MEMORIA











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純真の灰色、共鳴する世界
第百八話「狂信者」

『最早、ヴィーツーは無用の長物であった。切ったのはさすがだと言わざるを得ない。アクロマ博士』

 通話先の声にアクロマは笑みを湛える。

「それほどでもない。君がいなければ、何も成し得なかったよ。まさか、こんな形で戻ってくるとはね。確か名前は……」

『もう、名前は捨てた。おれはアールと名乗る』

「アール、ね。なかなかに君らしい。一個人としての名前はもう必要ない、か」

 アクロマは広域命令を出すチャンネルに繋いで団員に呼びかけた。

「離反者ヴィーツーを逃がすな。見つけ次第、殺せ」

『了解』の復誦が返ってくる。アクロマは満足気に息をつく。

「まさか、私がプラズマ団の実質的なナンバーワンとなるとは」

 考えもしなかった。ヘッドセットを通信に繋いだまま、アクロマは部屋を移動する。

『おれはあんたならば、と思っていたよ』

「謝辞はいい。どうせ、君は欠片にも思っちゃいない。あの時。君は死ぬはずだった。それこそ、無能の謗りを受けるべき上官、ヴィオの判断ミスで。だが、君は幸運にも生き残り、ヤマブキで雌伏の時を待った。長かったろう?」

『たった一ヶ月くらいだ。短かったよ』

 しかし永遠とも言える一ヶ月であったに違いない。その間に波導使いを殺すべく派閥が動き、新たな殺し屋が野に放たれた。彼は一人の人間が経験する一生分以上のものを背負い込んだはずだ。

「泥水をすすった気分はどうかな?」

『以前、ハムエッグにも似たような事を言われた。その身分で満足しているのか、とも』

 さすがは盟主、と言ったところか。彼の素質を早々に見込んだのだ。

「君は先見の明がある。だから、ハムエッグに気に入られた」

『おれには、そんなもの欲しくなかったよ。ただ、一つでよかった』

 そのただ一つを手に入れるのには、彼の身分ではどうしようもなかった。そのために欺き、壊し、暗躍した。

 手に入れられるものを全て手に入れようとした。

 何という――強欲。

 どこまでも時分の手を汚す事に躊躇いがない。

「君の姿は私によく似ている。私も、彼女のためならば惜しくなかった。人間性など。そのようなものに関わっている暇があれば、一つでも彼女を造ろうとした。理想のMiシリーズを。私の描き得る、最大の女神を」

 密閉された扉が生態認証で開く。

 そこには数多のカプセルがあった。培養液に満たされているオレンジ色のカプセル群にはどれも未発達の細胞が浮かんでいる。

 視線の先にあったのは、一つだけのオリジナルであった。髪を泡沫に揺らす少女の姿が、照明で浮かび上がっている。

「ミオ。ようやく来たよ」

 シリアルナンバーはMi0とある。

 全ての始まりの女神であった。

「偽りと、善悪の逆転だ。私は君を描くために、三年間待った」

 コンソールに手を当てる。静脈認証型のコンソールが読み取ったのはこの基地そのものの上昇であった。

「雌伏の時は過ぎた。揺籃の段階を終えた我々は巣立たなければならない。カリスマには、カリスマを」

 モニターに映し出されたゲーチスが式典用の服を設えられて舞台に上がっていく。

「そして、私には最高の君を」

 逆探知装置が作動し、ポケモン図鑑に埋め込まれたその位置がつぶさに明らかとなる。

 狙うのは、波導使い、アーロンのアジト。

 そのためならば、全てを敵に回す。

「Mi3、いいや、三番目のミオ。迎えに行くよ」
















 それが浮かび上がったのを知っているのはこの世界でも数人であった。

 ヤマブキの南方に位置する港町にて、サントアンヌ号に乗り合わせた乗員がデッキに飛び出して写真を撮っている。

「見ろ! 船が浮かんでいる!」

 指差した先には灰色のフリゲート艦が赤い電磁を作用させながら浮遊していた。小型艦艇に見えるその姿に、一同は唖然とする。

「同じだ……。ちょうど一年ほど前に、イッシュ地方を恐怖のどん底に陥れた、あの艦艇と……」

 そう思ったのはイッシュ行きを予定していた観光客であった。浮遊する艦艇はそのまま北上する。

「あの方向は、ヤマブキだぞ……」

 誰もが声を発しようとして、何も言えなくなっていた。首都への突撃など、誰が予想出来ようか。天蓋のように空を覆う影に怯えて、膝を落とす人間もいた。

「神よ……」

 祈る声に艦艇から声が発せられる。拡張された音声を誰もが聞き取った。

『神などいない。ワタクシのために、世界があればいいのです!』

 イッシュにいた人間ならば一度は聞いた事のある声音だった。しかし、まさか……。誰もが復活した恐怖に慄くしかない。

「この声は、まさか――!」

『プラズマフリゲートは新たに浮上した! これは、プラズマ団の実効支配が始まった事の、ほんの序章に過ぎませんよ!』

 プラズマ団。その名前に泣き出す人間もいた。あるいは意味が分からず首を傾げる人間もいた。

『ワタクシだけが、ポケモンを使えればいいのです!』

 浮遊戦艦プラズマフリゲートのデッキで演説をする男の姿が、電波ジャックをされた家々のテレビに映し出される。緑色の髪を逆立たせた、巨躯の男であった。

 右目にアイパッチをしており、鋭い容貌と眼光が相まって凄味を引き立たせる。

『カントーの民草よ! 王の顕現に恐れよ! 平伏せよ! 我が名はゲーチス。ゲーチス・ハルモニア・グロピウス! 英雄の因子を持つ者なり。ワタクシの顔を、よぉく覚えておくとよろしい。これから支配するのはワタクシだからです!』

『プラーズマー!』

 艦橋に出てきた団員達が一斉に声を上げる。灰色と黒の衣装に身を包んだ人々が腕を掲げて忠誠を誓った。

『カントーの人間は! 今まで感じた事のない絶望に晒されるでしょう! ワタクシの言う事だけを、聞いていればいいのです!』

 ゲーチスが杖を舞台上で叩きつけ、鋭く声にした。

 それに呼応するように、プラズマフリゲートを包み込む赤い電磁が脈打ち、家々を嵐の只中に巻き込む。

「これは何なんだ!」、「プラズマ団が復活したって言うのか?」、「あの組織はイッシュだけのものじゃ……」

 反応は様々な人々であったが、誰もが共通しているのは言い知れぬ恐怖であった。赤い電磁の揺らめきは激動の予感をカントーの人間に感じさせるのには充分であった。

 その人混みの中で、ヴィーツーはただただ慌てていた。ヤマブキシティに入り込む事は地下通路で出来たものの、街頭モニターをジャックしたプラズマ団の復活を真に脅威だと思っている人間は、ヤマブキには存在しない。誰も彼もが、オフィスを行き来するのに忙しい。

 時に無関心な彼らの行動が幸いであったのは、ヴィーツーのような異常者を誰も見咎めなかった事だ。足を引きずり、血を流している自分を引き止める人間もいない。

「急がなければ……。波導使い、アーロン。彼しか、止められない。もう、ここまで来てしまったのだ。プラズマフリゲート。あれを止められるのは、彼しか……」

 脳裏に浮かんだ死神の影に、ヴィーツーは必死に彷徨う。

 ヤマブキの街並みに風が吹き抜けた。一陣の風だ。

 その風を、不穏と受け取った者もいただろう。あるいは気にも留めなかっただろうか。

 ヴィーツーはその風を感じ取っていた。この風は、ヤマブキの光と影の象徴だ。

 何かが、一瞬にしてプラズマフリゲートへと向かっていったのを関知する。

 目にも留まらぬ速さのそれは、暗雲そのものであった。

 黒い雲を引き連れて、何かが鋭く、プラズマフリゲートを目指している。

 傍目からしてみれば、気象現象の異常とも見える、その一陣の風の行方。

 ヴィーツーは唾を飲み下した。

「まさか、奴らでさえも敵に回すのか。アクロマ……、何を考えている?」

 だが、今は、とヴィーツーは一歩でも進んだ。一歩でも、彼に近づかなければ。

 不意に膝を落とす。限界か、息が上がっていた。

「ここまで、なのか……。私は……」

「お困りのようだね」

 かけられた声にヴィーツーが面を上げる。

 ここにいるはずのない存在が、周囲に黒服を引き連れて佇んでいた。

 ヴィーツーは目を見開く。あるはずのない、嗅ぎ分けられるはずのないのに……。

「どうして、――ハムエッグ」

 ピンクの身体を持つポケモンはその恰幅のいい体躯を揺らして笑う。

「なに、情報は速さだからね。彼がそろそろ動き出すのは察知していた。そうなってくると、一番に切られるのは誰なのか。割とはっきり出ていたものでね」

 黒服達のせいでハムエッグの異様を気に留める人間はいなかった。彼が引き連れている少女にも。

「まさか、貴様……」

 星空を内包した瞳の少女がすっと首を上げた。その眼差しの見据える先には暗雲がある。人工的に作り出された暗雲の群れを率いる対象が、彼女には見えているようだった。

 ――スノウドロップ、ラピス・ラズリ。

 この街で最強の暗殺者が、何の束縛もなく立っている。それだけでも異常事態であった。

「ラピス。落とすのはあの一群ではない。まぁまずは、彼らの出方を見ようじゃないか。話はそれからだよ」

 ハムエッグの手の者達がヴィーツーに肩を貸し、そのまま車へと押し込んだ。

 ハムエッグもモニターのついた後部座席に乗り込む。リムジンタイプの車種は、エンジン音さえ立てずに動き出した。

「……私を擁してどうする? やらなければならない事があるのだ」

「アーロンかい?」 

 せせら笑うこの街の盟主に、ヴィーツーは真剣な声を投げた。

「嗤っている場合か。街が滅びるぞ。いや、それだけならばいい、あのカリスマに、支配される事になる。カントー全域が」

「それはどうかな? 君が言うほど、カントーの人間ってのはたくましくないわけじゃないよ。現に、もう彼らが出た。という事は、だ。既にマークされていたんだよ、プラズマ団という素人組織はね。無論、その情報を売ったのはわたしではないよ」

「……あの通話先の」

 考え得る可能性にハムエッグは首肯した。

「かもしれないね。まぁ誰だろうと、転がり出した石を止める事は出来るのか。その一事だよ。プラズマ団、頭目ゲーチス。果たしてブランクを埋めるだけの力はあるのかどうか」

 ヴィーツーは押し黙るしかない。その復活の先陣を切ったのは他ならぬ自分。

「私は……、それこそが正しいのだと思っていたのだ」

「ゲーチス復活。まぁ、プラズマ団の思想としては、間違っちゃいない。ただ、疑問なのは彼女だ。Miシリーズ、だったかな。どういう経緯だったんだ? 彼女だけは、イレギュラー中のイレギュラーだった。どこまで記録を遡っても、どこかで途切れる。わたしも知りたいのだよ。ここまで理解に苦しむほどに秘匿された、単なる少女の秘密をね」

 言わなければならないのだろう。ヴィーツーは口火を切った。

「始まりは三年前。ゲーチス様がまだご健在であった頃にプラズマ団に引き入れた、アクロマという男の話になる」


オンドゥル大使 ( 2016/08/08(月) 20:33 )