MEMORIA











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純真の灰色、共鳴する世界
第百七話「死者蘇生」

 アクロマの声にヴィーツーが睨む目を向ける。通話越しの相手が笑ったのも伝わった。

「何をした! 貴様ら!」

『いいえ。これで、あなた方は最強の片鱗を手に入れたというだけの話』

「勝手にプログラムを入れ換えたな……。何の目的で」

『こちらから動かしやすくしたんですよ。オペレーションが分散すると真価を発揮出来ないのでね』

 少女型のアバターがメッセージを送信する。その送信先はゲーチスの外部メモリだった。

「やめさせろ! 今のゲーチス様は眠っておられるのだぞ!」

『潜在意識に働きかける。そうすれば、かつてのゲーチスと同じくらいには、再生するでしょう』

 この通話先は何者なのだ。どうして、ゲーチスの復活に加担する。

「このOSは何なのだ、アクロマ。どうしてこんな事が出来る?」

「進化したOSです。元々はRUI、ルイという名前のOSでしたが、最早、これは違う。そうですね。名を冠するとすれば」

『ルイツー、と呼ぶのが正しいか』

 ルイツー。そのような存在がまかり通るのか。そもそも、このOSが正規品なのかも分からない。ヴィーツーからしてみれば一刻を争う事態なのに、アクロマも通話相手も平然としている。

「貴様ら、分かっているのだろうな? これで、ゲーチス様に問題があってみろ! お前らはここで殺されるのだぞ!」

 モンスターボールに手をかけたヴィーツーにアクロマは微笑むばかりだった。

「いえいえ。どうあったところで、結局、彼に加担せざるを得ないのですよ。ゲーチス様を本当に復活させたいと願うのなら、ね」

「アクロマ……、貴様の裁量だぞ。この人物に、プラズマ団を勝手にさせていいと思っているのか?」

「勝手に? いや、違う。進化には、当然の事ながら痛みを伴う。成長痛のようなものですよ」

「成長痛で! 我が方の軍勢を殺す事になるのだぞ!」

 いきり立ったヴィーツーに比べて、アクロマは落ち着いていた。どこまでも、落ち着き払っていた。それが気に食わない。

「お静かに。ゲーチス様は、蘇られます」

「このような勝手で! どうやって蘇ると言うのだ? それは本当にゲーチス様なのか?」

 今さらの疑問でもあった。自分達はゲーチスの似姿を追い求めているだけ。中身が違っても最悪、いいと思っている。そのくせ、ゲーチスというカリスマにはこだわる。 

 その在り方に、アクロマが吹き出した。通話先の相手も笑ったのが伝わった。

 ――何という羞恥。

 ヴィーツーはプログラムを停止させようとするが、既にルイツーはプラズマ団の機関部まで入り込んでおり、強制停止させない限り、ルイツーを阻む事は出来そうにない。

「こうなれば……」

 取り出したのは全てのシステムをダウンさせるボタンであった。最終手段だが、この基地自体を停止させる。

 アクロマが手首を握り締め、ゆっくりと頭を振った。

「やめたほうがいいですよ。これは必要なのですから」

「アクロマ……何を企んでいる? 何の目的で部外者にここまでやらせた?」

「私のやりたい事は、ヴィーツー様にはよく分かっていると思われますが、違いますかな?」

 アクロマの最終目的。それも汲んで、彼はここにいるのだ。そのために、ゲーチスの復活計画があった。

 彼の最後の最後。本当の目的に至るまでの道標がたまたま、重なっただけの話。

 そうでなければ彼はプラズマ団などには決して手を貸さなかっただろう。立ち位置でさえも違ったかもしれない。

 それほどまでに、プラズマ団の思想とアクロマ当人の思想はかけ離れていた。

「……本当に、ゲーチス様は無事なんだろうな?」

「モニター班が教えてくれますよ」

 手首を離したその一瞬に、ヴィーツーは通信を吹き込んだ。

「モニター班! ゲーチス様は」

『そ、それが……。今、突然に覚醒なされて、それで、仰るんです。Nが去ってから今日で三年半だ、と=x

 三年半。ヴィーツーは震撼する。

 日時の記憶は曖昧のはずだ。さらに言えば、Nが去ってからの事はほとんど記憶に留めなくなっていた。

 つい一年前の事でさえも思い出せない状態の続いていたゲーチスが急に明確な日時を言い始めた。

 それだけでも奇妙だが、モニター班は続ける。

『ゲーチス様……。歩かれてもいいので――』

『ヴィーツー。ゼクロムは使えるか?』

 ゲーチスの声だ。しかも、戦闘意欲に溢れた声音であった。

 まさしく全盛期に戻ったかのような、若々しい声。

「ゲーチス様? しかし、ゼクロムは未だに調整中でして」

『チンピラを、一人殺せばいいのだろう? やるとも』

 認識している。

 ヴィーツーは眩暈に似た症状を覚えた。

 現在、何が起こっているのかの認識が最も甘かった。それは脳の記憶を司る部位に関して、まだ不明な点が多いせいだったが、それが改善されている。

 現時点で、何が起こっていて何が問題なのかを認識する脳が、働いているのだ。

 これは異常事態であった。

 ツヴァイが現れた時、波導の概念を見せられた時にも同じように感じたが、それ以上であった。

 波導は、波導使いのみが使える。だが、これは自然科学の領域ではない。

 これは冒涜だ。

 何に、とは言えないが、生命の達してはいけない領域に踏み込んだのは確かだった。

「ゲーチス様は、真に復活を成されたのか……?」

 こんなに早く? ヴィーツーの脳裏に疑問符が浮かぶ。

 チップとやらを埋め込んだ素振りもないのに、何故? と。

「チップは、実のところ、既に埋め込んであったのですよ」

 アクロマの告白にヴィーツーは目を慄かせる。

「何だと……。貴様、そのような身勝手を!」

「待ってください。身勝手? 私に研究は一任されていた。Miシリーズも、英雄の因子も、そして言ってしまえば、あなた自身もだ、ヴィーツー様。あなたの今の生存でさえも、私の手中にある。それをお忘れか?」

 アクロマの声にヴィーツーは後ずさる。この連中は何だ? 何をしようとしている?

「アクロマ、お前の真の目的は何だ?」

「知れているでしょう。――Mi0の、全てのMiシリーズの原点であり頂点。私の愛した唯一の女性、ミオの再生ですよ」

 やはりこの男の研究目的は狂っていた。

 Mi0。Miシリーズの被検体であり、全ての始まりであった。

 Mi3は英雄の因子と彼女をベースにした三番目に過ぎない。

「お前は……Mi0さえ、造れればそれでいいのか……」

「ええ、何か問題でも?」

 その一事のために、この男は万事を投げ打った。

 狂気に走る事も厭わず、何もかもを置いてきた。彼岸に置かれた価値観と倫理観は、自分には推し量りようもない。

「本気だったのか……。あれも、これも、全て」

「だから、私は一度だって嘘は言っていません。ゲーチス様を復活させるのには協力しますよ。ただ、私はそれ以上に、Mi0の復活にこだわらせてもらう。それだけのはずです。そういう契約でした」

 その通り。そういう契約であった。

 アクロマの研究には口出しをしない。その代わり、全ての技術を提供しろ。これがプラズマ団の持ち出した条件だ。

 だが、まさかこの男の野望のために、ゲーチス復活でさえも途中経過に過ぎなかったとは。

 虚脱感が襲ってくる。

 自分は何を信じていたのだ?

『何も心配する事はないはず。ゲーチス復活は成された』

「こんな……、こんなはずではなかった!」

『ですが、こちらの提供したOSによって高速演算チップにはシステムが宿り、ゲーチス本人のトレーナーとしての力量を最大限まで引き上げます。それこそ、波導使いなんて目ではない』

 この通話先も何なのだ。どうして波導使いを殺したがる。

「お前も、波導使いに恨みがあるのか?」

『恨みというよりも、これは執着です。彼を超えなければならない。それが、おれに課せられた、唯一の使命だ』

 この通話先も歪、とヴィーツーは感じる。世界全てが、歪の塊のようだ。

「お前ら、ゲーチス様を復活させれば、私が満足行くと思っているのか」

「そうではないのですか?」

 アクロマの振り向けた言葉にヴィーツーは声を荒らげた。

「お前らは! 私が形骸上のカリスマを擁立する事に躍起になっていると! そう思っていたのだな!」

 アクロマは眉をひそめる。通話先も怪訝そうな声を出した。

『そうではない、と?』

「断じて違う! 私は、ゲーチス様でなければならなかった。私がたとえ何回死のうが、何回違う身体を行き来しようが、それでも変わらないものがあった! 志だ! それを、お前らは、容易く超えてきた。容易く、折ってきたのだ!」

 モンスターボールの緊急射出ボタンに指をかける。押し込んだが、どうしてだか作動しない。

「……なるほど。あなたがどれだけ変わろうとも、カリスマだけは変わって欲しくなかった、と。しかしそれもエゴですよ、ヴィーツー様」

 アクロマの押したボタンのせいであった。ボールシステムがダウンし、開閉スイッチがオフラインになっている。

「あなたには、見守ってもらいましょう。新たに生まれ変わった、カリスマの姿を」

『ヴィーツー。ワタクシは、戦う。ゼクロムを寄越せ。ゼクロムを、だ』

 本当ならば、喜んで差し出すところだが、これは違う。自分の思い描いていた、カリスマの復活ではない。

 今のゲーチスは操られているのだ。

 アクロマであり、この通話先の相手であり、ルイツーに。

 誰を消せばいい? 誰を殺せば、この悪夢を終わらせられる?

「残念ながら、ルイツーのシステムは完璧です。私とて、もうこのプラズマ団の基地は全て、ルイツーの支配下から抜け出せる方法を知らない」

 ヴィーツーは掴みかかっていた。アクロマがフッと笑みを浮かべる。

「貴様ァ! プラズマ団の理念を! 何もかもを捨て去ってまで、波導使いに勝てればいいのか? 我々はそのような浅慮で立ち上がったわけでは――」

「では、逆にお聞きしましょう。プラズマ団の理念とは何です?」

 アクロマの怜悧な眼差しがこちらを見据える。その眼球に映った自分自身は、全盛期の姿を保っていながら、どこか異物めいていた。

「ぷ、プラズマ団の理念は、ポケモンの解放だ。解放し、全ての民草が等しくなったその時、支配が始まる。ゲーチス様という圧倒的支配を掲げて、その時から永遠となるのだ……」

「では、永遠の支配の始まりの形に、何故喜ばないのです?」

 客観的に見れば、ゲーチスの復活は喜ばしい事のはず。それを素直に受け止められないのは、他でもない。

 自分の思想がないからだ。

 ゲーチスは、ただの機械以下に成り果てた。

 かつてのゲーチスを模倣はしている。全盛期の姿でもある。能力も恐らく引けを取らない。

 だが、そこにプラズマ団の思想も、理念も、崇高なものは何一つなかった。

 ただの、同じ文言を繰り返すだけのマシーンに、成り下がった。

 ヴィーツーは手を離していた。アクロマは白衣を整えこう口にする。

「研究は飛躍しますよ。神の領域に。誰かが歯止めをかけなければ、どこまでも研究は飛躍し、跳躍し、超越する。それを阻む事は、人類の歴史を否定するも同義なのです」

「だが……私は、こんなものを求めてはいなかった」

『ヴィーツー。ゼクロムだ。ワタクシが打って出る。波導使いを、殺してみせようじゃないか』

 ――違う!

 ヴィーツーは叫び出したかった。

 こんなものはゲーチスではない。その本懐ではないはずだ。

 しかしアクロマも、他の団員も、通話先の相手も同じように答える。

「これが、あなたの追い求めた、ゲーチスというカリスマですよ」

 本当にそうなのだろうか? ヴィーツーは顔を覆った。

 自分の求めたのはこんな、張子の虎であったのか。張りぼてに等しいものであったのか。ただ、言葉と能力さえあればいいのだと、そんな浅ましい事を思っていたのか。

「……黙れ」

「何ですって?」

「黙れと言っているんだ、アクロマ。それに通話先のお前! よくもこんな事をしたな。ただで済むと思うなよ。お前らは! プラズマ団を侮辱したのだ!」

 糾弾の言葉にもアクロマは動じる気配はない。それどころか、不敵に笑ってみせる。

「侮辱、ですか? それは、ちょっと可笑しいですね。だって私達は、等しくあなたに従っただけです。あなたは今のゲーチス様が不完全だと言った。私も、今の技術ではどうしようもないとは言った。ならば、ゲーチス様を使えるようにはしてくれないのか。そうあなたは思ったし、私に命じた。だから、オーダーに応えたんですよ。ゲーチス様を復活させる。どんな手を使ってでも。そういう意味ではなかったのですか?」

「私が追い求めて、焦がれたのはこんな結果じゃなかったと言っているんだ!」

 アクロマは理解し難いとでも言うように肩を竦めた。

「これはこれは。酷くご立腹の様子だ。何が気に食わないのです? 完璧なOSにこのプラズマ団の基地を任せ、さらに言えば、そのOSの加護を受けたゲーチス様の完全復活。これに勝る喜びはありますまい」

 アクロマの言葉は正論だった。だからこそ、ヴィーツーは困惑している。手段は問わないつもりだった。

 だが、実際に行われた事は、何もかもを無視した、非道である。

「違う……。お前らは、看板に色を塗っただけで完成だと言っているようなものだ。同じ色だから文句はないのだろう、と。そう吼えているんだ。……違うはずだ。何故、わたしはもっと早くに気付けなかった。私のものであったはずのゲーチス様に、何で勝手に、色を添えた?」

 本音が滲み出ていた。

 自分の制御下のゲーチスが欲しかった。自分の制御出来るカリスマが欲しかったのだ。かつてのゲーチスがNにそうしたように。

 しかし、今のゲーチスは違う。

 あれは別種の何かだ。

 自分では決して制御出来ない、別の何かに取り憑かれているのだ。

「魂の存在を信じるのならば、それは確かにそうでしょうね。だって、オリジナルゲーチス様はまだ生きていらっしゃる。再起不能とは言っても、生きてはいるんですから。魂は未だに現世にある。それなのに、同じ魂を持つ存在が二つもいる事になってしまった。その矛盾に、あなたは困惑しているのですよ。ちょっと見方を変えればいい。オリジナルゲーチスにこだわる必要性はないのです。カリスマが複数いてもいいじゃないですか。そのほうが効率もいい。換えも利く。どれだけ死んでも死なない、最強のカリスマ。ゾクゾクしますよ! プラズマ団を率いるのは、不死のカリスマなのです。Nでさえも、もう古い。英雄の因子を持ち、死なず、なおかつこの数値を見てくださいよ!」

 データ上に記されたのは波導適性であった。ツヴァイの遺していったデータ基準である。

 そこには「波導適性アリ」と書かれていた。

「何を……、お前らは何をしたのだ」

「全てだと、言ったではありませんか。ツヴァイの遺したデータは偉大だった! 波導を数値化し、データとして還元、英雄の因子がデータ化されたように、波導もまた、データとなる! 凄くないですか? このゲーチスは! このカリスマは、波導でさえも使えるのですよ!」

 世界が傾く。

 何かが音を立てて壊れたのが分かった。

 自分の理想だったのかもしれない。あるいは野心か。そういった、自分を構築する何かが、元の形さえも分からぬほどに、壊され、陵辱された。

 ヴィーツーは懐から拳銃を取り出していた。

「アクロマ!」

 引き金を引く、その一瞬に、電撃的な痛みが走った。

 覚えず銃を取り落とす。アクロマのコンソールに添えた指先のせいであった。

「痛みの度合いは? レベル1からレベル100までご用意できますよ。忘れたのですか? あなたの身体は私が造った。どこで致死量を混ぜようが、それは私の勝手なのですよ」

 裁量一つで殺せる、と言われているようなものだ。ヴィーツーはキッとアクロマを睨み据える。

「ここまで……、アクロマ、ここまで貴様は人でなしであったか!」

「何を仰る。あなただってMi3を道具としてしか見ていなかった。言ったでしょう? 目線の違いなのですよ。あなたにとっての血と肉でしかないそれは、私にとって愛おしく換えがたいものであった。ですがあなたにとってのカリスマは、愛おしいものは、私にとって血と肉と汚物でしかなかったのですよ」

「アクロマぁ!」

 ヴィーツーが吼えて拳銃を取ろうとする。その瞬間、指先の神経が消し飛ばされた。激痛だけではない、喪失感が胸の内を埋め尽くしていく。

「右手の第二関節から先を完全に遮断しました。これで何も掴めません」

 未来でさえも、と言外に付け加えられる。

 ヴィーツーは立ち上がり、無様にもアクロマに背を向けた。激痛で引きつる顔のまま、基地を出ようとする。

『逃しませんよ』

 アクロマの広域通信が響き渡った。

 廊下には武装したプラズマ団員がいる。

「止まれ! 殺害許可が出ている!」

 自分の部下だった者達がモンスターボールを構えて道を遮った。ヴィーツーは頭を振る。

「お前達……。何故だ、何故、私の言う事を聞かない……」

『あなたはどこまでも三下であった、という証です。情報面でも、あなたは私に遥かに劣る』

 ヴィーツーは慌てて身を翻す。素早いポケモンが足を穿ち、次いで右肩を切りつけられた。それでもヴィーツーは逃げた。遁走し続けた。

 基地から出た頃にはもう虫の息であった。

 だが、行かなければ、という思いが胸を締め付ける。

 自分が撒いた種だ。終わらせるのは自分以外にあり得ない。

「これを、倒せる人間は、奴しかいない……」

 カリスマとなったゲーチスと狂科学者アクロマ。それに協力する第三者。彼らを滅ぼせるのは、最早この世で一人だけだった。

「波導使い、アーロン……」 

 あの男しかいない。

 青の死神でしか、この悪夢は終わらせられないだろう。

 ヴィーツーは痛みで歪んでしまった視界の中、ヤマブキを彷徨った。


オンドゥル大使 ( 2016/08/08(月) 20:32 )