MEMORIA











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迫撃の鈍色、裏切りの傷
第百四話「支配者の眼差し」

「バイタルサイン向上。覚醒までのカウントダウン、入ります」

 研究員の声にヴィーツーは眼を見開いていた。ツヴァイの波導によって覚醒のための鍵が開けられた。あとはメモリアによる記憶補完だけだ。それもアクロマによって滞りなく進められ、あとはゲーチス本人の目覚めを待つばかりであった。

「脳波正常値。外部記憶メモリからの流入も果たしました」

「パーフェクトですね、ヴィーツー様」

 アクロマがコンソールから手を離し、ヴィーツーに語りかける。ヴィーツーは祈るように両手を合わせていた。

「ああ、ゲーチス様……」

「カプセル内部の浸透圧上昇。覚醒までのカウント、ゼロです!」

 その声が響くのと同時にカプセルの中のゲーチスが目を開いた。

 ヴィーツーが歩み出る前に、アクロマがカプセルを開く。培養液が漏れ出てアクロマの白衣を濡らしたが、彼の好奇心がそれに勝った。

 裸体のゲーチスがゆっくりと歩み出す。

 歩いただけでざわめきが起こった。

「右半身の麻痺が消えている……。成功だ!」

 研究員達が喜びの声を上げる中、アクロマがゲーチスの意識を調べている。

「あなたの名前は?」

 呼吸音と大差ない声が漏れた。無理もあるまい。今の今までずっとカプセルの中で眠っていたのだ。すぐに声は出せないだろう。

「瞳孔反射も正常。神経系統の異常もありません」

 アクロマが確認したのは背筋に埋め込まれた機械の反射であった。神経を司る機械が背筋に四つ埋め込まれており脊髄と繋がっている。

 そのうち一つに電気的刺激を与えると、ゲーチスが目を見開いた。突然にかっ血したかと思うとその目に活力が戻った。

「ワタクシは……」

「声を……。声を取り戻された!」

「神経系統を少しだけ刺激してやりました。記憶が正常かどうかは、ヴィーツー様の裁量で行ってください」

「ゲーチス様。私がお分かりで?」

「ヴィオ、ですか……」

 ああ、と感極まりそうになる。正しくは三番目の個体であったが今はそんな事はどうでもいい。

「ここに、プラズマ団の復活の宣言を」

 傅くヴィーツーにゲーチスは未だに現状を飲み込めていないのか、周囲を見渡した。

「ワタクシは、死んだはずだ」

「再起不能となったのを、我々が蘇らせたのです。あなたには英雄として、再び表舞台に立つ資格がある。これを」

 ヴィーツーが差し出したのはマスターボールであった。ゲーチスはそれを手に取り中を窺う。

「これ、は……」

「理想を体現した、最強のポケモンです。あなたのために、用意いたしました。おい、お召し物を!」

 ヴィーツーの御触れに、研究員達が慌ててゲーチスの服飾を纏わせる。黒いマントに宝石を散りばめた衣服であった。

 右目のアイパッチをどうするべきか、と決めあぐねている研究員に、ゲーチスがその手を取って右目に当てさせた。理論上、右目は見えるはずだがこちらのほうがしっくり来るのならばそれに越した事はない。

 最後にまだおぼつかない足のために杖を用意していた。円形を刻み込んだ杖をつき、ゲーチスはようやく、自分がプラズマ団の長だと自覚が芽生えて来たらしい。

「ヴィオ、ワタクシが眠っている間に起こった事を」

「はっ。その記録は研究班の班長であるアクロマが」

 アクロマは背筋のツールを使ってデータ情報としてゲーチスの脳内に直接叩き込ませる。荒療治ではないのか、と思ってしまったが、次第に活力を取り戻していくゲーチスの眼を見てそれが杞憂だと思い知る。

「そうか。Nは去り、忌々しいもう一人の英雄がワタクシを、このような……。ここに! 新たなプラズマ団として、ワタクシが立つ! 宣誓だ! 英雄はただ一人で構わない。英雄の因子を持つもう一人の少女、Mi3を破壊する!」

 全盛期とまではいかないがこれほどに力強い言葉を聞けてヴィーツーは満たされていた。

「新たな時代を!」

 手を振り翳し、ヴィーツーはここにプラズマ団が再び法となるのを予感した。















「アーロン。メモリア、まだ一本残っているんだろう?」

 ハムエッグに問いかけられてアーロンはしらを切った。

「何の事だか」

「とぼけても無駄だ。無毒化したメモリアがもう一つある。それも全て、メイお嬢ちゃんの記憶を呼び覚ますため」

 このポケモンには隠し立ても不可能だろう。アーロンは改めて決定した事を口にした。

「あの馬鹿には、記憶を呼び覚ます必要なんてないと俺は思っている」

「それは君のエゴかもしれない。彼女はいずれ、取り戻さなくてはならないだろう。本当の自分を」

「それが正しいかどうかなんて誰にも分からない。俺にだって、決定出来ない」

 無毒化したメモリアはアンズが所持している。アンズの裁量でメイの記憶を戻す事が可能だったが、アンズは記憶を取り戻した直後のキョウを目にしている。記憶が戻る事が幸福とは限らないのは言うまでもないだろう。

「アーロン。君は、やはりぬるま湯が好きなのだね。いつまでもお嬢ちゃん達と一緒にいたいと思っている。だが、忘れるなよ。君は殺し屋だ。波導使いアーロンなんだ。いずれ運命が君達を引き裂く。その時が来ても、わたしは敵になるか味方になるかは言えない。それも決定出来ない」

 よく言う。このポケモンはどちらも選ばない。一番に得をする身分を選び取るはずだ。

「お前の薄っぺらい言い分は聞き飽きた。俺は俺の決定でのみ動く」

「この街で誰にも縛られずに、は不可能だよ。今回だってホテルの取り分だ。エアームドを飛ばさなかったら、君はやられていた。フロンティアブレーン。まさか動くとは思わなかったが、わたしも計算外だよ。奴らの事は奴らでケリをつけてくれるだろう」

 ハムエッグからしてみてもフロンティアブレーンの動きは読めなかった、という事だろうか。アーロンは質問を重ねた。

「お前は、どこまで分かってやっている? 今みたいに、ラピス・ラズリの相手をさせているのもお前の一存だろう。あの馬鹿は」

 モニターに映し出されているのはラピスとメイである。

 ハムエッグからしてみれば体のいい人質であった。

「プラズマ団とお嬢ちゃんの関係かい? わたしにも分からぬ事はある。この街があまりに排他的だから、情報源を見直さなくってはいけない部分もあってね。ちょっと情報源を変えてみたんだ。そうすると少しずつ、見えてきた部分があった。プラズマ団という組織の構造、それと、二年ほど前に起こったイッシュでの事件。ゲーチスなる頭目の存在も確認済みだ」

「そのゲーチス。今は生きていないと聞いたが」

「再起不能。それ以上はわたしも知らない。だが、確実に言えるのはゲーチスかあるいはそれに変わるカリスマをプラズマ団が求めている事だ。奴らはもしかするとお嬢ちゃんを抱きこむ事も視野に入れているのかもしれない」

 Mi3。メイのもう一つの名前が今さらに思い出されてアーロンは苦味を噛み締める。

 ルイで調べさせるのは容易いが、このハムエッグやホテルに勘付かれないか。自分を踏み台にされるのは御免である。

「馬鹿は連れて帰る。ハムエッグ、お前はスノウドロップ復活が急務だろう」

「そうだな。スノウドロップが使えなくてはいざという時に困る」

 全くそう思っていないような口調だ。

 もしもの時でも貸しを作っておいた自分を利用する、か。

「もう帰るぞ。ラピス・ラズリに伝えろ」

「それもそうだ。次の客との約束があってね。そろそろ時間だった」

 薮蛇になるのを恐れて、アーロンは追及しなかった。部屋から出てきたメイが文句を垂れる。

「アーロンさん。もう少しだけ、居られませんか? 何だかいっつも、あたしだけ見張られているみたいな……」

 モニターの存在は伏せてある。

「知るものか」

 アーロンはぶっきらぼうに言い放ち、ハムエッグの下を去った。














「時間は正確に守っている。それは君も、わたしも同じ事だ」

 その言葉に先ほどから別室で待っていた客が眉を上げる。

「波導使い。入れ込んでいる様子じゃないか」

「当たり前だよ。上客だからね。昔馴染みでもある」

「じゃあ新規であるおれには風当たりが厳しいか?」

「いいや。大歓迎だよ。リオ」

 名前を呼ぶとリオは不敵に微笑んだ。

「おれの情報源があれば、あんたはまた一つこの街の秩序のために貢献が出来る。ホテルより一歩抜きん出る事が出来るって言っているんだ」

 リオの手持ちの端末には見た事のないOSがあった。恐らくそれによって情報を今までの比ではない速度で取り込んでいるのだろう。

「……驚いたな。君はこの街に取り込まれないものだとばかり思っていた」

「取り込まれはしないさ。おれが逆に支配する」

 その支配欲はどこから来たのか。いつの間にこの青年にそのような欲望を抱かせるに至ったのか。

 ハムエッグは考えを巡らせるが、一番に読めないのはこういう突然に頭角を現す手合いだ。何がきっかけで成長したのか分からない樹木ほど神秘を感じさせる。

「君の持つ特殊OS……ルイツーであったか。それが情報を高速演算してわたしに提供する。その電子の妖精の恩恵を与えてもらえるだけでもありがたい。さて、君が望むのは何だ? わたしに、何をしろと言っている」

 リオは差し出したグラスの酒を呷り、そのグラスをラピスの部屋をモニターしている画面へと投げつけた。

「おれが望むのは一つ。絶対的な支配と、隷属。ハムエッグ。あんたは電子の妖精の恩恵を得るためにおれに従わざるを得ない。かつて顎で使った相手に従うんだよ」

 リオの態度は以前までとまるで別人だ。

 超越者の眼差しにハムエッグは反射的に尋ねていた。

「メイお嬢ちゃんかな?」

 それがこの青年のアキレス腱だろう。僅かに眉が跳ね上がったが、すぐに持ち直す。

「……悟るのはお家芸か? まぁいいさ。おれは彼女を幸せにする。そのために、力がいるんだ。圧倒的な力がね。それこそ盟主を屈服させるほどの」

 ハムエッグはアタッシュケースを差し出す。中には大量の紙幣が入っていた。

「言い値で買おう。ルイツーの値段は?」

 リオは口角を吊り上げた。

「この街の支配者としての実効力。金じゃない。それ以上のものだよ」


第八章了


オンドゥル大使 ( 2016/08/03(水) 21:52 )