第百十一話「堕ちる」
ゼクロムの握り締めた手にカイリューの骨格が軋みを上げる。「げきりん」の限界が来ていた。ワタルは舌打ちしてオンバーンを呼びつける。
「爆音波だ! ゼクロムに隙を作れ!」
放たれた音波攻撃に対して、ゼクロムのした事は少ない。その音波を全身の筋肉で吸収し、周囲の空間へと反射させたのだ。
これはポケモンの技ではない。
これは、テクニックだ。技術、技巧と呼ばれる部分の話だ。
ヨガの達人が力の抜き加減を理解しているように、このゼクロムはポケモンの技を吸収し、解き放つ術を知っている。それをどのようにすれば破壊光線ほどの高威力でも弾き返せるのだと、理解しているのだ。
どこかで既視感を覚えた。
前にも、自分はこれに似た対象と戦った事がある、と。
どこだ、と考えを巡らせる前に、ゼクロムがカイリューを地面へと放り投げた。オンバーンを呼んでカイリューを回収させる。傷の度合いから、もう戦いは無理だとモンスターボールに戻した。
「オレの、一番手だぞ……」
ただのカルト教団の頭目がやれるバトルの領域を超えている。
ワタルの呟きに、ゲーチスは肩を揺らして嘲った。
「これが、四天王! これが、カントーの国防ですか! この程度が! 児戯に等しい、今のワタクシと、ゼクロムにとっては! こんなものが、カントーを背負って立つ人間の実力か! あまりに脆弱! あまりに、貧弱!」
ゲーチスの哄笑が響く中、ワタルは歯噛みする。この悔恨に、一つだけ風穴を開ける手立てがあった。だが、それは、止められればまさしく完全敗北である。そのリスクを背負ってでも、勝たなくてはならない。ここで勝てなければ、カントーの国防と四天王は地に墜ちる。
「……使いたくはなかったが。全オンバットに命じる。変わらずの石を、破棄せよ」
その命令にゲーチスの高笑いが止まった。水を打ったような静寂の中、オンバットが隠し持っていた小さな石を捨て去る。叩き割る個体もいた。その次の瞬間、光が包み込み、オンバットの弱々しい躯体が倍以上に膨れ上がった。その光の先にいたのは、ただ一つ――。
「オンバーン二十と四体。これが、オレの真の切り札だ」
空域を埋め尽くす黒翼の龍が咆哮する。オンバーンに強制進化させられた二十体が一斉に、その内耳をゼクロムに突きつけた。
「二十と四体の全力攻撃、食らい知れ! 爆音波!」
直後、静寂を叩き割る轟音が、ヤマブキシティを包み込んだ。ビルが跡形もなく破砕し、砕け散ったガラス片や粉塵が街を埋め尽くしていく。
焦げたような灰色が街を満たし、音域に触れたものは余さず消去されていった。
当然、ワタルはこれでゼクロムを下したと思っていた。思い込んでいた。
そうでなければ、この相手はまさしく――。
ゼクロムは音叉の檻の中で片腕を掲げる。その掌の中で不意に電磁の十字が形作られた。
「いけない、避け――」
「クロスサンダー」
命じた声に、数体のオンバーンが貫かれる。電磁の十字架が突き刺さったオンバーンが墜落した。
「まだ、生き永らえて……!」
「惜しいかな、四天王ワタル。ワタクシを倒すのに、これ以上とない力でしょう。これ以上とない切り札でしょう。鬼のようにあなたは強い。羅刹のように、あなたの心には一切の容赦がない。通常の敵ならば、倒せなくともその強さ、強靭さに敬服し、屈服するであろう事は想像に難くありません。ですが、我々はプラズマ団。全てのお題目と、思想をかなぐり捨ててでも、生き永らえ、雌伏の時を待った集団。思想的なもので敗北するくらいならば、我々は思想を、意志を、捨てる」
ゼクロムの青白い血潮が宿り、その腕を振るい落とした。その瞬間、発生した電磁の十字架がオンバーンを次々と撃ち落として行く。
「嘘だろ……。オレのエースが」
「残念ながら、あなたが捨て去った程度のプライドでは、ワタクシには勝てない。ワタクシは義でも何でもなく、悪意で立っている。ここにいるのはワタクシ個人ですが、ワタクシそのものが、プラズマ団なのですよ」
杖を鋭くついた音に相乗し、ゼクロムが吼える。「ばくおんぱ」の威力が霧散し、音波攻撃が一斉に消失した。
「爆音波を、咆哮だけで消し去るなんて」
「通常ではあり得ません。ですが、ワタクシは得た。最高の力を」
ゲーチスの掲げた腕から青白い瘴気のようなものが棚引く。それを目にしてワタルはようやく思い出した。
この既視感の相手。
引き分けに持ち込まれた因縁の敵と同じだ。
「波導を、使っているのか……」
「いかにも。波導使いの技術はデータ化され、我が身に刻まれた。それは刻印の名を持つゼクロムも同じ事。ワタクシとゼクロムは波導を帯びているのです。だから、通常のトレーナーのそれではない。最強の名を欲しいままに出来る」
波導使いと同じなど考えられない。だが、カイリューの攻撃を受け流し、オンバーン二十四体を屈服させられるのは波導くらいしか思い浮かばなかった。
「どこまで……、ゲーチス。貴様はどこまで強欲なんだ」
「どこまでも。ワタクシの力が支配に変わるまで、掲げ続けましょう! さぁ! 幕が降りる!」
ゼクロムが腕を掲げ、掌の上に電磁の球体を作り出した。それに連鎖してオンバーンを包み込んだのは電流の檻である。球形のそれがオンバーン二十四体を同時に攻撃に落とし込む。
「――雷撃」
その攻撃の名前が紡がれ、オンバーンが一体、また一体と焼き尽くされて墜落を始めた。
雷撃、の名前に相応しく瞬時の感電だ。それが神経の一本一本まで焼き尽くし、オンバーンは黒煙を引きながら街中へと墜ちていく。
「オンバーン……。こんな、こんな事が」
「カントー四天王。負けを認めるのならば潔いほうがいい」
ゲーチスの声にワタルは歯噛みする。
これ以上の単体戦力はない。カイリューもやられ、オンバーンも沈められた。こうなってしまった以上、自分は敗走するしかない。それで一刻も早く、カントーの国防にこの危機を伝えるのだ。
カントーは非常事態宣言を出すに違いない。そうなってしまえば戦争も同じだった。
――だが、簡単に折れてしまえない理由がある。負けを認められない、意志がある。
「オレは、まだ負けちゃいない。オンバーンは残り一体、ここにいる」
その言葉が強がりだと思ったのだろう。ゲーチスは鼻を鳴らした。
「あなたの乗るオンバーン一体で何が。言っておきますが、捨て身などあなた方らしくもない。それこそ悪足掻きだ」
「かもしれない。だが、オレは! オレはカントーの国防を預かる軍人である以前に、一人の武人だ! 武人には武人の散り方がある! オンバーン! 波導使いを倒すために習得した技だ、やれるな?」
確認の声を振り向けるとオンバーンは強く鳴いた。両翼を広げて身体の中央にエネルギーを集中させる。
イメージは心臓の脈動を自ら操作する感覚。
自身を研ぎ澄まし、最強の一打へと、この身を昇華していく。
オンバーンの身体に青白いオーラが纏いついた。その顕現にゲーチスは眉根を上げる。
「まさか……、あなたも至っていたのか。波導の境地に」
「境地、というほどでもない。ただ、学びはした。波導という概念を。そして、技として繋げたんだ! この技の名前は!」
オンバーンが咆哮し、ゼクロムへと一直線に突っ込んでいく。ゼクロムは腕で受け止めたが余剰衝撃波がその黒い表皮を叩いた。
「龍の、波導!」
ワタルの雄叫びに相乗し、オンバーンが今にも焼き切れそうな身体を波導の熱に晒す。ゼクロムの体表を跳ねたのは波導の残滓だ。電流のように細かくなった波導の残滓でさえも龍の形を作り、ゼクロムに噛み付く。
ゼクロムはその段になって初めて、余裕を崩した。体内波導を乱されれば、たとえ伝説とはいえ、差し障る。ゼクロムがもう片方の腕を振り上げて球体を練った。
「雷撃!」
天罰のように一条の雷がオンバーンの身体を貫く。
ワタルは、既に離脱していた。最後のオンバーンが身体を射抜かれて墜落していく。
最早、打つ手はなかった。近場のビルの屋上に降り立ったワタルは敗北の苦渋を噛み締める。
「……悔しいが、オレの負けだ」
この戦局をどうすれば覆せる? プラズマフリゲートはゼクロムの護りを得て究極の空中艦艇になった。この悪夢を終わらせられる人間はいるのか。
「この街の抑止力に頼るほかないのか……」
全ては、この爛れた街の人々に託された。