MEMORIA











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煉獄の菖蒲色、焼け落ちる世界
第八十三話「React Force」

「現状、下っ端との連携が取れていない状況です。このままでは……」

 軍曹の濁した言葉にラブリは応接室で考えを巡らせていた。

「分かっている。我がホテルの沽券に関わる」

「どうなさいますか? カヤノ医師が協力を呑んでくれればあるいは」

「駄目ね。一度ノーと言った相手に二度目の交渉を挑むのはスマートではないでしょう? それに、パパは意固地よ。絶対にうんとは言わない」

 カヤノに全責任を負わせてこの抗争の火消しに徹してもらおうと思っていたが当てが外れた。こうなってしまった以上、波導使いかあるいはもう一つの戦力を期待するしかない。

「瞬撃……、使えそう?」

「波導使いの下にいるあの少女ですか。交渉は出来ますがその前に」

「波導使いが割って入ればお終い、ね。分かっている。分かってはいるんだけれど……」

 どうしても考えが纏ってくれない。下っ端の被害は最早、こちらの我慢の限界を超えつつある。すぐにでも炎魔討伐の指揮を執るべきであった。だがその場合、守りが手薄になる。

 その隙をハムエッグ辺りに突かれるのは面白くない。いや、ハムエッグならばまだ礼節を心得ているだろう。それ以外の、我が方に私怨を持ち込んでいる輩の介入が最も危惧すべき問題だ。

「システムOSの一件で、絶対に考えに浮かばせなければいけないのは第三戦力だって気づけたもの。我が方と国防軍、それにもう一勢力、あのOSを持っている人間がいる。システム班に連絡は?」

「既に回していますが、やはりまだ解明出来ない部分の多いシステムのようで……」

 つまり、今電脳戦を仕掛けるべきではない。そもそも敵勢力が一体。たった一人の暗殺者に付け焼刃の電脳戦は間違っている。

「……でも、絶対にいるはずよ。炎魔を使って何かを仕掛けようとしている奴が。でなければ我がホテルに喧嘩を売るなんて」

 あり得ないはずだ。しかし、と考えに浮かんだのはプラズマ団である。

 あの礼節も何も弁えない素人集団ならばあり得るか、と考えて否、と頭を振った。

 あの素人共ではまず炎魔を雇えまい。

 いよいよ思考の袋小路に入った気がしてラブリは頭痛を覚えた。軍曹が手早く気づいて、「ご気分が?」と窺ってくる。

「いえ、大丈夫。それよりも何よりも、気分を害するものがあるとすれば、それは我が方に敵として屹立する暗殺者、炎魔。何をもって、我が方を敵に回したのかは知らないけれど、思い知らせる必要がある」

 決断は早期に行うべきだ。ラブリは立ち上がって、応接室を出た。

 外では決戦の気配に備えてホテルに在籍している百人の人員がいた。百の兵力で、どこまで炎魔と拮抗出来るか。ラブリは単純に、分の悪い勝負であると考えていた。

 一対百。幾百の連戦に身を置いてきたつわもの達とはいえ、過信は禁物だ。敵はこの街では最強の誉れ高い暗殺者。

 しかし、自分達以外に誰が止めるというのか。

 悪を止めるのは悪でなければならない。正義はこの街には存在しないのだから。

「……総員に告ぐ。武装展開」

 武装展開の声にホテルの人員は挙手敬礼を自分に送る。一糸の乱れもない完璧な統率。それこそがホテルの強みであった。

「武装展開」と軍曹が復誦すると、前に三人、歩み出た。

 一人は背の高い女で名をサヤカという。屈強な面持ちの男は名前をニヘイ。もう一人はウェーブのかかった金髪の女で、ジェーンといった。

「サヤカ伍長、その総数は」

「我が方、総兵力三十五であります!」

 張り上げられた声には既に戦闘の気配が漂っている。続いてラブリはニヘイに目線を向けた。

「問う。ニヘイ曹長、その総数は」

「我が方、総兵力二十七!」

 ラブリは最後にジェーンに目を向けた。

「ジェーン兵長、その総力は」

「我が方、総兵力二十八です!」

 全員の兵力を確認してからラブリは葉巻を要求した。軍曹が葉巻を取り出して火を点ける。

「よろしい。総兵力百! しかし我が方の戦力は、揃いも揃って精鋭中の精鋭。一個師団がそのまま、各国の軍隊の最高幹部に相当する能力を携えている。一の兵とて、わたくしは軽んじてはいない。一兵卒であったとしても、その力、その戦力は暗殺者のそれを軽く凌駕する。……だからこそ、心して聞け。今回の獲物はただの殺し屋ではない。そこいらにたむろする雑魚とはわけが違う。大物だ。名を炎魔!」 

 炎魔の名に、数人かはびくついたようだがそれを瞬時に覆い隠すのは彼らの自負である。

 ホテルミーシャの兵である、という自負。彼らのこれまで積み上げてきた強さ。それが暗殺者、炎魔の恐怖を瞬時に消し去った。

 代わりに訪れたのは戦意。

 絶対に勝つという鋼のような戦意である。

「貴君らは、ただの兵ではない。選び抜かれた、ホテルの中でも精鋭の部類。だからこそ問う! 貴君らは同朋を踏み躙られ、焼き殺されて何と感じるか!」

 サヤカが歩み出て声にする。

「我がアルファ小隊は怒りを。堪えようのない、地獄の業火よりもなお色濃い怒りを感じます。その怒りを糧に、ホテルに勝利をもたらすでしょう!」

 次いでニヘイが歩み出て声にする。

「我がベータ小隊は悔しさを。この身を引き裂きかねない苦渋と悔恨を感じています。その悔しさを糧に、ホテルに勝利をもたらすでしょう!」

 最後に歩み出たジェーンは他の二人よりも声を高々と張ってみせた。

「我がガンマ小隊は殺意を! 他の感情よりも耐え難い殺意が渦巻き、血潮の一滴に至るまで、殺しつくす事を! この殺意を糧に、ホテルに永劫の勝利を!」

「よろしい。ホテルミーシャ、臨戦態勢!」

 ラブリの号令に全員が踵を揃える。

「連中には我が方を敵に回した事を存分に味わわせてから殺せ。いたぶるな。ただ殺せ。嬲るな。しからば殺せ。弄ぶな。即座に殺せ。興に浸るな。その最中に刃を突き立てよ。背筋、身の毛、一本に至るまで、このホテルを敵に回した事を染み渡らせよ」

 サヤカ、ニヘイ、ジェーンがそれぞれの小隊のエンブレムが施された腕章を突き出す。

「貴君らは誉れ高いホテルの戦士。その戦果は限りなく、栄光に照らされたものと知れ!」

「総員、戦闘配置! 我が方はこれより、炎魔殲滅作戦、イタチ狩りを敢行する!」

 全員が一斉に振り返り、微塵の迷いもなく歩み出した。

「世話をかけるわね、軍曹」

「構いません。お嬢の決めた事です」

「ホテルが全軍を挙げて戦うという事は、わたくしも前線に出る。炎を操る暗殺者を滅殺するのに、微塵の迷いもない」

「お嬢、無茶の過ぎる時には」

「分かっている。わたくしをいさめなさい。それにしたって」

 ラブリはフッと笑みを浮かべる。戦いの予感、前夜の昂揚にぞくぞくする。

 戦闘神経を研ぎ澄ませたホテルの面々を見るだけで、恍惚が止まらない。

 ――これが久方振りの戦か。

「――わたくし、ガラにもなくときめいているわ」

 戦闘の夜が幕を切り、その日、ホテルミーシャはその本性を街に晒した。

 実に十年振りの、ホテルミーシャが小熊の皮を剥いだ瞬間であった。






















『ほ、ホテルが、全軍指揮を……。ラブリ様が……』

 下っ端の途切れ途切れの連絡からも今の状況が好ましくないのは明らかであった。

 炎魔殲滅作戦。既にホテルは炎魔を倒すべき敵と判断した。全軍を挙げての総力戦。大げさが過ぎる。アーロンはその裏に渦巻いているものがあると感じた。

「ホテルは、何の考えもなく寝床を開け放つものか。何か考えがある。この期に乗じて動く人間を制する役目もないなど」

『で、ですが波導使いの大将。炎魔はこの街では知らぬ人間のいない殺し屋。ガキだって知ってまさぁ。悪い事をすると炎魔が来るって』

 だからと言って全軍を用いて掃討作戦を講じるか。アーロンには一抹の疑問があった。シャクエン本体は目視出来ない。あの時、逃がしたのが一番にまずかった。

 全能力を捧げてでも止めるべきだったのだ。

「だがホテルは、本当に炎魔だけを倒すというのか? そんな愚を冒すとは思えない。炎魔は脅威だが所詮は一人。何故、百の兵力が必要になってくる?」

 何か、自分の見落としがあるのではないか。その疑問にアーロンは下っ端に問い質す。

「本当に、百の精鋭が出たのだな?」

『間違いありやせん……。ホテルは、本気です』

「ではその兵力の置き場所は? どこに置くと言うんだ? 百の兵をただ放っただけでは考えなしというものだ。ホテルは、末端の人間には明かしていない真の目的がある」

『真の……。でもそうなると、こっちにはお手上げですって。こちとら末端構成員です。上の事なんて知る由も……』

「ラブリはどこに兵を充てようとしている? 何を御すための戦闘集団か。炎魔を一の脅威とするにしては、このやり方はスマートではない」

 アーロンは考える。ラブリの思考をトレースし、あの少女ならば何を考えるのか。何を至上目的とするのかを。

 自分の末端兵がやられた程度の私怨、いくらでも取り返せる。ホテルの面子が持たない、というレベルの汚され方ではない。所詮は、暗殺者の児戯、だと判じればいいところだ。ホテルそのものにも、恐らくラブリの真意は伝わっていない。

 彼らはそういう兵士だ。

 ラブリを女王として成り立つ軍団である。

 女王の真意をいちいち窺うような生易しい者達ではない。まさしく武士の名が相応しい兵力であった。

「暗殺者の遊びだと判じていない。最初から、ホテルには別の目的がある……?」

 そう考える他ない。ラブリは何か、別の目的のために視線を誘導させている。ホテルの圧倒的兵力、という隠れ蓑の上に成り立つ極秘作戦とは何か。

「兵装を開け放ってまで、何を求める? ラブリが試したいのは、何だ?」

 あらゆる可能性を視野に入れる。プラズマ団――否だ。この状況で掻き乱すには好条件であるが、ホテルが本気を出す相手ではない。

 ハムエッグも違うだろう。拮抗状態こそが両者の合意の上のはず。この状態で足並みを崩すのは逆に短命になるだけ。

 では別の、第三勢力は? 

 そう考えてルイの一件を思い返す。

「まさか。ホテルの真意は炙り出しか?」

 その考えに至った時、この条件で最も隙をつける部門は何か、と思考を巡らせる。

 システム面、兵力面、痛み分けになった時も鑑みた作戦行動。アーロンはハッとして呟いていた。

「……前回、システムOSを掻っ攫った人間。その炙り出しのためにわざと、炎魔の被害を装った?」

 だが、それにしては不可解な点が多い。下っ端を殺してまでホテルが炙り出しを行うとは思えない。それこそ下の反感を買うだけだ。

『あの、波導使いの大将……? さっきから自分で納得だけされて、こっちは何が何やら……』

「黙っていろ。俺が考えている」

『へい……』と下っ端が押し黙る。

 そもそも発端は何だ? 下っ端を殺して回っているのが炎魔だ、として得をするのは誰なのか。

 脅かしたいのは誰なのか。下っ端殺しはきっかけに過ぎない。何かを根幹から排斥するために、ホテルは兵力を挙げた。

「ハムエッグとの戦闘はまだ避けるだろう。この場合、炎魔という共通の敵を見つけ出して、一番に飛びつきたいのは第三勢力だ。その勢力はどこか……、国防軍ではない。このタイミングで出るのは得策じゃないからだ。ではやはり持ち去った個人か……。その人物の特定と、そのシステムを押さえるためのデコイ。デコイのために百の兵力を回すか? デコイも兼ねて、百の兵力を回した、と考えるべきだ。つまり、この戦い、一者を倒すためだけの戦いではない」

 炎魔と前回のシステムOSを奪った個人の特定。それだけか? とアーロンは顎に手を添える。

「もう一つ、何かを探そうとしているように感じる。その三つ目が分からない。……だが、ここまで来ればハッキリしている事がある」

『な、何でさぁ?』

 アーロンは顔を上げて夜の帳に沈んだ街並みを視界に入れる。

「――今宵、この街の勢力図が塗り替わる、という事だ」

 通話口で下っ端が唾を飲み下したのが伝わってくる。それほどの緊張。それほどの光景の具現であるのだ。

『そ、そんなおっかない事やめて、今すぐ仲良しこよしするためには?』

「そんな方法はない……と言いたいところだが、あるにはある」

『じゃあそうしましょうよ! そっちのほうが絶対にいいに決まって――』

「スノウドロップがホテルを壊滅させればいい」

 発した言葉に下っ端が言葉を飲み込んだ。ここでまさか最強の殺し屋の名前が出るとは思っていなかったのだろう。

『す、スノウドロップは再起不能って聞きましたが……』

「そう聞いているのか。間違いではないが、ハムエッグが今すぐにスノウドロップの鎖を解き放ち、目に映るもの全てを殺せと命じれば、ホテルは私兵の半分は失うだろう」

 自分との戦いで精神をすり減らしたとは言っても未だにそれほどの脅威ではある。メイが言ってもラピスは動くだろう。殺せ、という一つの言葉があれば、スノウドロップにとって百の屍を築く事などわけもない。

『半数ですか……。どうして大将は半数ってお考えで?』

「いくらなんでもホテルの私兵相手に百パーセントの勝率はないという事だ。確実に殺せて半分だろう」

 だがそれでも半分、という意味でもある。下っ端は、『ブルつきますよ』と声にした。

『それを、言ってやればいいんですよ。ホテルの人間に』

「無駄だろうな。ホテルの考えではスノウドロップは動かない。俺でも動かさないだろう」

『そりゃまた、何で? スノウドロップが動けばホテルも硬直せざる得ないんじゃ?』

「忘れたのか? 今回の獲物はあくまで炎魔だ。スノウドロップが出てくれば、それは炎魔の幇助に繋がる。ハムエッグが許すものか」

 あっ、と下っ端が間抜けな声を出す。ハムエッグが炎魔の軍門に下ると言わない限り実現しない。そうと判断されれば、ホテルとハムエッグの均衡が崩れる。

『で、でもですよ……。ここまで事態が氾濫しちゃ、もうどうしようもないんでは? それこそ、ホテルだハムエッグだとか言っていたんじゃ、いつまでも炎魔を捕まえられず仕舞いですよ?』

「だろうな。考えがあるのかを聞こう」

 一度下っ端との通話を切ってから、アーロンは繋ぎ直す。出たのはハムエッグだった。

『どうした、アーロン。何か進展でも?』

「嫌な展開になってきた。ホテルが全兵装を開け放ち、百の精鋭が街へと繰り出された」

『ほう。ホテルがねぇ』

 存外に冷静なハムエッグに、アーロンは言い含める。

「今ならば、ラピス・ラズリの制圧で半分は取れるが?」

『それは言外に、わたしがこの期を狙っていたような言い草だ』

 ハムエッグは少なくともこの機会に、ホテルの兵力が如何なるものかを割る事くらいは考えているはずだ。

「炎魔を餌にしてホテルを釣ろうって算段か」

『いやだな、アーロン。わたしはそこまで浅ましくないよ』

「では誰だ? 誰がこんな浅ましい考えで、ホテルの逆鱗に触れた? この街の人間ではあるまい」

『プラズマ団かな』

「それはない。奴らの目的はあの馬鹿の確保。論点がずれている」

 即座に切り捨てるとハムエッグは、『厳しいな』と笑った。

「何が可笑しい? 自分の思っている事態に転がって満足か?」

『アーロン。誤解をしないで欲しいのは、わたしが君に、この焼死事件を止めろ、と言った点だ。炎魔を泳がせてホテルの玉を取りたいのなら、何故君というイレギュラーを放った? 君をバーカウンターに一日でも留めておけば、この事態は君の与り知る事なく、収束していたはずだ』

 ハムエッグが言いたいのはただ一つだろう。

「俺に、この事態を止めろと?」

『炎魔シャクエンの仕業と思える焼死事件。それをホテルが押さえる前に君に依頼した。つまりわたしは、平和的解決を望んでいる、という事だ』

「平和的解決が聞いて呆れる。最早、取り返しがつかないぞ」

『だが君が炎魔や瞬撃と何食わぬ顔で日々を過ごせると、本気で思っていたわけではあるまい? 日常はいずれ終わりが来る。終焉は思っていたよりも早いぞ、アーロン。それこそ、日々の綻びが顔を見せ始めた頃には修復不可能になっているものだ。アーロン、君は爆弾を抱えている事を自覚するべきだよ。炎魔、瞬撃、それにメイというお嬢ちゃん。この三人といつまでも仲睦まじく過ごせるとでも? 唾棄すべき考えだ。君は何だ? 波導の暗殺者という本分を忘れたか?』

 ハムエッグの言っている事は分かる。自分は、いつの間にかぬるま湯に浸かっているような感覚であったのかもしれない。真の自分を解き放て。お前は非道な暗殺者だと、告げられているのだ。

「……教えられるまでもない。俺は殺し屋だ」

『では問うがね、波導使いアーロンよ。炎魔シャクエンを殺せるかね? 君は』

 迷いはある。シャクエンがやった事だという証明もないまま、自分の判断を下していいものか。だが決めあぐねている時間は過ぎた。自分が妥協案を探っている間にも、ホテルは動き、炎魔はじりじりと追い詰められる。

 自分の知らないところで、シャクエンを殺させるものか。

 アーロンは通話口に吹き込んだ。

「――愚問だ。俺は誰だって殺せる」

 その返答にハムエッグが通話先で拍手を送る。

『素晴らしいよ、波導使いアーロン。君は、本当に、賢明なる暗殺者であったという事だ。では、そんな君に敬意を表して、一つ、言っておこう』

「何だ? この状況の打開策でも?」

『ある意味では打開策だ。だが最終手段でもある。一両日中だ。一両日中に、二十四時間で事が収束しなかった場合、わたしはスノウドロップのカードを切る』

 アーロンは瞠目した。このポケモンは何と言った?

「何を……」

『何を言っているのか、って思ったかい? だが事実だ。君が動いて一日も経ってしまえば、それはもう手遅れ、というものだ。手遅れの状態のまま放置して、ではその付加価値は、と考えた場合、わたしならば捨てるね。食うに値しないものに成り下がったこの街を、どこまで存続させるかでいえば答えはノーだ。ヤマブキの盟主であると自負するのならば、終わり時も分かっているのが筋だろう』

 ハムエッグの言葉通りならば、自分にもリミットが設けられた。一両日中、二十四時間。

 その間に、この事態を収束しなければ不完全なスノウドロップが暴走し、ホテルや一般人関係なく殺し尽くす。

 ハムエッグは本気だ。いつだって本気なのだ。

 無差別虐殺を止めたくば足掻けとこちらに忠告している。

「……俺が、この事態を止められる一手だとでも?」

『わたしは君を買っている。君が思っている以上に、だ。炎魔シャクエン、これだけ一緒にいたんだ。殺す隙くらいは分かっているんじゃないのか』

「買い被るな。俺は、そんなつもりであいつと一緒にいたわけでは」

『では何だ? アーロン。君は、まさか彼女達といつまでも何の動きのない、平凡な日常を夢見て過ごしていたか? だが君はさっき言った。暗殺者だと。ならば君の仕事はこの街での異物を排除する事だ。暗殺者同士が肩身を寄せ合ってぬくぬくと過ごせると思ったかい? だがね、君達に安息などないのだよ。この世に、人殺しの咎に終わりがないように、永遠に君達は苦しみ、憎み合うしかない。殺し屋とはそういうものであるし、終わりが来るから、君達は人を殺す。そこに何の感情もなくとも、君達は殺し殺される。それは特別な何かではなく、そこに介入する感情もなく、自分の命でさえもいつか終わる事を見越して、他人の命を摘む。その権利があるのは、終わりを感じている人間だけだ』

 メイに話した波導使いの終焉が脳裏を掠めた。自分とて覚悟をして波導を使っている。そのつもりであった。今までも、これからも。

 しかしいつの間にか、この終わりが来なくともいい未来が待っているのではないかと日和見になっていたのかもしれない。メイやシャクエン、アンズと共に過ごす平穏な日々も悪くないと。

 だが、自分は今まで何人殺した? 

 覚えてなどいない。殺し屋が殺した数を数え始めるのは三流以下だ。

 もう何のために殺しを始めたのかも、思い出せない。

 それほどまでに骨身に沁みている殺しの血筋に、アーロンは歯噛みする。戻れないと知っているはずなのに。そんな事、とうの昔に分かっていたはずなのに。

「炎魔シャクエンを殺すのに、俺が迷っているとでも?」

『迷い、というよりも何かしらしこりを感じているはずだ。この選択肢でいいのか? それとも、この在り方でいいのか、かな? 君は、どこか難しく考えがちになってしまったね。以前までの君はもっとシンプルだった。依頼対象を殺し、裏切られれば殺し、気に食わなければ殺し、何の感情もなく、マシーンのように殺しを続けていた。あの時の、波導使いアーロンはとても美しかった。今の何倍も美しかったよ。だからホテルもわたしも黙認していた。君という存在を。君という最後の駆け引きの対象を。……だが、最近の君はどうだ? 安きに流され、人殺しを出来るだけしない方向に流れ、人の感情を鑑み、どこまでも理性的で合理的であった頃とは打って変わって、まるでそんじゃそこいらの人間のような振る舞いをする。わたしはね、正直なところ幻滅していた。君が、あの美しかった波導使いが、人間に成り下がっていくのがね。だからこれは好機だ。君が元の冷酷な波導使いに戻れるかどうかの好機。ある意味では賭け。わたしが押さえられるのは一両日だ。それを越えれば、わたしはスノウドロップを解き放ち、ホテルを壊滅させる事にいささかの躊躇いもない』

「何故だ。今の敵は炎魔のはずだろう?」

『敵が炎魔であっても、この街の秩序を乱したのはホテルのほうだ。バランサーとしての役割を果たさせてもらう。スノウドロップ、ラピスには薬を使ってもいい。それほどまでに、今の状況が切羽詰っているのだと、君には分かって欲しいからね』

 自分にやらせなければラピスを使ってホテルを崩壊させる。その宣告はあまりに無情で、人間の慈悲の欠片もない。 

 当たり前だ。

 相手は喋るだけのポケモン。

 人間ではないのだから。

 人間の作り上げたルールなど関係がないのだろうし、築き上げた均衡などいざとなれば崩してしまっても自分には何の被害もない。

 ポケモンは最悪ポケモンに還ればいい。だが人間はそうはいかない。文明を築き、地位を築き、秩序を敷き、ここまで作り上げた、連綿と続いてきたものをたった一夜で壊してしまうのは、あまりに非情であった。

「……俺を駆り立ててどうする? 炎魔の殺しの称号を得るつもりか?」

『君が炎魔殺害に成功すれば、君の名誉のためにもなる、と言っているんだ。波導使いに感情はないのだろう? だったら証明してみせるんだね。このヤマブキを害する存在には容赦のない鉄槌が待っている事を』

 自分の殺しの腕でもって、ヤマブキを守ってみせろ。ハムエッグの声音にアーロンは舌打ちする。

「どこまでも……人間を嘗め腐ったポケモンの言い草だ」

『どうとでも言うがいい。わたしは所詮、ただのポケモンなのだからね』

 ヤマブキの盟主も、その冠が取られればただの物珍しいポケモン。自分の地位などハムエッグには関係がない。それさえも投げ打ってヤマブキの秩序のために動く、ある意味では最強の使い手。

 アーロンは声を吹き込んだ。一両日中だというのならば、こうして喋っている事も惜しい。

「分かった。だが、炎魔を見つけた後は、俺の裁量に従ってもらう」

『波導使いアーロン。わたしは君を信じているよ。きっと、賢い選択をする』

 信じるなど、今さらどの口がほざくのか。

 通話を切ってアーロンは下っ端に繋いだ。下っ端は慌てた様子で声にする。

『大将……、大変でさぁ。もうホテルの全面展開が始まりかけている。炎魔をどこから炙り出すのかは知りませんが、この街が焼け野原になる可能性だってある……!』

「そんな事は百も承知だ。ホテルの情報をハッキングしろ」

 突然の申し出に下っ端は仰天したようだった。

『た、大将? そんな、無理ですよ! こちとら万年下っ端です!』

「ホテルの動きをモニターすら出来んのか」

『モニターって……。送られてくる情報をリアルタイムで観る事くらいしか……』

「よし、ではその情報をこれから送る端末に反映させろ。端末コードはRUIだ」

『RU……、何なんです? それ』

「疑問はいい。お前は従え。さもなくば」

『分かりました! 分かりましたよ! 端末に送ります。……知りませんよ』

 呟かれた最後の言葉で通話を切り、アーロンは次なる目標に繋ぎ直す。コール音の後聞こえてきたのはルイの声であった。

『なに、波導使い。こんな情報、もらったところで』

「下っ端からのリアルタイム情報だ。このヤマブキの監視カメラや街頭映像を解析する事くらい、お前ならばわけないだろう」

 ルイはその言葉に疑問符を挟むように返す。

『出来るけれど何故? 波導使いが炎魔シャクエンを本気で殺すつもりになったって事?』

「説明している時間はない。ホテルの包囲網を掻い潜り、炎魔に直接繋がる最短ルートを教えろ」

『簡単に言ってくれるよ……。ボク、どれだけ処理速度が速いたって、この端末からスパコンに繋がなきゃさすがにここまで解析は出来ない。優秀なOSって言っても、籠の中の鳥さ』

「では全ての権限を委譲する。お前のやりたいようにやれ。後始末はこちらが一任する」

『本当にいいの? 結構、足跡とか残っちゃうかもよ?』

「構わない。お前の持てる全てを注ぎ込んで、炎魔を追え。その情報を最短最速で俺に伝えろ。以上だ」

『待って、波導使い』

 通話を切ろうとすると、ルイが声で制する。その声音は今までよりも真剣みが強い。

「何だ、今忙しい……」

『本気で、炎魔シャクエンを殺すつもりなんだね? その選択に、後悔はない?』

 システムが人間の後悔を問うなど、と一蹴しようとしたが、あまりにもルイの言葉が本気であったせいだろう。アーロンは答えていた。

「……正直、これが正解なのかは全く分からない。ハムエッグに踊らされた形だ。だがそれでも、俺がまず炎魔のところに行かなくては、誰が行くと言うんだ。炎魔はこの戦いで失うもののほうが多い。だというのに、これを仕掛けたのは何故だ? 俺には、疑問しかない。これは、あの炎魔がやったにしては粗雑過ぎる」

『炎魔シャクエンの仕業ではない、という可能性も視野に入れているんだね?』

「可能性だがな。だがやり口は炎魔のそれだ。この街で、あの殺し方を真似出来るのは炎魔しかいない」

『状況証拠は揃っている、か……。だとすれば余計に、この事態そのものが炎魔シャクエンを追い詰めるためのものであるようにしか思えない。ホテルを動かし、ハムエッグに選択を急がせ、波導使いを導入する。どう考えても、やり過ぎだ。ここまで総員が動けば、どこかに隙が生まれる。ボクからしてみれば、その隙を突けばこの街の秩序なんて一発で瓦解するんだ。つまり、この夜そのものが、ヤマブキへと手痛い一撃を加えるためのお膳立て』

「炎魔の行動がそもそものきっかけだった。あいつ以外にこれを演出出来る人間が分からない」

『探してみよう。そのついでに、解析情報を送る。波導使いは炎魔を追って。ボクは別の方面から、この街の隙を突こうとしている奴を調べる』

「そうしてくれると助かるが、お前の事は」

『分かっているよ。ハムエッグとホテルにだけは知られてくれるな、でしょ? ボクだってこの境遇が心地いいから甘んじているだけだからね。ハムエッグやホテルのシステムになる選択肢だってあるんだけれど、そうなってしまえばボクは人格データのない、ただのシステムに成り下がるだろう。そうなるのは、ちょっと嫌だからね』

 システムが自分の境遇を選択する中、こんな自分は、と歯噛みする。

 殺し屋として、炎魔を追う事しか出来ない。どうしてもっと器用ではないのだ。

「頼む。俺のために道を拓いてくれ」

『もう始めているよ。波導使い、とりあえず移動だ』

「ああ、分かっている」

 アーロンは肩に乗せたピカチュウに「エレキネット」を命じ、ビルの谷間を抜けていく。波導の眼を全開にしてシャクエンの波導を探るが、目視出来る範囲には居そうになかった。

「どこへ行った……。炎魔」

 早く見つけ出さなければ。

 焦燥が胸を掻き毟り、アーロンは夜を睨みつけた。


オンドゥル大使 ( 2016/07/09(土) 20:04 )