第九十六話「朧月」
「そういやガキが」
切り出した売人の男の声にヴィーツーは眉を跳ねさせた。
「ガキ? 何だ、人さらいの仕事など頼んでいないぞ」
「いえ違うんですよ。こっちの、メモリアの流通を探ってくるガキがいまして。そいつをとっ捕まえてきたんで、後の処理をお伺いしたくって」
男はメモリアの常習者だ。話している内容が夢の中の内容であってもおかしくはない。だが、ここまで車を走らせてきたのは男であった。
ヴィーツーが見渡したのはヤマブキ南部の倉庫外である。プラズマ団が一時的に居を構えており、普段は決して姿を見せない自分を含む幹部が揃っている。
アクロマは来なかったな、とヴィーツーは今さらに感じる。
ヤマブキという街に呑まれ、プラズマ団は行き場をなくしているに等しい。
この街に干渉してからというものろくな目に遭わない。
「それもこれも……あの忌々しい波導使いのせいか」
「波導使い? ああ、いますね、暗殺者。でも風の噂でしょう? マジにいるんですかね?」
この男は所詮、流通に一枚噛ませただけのチンピラ。余計な事を教える必要はなかった。
「そんな噂もあったな」
「でしょう? マジに暗殺者なんてそこいらにいるわけないんですよ」
ツヴァイからの定期連絡も途絶え、あの男の死を証明していた。
恐らくはアーロンの仕業。
だが報復よりも今のプラズマ団には必要なものがある。
絶対的な指導者の存在。ゲーチスの復活計画。
ツヴァイの使った波導によってゲーチスの目覚めは促進されたもののあと一歩足りない。その一歩の補充が、メモリアには必要なものであった。
「しっかし、分かりませんねぇ。こんなマイナーで妙に値の張るヤクなんてプラズマ団ほどの組織が買い取る理由が」
「それ以上の詮索はお勧めしない」
「分かっていますって。オレだって絶対にこの流通は明かしません。そもそも縄張り意識が強いんすよ、ヤマブキって」
「ハムエッグに、ホテル、か……」
煮え湯を飲まされた相手だ。スノウドロップを利用してアーロンを殺そうと画策したものの、それは結局プラズマ団にとってマイナスに働いてしまった。
それどころかあの一夜で頭角を現した人間も数多い。全く、ヤマブキという街は底が見えない。
「ハムエッグに流通押さえられたらその時点で儲けがパアですよ。あの強欲ポケモン、そういうところだけはきっちりしていますからね」
「能書きはいい。お前にはもう一つ、命じていたな」
「ああ、スノウドロップの噂ですか。ありゃあ、ないっすよ。絶対に、スノウドロップは復活しません」
「その論拠は?」
男は頭を掻いて思案する。
「統計、ですかね……。スノウドロップの脅威ってもんが今までヤマブキの頭上に垂れ込めた暗雲みたいにずっとあったんですけれど、それがサッパリなくなってもう一ヵ月。これほどの期間、ハムエッグが沈黙を守った事はありません。つまり、もう使い物にならなくなったんじゃないか、って可能性がでかいんですよ」
「なるほど……。だが、スノウドロップの弱点は常に探っていてくれ。そうでなければもしもの時に、柔らかい横腹を突かれるのは面白くない」
ゲーチスの目覚めの際には一番にヤマブキを無力化する。そのためにはスノウドロップの気配を探るのは必定。
アーロンとの一騎討ちでスノウドロップはもう使い物にならなくなった。
その情報は確かに何度か仕入れたものであったが確定情報ではない。
何よりも――ホテルとハムエッグ両方が情報面では上を行っている。ホテルを介していない情報は説得力がない。逆もまた然りである。
公式にハムエッグがスノウドロップの無害化を明言する事はないとしても、メガシンカにユキノオーの凍結能力は自分達にとって最大の毒となるだろう。
「はい、分かっておりますよ。ですが、スノウドロップなんてもう古いって風潮ですよ? 大体、あの強さだってホテルとハムエッグの共謀で作られた強さだったって言われていますからね。拮抗状態を作り出す事によって他の組織の動きを抑制する。つまり、出る杭は打たれるってのを、圧倒的な強さの象徴としてスノウドロップを置いただけの話で」
別段、スノウドロップではなくともよかった、という話だろう。それも聞き飽きていた。
「スノウドロップの強さは所詮、見せかけ……張りぼてであったと言いたいのか」
「トレーナーなんてもっと強いのがいますって。スノウドロップが強かった証明なんて、結局は上層階級の連中の幻想だったんじゃないですか?」
この男のように搾取される側となればスノウドロップの強さなど埒外なのかもしれない。さもありなん、とヴィーツーは感じていた。
「幻想であろうとなかろうと、役目は果たせ。メモリアの買い取りだが」
ヴィーツーが顎でしゃくると、プラズマ団員が歩み出てきて料金を提示した。その額に男が笑みを浮かべる。
「いいんですかね。こんな、効果もさほどない、クスリでこんなに儲けさせてもらって」
「こちらとしてもリターンがあるからやっている取引だ。メモリアをしばらくは市場流通させて欲しい。現在の量の、倍は要求したい」
「いいですけれど、元はイッシュのクスリでしょう? そっちのほうが手に入りやすいんじゃ?」
「……我々はもう、イッシュの地は踏めん。あの場所から追放されたも同義。せめて成果を挙げなければおちおちと帰れるものか」
イッシュでのプラズマ団の排斥運動は根強い。あの場所でもう一度栄光を得るためには、英雄の因子とゲーチスの復活は最低条件である。
「まぁいいっすけれど、イッシュからの仕入れにも金がいるんですよね」
こちらからぼったくれるだけぼったくろうという魂胆なのだろう。ヴィーツーはこの男の薄っぺらさに舌打ちする。
「いいとも、いくらだ?」
「今提示された額の倍」
「……考慮しよう」
「頼みますよ。ああ、それで、ガキですが」
またその話か、とヴィーツーはメモリアの入ったアタッシュケースを受け取りつつ辟易する。夢か現実か分からない話をされるのは気分が悪い。
「あの車に乗せたんで、あとで売るなりなんなり好きに――」
その声を引き裂くように、高周波の羽音が響き渡った。
突然の羽音の連鎖に、平衡感覚を狂わされた団員や男が膝をつく。
ヴィーツーだけがその中でまともに立っていられた。
「何だ、レパルダス!」
飛び出したレパルダスが高周波の根源である車体を、刃の鋭さを誇る尻尾で切り裂いた。
中から飛び出したのは全身これ武器、という容貌の虫ポケモンである。
鋭利な両腕の針。加えて凶暴性の高さを窺わせる赤い複眼。背筋から生えた無数の翅が擦り合って人間の脳幹を刺激する音程を奏でている。
「何だ、あのポケモンは……。どこから出てきた?」
「――メガシンカ、メガスピアー」
響き渡った声にヴィーツーが反応してレパルダスを弾かせる。しかし、それよりも遥かに素早く、メガスピアーと呼ばれたポケモンが道を塞いだ。
暗がりの中、一人の忍者装束の少女が手で印を切って佇んでいる。
「何者……」
「名乗るのならば、セキチクの暗殺名家の跡取り。瞬撃の異名を取る」
――瞬撃。
話には上がった事がある。波導使いアーロンの首を狙うためにヤマブキ入りした暗殺者のリストの中にその異名があった。
しかし既にアーロンによって殺されているものだとばかり思っていたのだ。
「その瞬撃が何故、このような真似を」
蹲る男と団員の中、ヴィーツーだけが対峙出来ている。しかしレパルダスでは駄目だ。このメガシンカポケモンを相手に立ち回れる気がしない。
「メモリアの高額流通。その流れにプラズマ団が噛んでいると聞いた」
その言葉にヴィーツーは目を見開く。
――この小娘、どこまで知っている?
自分達がメモリアを集める真の目的まで知っていて邪魔立てするのか。
「……あれはただのクスリだ。ヤマブキでは金になるから噛んでいるだけの事」
「なら、取引をしない? あたいと」
「取引?」
交わされる会話はどこか平行線だ。瞬撃の考えている事がヴィーツーには分からない。
「メモリアの一部でもいい。あたいに渡してみないかって言っている」
「気でも狂ったか? メモリアは渡せない。これは我が組織に必要なものだからだ」
「そう。だったら」
瞬撃が手を払うとメガスピアーが突き進む。針を突き出した一撃をレパルダスがいなすが、明らかに速度負けしている。
即座に背後を取ったメガスピアーがわざと峰打ちをしてレパルダスの背筋を叩きつけた。表皮を切り裂き、殺す事も出来た。
取引、というのは本気らしい。
レパルダスに戦わせるのは難しそうであった。ヴィーツーは口を開く。
「何故、メモリアがいる? その理由如何によっては、取引のレートに上げてもいい」
「理由はシンプル。復讐のためにいる」
復讐? 瞬撃の復讐の相手は波導使いではないのか? 何故、メモリアというクスリに頼る必要がある?
ヴィーツーは考えを巡らせたが答えは出なかった。
「……その技量でどうにもならない事なのか?」
「強くても、意味のない事はある。今回がたまたまそれだというだけ」
メモリアを取引材料として渡せば、この場の密約は交わされる。瞬撃、という駒を手に入れるのは長期的な観点から見て利益はありそうであった。
だが、ヤマブキの殺し屋は基本的に信用出来ない。それはアーロンの例を見るまでもなく明らかだ。
殺し屋の判断基準は、自分に最終的なリターンが返ってくるかどうか。組織ほどの雁字搦めでもなければ、単独の愉快犯ほどの迂闊さもない。
暗殺者を相手取るのは危険だ。
それはカントーに渡って間もなく感じ取った事でもある。
殺し屋のメンタリティは自分などでは推測すら出来ない。
だから何を考えている、という問いは意味を成さないのだ。この場合、瞬撃と取引するか否かだけ。
「……いいだろう。メモリアの一部が欲しいのならばくれてやる。ただし、条件として、利益は」
「要らない。あたいはメモリアを一定量集められればそれでいい」
奇妙な提案であった。
自分達の真の目的のためにはメモリアが多量にいる。その邪魔立てをしたくってここに来たにしては随分と無欲である。
メモリアが生み出す利益を得るためでもなく、ましてや自分で使うわけでもないのだろう。
何のために、と口を開こうとして、それは無駄だと先刻悟った事を思い返した。
「分かった。だが、継続的な取引には信用が必要だ。この場合、動けない仲間を無事に帰してもらいたい」
瞬撃が指を鳴らすとメガスピアーの羽音が一切聞こえなくなった。
空恐ろしくなる。
このメガシンカポケモンは無音の攻撃さえも可能なのか。
まさしく暗殺者、とヴィーツーは身震いした。
立ち上がった男と団員が頭を振って持ち直す。
「このガキぃ……。殺してやってくださいよ!」
「駄目だ。聞いての通り、我々は瞬撃と取引する。利益の還元は本当に、要らないのだな?」
「確認するまでもない。あたいが欲しいのはそれだけ」
ヴィーツーはアタッシュケースから多量のメモリアを差し出し、瞬撃の手に乗せる。
瞬撃は一歩退いたかと思うと、メガスピアーが巻き起こした音叉の烈風に紛れて消えていた。
一瞬の幻のような殺し屋であった。
「な、何だってんですかい? あのガキは」
「殺し屋、瞬撃と言っていたな」
男が息を呑む。まさか拉致した子供が殺し屋だとは思わなかったのだろう。
「瞬撃……。倒されたって聞きましたが」
「生きていた。というよりも、息を殺して待ち構えていた、か。だが何故だ? 無駄かもしれないが、それだけが疑問だ。こんな、利益にもならない、大した効力もないヤクを、何故奴も追っている?」
その疑問は闇の中に溶けていった。