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純真の灰色、共鳴する世界
第百十二話「敗北宣言」

「ワタクシの、勝ちだ……!」

 ゲーチスは勝利の余韻に浸る。

 全盛期にもこれほどまでの勝利を確信した事はない。今、カントーの国防は自分に下った。四天王を倒したのだ。Nを操っていた時でさえ、これほど満たされはしなかった。

「ワタクシに、勝てる者はいない!」

 ゼクロムが空中戦艦プラズマフリゲートを護りつつ、ヤマブキを睥睨する。甲板に出ていた団員が一人、不意に声を上げた。

「ぷ、プラーズマー!」

 その声に一人、また一人と号令が重なっていく。

 やがて大きなうねりになったそれは、ゲーチスを賞賛する響きであった。

「いいぞ! ワタクシは、もっとやれる! カントーなど、最早我が手中よ!」

 支配と実効の感覚に酔いしれた、その瞬間であった。

 ゼクロムの右腕に氷の華が咲いていた。

 否、それは咲いていたのではない。突然の凍結現象に、ゼクロムの表皮が引き裂け、血が迸る前にそれさえも凍らせられたのだ。

 ゼクロムが手を振るい上げ、攻撃対象を見据える。ゲーチスはその視界と同調し、その相手を目にした。

 ビル群に挟まれた遥か下方に、少女が佇んでいた。

 緑色の長髪を灰燼に棚引かせ、廃墟へと歩みを進める少女は星空を内包した瞳を持っている。

 その瞳が不意に、ゼクロムを見つめた。

「あれを、落とせばいいんだよね、主様」

 割って入った澄んだ声音に毒気を抜かれたほどだ。少女はモンスターボールに手をかけてそれを繰り出す。

「いけ、ユキノオー」

 飛び出したのは白い羅刹だ。雪原から現れたかのような大型ポケモン。その紫色に濁った瞳が、ゼクロムを睨む。

「ユキノオーだと? そんなもので、ゼクロムが止められるか! クロスサンダー!」

 電磁の十字を構築したゼクロムがそれを槍のように投擲する。しかし、ユキノオーは慌てるでもなく、その腕で「クロスサンダー」を掴み取った。

 熱した電流が焼くかに思われたがそれを凌駕する凍結速度で「クロスサンダー」が無効化されていく。

「何なんだ、貴様は……」

 覚えず狼狽する。ゼクロムの攻撃を受け止められるポケモンとトレーナーなどいるはずがないのに。

 そのポケモンはいとも容易く、凍結させた「クロスサンダー」を叩き折る。

 まだ余力のあると思われるユキノオーはゼクロムを注視し、片手を払った。

 それだけでゼクロムの右半身が凍結に晒される。

 ハッとしたゲーチスが指示を出した。

「ゼクロム! 電磁の熱気で焼き切れ!」

 尻尾の発電機が作動し、発熱させて電気を生じさせるも、それを上回る速度で凍結がゼクロムを覆っていく。

 これはまずい、とゲーチスは歯噛みする。ドラゴンであるゼクロムに、氷の攻撃は相性が悪い。

「ゼクロム、トレーナー本体をやりなさい! 雷撃!」

 ゼクロムが腕を振るい上げる。その瞬間、雷鳴が轟き、少女を狙った一条の雷が天地を縫い付けた。

 勝った、とゲーチスは確信したが、それを守ったのはユキノオーである。さすがに受け切れなかったのか、半身は爛れていた。

「ワタクシのゼクロムに勝てるわけがない!」

「そう……。今のままじゃ、ちょっと無理みたいだね、ユキノオー。やろうか。主様からも、お許しが出たし」

 少女がすっと手を掲げる。その手の甲に埋め込まれた何かがユキノオーの脈動とリンクし、紫色のエネルギーの甲殻が包み込んだ。

 まさか、とゲーチスは目を瞠る。

 咆哮と共に叩き割られたその姿は先ほどまでと一線を画していた。

 四足で、その巨大重量を支えている。発達した雪の芽が避雷針のように一対、背筋から伸びていた。

「――メガシンカ。メガユキノオー」

 まさか、メガシンカポケモンであったとは。ゲーチスの驚きを他所に少女は告げる。

「メガユキノオー、主様からはこう言付かっている。慣らし運転≠セって」

 自分が、慣らし運転だと? その言葉はゲーチスの矜持を傷つけるのに充分であった。

「誰の命令かは知らないが、後悔させてやる! ゼクロム、雷撃!」

「メガユキノオー、吹雪」

 その言葉が放たれた途端、掌に構築させていた「らいげき」が丸ごと凍結した。

 ――吹雪、だと? 

 否、これはそのような生易しい技ではない。

 問答無用の凍結攻撃だ。しかも寸分の狂いもなく、攻撃を放つ前にそれを霧散させた。

 吹雪、だというのならばそれは局地的なものであった。

 ゼクロムの右半身が凍り付いていく。メガユキノオーの放つ冷気に、ゼクロムが生命活動を弱めた。

「波導が、弱まっている?」

 そうとしか考えられない。先ほど全ての技をいなしたゼクロムの体内波導が凍結攻撃によって危険域に達していた。

「よく分かんないけれど、波導使いと同じだって言うのなら、その戦い方は心得ている。ゼクロムを、凍り尽くせばいいんだよね?」

 左半身を引き上げて、ゼクロムがメガユキノオーへと攻撃を叩き込もうとする。

「クロス、サンダー!」

「メガユキノオー、ウッドハンマー」

 渾身の電磁の十字は、メガユキノオーの巨躯から放たれた拳で打ち消された。

 メガユキノオーに目立ったダメージはない。「クロスサンダー」は掻き消されたのだ。

「よもや、これほどまでとは……」

「メガユキノオー、接触点から完全凍結、出来るよね?」

 触れた箇所からぴしぴしと音を立てて凍てついていく。このままならば、ゼクロムは氷の彫像と化してしまうのだろう。

 このまま、ならば。

「だが、ワタクシは得たのだよ。波導の力を」

 その瞬間、微かな音が響いた。亀裂である。メガユキノオーの体表に不意に亀裂が走り、そこから空気が漏れたのだ。

 少女も気づいていないようだ。

 ゼクロムの行った波導攻撃に。

「波導は、触れた箇所から相手の体内波導を感知し、ダメージを与える事が出来る。メガユキノオーの体内は精密機器並みだ。だからこそ、少しの穴が命取りになる。波導回路に数ミリの穴を開けてやった。それだけで、メガユキノオーのリミッターが解除された身体は、自壊する」

 空気だけが漏れていたと思われたその一箇所から、今度はメガシンカを形成する紫色のオーラが漏れていく。メガユキノオーは手で覆ってそれを防ごうとするが、その手にも皹が入った。

「メガユキノオー? どうして……」

「分からぬならば教えてやろう、小童。波導は全能なり。それを司るワタクシに、通常の熟練トレーナーでは、勝てない」

 少女の手の甲から突如として血が迸る。痛みにそのかんばせが歪んだ。

「同調するトレーナーにも、その傷は及ぶ。さて、ゆっくりだ。ゆっくりでいい。ワタクシは、お前が何者なのかを聞き出せる」

 ゼクロムが力を込めると凍結が解除された。その身体には傷一つない。

 電磁の十字を形成したゼクロムはその切っ先を少女に突きつけた。少女は、分かっていないのか動きもしない。

「このまま射殺す事も出来る。だが、ワタクシはあえて言おう。この街に敗北宣言を出させろ、と。もうヤマブキの人間はワタクシに勝てない。戦う事も出来ない」

 少女は傷ついた手を引いて、メガユキノオーに命じる。しかし凍結が成される前に、ゼクロムの体表を跳ねただけの波導が打ち消した。

「もう、二度も同じ攻撃は効かない。そういう風に、出来ているのだ。ワタクシに、勝てる人間はいない。誰一人として。ああ、これが全能感か。これが、支配か。ワタクシは、これを求めていたのだ」

「メガユキノオー、もう、渋っている場合じゃないみたい。絶対零度」

 メガユキノオーが咆哮し、一撃必殺の彼方へとゼクロムを葬り去ろうとする。街に降り注いでいた粉塵が集結し、それらが凍結の龍となって、ゼクロムへと襲いかかった。しかし、ゼクロムも、それを操るゲーチスも動じない。ただ、手を掲げただけだ。

 その一動作で、凍結の龍を射抜く。内部から形状崩壊を始めた凍結は跡形もなく消え去った。

 それと同時にメガユキノオーの額に稲妻のような傷痕が走る。

 メガシンカが解除され、ユキノオーがその場に突っ伏した。

「ユキノオー?」

 少女の呼びかけにもユキノオーは反応しない。

 当然だ。

 脳細胞を破砕してやったのだから。

「死なせたくなければ、ボールに戻す事ですね。ギリギリで間に合う」

 少女はユキノオーを揺するばかりだ。恐らく、戦えとしか命じられていないのだろう。

「所詮は戦闘機械か。そのような生き方も辛いでしょう。今、楽にしてあげますよ」

 ゼクロムの番えた電磁の十字に目もくれない。少女を照準した、その時であった。

 不意に肌を粟立たせるプレッシャーの波を感じ取る。

 その根源にゼクロムとゲーチスは視線を向けた。

「ああ、来たと言うのか。Miシリーズ。英雄の因子の再現」

 視線の先にはヤマブキのセンタータワーが屹立していた。


オンドゥル大使 ( 2016/08/17(水) 20:45 )