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迫撃の鈍色、裏切りの傷
第九十三話「退屈」

「はい、ミアレガレット十六個をご注文のお客様ー」

 呼ばれて一人の男が立ち上がった。カロスからの直通専門店でカフェテラスになっている店内で持ち帰りのミアレガレットの大袋を手にしたのは背の高い男である。黒い紳士服はパリッと糊が利いており、どこからどう見ても隙のない紳士であった。

 髪の毛もぴっちりと固めており、ガレットを買い込むような人物には見えない。

「ありがとうございます」

 紳士は料金を払い、座席へと戻っていった。

 座席には眠りこけている少女が椅子に座っている。こっくり、こっくりと首を項垂れさせていた。

「ガレットを買ってきました」

 その報告に少女は眠気まなこを擦って声にする。

「ガレット。わたくし、ガレットはとても好物なのです」

「カトレア様。私はまだこの街の安全を保障出来ません。なので、ガレットをお召し上がりの際には一度、私に毒見をさせてください」

「うん……。好きにして……」

 カトレアと呼ばれた少女はピンクを基調とした寝巻きのような服装をしている。どう考えても紳士とは真逆だ。

「それでは、失敬を」

 紳士は眼鏡のブリッジを上げてガレットを一つ頬張る。他の客からしてみても異常だ。直立不動のままガレットを食べる紳士と、眠りにつこうとしている少女。

 あまりにちぐはぐな組み合わせに、ひそひそ声を交し合う。

「……ねぇ、何あれ?」

「分かんないけれど、イケメンだよね、あの人」

「声かけちゃう?」

「駄目だって。多分、あの眠っている子が彼女でしょ」

「分からないよ、妹とかかも」

「妹に様はつけないでしょ」

 ざわめきも風と受け流し、紳士はガレットの毒見を済ませてカトレアの肩を優しく揺さぶる。

「カトレア様。少しばかり人気も増えてまいりました。移動しましょう」

「えっ、うん……。好きにして……」

 では、と紳士はガレットの大袋を小脇に抱えたまま少女をおんぶした。その様子に若者が哄笑を投げかける。

「おい、見ろよ、あれ! どこのご令嬢様だよ」

 たった一言であった。たった一言の嘲笑。

 しかし、その一言に、紳士は目線を振り向ける。

「今、何と言った、貴様」

 紳士は少女を降ろしてすたすたと歩み寄る。そのあまりの隙のなさに男がうろたえた。

「な、何って……。いや、別に」

「嘘だな。貴様、私とカトレア様の関係を侮辱したな?」

「ぶ、侮辱って。ちょっと笑っただけだろうに。なぁ?」

 連れ合いの男達へと同調を促す。三人組は問題を起こすつもりはないようだったが、紳士はそうではない。

 眼鏡のブリッジを上げて冷静を取り繕うとしているが、明らかなのは殺気だ。

 男達を見る眼差しが、まるでゴミを見るような目つきなのである。

 遂には男達の一人が逆上した。

「何だ、てめぇ! インネンつける気か?」

 ガンを飛ばす男に紳士はいささかもうろたえず、声にした。

「離れろ、下郎。汚らしい唾が飛ぶ」

「嘗めてんのかって言ってんだよ!」

 もう一人の男も紳士を睨み上げた。しかし紳士はどこ吹く風で懐中時計を取り出す。

「一分だ」

「あん? 何がだよ」

「一分で駆除してやる。かかって来い」

 紳士の挑発に男が拳を振り上げた。命中するかに思われたが紳士はすっと身をかわすだけでその拳をギリギリで避ける。

 ガレットの大袋を持っているにもかかわらず紳士の挙動に迷いも鈍りもない。

「野郎!」

 拳をかわされた事で余計に腹が立ったのだろう、男は紳士に掴みかかる。襟元を掴まれた紳士は冷徹に告げた。

「今ならば、離れられる。離れれば、命は助けてやる」

「どの口が言ってんだ、てめぇ! 命が危ないのは、てめぇのほうだよ!」

 拳が振るわれたかに思われた。

 だが、振るわれた拳は虚しく空を切る。

 男にもわけが分からなかったのだろう。

 何度も目をしばたたいて不思議そうにしている。

「ナイスボーイ」

 紳士はそう口にして男を突き飛ばす。

「何すんだ! てめぇ――」

 追いかけようとした男はつんのめった。

 理由が分からない。

 何をされた、ともう二人に視線を投げようとして二人ががくがくと震えているのが目に入った。何をそんな怯えているのだろう。

「おい、馬鹿にされて悔しくは――」

「悔しいだとかじゃ……、ねぇって、お前。それで、何も感じないのか?」

 歯の根の合わない男の声に疑問を発する。

「何も感じないって、そりゃあキレてんよ! あいつに対する殺意がプンプンだぜ!」

「違う! そうじゃない! そんな状態で、何も感じないのかって言ってんだ!」

 必死な二人の声音に男はようやく自分の身体の異常に気がついた。

 手首から先がなかった。それだけならばまだいい。

 足もだ。足首から先がぴっちりと、断面から血の一滴も滴らせずに切り取られている。

 痛みもない。

 だというのに、いつの間にか――斬られていた。

 男が遅れて悲鳴を発した時には、紳士は既に遠くに離れていた。

「喧しい輩の多い事です。この街は」

 紳士の言葉に背中のカトレアが呟く。

「ねぇ……コクラン。わたくし達の目的、は」

「承知しております。暗殺対象の呼称は確か――瞬撃。瞬撃のアンズ、と聞いております」

「瞬撃……。どこまでやるのかしら?」

「分かりませんが、拮抗する相手ならば、カトレア様の戦闘本能を満たせるかと」

 カトレアと呼ばれた少女は欠伸をする。

「せめて、この眠気を晴らしてくれるような殺し屋だと……わたくしは嬉しいわ」


オンドゥル大使 ( 2016/07/19(火) 19:20 )