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迫撃の鈍色、裏切りの傷
第九十七話「フロンティアの地平」

「アンズちゃん、帰ってきたみたいだよ」

 店主の一報を聞くなり、アーロンは部屋へと駆け上がった。

 扉を開けると、何食わぬ顔でアンズがテレビを観ていた。

「あっ、お兄ちゃん。どうしたの? 慌てて」

「お前っ……。何故だ」

 覚えず詰問していた。アンズは小首を傾げる。

「何故、何も言わず、消えていた?」

「変だなぁ、お兄ちゃん。あたいは暗殺者だよ? そりゃ、仕事の一つや二つは」

「違う。お前を使ったかどうかはハムエッグとホテルに聞けばすぐに分かる。お前は、全くの独断で、何か裏で動いていたな。何をしていた?」

 アンズは参ったなぁ、と微笑んだ。

「お兄ちゃん、顔怖いよ? 朝帰りした女の子がそんなに心配?」

「俺からしてみれば、朝帰りした暗殺者の無事よりも、その暗殺者の餌食となった人間のほうを心配する」

 アンズはフッと口元に笑みを浮かべた。

「敵わないなぁ、お兄ちゃんには。で? どこまで分かっているの?」

「お前が、シャクエンにも馬鹿にも何も言わず、ここ最近動いている事だ。ハムエッグに問い質せば答えは聞けそうだが、俺は借りを作りたくはないのでね。お前に直接聞くぞ。何をやっていた?」

「怖い顔。お兄ちゃん、最近忙しそうだったから、言いそびれちゃって。実は父上から仕事を請け負っていて、その関係ですれ違ったんだよ」

「キョウ、か。瞬撃のアンズとしての行動なのだろう? 何だ? キョウはお前に、何を命じた?」

「何だっていいじゃない。だって親子だよ?」

 かもしれない。自分のような一介の殺し屋が口を挟める領域ではないのかもしれなかった。

 だが、その歪な親子関係を、自分は誰よりも知っているつもりだ。

「……石化の波導使いか」

 キョウから聞き及んでいたキーワードを口にすると、アンズの纏っている気配が変わった。

 鋭く、針のような集中と眼差しが自分を射る。

「知っていたんだ。知っていて、黙っていたんだね、お兄ちゃん」

「答えろ。石化の波導使いと、無関係ではないのか?」

「父上をあんな風にしたそいつを、あたいは探している。それくらいは分かっているよね?」

「復讐か。だが、石化の波導使いの情報はない。ヤマブキの情報を掻き集めたって見つからないんだ。諦めろ」

「分からないじゃない。その情報は所詮、客観でしょう? あたいが探しているのは、無意識の主観の情報」

 アンズの言わんとしている事が分からず、アーロンは眉をひそめる。

「石化の波導使いに会った人間がいるといいたいのか?」

「少なくとも一人は」

 誰だ、と思案を巡らせようとしたその時、階段を駆け上がってくる足音が耳朶を打った。

「アンズちゃん!」

 メイだ。必死の形相でアンズの姿を認める。

「あれ? お兄ちゃんとメイお姉ちゃん、二人で出かけていたの? ……ああ、じゃあスノウドロップ、まだ再起不能ってわけじゃないんだ」

「瞬撃。何が気に食わない? お前は、満たされているだろう?」

「あのさぁ、親がいるイコール満たされているって考え方、あたい嫌いだよ」

 飛び出したスピアーがアーロンへと針による攻撃を放とうとする。即座に反応して飛び退った。階下に降り立ったアーロンへとアンズが手を振る。

「バイバイ。お兄ちゃん。それだけ言いに来たの。もう、会う事はないと思うから」

 スピアーが瞬時にエネルギーの甲殻を身に纏い、メガシンカを果たす。メガスピアーが高周波の羽音を散らして部屋の天井を破った。

「行くな! 瞬撃!」

 アーロンは手元にボールを手繰り寄せる。だがアンズはもう迷っている様子はなかった。

「さよならみたい。メイお姉ちゃん、楽しかったよ」

「どうして……。突然にさよならなんて……」

 メイもこの状況を判断出来ないのだろう。ただただ首を横に振るだけだ。

「やらなきゃいけない事があるんだ。そのためには、お兄ちゃん達と一緒にはいられない。これは、あたいだけの問題だから」

「違う、違うよ、アンズちゃん……。分け合ってよ。あたし達、みんな一緒だったじゃない!」

 その言葉にアーロンはハッとしてしまう。

 前回、シャクエンを追っていた時、ハムエッグはこう口にしていた。

 ――いつまでもその関係が続くと思うな。

 ぬるま湯の関係に浸かっていたかったのは自分だったのかもしれない。

 所詮、殺し屋は殺しに生きるしか、方法がないのかもしれなかった。

「俺が、間違っていたのか……」

 まだ戻れるかもしれないと思っていたのは、本当は自分だったのか。

 飛び立とうとするアンズを制する力がない。

 天上を破ったメガスピアーが追えない速度に入ろうとした、その時である。

 黒いポケモンがメガスピアーの背後を取った。

 その気配にメガスピアーが瞬時に悟って針を突き出す。

 その針と噛み合ったのは思念の刃であった。紫色の刃が拡張し、ブゥンと空間を裂く。

「この気配、知らない奴……」

 アンズは手を払う。メガスピアーの「ミサイルばり」で針を引き剥がし、結果的に距離を取った。

 天井に降り立った黒いポケモンは人の形を取っていた。腹部に肋骨の形状の刃があり、両腕にも鋭い刀身を備えたそのポケモンはまさしく騎士の威容を伴っていた。

 黒いポケモンがこちらへと一瞥を投げる。

 来るか、と身構えたアーロンであったが、その攻撃の矛先はアンズに固定されているようだった。

 すぐさま跳躍し、黒い瘴気を纏った刃が顕現する。

 片腕が何倍にも膨れ上がり、発振した黒い瘴気がメガスピアーへと突き刺さろうとした。メガスピアーからアンズは離脱し、ビルの屋上へと降り立つ。

「何者!」

 印を結んだ形のアンズは周囲に気配を探っているようだった。

 アーロンは覚えず駆け出していた。

 店主の制止を乗り越え、アーロンも気配を探る。波導感知を全開にして黒いポケモンを操っているトレーナーを探そうとした。

 すると、街中に紛れている二人組を発見する。

 一人は少女であり、桃色の寝巻き姿であった。それに追従する紳士から黒いポケモンを操っている波導を感知する。

「お前……!」

 アーロンの殺気に向こうも気がついた様子だった。紳士は眼鏡のブリッジを上げて意外そうな声を出す。

「これはこれは。まさか波導使いアーロンとかち合うとは思ってもみなかった」

「何者だ」

「失礼。名乗りが遅れた。私の名はコクラン。カトレア様の執事を仰せつかっている、コクランだ」

「俺の事を知っている、という事は、殺し屋か」

「その名称は正しくはない。私の通り名はキャッスルバトラーでね。バトルフロンティアという場所で普段は挑戦者を待ち構えている」

「そんな奴が、どうしてヤマブキにいる? 何故、瞬撃を狙う」

 アーロンの問いに、コクランは解せないとでも言うように眉根を寄せた。

「分からない。分からないな、波導使い。あなたほど著名な人物ならば、分かっているはずだ。瞬撃のアンズ。あれは殺し屋だ。何で庇おうとする?」

「……悪いがこっちにも聞きたい事があるのでな。それを聞くまでは死なせるわけにはいかない」

「なるほど。だが、キリキザン」

 黒いポケモンの名を呼び、コクランは目線を振り向ける。

 それだけでキリキザンはメガスピアーと切り結んだ。メガスピアーの針による突撃を、キリキザンは刃の両腕でいなす。

 手数ではキリキザンのほうが上回っているように思われた。

 メガスピアーが羽音を散らせて高周波の中にキリキザンを落としこもうとする。

 だが、キリキザンはまるで意に介せず、攻撃の手を緩めない。

「高周波による相手の脳波を乱し、混乱させる。人間にも有効だが、生憎とキリキザンは鋼を有する。鋼の脳髄に、その程度の揺さぶりは……」

 コクランが手を払うとキリキザンが身体を開いた。メガスピアーの「ミサイルばり」が直撃するが、その攻撃の余波が腹部に集中する。光が瞬いた直後、刃の散弾がメガスピアーを襲った。

 反射攻撃だ、とアーロンは判ずる。

「通用しない。メタルバースト。鋼鉄の反射をスピアーはどう受け止める?」

 メガスピアーの身体が切り裂かれる。ほう、とコクランが感嘆の息を漏らそうとしたが、それが無駄だとアーロンは感じ取った。 

 残像によるデコイである。

 切り裂かれたのはメガスピアーの速度による残像現象であった。

 既に本体はアンズとともに戦闘領域を離脱していた。

「残念。仕留め損なったか」

 コクランが踵を返そうとする。アーロンはその背中に声を投げた。

「待て! 貴様らは何の目的で、瞬撃を狙う?」

 コクランは振り返り、眼鏡のブリッジを上げた。

「こちらも理解し難い。何故、天下の波導使いが小悪党を匿う?」

 アーロンが返事に窮しているとコクランは頭を振った。

「まぁ、いいでしょう。あなたの疑問から答えます。我々は依頼を受けたのです。それを達成するためにこの地を踏んだ」

「瞬撃が、何かを行ったのか?」

「……匿う割には知らないのですね。ある薬物の流通に関わっていると判断され、我々が遣わされたのです。本国では、その薬物の危険性にいち早く気づき、実力のあるフロンティアブレーンを派遣させた。他の地方でも同時進行的に動いています。私の仲間達が、薬物の流通を促進させる恐れのある悪党を懲らしめているでしょう」

 薬物? どうしてそれとアンズに何の関係があるのだ。アーロンが分からないで言葉を発しあぐねているとコクランは顎に手を添えた。

「本当に知らない? この街では有名ではないのか」

「どういう意味だ」

「プラズマ団。存じているのでは? 本国ではプラズマ団残党勢力の最終目的を察知し、その阻止のために動く事を決定した。あなた方ヤマブキの住民は彼らを安く考え過ぎている。プラズマ団を素人だと判じるのは分からなくはありませんが、そのトップとなれば話が別」

「だから、何の事を言っている?」

 これではまるで平行線だ。アーロンとコクランの間に降り立っていたのは理解力の差であった。同じ事を考えているはずなのにどうしてだか向こうとは食い違う。

「……これでは意味がありませんね」

 コクランもそれを感じ取ったのか、キリキザンを手招いて傍らの少女を守らせた。

「正式に、国際社会から排斥を受けているのですよ。プラズマ団なる組織は。このカントーに逃げ込んだのは分かっているのです。だからフロンティアブレーンである我々が動き出した」

「だから、あの素人集団が何故そこまでの脅威なのか、俺にはまるで分からないといっているんだ」

「困りましたね……。ヤマブキという街が特殊なのは知っていますが、一部の情報の速度はあり得ないほど速いのに国際的な事を考えればまるで鈍行だ」

 顎に手を添えて考え込むコクランにアーロンは戸惑う。

 ヤマブキシティのシステムのせいで、自分達が遅れを取っているというのか?

「プラズマ団は、何を知っている?」

「メモリアなる薬物の流通。それに関わった人間は我らフロンティアブレーンによる粛清対象となっています。あの瞬撃のアンズも、メモリアの流通に噛んでいるとの情報を得ました。これは確定情報です」

「そんな馬鹿な……。今の今まで居場所さえも分からなかった奴が、どうしてお前らに」

「だから、システムの質が違う、と言っているのですよ。あなた方の使うシステムは確かに素早く、効率的で合理的です。だがどこかを欠いている。それは主観性が強かったり、ある意味では何一つ俯瞰出来ていなかったりする面です。このヤマブキという盤面で戦うにしては、少しばかり迂闊が過ぎる」

「迂闊、だと」

 噛み付きかねないアーロンの剣幕にコクランはただ頭を振った。

「あなたもまた、分からないですね。殺し屋同士が仲良く暮らしている、というのが」

「アーロンさん!」

 弾けた声にアーロンは視線を振り向ける。飛び出してきたメイを目にして、コクランが明らかに狼狽した。

「馬鹿な……。その少女は……」

 コクランが端末を取り出して忙しく動かす。アーロンは手で制した。

「離れていろ」

「でもっ! アンズちゃんが一人になっちゃいます!」

「今は、この目の前の二人が敵になるのか、味方になるのかも分からない」

「やはり、あった。照合完了……。イッシュの、プラズマ団を壊滅させた記録。照合トレーナーの名は、N」

 アーロンは胡乱そうな顔をした。その名前はメイの持っていたポケモン図鑑の持ち主である。

「こいつはその名前ではない」

「いいえ、間違いありません。Nは行方不明を装って化けた。Nのあの姿は仮初めであった説も浮上してきている。重要参考人です。来てもらいましょうか」

 コクランが歩み寄ってくる。アーロンはモンスターボールを手にした。

「そこから一歩でも進めば、お前は後悔する」

「解せませんね。本当に、あなたは。波導使いアーロン。Nにせよ、瞬撃のアンズにせよ、あなたは静観しておくだけでいい。何もしなければあなたを害するような事にはならない。だというのに、意味が分からない」

「俺も、この連中を守る事に不安はある。分からない部分もな。だが、それ以上に、お前らを信用出来ない」

「なるほど。それは対立するのに足る理由ですね」

 緊急射出ボタンを押し込み、声にする。

「エリキテル!」

「キリキザン。行きなさい」

 弾き出されたようにキリキザンが駆け出した。モンスターボールから出てきたエリキテルがアーロンの肩に留まる。

「パラボラチャージ!」

 電気の皮膜が拡張し、瞬間的に壁を構築する。キリキザンがそれを引き裂いた瞬間、キリキザンのエネルギーの一部が吸収され、エリキテルに還元された。

 これが「パラボラチャージ」。電気による吸収攻撃である。

 しかしこの程度で怯むのならばフロンティアブレーンなど名乗りはしないだろう。

 キリキザンは片腕に手を添えて一気に闇の刃を引き出す。舞うように闇の刃を足に纏いつかせて滑走した。

「辻斬りはただ単に攻撃に使うだけではない。こういう風に物理法則を捩じ曲げて相手の隙を突く事も出来る」

 コクランの言う通り、キリキザンの次の動きは読めない。瘴気によって足元が隠され、筋肉の伸縮による関知を困難にしているのだ。

 だが、こちらには波導がある。

 波導はどの生物でも平等だ。たとえ闇の刃で隠していても隠し切れないのは波導の流れである。

「エリキテル、行くぞ」

 アーロンの声にエリキテルが垂れているひだを電流で上げた。放出されたのは電気ワイヤーであった。キリキザンの行く手を遮った「エレキネット」の一部がその出鼻を挫く。

「エレキネット、だと……」

「釈迦に説法かもしれないが、ポケモンの技は一面だけで使うものではない」

 電気ワイヤーがキリキザンの腕に絡みつく。

 今だ、と電撃を流し込んだ。

 キリキザンの鋼の頭部が震え、全身が痙攣する。

 命中した、という確信があったが、キリキザンには麻痺の効果も感じさせなかった。跳躍し、一気に距離を詰めてくる。

 アーロンは飛び退ってキリキザンの瘴気を纏った飛び蹴りを回避する。

「何故、麻痺しない?」

「麻痺、というものは確率です。確実に麻痺させる技であっても、確率変動によって体内に残った麻痺の効力を消す事も出来る。それは熟練した、ポケモンとトレーナーの辿り着く境地」

「麻痺を、確率変動で打ち消した、というのか……」

 あり得ない、と断じたかったが今のキリキザンの健在がその証拠。

 コクランほどのトレーナーとなれば状態異常を確率の世界で消す事が出来る。

 となれば確実な攻撃が必要であった。

 キリキザンを狙うのでは消耗戦だ。

 コクランを討ち、この戦いを終わらせるしかない。


オンドゥル大使 ( 2016/07/24(日) 22:52 )