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煉獄の菖蒲色、焼け落ちる世界
第八十五話「Readjust Fortress」

「馬鹿な……。炎魔だと……」

 アーロンにはわけが分からない。今までオウミが炎魔の権利を奪い取って戦っていたのだとばかり思っていた。だというのにこれはどういう事だ?

 何故、炎魔のポケモンであるバクフーンが二体いる?

 オウミは口角を吊り上げて炎魔シャクエンの到来を目にしていた。

「来る頃だと思っていたぜ」

 どういう意味なのか。アーロンは今しがた自分を守った炎の皮膜さえも解せない。

「何だ? どういう意味なんだ、炎魔!」

 シャクエンは目を伏せてただただ事の成り行きを諦観しているようだった。

「そう……。やっぱり、あなただった」

 シャクエンが駆け出すと同期したバクフーンがもう一体のバクフーンへと攻撃を放つ。炎の襟巻きがぼっ、ぼっと分離したかと思うと火炎弾となって降り注いだ。

 だがその炎はもう一体のバクフーンへと吸収されてしまう。シャクエンが舌打ちする。

「貰い火特性! やっぱり、そのバクフーンは!」

 確信を得たような声音のシャクエンが今度は見当違いの方向へと炎を放った。オウミの遥か後方である。

 何もないように思えたその場所へと突然にバクフーンが疾駆し、炎を吸い取る。

 すると不可視の皮膜に包まれていた何かが姿を現した。

 少女であった。

 青い瞳をしており、シャクエンとは対照的な白装束を纏っている。結い上げた白髪も、その眼差しも全て、シャクエンを真逆にしたような存在であった。

「ようやく見つけた。――熾天使」

 シャクエンの声に熾天使と呼ばれた少女がフッと笑みを浮かべる。

「はじめまして、炎魔シャクエン。うちは熾天使、モカ」

 名乗りを上げたモカという少女は手を払う。それだけでバクフーンが疾走する。シャクエンも手を薙ぎ払った。炎の拳を持つ双方がぶつかり合い、激しくもつれ込んだ。

 シャクエンのバクフーンが蹴りを放つが、モカの操るバクフーンはそれをいなし、鋭い牙で噛み付いた。口角から炎が噴き出し、牙の威力を高める。シャクエンのバクフーンが負けじと炎の襟巻きを拡張して一時的な防御膜を形成した。その膜で弾かれたように両者が後退する。

「炎魔、どういう事だ……。何で、奴も〈蜃気楼〉を使っている?」

「敵のバクフーンは少し違う。よく見て」

 シャクエンの声に目を凝らすと、相手のバクフーンは僅かに薄紫色である。暗がりだったのでほとんど差異はないように思われたが、よくよく観察すれば違った。

「どうしてだ。何故、今に至るまで出てこなかった、炎魔」

 アーロンの詰問にシャクエンは顔を伏せる。

「どうしても、やらなければならない事があった。私が唯一、清算しなくてはならない因縁。この街に、彼女がやってきたという情報を得てから、私は熾天使を炙り出さなければならなかった。それは炎魔の血の宿命」

 何を言っているのか。アーロンの質問の口が開かれる前にモカが声にする。

「うちも、こんな状況下であんたに会えるとは思っとらんかったわ。炎魔、シャクエン」

 僅かにコガネ弁の混じった口調にアーロンはうろたえる。熾天使とは何なのだ。その疑問を解消する前にモカはオウミに近づき、その腕に擦り寄った。

「今のうちの宿主はこの人。炎魔、かつての自分の宿主を天敵である熾天使に奪われた気分はどう?」

 オウミが操っていたわけではなかったのか。アーロンが遅い理解を示す前に、シャクエンは敵を見据える眼を向けた。

「熾天使モカ。あなたは私が殺す」

 膨れ上がった殺気にバクフーンが弾かれたようにモカとオウミへと攻撃を見舞おうとする。だがそれを阻んだのは薄紫色のバクフーンであった。

 炎の襟巻きに点火し、バクフーン同士の戦いが始まるが、その形勢もすぐに一変する。

 こちらのバクフーンの攻撃のことごとくを相手が吸収し、無力化するのだ。そのせいで炎の拳の一発だって通らなかった。

 モカのバクフーンがシャクエンのバクフーンを足蹴にして、征服したように咆哮する。シャクエンが歯噛みした。

「勝てへんのは辛いよね。でも、分かったやろ? うちの〈蜃気楼〉には勝てへんよ。どんだけ頑張っても」

「黙れ、熾天使!」

 張り上げた声に同調してバクフーンが全身から炎を噴出させる。その勢いだけでバクフーンが身体を丸まらせて転がり、シャクエンの下に帰ってきた。

「手数、場数、能力、逆転する力、その辺、全部併せ持ってるのが〈蜃気楼〉と名付けられたバクフーンの特徴。でも、忘れてへんのやったら分かるはず。うちの〈蜃気楼〉があんたのバクフーンのカウンターとして存在してる事を」

 その言葉にシャクエンは舌打ち混じりに手を払った。

「黙れ、黙れ! その減らず口、利けないようにしてやる!」

 主の怒りにバクフーンの内奥から炎が点火し、膨れ上がった殺気の渦が拡張した襟巻きの炎熱へと繋がる。

 まさしく怒りの業火。だが、モカはうろたえるわけでもない。

「〈蜃気楼〉、分からせてやり」

 疾走した相手のバクフーンが瞬時に不可視となる。しかしシャクエンにはそれが見えているようだった。

「五時の方向、分かっている!」

 炎の爪が一閃するが、直後に現れた相手のバクフーンが拳でこちらのバクフーンを圧倒する。通常の殴り合いのように思えるがアーロンの眼には違って見えていた。

 波導を感知する眼がその戦いの真の意味を感じ取る。

「炎が……波導が奪われている?」

 バクフーンの波導が次々と相手のバクフーンに奪い取られ、その分だけ相手が強大になっていくのが分かった。先ほど発せられた貰い火という特性に由来しているのだろうか。

 アーロンの行動は速かった。即座に電気ワイヤーを発生させて戦闘に割って入る。

 こちらを圧倒しようとしていた相手のバクフーンが後ずさる。

「電気の攻撃には旨味はないね」

 アーロンはシャクエンの前に出て手を振るう。

「理由は分からない。だが炎魔。このままでは確実に負ける事だけは確かだ」

「でも! 私は熾天使を殺さなければ!」

「聞こえているのならば、退け、炎魔。俺が請け負う」

 その言葉にモカが笑い声を上げた。

「出来るん? 波導使いの殺し屋さん。うちのバクフーン、今すごいパワーアップしとるよ?」

「関係がないな。自分は見えないところで操り、オウミを矢面に立たせている時点で、俺の敵ではない」

「言うやないの。〈蜃気楼〉!」

 声に弾かれたバクフーンがアーロンへと炎の爪を放つ。アーロンは身をかわし様、電気ワイヤーを括りつけた。首を取った電気ワイヤーであったが襟巻きの噴出に邪魔される。だが次の布石は打ってあった。

 バクフーンが踏み込んできた瞬間、地面に仕掛けておいた電気の網が誘発されその身体を絡め取る。

 恐らく十秒も持たない拘束だったが今は充分であった。

 アーロンはシャクエンの手を引き、ビルの谷間へと身を乗り出した。

 その背中へと相手の炎がかかろうとしたが、その時にはアーロンは既に次のビルへと飛び移っていた。

















「逃がした」

 モカの声にオウミは手を振るう。

「ヒヤヒヤさせてくれんなよ。宿主の無事くらいきっちり責任取ってくれ」

「分かっとるよ。うち、あの炎魔とは違うから。宿主の鞍替えなんかせぇへんし」

 嘘だった。この炎の暗殺者――熾天使は今、親指一本でも違えば宿主を替えられる。それこそがゲンジロウの発した強みであった。

 オウミはポケナビの通信を繋ぐ。通話口から声が聞こえてきた。

『どうかね? 我が熾天使の力は』

「充分だ。あのシャクエン相手に優勢とは、恐れ入ったぜ。だが、オレが囮になる必要あったのか?」

『これから先、熾天使が炎魔に成り代わるためには、その存在そのものを脅威と位置づける事が必要。だから、まだ姿は割れてはいけない。お前だってそうしたろう? 最初に炎魔を使った時には』

「ああ、その通り。炎の暗殺者は相手に悟られちゃお終いだが、それにしたって念の入りようだな。あの波導使いが割って入ったのも計算か?」

 アーロンの戦闘介入さえもこの老人は読んでいたのだろうか。その問いにゲンジロウは否と返す。

『まさか波導使いが現れるとは。件のスノウドロップと痛み分けをした殺し屋だろう? 奴から熾天使の内情が漏れると面倒だ。ホテルの殲滅対象がこちらへと変わる。この夜のうちに、炎魔をホテルが殺し、その代わりとして熾天使が成り代わる計画に支障を来たす』

 そう、全てはシャクエンに罪をなすりつけ、ホテルの逆鱗に触れて殺すための遠大な計画であった。

 今宵、ホテルが全兵装を開放する。その期に乗じて炎魔シャクエンの抹殺と、この街における支配構図の塗り替え。それこそがゲンジロウの目的であり、自分の乗った賭けだった。

「大丈夫なんだろうな? この熾天使は、波導使いぐらいは殺せる実力があると思っても」

『心配要らんわ。熾天使は無敵の殺し屋。あの炎魔のカウンターだぞ? 波導使い程度に、遅れは取らんよ』

「だといいんだが」

 オウミは改めて熾天使モカの姿を眺める。白と黒を反転させた、シャクエンとは真逆の存在であった。

 煙草の火を点けようとするとモカが炎を灯し手を差し出す。

「気が利くじゃねぇか」

 紫煙を肺の中に取り込み、オウミは一服する。このままではホテルの戦闘域に到達するだろう。

 アーロンとシャクエンとて逃げられる範囲は狭い。このままじりじりと追い詰められるのは果たして自分達かそれとも……。

「爺さん。一つだけ忠告しておくぜ。波導使いを侮るな」

『何だ? お前さん、奴の味方か?』

「味方とか敵とかじゃねぇ。あいつの実力はオレが一番分かっている。波導を使うって事は、あんたが思っている以上の脅威だ。貰い火特性の〈蜃気楼〉だって、あの波導使いの前じゃ分からねぇよ? 勝てないかもしれん」

『たわけた事を。熾天使は無敵だ。絶対に負けはない』

 断言したゲンジロウにオウミは通話を切った。

「そうかい……。だが、炎魔と波導使い、厄介なのを敵に回したって事くらいは分かってんだろうな、あのジジィ」

 煙い吐息を発すると、宵闇の中に溶けていった。

















『こちら、ガンマ小隊。見敵しましたが、思わぬイレギュラーに遭遇し、逃してしまいました。敵は炎魔だけではありません。波導使いアーロンの介入がありました』

 報告の声にラブリは眉を跳ねさせる。

「波導使い? あのクズが何で炎魔側に?」

『理由は不明ですが、こちらのクイタランとドリュウズが無力化され、ガンマ小隊としての追撃は難しそうです。今までわざと位置を割り出させていたように動いていた炎魔も急に読めなくなりました』

 軍曹が紅茶を運んでくる。ラブリはそれを手で制して返答した。

「待って。読めなくなったという事は、現在、炎魔の所在は?」

『不明です。枝をつけようにも波導使いの介入のせいで』

「意味がなくなった、というわけ。無理もないわ。波導使いに枝はつけられないものね。で、動いていたのは炎魔だったのかしら?」

『いえ、それが……。動いていたのはバクフーンと、オウミ警部だけで』

 その報告にラブリは疑問を抱いた。一度通信を切り、軍曹へと声を振り向ける。

「どう思う? 軍曹」

「はっ。炎魔が波導使いと手を組んだ、という線でしょうか?」

「あり得るとでも?」

「百パーセントではありませんが、オウミ警部の性格から鑑みて難しいでしょうね。一時的に手を組んでもどうせ破局します」

「同意見だわ。わたくしも即席の同盟なんて当てにならない事くらい分かっている。でも、オウミ警部がどうしても生き永らえたいと思ったとすれば? この同盟、ちょっと厄介ね」

「いえ、それはありません。オウミ警部は根っからのギャンブラー。波導使いとの連携など望んではいないでしょう」

 この部下の的確な状況認識は役立つ。ラブリは首肯してから、「紅茶を」と手を伸ばす。軍曹から手渡された紅茶はほんのりと甘い。

「いい茶葉ね」

「恐縮です」

 口に含んでその味わいを楽しみつつ、ラブリは戦局を示す矢印と円、それにバツ印を目にした。

 矢印はアイアント部隊の侵攻を。円はエアームド飛行隊からの報告を。バツ印はガンマ小隊の潜伏場所を示している。

 ほぼヤマブキの全域に張り巡らされた三つの小隊の侵攻と目を誤魔化すのは至難の業だ。たとえ波導使いであろうとも、どの部隊とかはかち合う事となるだろう。

「波導使いであっても逃げ切れないわ。この包囲陣、わたくしとしても満足いっている」

「その割には、一家言ありそうですね」

 心得た部下の声にラブリは笑みを浮かべた。

「あのクズ……波導使いを過小評価してはいない。スノウドロップと痛み分けした相手よ。正直なところ不安のほうが大きいわ。どの小隊かは必ず、あの波導使いと戦わなければならない。戦えば兵に犠牲が出る」

「お優しいお嬢は、兵に無用な緊張を強いたくない」

 頷き、ラブリは円を指差す。

「エアームドが感知していない範囲に行こうと思えば地上部隊とかち合う。かといってビルの屋上ばかりを移動すればエアームドの眼からは逃れられない。どっちかと戦う事になるでしょうね。心が痛いわ」

「波導使いとて慈悲があると思いたいですが……」

 濁したのはアーロンの目的が見えないからだろう。ラブリは紅茶をすすってから声にする。

「波導使いアーロン。何を目的にこんな分の悪い勝負に打って出たのか。考えられる理由は大きく三つ」

「ハムエッグの手の者、の可能性」

 第一に浮かんだのはそれだったがラブリは、「半分、ね」と応じた。

「半分正解でしょう。この街で動くに当たってわたくしかハムエッグかに協力を仰ぐのは定石。でも波導使い自ら打って出るのは少しばかり不本意でしょうね。あのクズはクズの割には平和主義者だから。自分から戦闘の渦中に割って入るのがどれだけ分が悪いのか理解している」

「では人質の可能性。波導使いは何かをハムエッグに取られている。その弱みに付け込まれた」

 そうなってくると浮かぶ人間は一人だ。

「あのメイとか言う小娘、でしょうね。でも波導使いがメイ一人の人質程度でハムエッグの言う通りに動くかしら? もう一つ、あると思うわ」

 軍曹ももう一つに関しては思い至らないらしい。ラブリは指を立てて言ってやる。

「今回の大元、炎魔の処遇。それに関して波導使いは思うところがあって独自に調べていた。その途中で人質を取られ、ハムエッグの言う通りに動かざる得なかった。これならばある程度の知識があってホテルに挑んだのだと知れる」

「ですがそれだと、炎魔の所在そのものが不明であったという事になります。所在を知りたくば、こちらにも情報を通すのが筋では?」

「それが出来ない理由付けとして、ギリギリであった、という推論が出来る。波導使いはギリギリまで今回の事件の本性を伏せられていた。分かった時には後戻り出来なくなっていた」

 そう考えれば、波導使いの不可解な行動もまだ理解出来る。しかし軍曹は顎に手を添えて考えを巡らせ直す。

「それだとおかしいのは、波導使いアーロンが自ら割って入った理由です。炎魔の確保なんてしなくとも、我が方の作戦を黙って見ていればいい。波導使いが戦う理由がない。どうして炎魔を守るような真似を?」

「さてね。その事に関しては不明だけれど、炎魔が波導使いにとってあの小娘以上に必要不可欠な存在になっていたとすれば、少しばかりは筋道が通るわ」

「……情に流されたと? あの不屈の波導使いアーロンですよ?」

「どうかしらね。最近の波導使いは少し様子がおかしかった。ちょっとばかしイレギュラーな行動に出ても何ら不思議ではない」

 この場所で街を俯瞰しているラブリからしてみればその行動ですら異常ではない。全て、その手中にある。

「我が方の邪魔立てをするのならば」

「分かっている。全小隊に告ぐ」

 広域通信を繋ぎ、ラブリは宣言した。

「新たな敵性勢力を確認。相手は波導使い、アーロン。ホテルミーシャの名の下に命じる。――波導使いを殲滅せよ」

 その号令に小隊長達から応じる声があった。

『アルファ小隊、了解!』

『ベータ小隊、了解!』

『ガンマ小隊、了解!』

 それぞれの了承の声を得てラブリは作戦図を見直す。

「負ける気がしないわ、波導使い。その裏にいるかもしれないハムエッグも。我が方の戦闘術の前においては、全てが些事」


オンドゥル大使 ( 2016/07/09(土) 20:06 )