第九十一話「相棒」
取引に現れたのが自分のような子供であった事にまず、売人は驚いたようだった。
次いで金はあるのか、という疑念を向けてくる。
アンズは紙幣を差し出した。とりあえずの手付金だ。
「毎度……。だが、何だ? 誰がこちらの流通ルートを流した? お前のような子供に」
勘繰ってくる相手にアンズは言い含める。
「それを考えている間に、渡すものがあるんじゃない?」
「ん、ああ、一応は顧客だから、平等には扱うが……」
濁した売人がアタッシュケースを開ける。中にはメモリアの元の薬剤と、吸引袋が入っていた。
「薬剤を袋に入れて吸い込む方式だ。その際、一回酸素を入れないとむせちまうから、気ぃつけてな」
アンズはアタッシュケースを受け取る。およそ一週間分のメモリアがその中に入っている。
「しかし、最近は中学生の間でも流行っているのか? メモリアの流通なんてほとんど表沙汰にはしてないってのに」
「海外のサイトで知った」
アンズの嘘に相手は騙される。
「ああ、あのサイトかな。まぁ、金を払ってもらえればこっちは売る。それだけなんだが、どうしたってメモリアなんて燃費の悪いものを? もっと強く効くクスリなら山ほどあるのに」
「こっちの都合。あなた達は」
「ああ、口を出さない、か。分かっている。客の内情にまで口を挟む権利なんてないよ。ただ、メモリアはレア度が高い。そうそう産出されるものでもないんだ。定期的に、ってのは難しい。今はちょうどシーズンだから、手に入れられたものだが」
「イッシュから仕入れているんだって? 確かあの国の中心にある地域が鍵なんだって聞いたけれど」
「ああ、デルパワーだな。あの土地の微弱電流って言うのか、そういうものが人間の脳波に作用して、記憶を呼び覚ますのに一役買うらしい。あとは多幸感と虚脱感。ヤッて二時間は人と会わないほうがいいぞ。夢か現実か分からなくなるからな」
「安心して。あたいがヤるわけじゃない」
「何だ、友達グループの間で流行っているのか? 金ももらったし、あんまり口出しはしないけれどよ。マイナーなクスリだぜ、これは。あんまりメジャーゾーンに引き上げられても困るんだ」
言わんとしている事はつまり、ハムエッグやホテルに気取られるような間抜けをするな、という事だろう。
「分かっている。内輪だけだから」
「本当に頼むぜ。流通に噛んでいるのはこっちだって一応必死。ヤマブキで売人やっているんだ。それなりに場数は踏ませてもらわないとな」
アンズが踵を返す。売人も離れていった。その距離が充分に開いてから、アンズはモンスターボールの表面を小突く。
「スピアー。野性を装って相手の保管している場所まで探知」
スピアーが飛び出し、主の指示通りに振る舞って行動する。アンズはその姿を見送りながら呟いた。
「これでもし、奴がクロだったら、メモリアの内部管理に精通した相手へと接近が出来るかもしれない」
そうなればこっちの次に打つ手が決まる。アンズは息をついてアタッシュケースの中のメモリアを手にした。
ずっしりと重い白い粉末。一回分はその半分の量を吸引袋に入れて行うという。
「記憶が戻れば、変わってくる。全てが……」
宵闇を睨んでアンズはメモリアをアタッシュケースに戻した。
「定期診断もサボった奴がようやく来たと思えば、何だ、随分とやつれた印象だな、アーロン」
カヤノの言葉にぐうの音も出ない。
「忙しかった」
「ホテルか。前回の炎魔騒ぎは災難だったな」
カヤノは笑い話にしようとする。だがアーロンは内心勘繰っていた。この男とて闇医者の名を馳せさせた原因があったはずだ。それにホテルかハムエッグが噛んでいるのは間違いない。前回の炎魔騒ぎで全くの我関せずを貫けたとも思えない。
「ああ、だからちょっと、ピカチュウも精密検査に回して欲しい」
モンスターボールを看護婦に渡す。またしても人員が入れ替わっていた。
「手持ちも災難だな。こんな取り扱いの悪い奴の相棒なんざ」
「俺も、出来ればピカチュウの負荷を下げたい。どうすればいい? 波導を切る術はピカチュウに慣れさせている。他のポケモンを使う事は考えられない」
「レンタルポケモンを一時的にでも使用してピカチュウの負荷を下げろ。ワシの目から見ても使い過ぎだ」
それは重々承知している。だからこそ、カヤノの診療を頼りにしてきた。
「騙し騙しで使うのも限界に達している。そこで、何かきっかけが欲しい、と思っているんだが」
「きっかけねぇ。それこそ、相棒を取り替えるんなら、他のポケモンも予備で育成するべきだった。だって言うのに、予備がいないんじゃ話にならん」
「師父の教えを受けて、ルカリオと対等に立ち回れるのはピカチュウだけだ。だから、予備なんて考えた事もなかった」
「なぁ、お前の言う師父って奴が、今すぐに来るわけじゃないんだろう? だったら、レンタルポケモンの使用をお勧めする。一回ピカチュウから離れろよ。お前ら、お互いに相手をがちがちに雁字搦めにしている」
「伝手はあるのか?」
「レンタルポケモンの伝手ならいくらでも。ハムエッグに頼むのは」
「駄目だ。裏を掻かれる場合がある」
ハムエッグは頼れない、と考えてのカヤノへの来訪であった。カヤノは舌打ちしてレンタルポケモンのサーバーへと繋いだ端末を差し出す。
「オーダーすれば半日で届く。レベルの条件はまぁ、応相談って奴だな。だが、大概のレベルは揃えているはずだ。天下のヤマブキの殺し屋の依頼となれば、レンタルポケモンの会社も無下にはしないだろ。紹介状を一応書いておくか」
「頼む」
アーロンの態度にカヤノは違和感を覚えたのか、眉をひそめる。
「……アーロン。随分と殊勝だな。お前のほうからワシに頼み事、それに加えてピカチュウの代わりを探している、と来た。何か思うところがあるのか?」
隠し切れないか、とアーロンはぽつりと語り出す。
「前回、シャクエンのバクフーン、〈蜃気楼〉が完全に対策を練られてどうしようもなかった。つまり如何に強大な暗殺者であっても事前に下調べを行い、完全に対策を練れば戦うのは不可能ではない」
「お前の手の内は割れてないだろ。波導を破る術、があるって言うなら別だが」
「万全を期したい。プラズマ団の動きも気になる。その時に使えない、では遅いんだ」
「つまるところ、本気でやばい時に頼れる相棒は温存しておきたい、と」
こちらの意味するところを理解したカヤノが首肯する。アーロンが考えているのはそれだけではない。
ピカチュウが過負荷で使えない場合、自分がどれだけ無力なのかは分かっているつもりだった。その時、自分はシャクエンやアンズ、メイを守れるのか、と問われれば疑問である。自分の波導使いとしての真価を全て相棒に任せていたのではいつまでも成長はない。
「今回、レンタルポケモンを使うのは試金石の意味もある。俺が、ピカチュウなしでどれだけやれるのか」
「三百匹以上の在庫がある。カントーのポケモンは大体揃っている感じだな。お前のやり方に合う奴がいるのかまでは分からないが」
カタログを端末上に呼び出され、アーロンは目を通した。
波導の切断、という真骨頂を使えるポケモンでなければ意味がない。それでいて、自分のサポートが充分に出来るポケモンが理想的だが。
「波導使いと十年以上連れ添っているピカチュウに敵う奴はいないだろうさ。それに近いのを使えばいい」
「近いポケモン、か」
電気タイプの項目を選択する。波導の切断には生態電流を感知出来るポケモンが必要であった。
「電気タイプって言っても色々いるはずだ。お前がたまたまピカチュウなんて強くも弱くもないポケモンを扱っているだけで、強いだけならばいくらでもいる」
「問題なのは、自律稼動型のポケモンでは俺の戦闘スタイルに合わない、という事だ」
「だからって、ピカチュウみたいに肩に乗っけられる奴ばっかりじゃないだろ」
探してみれば電気タイプでピカチュウ以上の性能を誇るポケモンは多数いた。だが、どれも自分のオーダーには僅かに合わない。
「慣れ過ぎていた、というのは本当のようだ。どのポケモンを見ても、どうしてもピカチュウの扱いやすさと比べてしまう」
「気をつけて選べよ。いざレンタルして使えないって言っても、返却している間お前は手持ちがないんだ。波導使いが手持ちなしで歩けるほどこの街は優しくないだろ」
アーロンは考えを巡らせる。その上で選択した。
「こいつにする」
「本当に、こいつでいいのか? ピカチュウよりかは難しいぞ」
「ああ。だが今の俺のオーダーに会うのはこいつくらいだ」
カヤノがレンタルポケモンの申請を行う。これで一日か、あるいは一週間ほどはピカチュウに余暇を与えられる事だろう。
「相棒の身体の心配をする前に、自分の身体を、だ」
カヤノが検査用の水を取り出す。アーロンは波導の眼を使った。
「上から、水色、白、赤、緑だ」
「衰えてはいないようだが、連戦だ。眼の衰えと波導の衰えが必ずしもイコールではない。同時に、眼が無事だからって自分の波導も無事だとは限らない」
「分かっている。そんな事は師父に散々教えられた」
だが、師父にいずれ勝つにはこの程度では足りない。まだまだ波導使いとして研鑽を極めなければ。
「あのよぉ、アーロン。こう言っちゃなんだが、お前、この街の守り手になりたいだとか思っちゃいないだろうな?」
煙草に火を点けたカヤノがそう切り出す。アーロンは首を横に振る。
「そこまで傲慢ではない」
「ならいいんだが、この街の盟主はハムエッグ、それにホテルだ。お前は一介の暗殺者。いくら強いっていっても権力には敵わない」
「……何が言いたい」
カヤノは紫煙をくゆらせて結論を出す。
「つまり、だ。お前が必要以上に肩肘張る必要はねぇって言いたいんだよ。レンタルポケモンなんて使わなくっても一時休業でもいいじゃねぇか」
「先ほどの発言と矛盾するが」
けっとカヤノは毒づいた。
「波導使いアーロンは強くなり過ぎた。それは、ハムエッグの演出もあるのだろうし、ホテルの思惑もあった。だがどっちにしろ、強力になり過ぎた力ってのはな、戻るべき、収めるべき鞘がないも同然なんだよ。抜き身の刀だ。そんなもんだと人とすれ違えば斬っちまう。そういう存在になりつつあるって話だ。だから、お前はもっと単純でいいんだと思うんだよ、ワシはな」
「強くある事に、何か異議でも?」
「馬鹿野郎。異議とかそういうんじゃねぇ。お前は強いさ。だが強いが故に、隙の一つも作れないんじゃ、人間としては失格だって事だよ。もうてめぇの首目的にヤマブキ入りする暗殺者なんていないだろうが、だからって波導使いアーロンを無敵の暗殺者として祀り上げるのはどうか、って話だ」
「ハムエッグに言ってくれ。奴のせいで俺は実力以上の評価を与えられている」
「ハムエッグだって、スノウドロップの次のお前を信頼している。しかも、スノウドロップは使えないんだろ? いいようにハムエッグに利用されんなよ。スノウドロップを温存させておいてお前がやばくなったら後ろから斬らせる、って寸法かもしれん」
「斬り返すまでだ」
強気な言葉でアーロンは立ち上がる。看護婦が戻ってきかけたがカヤノが手で制する。
「ピカチュウはうちで預かる。半日の間に送られてくるレンタルポケモンを一週間は使ってもらう。異存はないな?」
「構わない。ピカチュウには」
「魚介の缶詰だろ。好みくらいは分かっている」
アーロンはコートを翻した。