MEMORIA











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煉獄の菖蒲色、焼け落ちる世界
第八十八話「Reecho Final」

「オウミ!」

 アーロンが駆け寄る。心臓を的確に射抜いた致命傷であった。波導の眼を全開にするが治療法が見当たらない。心臓を射抜かれて無事な人間がいるはずもない。

「オウミ……お前は……」

 オウミの手を握るとそこから記憶の波導が流れ込んでくる。

 最後の意思が自分に告げていた。

 ――シャクエンを守れ、と。

「最初から。お前は最初から、悪に徹するつもりで……」

 呼吸音と大差ないオウミの声が漏れ聞こえる。自嘲気味の笑みを浮かべていた。

「なぁ……波導使い、さんよ……。火ぃ、くれねぇか……。煙草が、吸いてぇ……」

 オウミの懐に入っていた煙草の箱は血に汚れていた。それでもアーロンは箱から一本取り出し、火を点けてやる。オウミがそれをくわえてぼやいた。

「まずいな……。こんな、まずい煙草は、生まれて初めて、だよ……」

「オウミ。俺からの願いだ。生きろ。お前には生きて罪を清算する役目がある」

 アーロンの言葉にオウミは僅かに目を見開く。

「意外……、お前は、んな事、絶対に、言わないと、……思っていたよ」

 波導を注ぎ込もうとするが全て抜けていってしまう。元々、自分は波導を相手に与える事は出来ない体質だ。

「こんな時に! 俺はこんな時に、何も出来ないのか!」

 オウミはこの街の背信者だったのだろう。だが、それでもこの男なりの矜持があった。生きていた意味があった。それさえも、この街は呑み込むのか。大いなる流れの下に、この男の生があったのだと。

「ああ、クソまずい、煙草だ。こんなんなら、やめときゃ、よかったな……」

 オウミの口から煙草が滑り落ちた。

 その意味を、シャクエンは黙って目にしていた。

 自分をかつて利用しようとした男。その男の今際の際を見つめる彼女の瞳はどのような感情が浮かんでいるのだろう。

 少なくとも、オウミを軽蔑するような眼ではないのは確かであった。

 エアームドの編隊が空を引き裂いていく。

 アイアントの群体が地を打ち鳴らす足音を止めた。クイタランとドリュウズが侵攻する音を消し、一転して静寂が訪れる。

 全てはこの男の――悪に生きた男の鎮魂のための静寂に思われた。
















「冗談じゃない、わしは、わしだけでも生き永らえなくては……」 

 ゲンジロウは焦って黒服達を呼び寄せる。屋上に陣取っていたヘリコプターが起動準備を始めていた。

「早くしろ! まだエンジンがかからんのか!」

「あまりに急いでもかかりませんよ。これでもスクランブルなんです」

 早くしなければ、自分はホテルの尖兵に殺される。

 いや、殺されるだけならばまだマシか。

 笑いものにされ、この野望が意味のない事のように潰される事が最も恐ろしい。

「わしは、人生を賭けたのだ! だというのにあの悪徳警官、こんな時に役に立たずに死におって! 都会者には分からんさ! どれだけの覚悟でわしがこの街に打って出たのか。どれだけの金と時間をかけて、熾天使を使えるようにまで引き上げたのか。わしは……」

 その言葉尻を裂くように鋼の銃弾がヘリのすぐ傍を掠めた。天を仰ぐと鋼の翼を持つポケモンが空域を見張っている。既に射程内であった。

「い、嫌だ!」

 ゲンジロウがヘリから身を乗り出し、逃げようとする。黒服達が制そうとするがその行く手をエアームドの放った攻撃が塞いだ。

 屋上から下階へと繋がる階段をゲンジロウが駆け降りる。

 息せき切って向かった先には車があるはずだった。

 他の部下には隠し通していた自家用車だ。ゲンジロウはすがるように車のドアを開けて乗り込む。

 部下の命など最早頓着していられない。

 自分さえ生き残れれば計画は存続出来る。

 熾天使はまた蘇るだろう。

「そうだ、わしは、熾天使のために……。だというのに、あの失敗作が! 醜態を晒しよって!」

 エンジンをかけようとしたところで、ボンネットに何かが降り立ったのを目にした。

 ――青いコートを翻し、死神が佇んでいた。

 声にならない叫びを発し、ゲンジロウは車から逃れる。その瞬間、ボンネットから黒煙が上がり、車が内側から焼かれたのが分かった。

「嫌だぁ! わしは、まだ……」

 逃れ逃れて地下の貯水庫へとゲンジロウは降りていく。

 タンクの陰に隠れようとしたが、貯水タンクが内側から膨張し、水を降り注がせた。

 ああ、と呻きながらゲンジロウは水浸しになった地下空間を這いずる。

 死神が靴音を響かせて近づこうとしてくる。

「やめろぉ、わしは……、まだ生きなければならん。そうでなければ、何故、ホテルを敵に回した? そうでなければ、全てを犠牲にする覚悟など……」

 蹴躓いた身体が泥水の中でもんぞり打つ。立ち上がろうとした瞬間、脚に電撃を浴びせかけられた。

 その一撃で脚の神経が全て断ち切られる。

 最早、腕の力で這いずるしかなくなったゲンジロウは、ただただ祈った。

「嫌だ……。死にたくない、死にたくないぃ……」

 その後頭部へと、冷たい手の感触が伝わる。

 肉迫していた死神が力を込めた。

「やめろ! わしは、意義があるんだ! 金か? 金ならあるぞ! ハムエッグの、ホテルの倍額は出そう! それでも足りんのならば全財産だ! それを全て、お前に賭ける。どうだ? 悪い条件ではないだろう? だから――」

「黙れ」

 ただの一言だけだった。

 次の瞬間に放たれた電撃によって内奥から断末魔が迸り、ゲンジロウはよだれを垂らしたまま、動かなくなった。誰にも看取られない無様な、最期であった。


















「全小隊に死傷者はなし。放たれた鳥は全部、無事に帰ってきた。これで満足? ハムエッグ」

 ラブリは通信を繋いでいた。相手はこの街の盟主である。

『正直な感想を言うのならば、惜しかったな。あと二時間あれば、スノウドロップを出す条件が揃った』

 やはり最初からこの戦いは自分達ホテルとハムエッグの内部抗争に端を発したものだった。それに不運にも巻き込まれたのが、アーロンであり炎魔と熾天使、それに……。

「葬列には参加なさるの?」

『惜しい人を亡くしたよ』

 それだけだった。ハムエッグは通話を切った。

「お嬢。オウミ警部は背信者です。どうして、率先して弔いなど」

「聞いての通りだったでしょう、軍曹。オウミ警部とて、自分の信念に従って行動したまで。わたくしは、そこまで薄情ではないわ。彼を介錯したのは、言うまでもなくわたくしだもの」

 ラブリは身を翻す。軍曹がその後に続いて小隊へと伝令する。

「縦貫道の閉鎖をあと二時間だけ続けろ。この街のために命を賭した男の弔いだ。もう……陽は昇ってしまったが、な」

 朝陽がこの街に覚醒を促す。たった一人の犠牲など関係なく、日々は続いていく。だが自分達は裏に生き裏に死ぬ。この街の陽の当たる場所での死に様は望めそうにない。軍曹はそう感じてラブリの背中を追った。


オンドゥル大使 ( 2016/07/14(木) 20:31 )