MEMORIA











小説トップ
迫撃の鈍色、裏切りの傷
第百二話「切り札」

 闇の刃がアーロンにかかったかに思われたその刹那、キリキザンの手が止まっていた。

 瞬時に構築された電気ワイヤーが地面から這い登り、その手を縫いつけたのだ。

「それが、波導使いの本気のポケモンか……。波導使いアーロンの!」

「ピカチュウ。待たせたな」

 アーロンの肩口に留まったピカチュウが頬の電気袋から青白い電流を放つ。

 相棒の準備は万端であった。

 アーロンはここまでピカチュウを運んできた銀翼のポケモンを見やる。恐らくはホテルのエアームドだったのだろう。

「ホテルの仕業、か。また借りを作ったな」

「キリキザン!」

 コクランの声が弾け、キリキザンが肉迫する。しかしアーロンは手を軽く振るっただけであった。

「エレキネット」

 作り上げられた電気の網がキリキザンの腕を縛りつけ、そのまま転倒させる。いつの間にか足元に張られた電気ワイヤーに躓いたのだ。転がったキリキザンの両脚を電気ワイヤーが縛り付ける。

 瞬間的な出来事にコクランもついて来られていないらしい。

「こんな……。なんて速さ」

 ピカチュウの放った「エレキネット」による拘束がキリキザンを完全に無効化した。アーロンは電気ワイヤーの末端を握り締め顔を上げる。

「もう、俺は負ける気がしない。それでもやるか?」

 コクランが後ずさる。今の鮮やかな手際はエリキテルを操っていた時の比ではない。それは熟練したポケモントレーナーならば一瞬で分かるはずだ。

「キリキザン。もうこれ以上は」

 コクランがボールを突き出し、キリキザンを戻す。戦意ももう存在しないようだった。

「一つだけ、聞いておきたい。波導使い。あの瞬撃は、法を犯した。重罪人だ。それでも救う理由を聞かせてくれ」

 肩越しにアンズへと視線を流すコクランにアーロンは言ってのける。

「俺にも、よく分からない。だが、あの馬鹿が言うには、家族、であったらしいからな」

 血の繋がりはなくとも、この世で最も尊重するべき関係性ならば、救う事に理由はいらないはずだった。

 コクランはフッと口元を緩める。

「本当に、完敗だよ、波導使い。私はそこまで世界を敵に回せない。敬意を表しよう。カトレア様も、私がいなくては」

「ここで俺達を逃がしていいのか? お前の仕事は」

「メモリアの流通を押さえるというのならば、本来の仕事はプラズマ団を倒す事だ。流通の中に浮かんできた瞬撃を倒す事はついででしかない。私とカトレア様はプラズマ団を追う。あなた達は、あの瞬撃が命を賭してまでメモリアというものにこだわった理由を探るといい。私にはもうこれ以上の興味はない」

 コクランは踵を返す。アーロンはその背中に声を投げていた。

「いいトレーナーだ。強かった」

「賞賛のつもりか? 私からも言わせてもらう。波導使い、その強さは本物だ。伝え聞くよりも強かった。私も、学ぶところがあったよ」

 立ち去っていくコクランをアーロンは呼び止めずに崩落した瓦礫の中を歩んでいった。

 アンズの肩口から血が滲んでいる。命に関わるほどの傷ではないが、早急に処置が必要であった。

「カヤノのところへ連れて行こう。まずは治療だ。その後に、全てを聞く」

 この騒動の全て。アンズは何のために違法薬物に手を出したのか。

 ゆっくりと聞き出さなければならなかった。














 網膜の裏に映る記憶がゆっくりと再生される。

 父親との静かな記憶だった。

 自分は物心ついたときから暗殺の道を学んでいた。毒使いという誉れはセキチクでは立派な称号だ。代々、毒を操る名家であったアンズの家系では男よりも女のほうが優れていた。

 親戚が集まった時、アンズはよく期待の眼差しを向けられた。

「いい毒使いになる」

「毒を操る事にかけては東西一のキョウさんの娘さんだ。きっと、強くなる」

 そのために鍛錬を重ねた。メガシンカも習得し、スピアーを無音と高速で使い分けられるほどに成長した。

 だが、そんなある日であった。

 父親が石化した身体を引きずりながら帰ってきた。

 それ以来、かけられる言葉は呪詛であった。

「石化の波導使いを、いずれ殺して欲しい」

 父親のためだ。自分は、それ以外を考えてはいけないのだ。

 親戚や周囲の人々の羨望は消え去った。既に暗殺者として再起不能となった父親に学ぶ健気な娘。

 もう暗殺一族は終わりだ、と無言の圧力がかかってきた。

 アンズはふと思う時がある。

 自分は誰のために殺し屋になろうと思ったのか。

 父親のためか? 

 それとも、自分自身の憧れか?

 その境目が曖昧になって、アンズは時折、誰のために人を殺すのだろう、と疑問が浮かぶようになった。

 人殺しにもう罪悪感はない。

 しかし遂行するたびに起こるのは懐疑であった。

 何のために、誰のために、いつ終わるとも知れぬ殺しの道。

 波導使いを殺せ、という曖昧な言葉を繰り返す父親。

 もう憧れも、羨望も失せた家系で、ただただ朽ちていく時を待っている。

 一度、聞いてみた事があった。

 自分の母親についてだ。

 母親はどういう人だったのか。愛情はあったのか。

 その時、酷い折檻を受けた記憶がある。

 どうしてだか普段は怒りもしない父親が激怒した。

 ――そんな事は気にしなくともいいんだ。お前は殺しさえすればいい。

 自分は機械なのだろうか。

 そう思う事さえもある。

 マシーンのように人を殺し、マシーンのように、無感情に、裏切り裏切られ、他人を騙し、欺き、嘲笑い、血に染まった手を持て余す。

 ああ、自分は――。

 血に染まった丘でアンズは両手で顔を覆う。

 何て、卑しい小娘――。














「気がついたか」

 目を覚ますとベッドに寝かしつけられていた。声の方向に視線をやる。

 アーロンが椅子に座っている。他の人間はいなかった。

「メイ、お姉ちゃんとシャクエンお姉ちゃんは……」

「二人とも無事だ。お前だけだ。今回、怪我をしたのは」

「そう。……あたい、嫌な女だよね。勝手に我が道を行って、みんなを結果的に巻き込んでしまった」

「いい。馬鹿は一蓮托生だと思っているし、シャクエンも覚悟の上だと」

「でも、お兄ちゃんは違うんでしょう?」

 顔を振り向けると、アーロンは首肯する。

「何の理由で、メモリアなんかに手を出した」

 責め立てる口調だった。当たり前か、とアンズは目を伏せる。身勝手に自分だけの理由で動いたのだ。その結果が他人へのしわ寄せだったのだからアーロンが怒るのも無理はない。

「あたいは、セキチクの毒使いの暗殺者。瞬撃の名を継ぐ者。だからあたいに薬は効かないし、無毒化する事なんて容易い」

「メモリアを、無毒化するつもりだったのか?」

 アンズは身を起こそうとして肩口に熱を持っているのが分かった。まだ身体が言う事を利かない。

「そう。メモリアを無毒化して、純粋に、記憶の部分を刺激する薬剤にしようとした」

「父親のためか」

 アンズはフッと自嘲する。

「今さらだよね。でも、あたい、分かっている。時間がないんだ。もう、父上には」

 だから焦った。メモリアを大量購入し、無毒化してキョウを石化させた波導使いを、絶対に追い詰めなければならなかった。

「どうしてお前がそこまでする必要があった。父親の不手際だ」

「でも、あたいにとって、父上はこの世でたった一人なのよ」

 他の代わりが利いても父親だけはたった一人なのだ。この世でたった一人の、血の繋がり。どうしようもない、血の因縁。

「無毒化したメモリア、持っているんだろう?」

 アンズは手甲のパーツを外して中からコルク程度の大きさの小瓶を取り出す。

「これが無毒化に成功したメモリア。二回分はある」

「どうして二回もいるんだ? キョウの記憶にある石化の波導使いを探すだけなら一回でも」

「メイお姉ちゃんのために、作ったの」

 その言葉にアーロンは口を噤んだ。メイも自分が誰なのか結局のところ分かっていない。

「……何故、お前がそこまで背負う必要があった。あいつの記憶だってゆっくりと探せばよかった」

「ううん。もう、そんな時間はないよ。お兄ちゃん。言われたんじゃないの? ハムエッグに、もう家族ごっこは無理だって」

 アーロンは目線を逸らす。分かりやすいな、とアンズは感じた。

「聞いていたのか?」

「ルイに聞くとすぐに分かった」

「お喋りめ」

「でも、あたいも同感。もう家族ごっこは限界だった。シャクエンお姉ちゃんの問題を解決した、お兄ちゃんはすごいと思う。でも、その辺りからかな。どこかで亀裂が入ったんだと思う。シャクエンお姉ちゃんはもう一人でも歩ける。あたいばっかりおんぶに抱っこじゃいけないんだって思ったの。だから結果を急いだ。父上と、メイお姉ちゃんの記憶が戻れば、もう家族ごっこはお終い。全部、あるべき場所に還る」

「それが幸福なのか? 俺には、生き急いでいるようにも思える」

「どう足掻こうとも、結果的にはそうなんだよ。もっとゆっくりと日々を過ごそうと思っていても、やっぱり――あたい達は人殺しで、メイお姉ちゃんはそうじゃない。どこかで、終わりが近いってみんな分かっていたはずなの」

 アーロンは否定もしない。彼もまた同じように感じていたのかもしれない。

「だが、たった一人でメモリアの無毒化なんて考えなくってもよかった。そのせいで余計なトラブルに巻き込まれた」

「フロンティアブレーンが追ってきたのは完全に想定外だったけれど、あたいもそろそろ潮時かとは思っていた。メモリアの流通に、プラズマ団が一枚噛んでいる事は」

 アーロンは頷く。ならばその危険性も承知の上だろう。

「奴らは何を最終結果として考えている? ツヴァイの時もそうだ。何かを目的としていなければこれまでの行動が繋がらない」

「あたいにも詳しい事は。ただ、何かを蘇らせたい。その過程で必要だったのが、メモリアだったってのは分かっている」

「蘇らせる……」

「何を、なんて聞かないでね。あたいだって分からない」

 アーロンはメモリアの小瓶を手に取った。波導で読み取り、それが真に無毒化されたものだと感じ取ったのだろう。

「行くぞ」

 アーロンはカーテンを開ける。アンズは聞いていた。

「どこへ……」

「キョウのところへ。お前の父親のところへ、だ。全ての決着を俺も見届けよう」


オンドゥル大使 ( 2016/08/03(水) 21:48 )