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迫撃の鈍色、裏切りの傷
第百一話「黒蘭」

 振るわれるはずのキリキザンの腕が中空で静止した。

 コクランがハッと目を見開く。極細の電気ネットがその手首に絡み付いていた。

「まさか! 波導使い!」

 振り返ったコクランへと青の死神が降り立つ。

 電磁の刃が弾き出され、自律的に動いたキリキザンの刃と干渉波のスパークを広がらせた。

「どうして……。カトレア様を、どうした、貴様ァ!」

 吼えるコクランに対してアーロンは冷静であった。

「勝ってここに来た」

 短いながらもその声音に滲んだのは決死の覚悟であった。

 エリキテルの発生させた「パラボラチャージ」の皮膜とキリキザンの鋼鉄の刃がぶつかり合ってお互いに後退する。

「アンズちゃん!」

 メイがアンズへと駆け寄っていった。アンズの肩口から血が流れ出ており、早急な処置が求められた。

「悪いが、長引かせられない。終わらせるぞ、フロンティアブレーン」

「カトレア様を……、カトレア様を、害したな、この腐れ外道が!」

 眉を跳ねさせたコクランの怒りに同調してキリキザンが闇の刃を振るい落とす。電気ワイヤーで弾くが、やはり反応速度の面で遅れた。

 墨のように弾けた刃の一部がアーロンのコートを切り裂く。

「一撃でももらえば厄介、だな」

「キリキザン。もう、情けは無用です。殺しなさい」

 キリキザンの足先から瘴気が滲み出て、その身体を突き上げる。闇の流動に任せて、キリキザンが手を払った。

 それだけで地面を這って闇の刃が拡散する。

 塔のように屹立した闇の一点を触媒に、全方位へと刃による波状攻撃が放たれるのだ。

「これが、真の辻斬り!」

 その言葉にはいささかの誇張もない。

 どの方位から、どの速度で向かってくるかも分からないこの攻撃こそが真の「つじぎり」だとするキリキザンの攻勢にはアーロンとて苦戦した。

 エリキテルの「パラボラチャージ」による擬似的な皮膜だけでは防御し切れない。加えてコクラン本体に攻撃しようとしても、闇の刃は防御膜としても優秀であった。

 拡散した闇の一部が薄い壁となり、電気ワイヤーを通さない。

 舌打ちするアーロンに中空から、キリキザンが刃の指示を飛ばす。

 俯瞰するキリキザンの視界から逃れるのには、このビルの谷間は狭かった。

「キリキザンをやるしかないのか……。だが距離があり過ぎる」

 電気ワイヤーを飛ばしても距離の関係で勢いが削がれ、到達する頃には手で弾かれてしまう。

 攻撃だけに意識を向けていてもまずい。四方八方から迫り来る闇の刃の追撃をいなす手段を持たないアーロンはじわじわと追い詰められていた。

「ポケモンに俯瞰させて、その視界に入っている相手を全方位から囲い、切り裂く。なるほど、キリキザンの攻撃特化の性能をきっちりと理解した攻撃である」

「分かり切っている事を! 波導使い! 私のキリキザンから逃れたくば、この戦闘領域を後にする他あるまい。それか、このバトルゾーンを広げるか、だが、四方を背の高いビルに囲まれた死角。どう足掻いても逃げ場はない」

 アーロンは遂にビルの壁面に背筋をつける結果となる。

 シャクエンが手を薙ぎ払ってバクフーンを向かわせようとするが、バクフーンの攻撃範囲さえも心得たキリキザンは足先から迸る闇の瘴気を変化させて、まるで蛇のように自在に火炎弾を回避した。

「鋼に炎が効く、というのは同じ地平での話。この戦法を選んだ時点で、私の勝ちは揺るぎない」

 シャクエンが苦渋に顔を歪ませた。

 アーロンはビルの壁面に手をつきながら口を開く。

「聞くが、お前は逃げる気はないのだな?」

 その問いの意味が分からなかったのだろう。コクランは哄笑を上げる。

「馬鹿を言え。今に勝てると言う段になって、誰が逃げるというのだ」

「そうか。それは、残念だ」

 キリキザンが闇の刃を一斉にアーロンに向けて放つ。着弾点から粉塵が舞い上がり、アーロンの姿を塵の中に隠した。

「アーロンさん!」

 メイの声が弾ける。

 コクランは眼鏡のブリッジを上げた。

「勝った!」

「――そう思えれば、どれだけ楽だろうか、な」

 不意に発した声にコクランが仰天する。粉塵はアーロンに着弾したから発生したのではない。

 アーロンの指先から電気を触媒にした波導が広がり、地面から土煙を発生させたのだ。

 アーロンは目を閉じ、波導感知を研ぎ澄ます。

 四方八方のビルの全てが、既に――アーロンの波導の手中であった。

「砕けろ」

 その声にビルが崩落する。亀裂の走ったビルが血飛沫のように粉塵を巻き上げ、内側に向かって崩れ落ちてくる。

 キリキザンを放ったコクランはその反応が遅れた。

「まさか! こんな戦法など!」

「これが、波導使いのやり方だ」

 アーロンは電気ワイヤーを放ち、メイとシャクエンを引っ張り込む。

 メイがアンズを抱えていた。

 アーロンは三人分の体重を一手に背負い、ビルの直上へと跳躍する。

「あ、アーロンさん! 落ちる、落ちちゃう……」

 電気ワイヤーを掴むメイが今にも落下しそうになる。アーロンはその手を掴んで引き寄せた。

「馬鹿だな。瞬撃の体重まで背負うからだ」

「でも、アーロンさんなら助けてくれるんでしょう?」

 むくれたメイの腕にはアンズが抱えられている。まだ生きているのが、波導を見て分かった。

「傷口を癒す方法はない。すぐにでもカヤノのところへ――」

 そう言いかけたアーロンの肌をプレッシャーの波が粟立たせた。

 咄嗟に三人を放り投げる。シャクエンのバクフーンによって無事に着地したメイであったが、突然の事に悲鳴が迸る。

「な、何やってくれちゃってるんですかー!」

 アーロンはその言葉に答えられなかった。

 答えようとしたが、地表より発生した鋼鉄の散弾を受け止めるので精一杯だった。

「メタルバースト……。まさか、まだ」

 波導の眼を用いるまでもない。円形に切り抜かれたビルの谷間で、キリキザンを操るコクランは健在であった。

「埃がついてしまった」

 コクランは今の攻撃で逆に冷静さを取り戻したらしい。スーツの埃を払い、キリキザンに命じる。

「墜ちろ、波導使い」

 間断のない鋼の散弾に、アーロンは空中で電磁の皮膜を形成する。

 だがそれはもう維持出来そうになかった。エリキテルの限界が来たのだ。

 電気の気配が失せ、その波導も弱まっている。やはり即席の手持ちでは波導の運用には限界が発生した。

 せめて電気ワイヤーだけでも発生させてくれたのは僥倖だろう。アーロンはビルの一部に巻きつかせて着地する。

 だが、すぐさまキリキザンの猛攻が襲う。

 手足に薄い波導の皮膜を纏いつかせて刃を紙一重でいなすが、キリキザンの容赦のない攻撃に致命傷を免れるのがやっとだった。

 体術ではポケモンを上回る事は出来ない。キリキザンの蹴りが鳩尾に食い込み、アーロンは吹き飛ばされる。

 背筋を強く打ちつけ、意識が混濁しそうになった。

 エリキテルは、と言えば両耳のひだを垂れさせて電気切れを訴えている。必死に波導を用いる戦法を脳裏に呼び覚まそうとしたが、近場に武器になりそうなものもない。

「ここまでやるとは思わなかったよ。波導使い。だが、もうここまで」

 キリキザンがすっと刃を首筋に向ける。アーロンが歯噛みした、その時であった。

 不意に陽光を遮る影があった。銀色の翼を広げたそれから何かがぱっと切り離される。アーロンの眼はそれを捉えていた。一歩、とアーロンは咄嗟に手刀で土煙を発生させてキリキザンの視界を奪う。

 キリキザンがおっとり刀で振り下ろした手刀を間一髪で避けたアーロンの手には、モンスターボールが収まっていた。

 エリキテルをボールに戻し、アーロンは立ち上がる。

「まさか……まさか!」

 コクランが手を薙ぎ払う。闇の刃が瞬時に拡張し、アーロンの身体を煽ろうとした。

 突風と土煙の中、アーロンは緊急射出ボタンを押し込む。

「――行け」


オンドゥル大使 ( 2016/07/29(金) 15:11 )