MEMORIA











小説トップ
迫撃の鈍色、裏切りの傷
第九十九話「家族と呼べる場所」

「もし、波導を見る眼を眩ませる術を持つ相手がいるとすれば、お前の天敵となるだろう」

 師父はいつものように木の根に腰を下ろして文庫本のページを捲っている。

 ルカリオの拳をいなし、アーロンが電撃を叩き込もうとしたがまだルカリオの守りは堅牢であった。

 すぐさま波導の皮膜で電撃を応戦し、拳を叩き込んで距離を取る。

 ルカリオから一本を取るのが難しくなってきたそんな折であった。

「師父、どういう事ですか」

 呼吸も乱れなくなってきた。波導を使って戦う時、自分の体内の波導は最小限に抑えられる。だから呼吸も乱れないし、疲れも滲まない。

 師父は文庫本を閉じ、アーロンを手招く。

「この世には、本来の視力を持たないのに波導の見える稀有な人間だっている。そういう人間の波導回路はどうなっているのか、わたしは検証した事がある」

「どうやって――」

 そう口にしようとしたアーロンの眼を師父は波導を使って眩ませた。ブラックアウトに戸惑うアーロンへとルカリオが手足を押さえつける。

「こういう状況に立たされた場合、波導使いは不利だ。だが、勝つのにはこの状況さえも考慮に入れなければならない。お前の場合は波導の切断技術が常に必要とされる。見えない場合、その戦力は落ちたと思っていい」

「し、師父……。何も見えない」

 アーロンがうろたえていると師父がその手を掴んだ。

 すると眩んでいたはずの視界が蘇り、再び波導の世界が入ってくる。

 だが、その波導の世界は今までとは少しばかり違った。

 ――黒と青だけの世界なのだ。

 草原であったはずの地面は黒と揺れる青に染められ、波打っている。

 太陽のあるはずの空間から青い光が放射するものの、それは万物に降り注いでいるのではなく、陰になっている場所には波導の色がない。

 黒と青しかない。

「これは……」

「これがフェイズ2。もし、波導の眼を潰された場合、お前が取る戦術だ」

 黒と青の世界の中で師父とルカリオだけがはっきりと輪郭を持っている。だが師父の姿もまるで幽鬼だ。青い幽霊のように漂っている。

「形のない世界みたいだ……」

「正しいな。フェイズ2において、形状は存在しない。その眼は波導のあるなしだけを見分ける、一種のセーフモードだと思え。当然、セーフモードなのだから通常の波導より精度は落ちるが、この視界に時のみ分かるのは明確に波導の脈動だけ。逆転の論法だ、アーロン。この状態の時、お前の波導切断戦術は通常よりも素早く、なおかつ正確になる。それは波導のみを見分けるこの視界には余計な情報がないからだ。余分を見なくていい分、波導切断は速くなる。だが、これは諸刃の剣だ」

 師父がすっと自分の視界を何かで遮る。すると視界は元に戻っていた。

 どうやら手で遮られたらしい。それさえも分からなかった。

「師父、これは使う時が来るんですか?」

「相手も波導の特徴を分かっている場合、だな。その場合のみ有効な、ある意味では最終手段。しかし、以前言った通り波導使いは波導を使えば使うほどに死が近づく。このフェイズ2もそうだ。波導を精密に用いるせいで通常よりも多く波導を使う。厳密に言えば、寿命が五年は縮まったと思っていい」

 アーロンは息を呑む。そんなに、と考えていると師父は再び文庫本に視線を落とした。

「だが、覚えておいて損はない。波導使いをいずれ殺さなくてはならないわたし達の宿命だ。相手もそれなりに波導に精通している場合、この視界を使え。これは戦術の一つであり、なおかつ確実に相手を倒すという波導使いのコンセプトに則ったものだ。この眼を使う時は躊躇うな。全力で相手を潰せ。でなければ次はないぞ」

 師父の真剣な声音にアーロンは言葉を失っていた。五年は寿命を縮まらせる諸刃の剣。

 しかしそれでも、使わなくては勝てない場合もある。

 波導使いは勝利が前提条件。

 敗北は即ち死を意味する。

 波導を見破られる前に消せ。

 相手より速く、相手よりも強くあれ。

 命を削る術であったとしても、勝利にこだわらなければならない局面がある。

「師父、でも相手が波導使いを上回るなんて、あり得るんですか? 教えを乞えば乞うほどに、波導使いに敵う相手なんていないような気がします」

「それは錯覚だ。わたしとだけ戦っているからそう思うだけ。波導使いの本質が全く通用しない相手もこの世には存在する。そして、この牙が一切届かぬ相手もまた、存在するのだ。いいか? 慢心は死を招く。波導使いは常に死の瀬戸際で戦っているのだと自覚しろ。この波導は、相手に悟られればそれまでだ」

 そのような相手がいるなど半信半疑であったが、アーロンとして戦う以上は心得ておく必要があるのだろう。

 ルカリオが拳を固めて構えを取る。アーロンはピチューを肩に乗せて右手を突き出した。
















「フェイズ2……。そんな波導の使い方が……」

 カトレアが言葉をなくしている。無理もない。この波導の戦闘術は今まで見せた事がないからだ。恐らく師父も、本当に倒すべき相手にしか発揮していなかったのだろう。

「悪いが長話はしていられない。行くぞ」

 エリキテルの放った電気ワイヤーがランクルスへと巻きつく。ランクルスの崩壊した腕の断面を射抜いた電気ワイヤーがそのまま引き寄せられた。

「ランクルス……! まさか、切り崩した部位を使ってくるなんて」

「勝てる手は全て打たせてもらう」

 ランクルスが逃れるためには大きく方法は二つ。

 念動力でアーロンそのものを潰すか、それとも射抜いた電気ワイヤーの部位ごと切り離すか。

 既に波導切断で力を失っている部位をカトレアは迷わなかった。

「切りなさい!」

 もう一方の腕でランクルスは断面を引き裂く。ゲル状の身体が切り離されるが、それこそアーロンの目論見であった。

「外したな。ならば、これでどうだ?」

 電気ワイヤーから波導を感知し、アーロンは切り離された部位を活性化させた。

 ゲル状の切断面が輝き、なんと離されたランクルスへと特攻を仕掛ける。

 その動きにはさすがのカトレアも瞠目したらしい。

「切り外したはずの部位が、動くなんて……」

「切り離しても波導は存在する。万物に分け隔てなく、たとえ死んだはずのものであったとしてもその直後ならば、まだ生きている波導を活性化させ、返ってくる爆弾に出来る。それ、今に切り離したはずのそれが返ってくるぞ」

 ゲル状の切断面が跳ねてランクルスへと絡みつく。電気ワイヤーのリーチがその分上がり、アーロンはフェイズ2の視界にランクルスの存在を感知した。

「これで……!」

「させない! サイコキネシス!」

 カトレアの放った声にランクルスから思念の渦が発生し、絡みついた切断面を破砕する。それだけのサイコパワーを持つランクルスは脅威だが、それ以上に恐ろしいと感じているはずだ。

 切ったはずの部位さえも武器にするこの波導使いの所業が。

「なんて事……。こんな、悪足掻きみたいな戦いが……」

「悪いな。戦いを綺麗なものだと、思った事はないんでね」

 再び放った電気ワイヤーはランクルス本体を狙う。当然、ランクルスは「サイコキネシス」で叩き落そうとした。しかし、直前にアーロンは声を放つ。

「パラボラチャージ!」

 電気ワイヤーが一挙に弾け、青い電磁の皮膜を構築する。「サイコキネシス」のエネルギーが吸収され、壁となった。

「パラボラチャージで吸収、壁を構築なんて」

 相手からしてみれば即席の壁が眼前に立ち現れたようなもの。当然、アーロンの次の挙動をカトレアは読めない。

 アーロンは自身の脚部に電撃を注ぎ込む。

 波導を細部まで押し込み、高速の域に達した脚力が瞬時にカトレアとの距離を詰めた。

 最初からランクルス狙いではない。トレーナー本体を狙うつもりであった。

 カトレアの頭部を右手が引っ掴もうとする。

 勝った、とアーロンは確信する。

 だが、それを引き裂いたのは絶叫であった。

「いや……いやぁっ!」

 カトレアの「声」が瞬時にエネルギー体と化す。瞬間的に発生した思念の嵐はポケモンのそれを遥かに凌駕するものであった。

 アーロンは至近で受け止めたせいで吹き飛ばされる形となる。

 必死に制動をかけたが、あまりに近かったせいで飛んでくる破片は避けられなかった。肩口に鉄片が食い込んでいる。

 血が滲み、激痛が走った。

「何だ、これは……」

 ようやく戻ってきた通常の視界でアーロンはそれを見据える。

 カトレアが肩を荒立たせて佇んでいた。彼女の周囲の空間がねじれ、緑色のオーラが棚引いている。

 波導ではない、とアーロンは感じ取る。

 波導感知を実行するも、その緑色のオーラの正体が掴めなかった。

「わたくしは、こんな事で取り乱してはいけないのに……」

 必死にその波長を押し留めようとしているようだった。どうやらカトレアからしてみてもイレギュラーらしい。

 呼吸を整えていくとオーラが薄らいでいった。

 暫時、アーロンとカトレアとの間に沈黙が降り立つ。

 今の思念の嵐、もし確定で使用出来ていればこちらがやられていた。

 息を詰めているとカトレアは首を横に振った。

「……行きなさい。わたくしの力が暴走したという事は、それはもう平時でのバトルではない。至らないわたくしの弱さが露呈したという事。もう戦闘意欲はないわ」

 カトレアがランクルスをボールに戻す。驚いたのはこちらであった。

「勝負を投げるのか」

「もう勝負にならない、と言っているのよ。フロンティアブレーンは格調高いポケモンバトルが売りの集団。だというのに、わたくしは感情で戦ってしまった。一時とは言え、それは弱さ。自分を律する事の出来ない人間は、フロンティアブレーンを名乗る資格はないわ」

 カトレアが完全に矛を収めるつもりらしい、と理解したアーロンはこちらも攻撃姿勢を解いた。

「コクランはでも、わたくしなんかより本気よ。彼の正義感を侮ってはならない。瞬撃抹殺がフロンティアブレーンの命題だというのならば、彼はやってのける。手遅れにならないうちに行きなさい」

 カトレアは、というと呼吸を整え、その場にへたり込んだ。

 アーロンが手を貸そうとすると、「来ないで」と声が飛んだ。

「勝者にそこまでされたらわたくし、悔しさでどうにかなってしまう。あなたは勝ったのよ。次に進みなさい」

 その言葉を受けてアーロンはビルの壁面を目にした。

「行くぞ」

 電気ワイヤーで跳躍しようとするとコートを引っ張られた。

「アーロンさん。あたしも、アンズちゃんを説得したいです」

 メイが、決死の覚悟を口にしていた。アーロンはしかし、突き放す。

「俺でも瞬撃の道をどうこう出来るとは限らない。奴とて暗殺者だ。暗殺者には暗殺者のルールがある。その流儀に、余人が口を挟めるものじゃない」

「でもあたし達、一時でも家族だったじゃないですか……!」

 家族。その言葉にシャクエンと交わしたかつての自身の過去が思い出される。

 自分は血を軽んじていた。血の因縁だけは取り払えないと師父は言っていた。

 ――では血の繋がらない、家族はどうなのだ?

 血は繋がっていなくとも、ましてや関連性など一時期のものでしかなくとも、それは家族と呼べるのだろうか。この世で最も尊ぶべき、血の宿命と同じだと言えるのか。

 アーロンには答えは出せなかった。

 ただメイは、その答えの一端を持っている気がした。

「……言っておくが戦闘になれば振り落とす」

「分かっています。あたしだって、戦える」

 メロエッタの入ったボールをメイがさする。アーロンは電気ワイヤーをビルに引っかけた。

「行くぞ」

「はい」

 メイを抱えたままアーロンは戦闘域を跳躍した。


オンドゥル大使 ( 2016/07/29(金) 15:11 )