ANNIHILATOR - 邂逅篇
EPISODE0 始動

 流星雨の夜だった。

 見下ろすビルに向けて、ヘリに乗った数人の構成員が声にする。全員が赤毛に染めており、仕立てのいいスーツを身に纏っていた。サングラスに眼下のビルの明かりが反射する。

「いいか? あのビルの爆撃命令が出ている! 今すぐに、だ!」

 上官の張り上げた声もヘリの羽音に掻き消されそうだ。構成員達はめいめいにモンスターボールからポケモンを繰り出した。

 勇猛果敢を誇る赤と白の翼、ウォーグルが旋回し、ビルを取り囲んだ。

 その背に乗った構成員達はウォーグルの鉤爪に持たせてあるナパーム弾頭を意識する。これを放り投げれば目的は完遂される。そう感じていた構成員に冷水を浴びせかけるようにビルの内部から爆発が連鎖する。

 既に事態はのっぴきならない方向へと転がっているのだ。一人の構成員とウォーグルが恐慌状態に陥り、ナパーム弾を投げさせる。火炎の中に油を注いだようなもの。

 可燃性のナパーム弾は表面の鉄片さえも融解させ、内側から破裂した。爆発のあまりの凄まじさに上等構成員が手で制する。

「現在、フレア団構成ビルにて火炎が発生。爆発も確認出来る。本部に達す。最早これは、消滅も已むなしではないか」

 上等構成員にさほどの権限は与えられていない。ただ、この事態をこれ以上悪くしないために、決定権はあった。

 無線から上官の声が聞こえてくる。

『……了解した。爆撃、開始』

「了解。爆撃、開始」

 復誦した上等構成員の声に従って全部隊のナパーム弾が放り込まれた。爆発の連鎖と、光の明滅が網膜に激しく刻み付ける。

 幾度目かの爆音が重なった後、打って変わって水を打ったような静寂が訪れた。

 習い性の精神が勘付く。これは崩壊の序章だと。

 すぐにビルが倒壊し、ここら一帯は立ち入り不可能となる。その予感があったが、何かがビルの中で揺らめいていた。

 上等構成員が双眼鏡を持ち出す。

 地獄の炎の只中にあってなおも輝く、黒と白の姿。

 しなやかに伸びた痩躯が、紅蓮の中を歩み進む。

 考えられなかった。ナパーム弾の連投を受けてもなお、原形を留めている存在など。思案を浮かべている間に、その影が明瞭になった。

 月明かりの下、ゆらりゆらりと、迫る人影。

 まるで幽鬼か、あるいは性質の悪い幻。

 誰もが唖然とする中、一人の恐慌に駆られた構成員がウォーグルに命じていた。

「翼で打つ!」

 特攻したウォーグルを止める前に、その人物は跳躍した。

 一足でウォーグルの特攻を軽く受け流し、屋上へと僅かな足がかりを得て至る。

 何という軽業。

 ポケモンなしで如何にしてあの存在が成り立っているのか、誰も口を挟めなかった。

 狂気に駆られた構成員だけが、ある種、この場での正気を保ってその人物へとウォーグルでの攻撃を仕掛ける。

「翼で、打つ!」

 ウォーグルの翼は高密度のセラミックをも凌駕する破壊力だ。叩きつける、だけの場合でも相当な質量兵器と化する。単純な攻撃であるが、人間ならば抗いようのないほどの明確な帰結。超重量に、耐えられない。

 しかし、その人物はウォーグルの「つばさでうつ」をあろう事か止めてみせた。両手を突き出し、足を踏ん張った形で三メートルほど後退しただけだ。

 それだけで、勢いを持って繰り出されたウォーグルの技をほぼ無効化した。

 信じられない心地で見つめていると、その人物の纏っている鎧が月下の青に露になった。

 濡れたような黒。白いラインが全身に走っており、フルフェイス型のヘルメットは黄色いバイザーで覆われている。

 特殊装備の防弾スーツ、あるいは防護服に当たる兵器は数あれど、これほどまでに洗練されたものは初めて目にするものであった。

 余計な部分を削ぎ落とし、完全に機能美を優先させたシンプルなスーツだ。

「美しい……」

 覚えず感嘆の吐息が漏れた。

 ウォーグルを受け止めた怪力の持ち主のスーツは、そのまま返す刀の手刀でウォーグルを打ちのめした。

 人間の技がポケモンに届く事は基本的にあり得ない。だが、あり得ない光景が目の前で展開されていた。

 スーツの人影がするりとウォーグルの腹腔へと入り、そのまま突き上げる拳を見舞う。それだけでウォーグルの絶対防御の羽毛を貫通していた。ウォーグルの羽毛はほぼ防弾処理を施した装備に相当する。

 それを軽く拳だけで、このスーツは貫通せしめた。

 ウォーグルが呻きを漏らして羽ばたいていく。主人の構成員は懐から拳銃を取り出した。ポケモン同士の戦闘ではまず重宝しない、原始的な火器である。その銃弾がスーツ姿を捉える前に、跳ね上がったその黒い痩躯が構成員の至近に肉迫する。

 ハッとした時には、構成員に当て身が成されていた。明らかに力の加減を見極めた攻勢。先ほどのウォーグルを後退させた拳と同じ拳でありながら、殺さない拳であった。

 構成員達が息を呑む。

 目の前の敵対対象は一体何だ? 何を自分達は目にしている?

 思考の遅れはそのまま部隊全体の指揮に伝播する。ウォーグル部隊に生じた隙を、そのスーツ姿は見逃さなかった。

 ウォーグルの頭を蹴り上げてビルの火炎の中に潜っていった。

 追撃、という判断を下すにはあまりに遅い。

 上等構成員が窺った時には、もうスーツ姿は消えていた。

「消えた……」

 自分達は何と戦ったのか。

 その恐れが這い登ってきて、上等構成員は暫時、言葉を忘れていた。

 流星雨の、夜であった。













 弾丸を放ったが、眼前の巨大な構築物には全く意味を成さなかった。

「退避! 退避!」

 声を張り上げた上官が払われた足の一撃に倒れ伏す。警官隊には発砲も許されていた。ポケモンにも効果がある特殊弾頭の使用も目されている。

「撃て!」

 全員が続け様に銃弾を放ったが、その影は銃弾を弾き返した。

 凶弾に倒れる仲間を視界に入れつつ、警官は月明かりさえも隠すその威容に言葉をなくした。

 巨大な蜘蛛であった。

 暗がりなのでその全容は掴めないが、ミアレの高層建築に並んでも遅れを取らない。

 軋む機械音と共に甲高いポケモンの鳴き声が木霊する。

 振り上げられた脚部による攻撃に、警官は尻餅をついた。

「こんなの……どうやって倒せば……。蜘蛛の、怪物」

 音を立てて巨大な蜘蛛の眼に光が灯る。単眼が警官を見据えた瞬間、宵闇を引き裂く悲鳴が発せられた。

 その時、降り立った影があった。

 夜の闇を引き移したような黒い痩躯である。白いラインが走っており、星屑のように輝いていた。

 巨大蜘蛛と格闘するその痩躯はくるりと身を返して警官隊の前に着地する。

 信じられないほど、洗練された姿であった。

 黄色いバイザーのフルフェイスに、鎧を想起させる漆黒の姿。

 白いラインが身体の線を縁取るように描かれている。

「あなたは……」

 それに応えず、すぐさま巨大蜘蛛の腹腔へと、駆け込んだ疾駆が拳を見舞った。

 巨大蜘蛛がたたらを踏む。

 蜘蛛に比べればなんと矮小な存在である事か。しかし、そこから放たれた膂力は人の域を超えていた。

 巨大蜘蛛を持ち上げようとするその疾駆へと、発炎筒が投げ込まれた。

 赤い煙が棚引き、警官隊が後退する。

 僅かな時間のはずだった。

 その短時間に、巨大蜘蛛は煙の如く消えていた。

 当然、それと格闘した存在も、である。

「あれは……、何だったんだ」

 夢でも見ていたような心地であった。そんな中、警官の一人が呟く。

「正義の、味方……?」

 誰も、その疑問には答えられなかった。


オンドゥル大使 ( 2016/09/30(金) 20:17 )