準を変えた。

「特待生は遅れてくるものなのかしら?」

「用事があったんです。先生にも報告しています」

「用事? さぞご立派な令嬢の警護でもあったんでしょうね」

 失礼、とヒガサは立ち去っていく。ヨハネは硬直したままだったが、マチエールが肩を突いた。

「あいつ、何? 何で偉そうなの?」

「あいつ呼ばわりしちゃ駄目だって。作らなくっていい敵を作る事になる」

 ヨハネが宥めるも、マチエールは得心が行かないようだった。

「トレーナーズスクールで偉そうって事は、強い、って事?」

「いや、僕と同じくらいだよ。ただ、ヒガサ先輩は、フレアエンタープライズの出資者の娘だから、その……」

 嫌になる。このような汚点を、マチエールのような人間に話す事が。

 しかし、それを得てようやくマチエールは分かったらしい。

「ああ、金持ちか」

 暴力に訴えかける彼女からしてみればシンプルな答えだったのかもしれない。だがヨハネは出来れば認めたくなかった。文明国であるのに、貧富の差があるなど。

「ゴメン、こんな場所のつもりはなかったんだけれど」

「何で? 別に変な話じゃないし。お金持っているヤツが強いのは、どこでもそうでしょ? あたしにだって分かるよ。あいつが偉そうな理由はよく分かった。だってお金は大事だからね」

 意外であった。マチエールのような立場の人間は、そういうしがらみには屈しないと思っていたからだ。

「いや、でも、お金の差なんて、汚いし……」

「それ、分かんないな。お金が汚いなんて言い出したら何も出来やしない。金持ちが強いのはある程度、国がその紙幣価値を保証しているからでしょ? 何でそこに疑問を挟むの?」

 マチエールのちぐはぐな認識にヨハネは困惑する。違約金の意味も分からない少女なのに、どうしてだかその言葉には重みがあった。

「……何かあったの?」

「何にも。当たり前の事じゃない。別に汚いだとか、そういう事じゃないって話」

 本当に何も感じてないようだった。シンプルに、金持ちが強いと言う理論を受け入れた。ヨハネにはますますこのマチエールという少女が分からなくなる。

「授業は? 行かなくっていいの?」

 問われてヨハネはようやく我に返った。

「ああ、そうだった……。でももう授業は多分終わっただろうし」

「じゃあ次の授業から出るよ。あたしの書類は通ったし」

 ヒガサの嫌味を嫌味とも思っていないのかもしれない。ヨハネはどこか振り回される心地でマチエールの言葉に頷いた。












 言った通り、マチエールは次の授業からの参加になった。

 編入生だと担任が告げてからマチエールはお辞儀する。

「マチエールです」

「あら、さっきの」

 ヒガサの声にマチエールも目を見開く。

「ああ、金持ちの」

 その印象にヒガサが眉をひそめた。

「先生、彼女の名前のスペルが知りたいわ」

 ヒガサの言葉に担任が応じる。

「黒板に書いてもらえるかな」

「ああ、うん。えっと、スペルスペル、っと」

 マチエールはわざわざ学生証を取り出して一字一句、スペルを確認しつつ黒板に書いていく。チョークを持つ手も危うく、文字も掠れていた。

 それを見てひそひそ笑いが交わされる。

「幼稚園児を連れて来たんじゃない? 特待生」

 ヒガサの言葉にヨハネが言い返そうとすると、マチエールが手を振った。

「これでいい? 金持ち」

 掠れ、乱れた文字列にヒガサは高圧的に鼻を鳴らす。

「文字の読み書きもまともに出来ないの?」

「ちょっと苦手でねー。何だったら満足するの?」

「ちょうどいい。ここはトレーナーズスクール。実力で示してもらいましょう。あなたがこの特別クラスに相応しいかどうか」

 マチエールは後頭部を掻いて担任の顔を窺った。

「あれ? ここってそんなに特別なクラスだったの?」

 担任はヒガサを言い含めようとするが、それを鋭い声音が許さなかった。

「先生。特別クラスに劣等生は要らないでしょう? そうでなくとも、わたくし達の授業に付いて来られないのならば一緒ですよ」

 ヒガサの挑発にマチエールは簡単に乗った。

「いいよ。バトルだよね? どこでするの?」

「ちょうどバトルコートがあります。そこで」

 とんでもない事になっている、とヨハネが制そうとした。

「せ、先輩! 彼女はその、あまり得意じゃないって」

「それは読み書きの話でしょう? まさか、バトルも出来もしないで、トレーナーズスクールに入ったって?」

 言葉を飲み込むとマチエールは肩を回した。

「やるんなら、早くしなよ。別に理由なんて要らないしさ」

 困惑する担任にヒガサは命令口調で発した。

「バトルによる自習としましょう。この方の編入試験と思えば。ねぇ?」

 無条件に従わざるを得ない言葉に、担任も力なく首肯する。

 マチエールはヨハネへと歩み寄ってきた。

「どこ? バトルコートって」

「特待生に擦り寄るのはやめなさい、劣等生!」

 ヒガサの声音にマチエールは唇をすぼめる。

「分かんないんだからいいじゃん」

「……本当、教えて差し上げるわ。このトレーナーズスクールでの立ち振る舞いというものを」

 正面衝突はもう避けられそうになかった。

 クラスの生徒達がバトルコートへと流れていく。マチエールは鼻歌を口ずさみながら勝負の場に望んだ。

 歩み出てきたのはヒガサの取り巻きの一人である。

「あれ? 金持ちが相手じゃないんだ?」

「わたくしが相手取る必要性もないでしょう? 出来るわね?」

「お任せください」

 ヒガサの取り巻きの少女がモンスターボールを手にする。バトルコートで対峙したマチエールはほとんど丸腰同然だ。相手に対して警戒心も持っていない。

「もっと緊張して!」

 ヨハネの忠告にマチエールは小首を傾げた。

「だって、バトルでしょ? 何でわざわざ肩肘張る必要があるのさ?」

「余所見をしていると、怪我をする! ゴローニャ!」

 繰り出されたのは岩石のポケモンであった。丸い岩に腕と足の生えた獣である。突き出た頭部はいつでも岩石の体内に収納可能であった。

 二進化ポケモン、ゴローニャ。傍目に見ても強力なポケモンであった。

「ゴローニャ? ああ、こいつは見た事ないなぁ。どれ出せばいいんだっけ?」

 マチエールは愚かにもこの段階で出すポケモンを決めあぐねている。ヨハネは思わず声にしていた。

「前! 前見て!」

「前?」

 顔を上げたマチエールのすぐ傍を岩石の弾丸が突き抜けていく。その速度、殺傷力共に本気であるのが窺えた。

 外野と隔てるフレームに突っ込んだ岩石を目にしてから、マチエールは頷く。

「へぇ、強いんだ」

「馬鹿にしていると、今度は顔に当たっちゃいますよ」

 ヒガサの嘲笑にマチエールは飄々とした態度を崩さないまま、モンスターボールを引き抜いた。

「じゃあこいつで行こうかな。ほい」

 放り投げられたボールが割れ、中から現れたのは小さな炎ポケモンである。出てくるなり咳き込むように火の粉を散らした。

 矮躯のポケモンで、オレンジ色の表皮が眩しい、爬虫類型のポケモンであった。

 全員が絶句したのは言うまでもない。この状況で、繰り出されたのは初心者向けのポケモン――ヒトカゲであった。

「ヒトカゲ? ヒトカゲでゴローニャを倒すとでも?」

 ヒガサも信じられないように目を見開いている。マチエールだけが平静であった。

「あれ? ヒトカゲ駄目だっけ? そういうルールなら変更するけれど」

 きょろきょろ周囲を見渡すマチエールとそれに似通った愚鈍な動きをするヒトカゲにヒガサが堰を切ったように笑い始めた。取り巻きの少女も同様で、ゴローニャに指示も忘れて笑い転げている。

「ヒトカゲ! 何で! 馬鹿なの? 炎タイプなんて、岩・地面のゴローニャに勝てるわけがない!」

「あれ? そうだっけ。タイプ相性とか基本的な事しか分からないんだよなぁ。火は水に弱くって、水は草に弱くってでしょ?」

 まさかそのレベルだとは誰も思うまい。ヨハネは思わず声を張り上げていた。

「戻して! そんなポケモンじゃ、ゴローニャに!」

「もう遅い! ゴローニャ、ロックブラスト!」

 ゴローニャが身体を沈めると、体表に収まっていた岩石が突き出て弾丸のように発射された。明らかにマチエールを狙った攻撃に、ヨハネは目を瞑る。

 しかしマチエールは落ち着き払って声にしていた。

「叩き落しちゃえ」

 ヒトカゲがくるりと跳躍すると、その尻尾で「ロックブラスト」の弾丸を叩き落す。

 取り巻きが言葉をなくしていた。まさか単純な一動作で岩の弾丸が落とされるとは思ってもみなかったのだろう。

「弾いた……?」

「ま、まぐれに決まっている!」

 ヒガサの声に我に返った取り巻きはゴローニャに再度命じる。

「ロックブラスト!」

「だからさ、何回も同じ攻撃したって無理だって。もう見切ったし」

 ヒトカゲが岩の弾丸の射線を読み切って攻撃をいなす。一発ももらわずに、ヒトカゲはゴローニャの懐へと肉迫した。

 特に素早い攻撃というわけでもない。ただ、全ての攻撃が命中せず、ヒトカゲがゴローニャに駆け寄っただけの話。

「ご、ゴローニャ! ロックブラスト」

「この射程で?」

 火の粉を纏いつかせながら、ヒトカゲが拳を見舞う。

 めり込んだ攻撃がゴローニャにたたらを踏ませた。

 ただの「ほのおのパンチ」でありながら、その威力はヒトカゲの通常持つ性能を遥かに超えている。

 姿勢を崩したゴローニャへとヒトカゲが跳躍した。

「そのまま打ち据えろ」

「させるな! 地震!」

 発生された茶色の波紋が浮かび上がり、瞬く間にバトルフィールドが間断のない揺れに晒される。少しでも足をつければ「じしん」に呑み込まれていただろうヒトカゲはしかし、着地しなかった。

 攻撃を発生させているゴローニャに足をつけ、踏み台にしたのだ。

「ゴローニャを、踏み台に……!」

「バカじゃないの? 地震を撃つんならさ、ヒトカゲが着地した時にしなよ。空中にいる時に使ったって意味がないじゃん」

 いや、通常ならば着地するはずなのだ。予備動作のために、ヒトカゲは着地せざるを得ないはずなのに、彼女のヒトカゲはまるで軽業師のようにゴローニャを翻弄している。

「こ、これ以上、減らず口を叩かせない! おやりなさい!」

 ヒガサのいきり立った命令に取り巻きは慌てる。

「ゴローニャ! ストーンエッジ!」

 ゴローニャの腕に岩が吸着し、瞬く間にその小さな手が倍以上に膨れ上がった。有するのは岩の爪である。

 異常発達した両手の爪をゴローニャは振り翳した。

「墜ちろ!」

 ヒトカゲへと振るわれた爪を、マチエールは慌てるでもない。

「火炎放射」

 放たれた技の名前にヒトカゲが一瞬だけ空気を取り込み、瞬時に膨大な火炎を放った。その大きさはゴローニャを包み込んでしまうほどだ。

 膨れ上がった炎熱にゴローニャは回避出来ない。全身が焼け爛れたゴローニャは爪を振るう事を遂行出来ないまま、炎から逃れるように防御していた。

「ご、ゴローニャを下がらせるんじゃないわよ!」

「し、しかしダメージが……。思ったよりも深刻で」

 岩石の鎧で構築されたゴローニャは堅牢のはずである。しかし、岩さえも融かしかねない炎であったのか、焦げ目の付いたゴローニャは防戦一方であった。

 次いで炎の拳を打ち下ろしたヒトカゲの攻防に、岩の爪で精一杯防ぐゴローニャの姿は全員の思っていた戦闘とは正反対であったのだろう。

 ゴローニャが拳を前にして後退する。

 ヒトカゲは姿勢を沈めてゴローニャの鳩尾へと勢いをつけた突進攻撃を放った。肉迫したヒトカゲを爪で払おうとするも、その爪の軌道は読まれているのか、ヒトカゲは悠々と避ける。

「何とかなさい! こんな醜態……」

「ゴローニャ! 当てさせろ!」

 トレーナーとしては下の下に当たる命令である。命中しないなど、生き恥も同然であった。

「なーんかさ。隙が多いポケモンだよね。ヒトカゲにわざと当てさせていないの?」

 だからか、マチエールの言葉は火に油を注ぐには充分であった。怒り心頭に達したヒガサがヒステリックに喚く。

「ヒトカゲくらい、倒してみせなさい!」

「ゴローニャ! ロックブラスト!」

「この近接で?」

 ヒトカゲはゴローニャの射程、射線、攻撃範囲を全て読み取っているかのようにすり抜ける方法を知っている素振りだった。

 無茶苦茶に、四方八方に放たれた「ロックブラスト」の散弾の無風地帯を、ヒトカゲは熟知していたのか、あるいはマチエールの慧眼か、なんとヒトカゲは動きもしない。

 じっと立ち止まった場所がちょうど、攻撃の命中しない台風の目であった。

 瞠目した取り巻きとゴローニャを嘲笑うかのごとく、ヒトカゲへとマチエールは命じる。

「炎のパンチ」

 その一声で決着がついた。

 ヒトカゲのめり込ませた炎の拳がゴローニャを吹き飛ばし、完全に戦闘不能にさせたのだ。

 全員が押し黙っていた。担任とてこの戦局は予想出来なかったに違いない。ジャッジに時間がかかっていた。

「ご、ゴローニャ、戦闘不能。よって勝者、マチエールとヒトカゲ……」

「よし、ヒトカゲよくやった」

 ヒトカゲをボールに戻す前に労わるマチエールに比してヒガサは憎悪の眼差しを向けていた。

 めらめらと燃える嫉妬と羞恥の炎が透けて見えるようだ。

「……覚えてなさい」

 その声にどれほどの怒りが込められているのか、他のクラスメイトは分かっていたが当のマチエールは首を傾げた。

「そりゃ、覚えているけれど、わざわざ言う事かな?」

 ヒガサは羞恥に赤面し、早退した。















「なんて事しちゃったんだ。あんなの怒らせたようなものじゃないか」

 口火を切ったヨハネにマチエールはきょとんとする。

「何の事?」

「先輩の事だよ。何であんな事言ったのさ」

 あれでは自分を標的にしてくれ、と言っているようなものだ。ヨハネの疑問にマチエールはさらなる質問を重ねる。

「何で、勝っちゃいけなかった?」

「いや、そうじゃないけれど。空気を読むって言うのがさ」

「あたしが負ければよかったって話をしたいわけ? 別に負けてもよかったけれどさ、あっちが言ったんだよ? このクラスに相応しくないのなら、とか何だとか」

 確かに挑発したのは向こうからだ。だがこれほどまでに痛めつけてやる必要があったのか。ヨハネはちらとホルスターのボールを見やる。

「強いんだね……、ヒトカゲ」

「ああ、うん。あたし、進化させずに育てたいんだ」

 変わり者である。ヒトカゲは進化させてこそ意義のあるポケモンであった。初心者向けで、進化したリザードンはポケモンの理想形態であり、あらゆる技を覚えるオールラウンダー型。誰でも知っている基礎知識だ。

 それをわざわざ進化させず、強さを秘めたまま使うなどもってのほかであった。

「なんか、馬鹿にしているんだと思われるよ」

「何で? だって進化させないのはあたしの勝手じゃん」

 その通りなのだが、マチエールには何かが抜け落ちているような気がしてならない。

 ヒガサを目にしないのもそれはそれで緊張するものだった。あの先輩は自分の事を快く思っていないのか、よく声をかけてくる。静寂を守っているのは逆に不気味だ。

「君さ、何で特待生って呼ばれてるの?」

 だからか、マチエールの発した疑問にすぐには答えられなかった。疑問があるとすれば、それは彼女のほうだろうに。

「えっ、僕?」

「そう、君以外にいないじゃん。何で、あの金持ちに特待生って言われてるの?」

「奨学金をもらって入っているから、かな……。あんまり家が裕福じゃなくって。その、学力で示すしかなかったんだよね、実力を」

「ああ、だから特待生?」

「そう、現に僕、腕っ節は全然だし、せめて頭だけはよくないと、って勉強していたから」

「へぇ、がり勉だ」

 本人に侮蔑の意図はないのだろうがそう言われてしまうとヨハネは困惑の笑みを浮かべるしかない。

「そこまでじゃないよ」

「変な学校だね。フレアエンタープライズのお膝元なのに、金持ちと特待生がいるって言うの。それに、ゴローニャも弱かったし」

「……それ、絶対にクラスで言っちゃ駄目だからね」

 ヒガサの取り巻きに対して弱い、など言った日には陰湿ないじめが待っている。本人よりもヨハネが怯えた。

「でも、向こうは言い放題なのにあたしや君が言っちゃ駄目ってのも変じゃないの?」

 正論であるが、それゆえに通用しない。ヨハネは言い含めた。

「とにかく、もう先輩には近づかないほうがいいし、噛み付かないほうがいいよ」

「あたしは噛み付いた覚えなんてないけれど」

〈もこお〉がアタッシュケースを引きずってくる。またしても彼女は忘れていたらしい。

「あっ、〈もこお〉。拾ってくれたのか。いい子だなぁ、お前は」

〈もこお〉の頭を撫でてやるマチエールにヨハネは純粋な疑問を発した。

「〈もこお〉で戦ってもよかったんじゃ? ヒトカゲで戦うよりかは、嘗めていると思われなかっただろうし」

「駄目だって。〈もこお〉はそういうんじゃないから」

 当の〈もこお〉は手で耳を必死に塞いでいる。戦闘用には見えないにせよ、愛玩用ともどこか思えない。

「僕はこれからアルバイトに行かなきゃいけないんだけれど、マチエールさんはどうするの?」

「あたしは、どうしようかな。しばらくこの学校にいろ、って言われているし」

 呑気なマチエールにヨハネは警告してやった。

「あんまり遅くまでいると守衛さんにどやされるよ。ただでさえ、トレーナーズスクールには最近、不審者が出入りしているって言うし」

「不審者?」

 一瞬、であったがマチエールの目の色が変わった、気がした。

「うん、ミアレの街に出没する、怪人、って言われている。でっかい蜘蛛なんだってさ。警官でも敵わなかっただとか、何だとか……」

 ヨハネはハッとした。その話を聞き入るマチエールの横顔が今までにないほど切迫していたからだ。

「……噂だよ?」

「うん、噂だね」

 その割には、いつになく真剣であったが。マチエールはその余韻も感じさせず、大きく伸びをした。

「じゃあ、あたしは帰ろうかな」

「家、どこにあるの?」

「ミアレの……、どこって言えばいいんだっけ?」

 その返答に肩透かしを食らった気分であったが、ヨハネは愛想笑いを浮かべた。

「ま、まぁ、気をつけて。それにしたって、初日からあんな事をするなんて、本当、マチエールさんって何者なの?」

「何者、って、職業? 平たく言うと、探偵かな」

 放たれた言葉の意味が暫時、分からなかった。

「……ごめん、何だって?」

「探偵。ミアレの」

 繰り返されても分からない。ヨハネは額に手をやって困り果てた。

「探偵……、それってその、事件とかを追う、そういう類の事を言っている?」

「そうじゃなきゃ、何なのさ」

 憮然とした様子のマチエールにヨハネはある種、納得した。そういう無頼の輩を「演じて」いるのだと。

「まぁ、探偵業もそこそこにしたほうがいいよ」

「そうなんだけれどね、あいつから連絡も来ないし、まだしばらくはこの学校にいなきゃ駄目かな」

 あいつ、と繰り返されるのが何者なのかは知らないが相当な腐れ縁なのは窺えた。

「まぁ、お互いに気をつけようよ。蜘蛛の怪人に襲われないように、ね」

 それ以前にヒガサから闇討ちを仕掛けられない保障もないわけだが、マチエールは呑気に手を振った。

「またね」


オンドゥル大使 ( 2016/09/30(金) 20:17 )