MEMORIA











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純真の灰色、共鳴する世界
第百六話「ルイツー」

「右目の細胞組織は再生済みです。アイパッチをつける必要はないのでは?」

 アクロマの進言にヴィーツーが苦い顔をする。

「私の一存ではない」

 ヴィーツーはつい昨日、再生されたばかりのゲーチスの躯体をデータ化していた。そのデータベースの中で、重大な見落としがないかどうかを再確認する。なにせ、稀代の偉人の再生。

 一つでもイレギュラーがあれば、それだけで弱点になり得る。

「気にし過ぎなのでは? 私の造った人造人間の肉体は完璧ですよ。それは、ヴィーツー様直々に感じておられるでしょう?」

 自分の今の肉体も、アクロマの技術があってこそ。ヴィーツーはだからこそ煮え切らなかった。

「お前に再生された身体が完璧であればあるほどに疑わしいのだ」

 ある意味ではこの肉体が作用すればするほどに、ゲーチスの肉体に何か細工をしていないかと不安になる。記憶を引き継いだ完璧な人間のクローンは完成して久しいが、それだけに充分な検証もなしに使っている自分達が、いつ落とし穴にはまってもおかしくない。

「ゲーチス様は」

「睡眠中です。まだ、覚醒時間に問題がありますね」

 覚醒時間。ヴィーツーは歯噛みする。せっかく、造り上げたゲーチスの肉体は、長期的な運用に向いていないとの結論が出ていた。

「やはり、脳細胞か」

「ええ。ヴィーツー様のように、前回までの記憶をバックアップして、データ化しているのならばまだしも、ゲーチス様は隔たりがあります。前回のゲーチス様の肉体と今回の肉体では差がある。そもそも、再生実験に提供された時点で、再起不能であった事は大きいでしょうね」

 再起不能。プラズマ団が一念発起し、イッシュでの活動を再開した矢先に起こった出来事が原因で、ゲーチスは身も心もズタズタになった。その状態からの再起は絶望的であったために、ヴィーツー含め、幹部連は判断せざるを得なかったのだ。

 ゲーチスという頭目の再生には、この身体からでは駄目だ、と。

 新たな肉体を構築し、ゲーチスをトップに据えた組織の再編。

 それにはイッシュでの活動履歴は邪魔となった。半数を切り捨ててのプラズマ団のカントーへの支配。

 だがそれもヤマブキという街の特殊性には勝てていない。

「波導使い、アーロンめ」

 忌々しいその名前を呟く。幾度となくプラズマ団の計画を邪魔してきた、このカントーにおける敵。

「いつの時代も、敵対する人間は現れるものですね。それが異国の地であったとしても」

「だがアーロンとの戦いがなければ、ゲーチス様は完璧な再生を遂げる事はなかっただろう。その点で言えば、アーロンにも感謝しているよ」

 波導という概念。それがなければあと二年か、あるいは五年以上は遅れていた再生計画であった。

「ツヴァイが残していった波導の概要も素晴らしい。これほどのデータがあれば再現も可能でしょうね」

「無論だとも。ゲーチス様は今度こそ、完璧な支配者として君臨なされる」

 波導のデータはツヴァイによって形式化され、アクロマが手を加えた事によってそれは技術から科学へと進歩を遂げた。

 最早、一子相伝の技術ではない。誰もが恩恵を受けられる科学としての体系化。それによってもたらされるのはプラズマ団の恒久的支配。

「アクロマ。アーロンに勝てるか?」

「愚問でしょう。アーロンの波導技術は拙く、古めかしい。今のゲーチス様ならばおそるるに足りません」

 しかし一抹の不安もある。ヴィーツーは声を潜ませた。

「……だが、問題なのは脳と活動時間の制約」

「脳だけは、今の科学でもどうしようもありません。それだけ人間も、他の生物も、脳が発達し過ぎた」

 ポケモンの脳を使う、という代替案もあったのだが、それでは人間のような動作をさせる事は出来ない、という結論であった。何よりもまず、ゲーチスの再臨にはあの明晰な頭脳が必要不可欠。代替の脳ではかつてのゲーチスのような権謀術数ははかれまい。

「こういう時、あの男がいればな」

「N様、ですか」

 プラズマ団の王。英雄としての因子を持つもう一人の人間、N。彼さえいれば、彼の脳を使ってでも計画を強行出来た。

 しかしNの行方はようとして知れず。代わりを立てたもののやはり――。

「Mi3は?」

「脳波、生命反応共に優秀ですが、何分、メイ、として生きさせ過ぎました。既に別人格が宿っていると言ってもいいでしょう」

「Miシリーズは何のためにあると思っている。生きている脳サンプルを造るためだ。我々のクローン技術はホウエンに十年遅れている。彼の地では、ツワブキ・ダイゴの模造品が可能であったというではないか」

「噂話ですよ。真のツワブキ・ダイゴを造れたわけではないというのが、実際の見解でしょう」

 ホウエンに流れた黒い噂の一つだ。二年ほど前に、コープスコーズと名乗るデボンの尖兵がカナズミでの支配を強めた。目撃証言によればそれは初代ツワブキ・ダイゴそのものであったという。無論、ただの噂話。切り捨てる事も出来たが、プラズマ団は一度接触しておくべきであった。

 それも解体されたデボンの子会社では無理からぬ事。既にその技巧は永久に葬られて久しい。

「我々がやる他ないのだ。先駆者のいない中、人類の叡智を切り拓くのは我ら、プラズマ団」

 決意を新たにしたヴィーツーにアクロマは問いかける。

「しかし、どうしようもない事です。脳だけは。培養だけでも数十年かかる」

「……アクロマ博士。他人の脳を使って、人格だけを移し変える事は」

 禁忌とも言えるその質問にアクロマは飄々と返す。

「無理ですよ。その可能性ならば既に計画チームが至っています。人格データの移し変えも、前のゲーチス様が壊れていなければ可能でしたが、我々の行っている事は、既に壊れてしまったおもちゃを、元通りに直してくれという無理なオーダーです。しかも、全盛期にしろ、と」

 肩を竦めるアクロマにヴィーツーはコンソールを叩いた。

「だが……、私という成功例があるではないか」

 突き詰めれば自分の脳さえ使えば。その疑念にアクロマはフッと笑みを浮かべる。

「ヴィーツー様。構いませんがその場合、あなたが今まで築き上げた信頼や他のものを対価にする事になります。成功率も低いこの実験に、自ら投げ打ちますか?」

 そう言われてしまえばヴィーツーも二の句を継げなかった。自分という個が惜しい気持ちはある。この個体を投げ打ってまで、ゲーチスに繋げるか、と言えば微妙なところだ。

 アクロマが指示通り動くかも分からない。もし、この狂科学者がゲーチスや自分の再生にこだわらない実験を一度始めてしまえば、誰がストッパーになるというのだろう。

 ヴィーツーという幹部はいなければならない。

 この男の野心を止めるためにも。

「……本当に、方法がないのか?」

「脳の代替品を造ろうにも、予算がね」

 自嘲気味にアクロマは語る。既にプラズマ団としての活動資金が尽き始めていた。このカントーで悪と断じられた組織の末路は伝え聞いている。

 ロケット団、ヘキサ、ネメシス……。かつて隆盛を築いたそれも時代の波の前に消えていった。どう足掻こうとこの状況は変えられないのか。

 ヴィーツーは拳を握り締める。如何にして、ゲーチスを完成たらしめるのか。何が足りないのか。

「今のゲーチス様では、あの英雄のポケモンであっても、活動時間は……」

「三分、とも満たないでしょう」

 絶望的な数字であった。その力がこの手にあったとしても三分も持たないのではヤマブキへの復讐も果たせまい。

「しかもゲーチス様は全盛期を模倣しております。全盛期のあの方は……同調も使えた。皮肉ですがその驚異的な能力が仇となりましたね。それ故に、力を全開に出来ない。そんな事をしてしまえば今度こそ、取り返しのつかない事になってしまう」

 分かっている。ゲーチスがその能力を全開放すれば、それは身の破滅だと。

 寿命を縮めるだけの結果であるのは何度もデータで試算した。

「どうすればいい……。ゲーチス様はせっかく、ここまで来たんだ! ここまで来ておいて今さら、後戻りは出来ない」

「気持ちは分かりますが、打破するのには我々だけでは足りません」

 歯噛みしかけてハッと気づく。

 我々だけでは、とこの男は言ったのか。

 顔を上げる。アクロマは読めない笑みを浮かべていた。

「アクロマ……。策は、あるのだな?」

 その声音にアクロマは指を立てる。

「一つだけ。当てはあります」

「あるのだな! ならばいい。それにすがるしか、我々にはあるまい」

 アクロマは通信を繋いだ。先ほどからオープンにしていたらしい。すぐにマイクに吹き込む。

「との事です。あなたとの協定に、サインすると言っています」

 どこに通信しているのだろうか。アクロマの返事にノイズ混じりの音声が返ってきた。

『そうか。それならばいい。おれとしても、満足行く結果だ』

「誰だ……?」

「よく知っているはずですが、まぁいいでしょう。契約するのに、顔が見えては逆に不都合な場合もある」

 何を言っているのだ。ヴィーツーが問いかけようとすると通信先の声が笑みを含んだ。

『プラズマ団は結局、ゲーチスの再生に手間取っている。その間に、ヤマブキは堅牢な城壁と化す。そうなってしまえばそれまでだ。もうあなた方のような素人集団では及びもつかない領域へと足を踏み入れるだろう』

 素人集団。そう断じられてヴィーツーは怒りが湧いてきたが、堪えた。ここで下手に騒いで反故にするよりも、優先すべき事がある。自分のつまらぬ矜持でゲーチス復活を止めてはいけない。

「……何者かは知らんが、ゲーチス様を、復活出来るのだな?」

『条件がいくつかあるがね』

「条件?」

 嫌な言葉だ。何度、このヤマブキで聞いた事だろう。突きつけられて不利なものしかこの世にはないのではないか、と錯覚させられるほどだった。

『まずは波導使い、アーロンの始末』

 だからこそ、その条件が意想外であった。アーロンとの決着はいずれつけなくてはならないと思っていただけに、相手から言われるとは考えつかなかったのだ。

「波導使いとの? どこまで知っている?」

 内通者を勘繰らざる得なかった。しかし、通話先の相手は嘲るばかりである。

『波導使い一人も殺せなくて、天下のプラズマ団とはお笑い種だ。支配が欲しいのだろう? ならば、今まで障害になってきた男一人くらい、殺してみせろよ』

 幾度となく煮え湯を飲まされてきたのは事実。アーロンを殺すのは前提条件のうちの一つであった。このヤマブキをプラズマ団の支配に加えるための。

「……考えてはいたさ。だがね、あの波導使いを、……忌々しい事に倒す手段が見当たらない。どんな暗殺者でも失敗する。あのハムエッグと一時的な協定も結び、スノウドロップによる真価も見た。だが、最強と言われるスノウドロップでさえも返り討ちであった。どうあって、奴を殺せる? そのプランを知りたい」

『他者を頼るか』

 屈辱だが仕方がない。プラズマ団の擁する戦力では、最早太刀打ち出来ない。

「……ああ。もうこちらの立ち位置などにこだわっている場合ではないのでね。波導使いを殺せるのならば、何でもしよう」

『ゲーチス復活に賭ける思い、伝わったよ。その言葉が聞けただけでも上々だ』

 一体、この通話口に立っている人物は何者なのだ。先ほどからヴィーツーは節々に憤りを感じていた。

 どこかで自分を小ばかにしている。今の境遇にある自分を、嘲っている。

 それに、知っている口ぶりだ、とも思っていた。どこかで、この人物と自分は会った事がある。しかしそれがどこだったのか、まるで思い出せない。

「では、あなた方の持つ高速演算チップ、渡してもらえるという事なのですね?」

 アクロマの声にヴィーツーは眉根を寄せる。

「高速演算チップ?」

「ヴィーツー様。脳の修復と、全盛期のものを用意するのは、確かに不可能に近い。ですが、脳を加速させ、その演算速度を上げる事は、可能なのです。赤子を一瞬にして老練たる戦士に変える事すら可能な技術。それが、彼らの示す高速演算チップです」

 ヴィーツーはその響きに胡乱なものを感じていた。そのような都合のいいものが存在するのか。

「……そんな画期的な技術があれば、どうして企業に売らない?」

「我々に支援する、と彼らは言っているのですよ。そうする事で、最終的な利益を得るのだと、理解しているのです」

 アクロマはどこか興奮気味に語った。この男が真に欲しているのはゲーチスの復活ではなく、その高速演算チップとやらのデータだろう。

「どうして、その高速演算チップとやらを、我々に売る気になった?」

『将来を見越しての判断です。このカントーの将来。引いては、全ての人類の未来』

 どこまでも傲慢な、とヴィーツーはその言葉を受け取る。人類の未来? そんなものを天秤にかける物好きがどこにいる?

「その高速演算チップとやら、当然動作保障くらいはしっかりしているのだろうな?」

「ご安心を、ヴィーツー様。これこそが高速演算チップのコアです」

 コンソールに送られてきたのは圧縮されたプログラムであった。ヴィーツーは怪訝そうにする。

「何だそれは?」

「OSです。ヤマブキでつい最近、ホウエンから送られてきた画期的なOSを巡り抗争があった事はご存知ですよね?」

 プラズマ団が介入する暇がないほどに様々な人物が入り組んできたあの事件か、とヴィーツーは納得する。この国の軍部が動いたせいで、プラズマ団は下手に手出しが出来なかったのだ。

「軍の欲しがっていたOSだろうに」

「そのOSの発展型ですよ。ようやく手に入った……!」

 プレゼントを受け取った子供のようにはしゃいで、アクロマが解凍する。圧縮されたプログラムが開き、勝手にプラズマ団のコンソールを支配し始めた。様々なモニターが瞬時に書き換わっていく。

「アクロマ! やめさせろ!」

「やめさせる? 冗談じゃない。これで、プラズマ団は最強の防壁を手に入れたも同義」

 口角を吊り上げたアクロマにヴィーツーは絶句する。書き換わったモニターが元の画面に戻った。しかし、それが先ほどまでと異なるのは、中央に少女のアバターが映し出されている事だ。

 白衣の少女からは翅が生えており、翅は神経のようにプログラムに張り巡らされていた。

 茫然自失のヴィーツーが呟く。

「これは……」

「電子の妖精ですよ」


オンドゥル大使 ( 2016/08/08(月) 20:32 )