第八十一話「Return False」
突然に通話が切れたと思えば、胡乱そうな声が響いた。
どうやらオウミの身柄は確保されたらしい。一手遅れた、とアーロンは歯噛みする。
青いコートを風に煽らせ、街を行き交う人々の波導を読んだ。だが、シャクエンの波導は見つけられない。
「どこへ行ったんだ……、炎魔」
シャクエンの居場所が割れない以上、目視で探すのは限界がある。オウミがわざと通話を切らないでおいたのはそちらから探れる可能性があるからだ。自分はひたすら奔走するしかない。
「ピカチュウ、エレキネット」
肩に乗ったピカチュウが電気ワイヤーを発し、アーロンは隣のビルに飛び移る。ここまで立て込んでいるのはシャクエンの活動領域を自分が認知していないせいだ。ほとんどメイに任せ切りになってしまったのが今は痛い。
「殺し屋の行くところなんて限られている、と言いたいところなんだがな」
シャクエンの目的とするのがホテル壊滅ならばホテルは大々的に動き出す。それまでの数時間か、あるいは数分間。自分はシャクエンを見つけ出し、ホテルへの謀反はない、という証明を立てなければならない。
そうでなければシャクエンはホテルに粛清されてしまう。
「だが、当の本人も見つからない。こうなれば、賭けだが」
アーロンは一度目を瞑り、呼吸を整えてから、カッと開いた。
波導の眼を全開にして、シャクエンを探す。この方法は波導使いとして、波導を過度に使用するために出来るだけ避けたい処置であったが、今回事が事だ。少しでも早く、シャクエンを見つける必要に駆られていた。
すると視界の端でシャクエンのものと同じ波導が映る。
そこから先のアーロンの動きは迅速だった。
ビルの谷間を抜け、身を翻してシャクエンの波導の昇った場所へと降り立つ。
路地裏であり、シャクエンはバクフーンを繰り出していた。
今まさに、ホテルの小間使いの男へと攻撃を仕掛けようとしている最中であった。アーロンは咄嗟に電気ワイヤーを飛ばす。前に出たバクフーンが腕に絡めつかせた。
「そこまでだ」
アーロンの声にシャクエンが目線を振り向ける。どこか虚ろな眼差しにアーロンは問い質していた。
「何故だ、炎魔」
シャクエンはバクフーンに視線をやってから何でもない事のように口にする。
「波導使いか」
「何故、殺し屋に戻った? 炎魔」
「世の中の道理、というものがある。灰は灰に、塵は塵に還る。殺し屋が殺しに戻るのも、それと同じ」
「やめろ。お前がそんな風に言葉を弄するなんて」
「似合っていない? 私もそう思う」
シャクエンはどこか力の入っていない様子だ。今ならば無力化出来るか、とアーロンは自身に問いかける。
「私を、殺しに来たのか」
「そうと分かっているのならば忠告する。炎魔、これ以上余計な事に首を突っ込むな」
その言葉にシャクエンは無表情のまま、すっと手を掲げる。
「余計な事? そちらにとってそうでも、こちらにとっては違う」
「だったらもっと直截的な言い回しを使ってやる。殺しをするな」
「あなたは私の宿主じゃない」
払われた手と同期して電気ワイヤーが引っ張りこまれる。アーロンは咄嗟に構えを取り、電気を纏い付かせた掌底を打ち込もうとした。だがそれを阻んだのはバクフーンだ。
炎の拳が下段から打ち込まれかける。瞬時に身をかわしたが、散った火の粉がアーロンの視界を一瞬だけ眩ませた。
その一瞬でバクフーンと共にシャクエンは射程から逃れる。
この一ヵ月近く殺しをしていなかったとは思えないほどの、軽やかな手さばきだった。
「炎魔! お前はやはり……!」
「やはり、何? 殺し屋に戻ったからって、あなたに指図するいわれはない」
「……馬鹿が悲しむぞ」
その言葉にシャクエンは少しだけ無表情の仮面を翳らせた。それだけが心残りだというように。
「……メイに言うなら好きにすればいい。私は、この道しかない」
「誰だ? 誰にお前は命じられている?」
宿主を殺しさえすれば炎魔は無力化される。しかし、シャクエンは口を割ろうともしない。
「波導使い。少しばかり、感傷的になり過ぎているのはお互い様のよう。私が言うとでも?」
「……そうだな。ならば無理やりにでも」
「口を割らせる、ね。あなたらしい」
アーロンは電気ワイヤーを伝わせて電流を流す。バクフーンはしかし腕の膂力だけで電気ワイヤーを翻弄した。思い切り引っ張られてアーロンの身体が浮く。その刹那に、バクフーンは炎の襟巻きを伸長させた。
瞬く間に炎熱が巻き起こり、その姿を不可視にさせる。闇の中に紛れた炎の獣を前に、ただ猪突するほどアーロンは向こう見ずではない。即座にワイヤーを切って射程から逃れる。その間隔を埋めるように炎の散弾が放たれた。アーロンは飛び退り、シャクエンから距離を取る。
シャクエンはバクフーンに掴まってビルの壁面を登った。
「まだ間に合う! 戻って来い、炎魔」
アーロンの叫びに、シャクエンは沈黙を返した。
ビルの屋上に至り、シャクエンは姿を消す。完全に殺気が失せてから、アーロンは悪態をついた。
「くそっ! ここで追い詰められなければ、俺は……」
視界の隅で下っ端が逃げ出そうとしている。アーロンは振り返らずに電気ワイヤーをそちらへと放った。下っ端の首筋をワイヤーが捉えて近付けさせる。
「教えろ。お前らは何をした? 何故、炎魔の怒りを買っている?」
詰問の声に下っ端は首を振る。
「し、知るもんか! オレだっていきなり襲われて混乱しているんだ!」
「組織の情報があるはずだ。お前ら、狙われているそうだな」
すると下っ端はばつが悪そうに顔を伏せる。アーロンはワイヤーを引っ張ってその顔を無理やり上げさせた。
「教えろ。でなければここで死ぬ事になる」
「お、おいおい! さしもの波導使いとはいえ、ホテルを敵に回せばどうなるかくらい、分かって――」
「分かっていて、やっているに決まっているだろう。教えろ。炎魔の狙いは何だ?」
下っ端は逡巡の間を浮かべてから口火を切った。
「……これは憶測だが、ホテルが傘下に入れた街の一区画、赤人街って言うのか? そこの権利がどうのこうの言っていた気がする」
「気がする? 気がする程度の情報は必要ない。赤人街の権利を、どうしてホテルが有している?」
「だから知らないんだって! オレは、今狙われただけだし、他の連中から炎魔が動いているっていう事は聞いた。でもまさか自分が狙われるだなんて……」
思ってもみない、という事か。アーロンは問い質す。
「炎魔に殺されたのは何人だ?」
「分からない。情報が錯綜している。でも、もう五人は死んでいるのは確実らしい」
それだけ派手に動けばホテルにマークされる可能性だってある。それを分からないシャクエンではない。
「どうして、目立つ行動をしている? 炎魔、あいつは、それほど馬鹿ではないはずだ」
シャクエンは何かを対価にしてでも、ホテルの連中を殺さなければならない理由があった。あるいは、ホテルの連中を殺す事、そのものに意味があるか。
どちらにせよ、シャクエンを放っておけばホテルは本気を出し、掃討作戦に乗り出すに違いない。
「このままでは、どっちにせよ近いうちに戦場になるな。それを回避するのには、今しかない。今、奴を止めるしか」
だが炎魔の実力は推し量るべき。自分が相打ちに持ち込むのがやっとの相手に交渉など有効なのか。
アーロンは下っ端を見やり一つの提案をする。
「お前、ホテル側から情報を引き出せるか?」
その言葉に下っ端は顔を青くする。
「ふ、ふざけないでくれ! そんな事がばれれば、殺される」
「ならば今、死ぬか?」
電気ワイヤーを持ち上げると下っ端は頭を振った。
「い、嫌だ! 死にたくない」
「ならば従え。ホテルから出来るだけ情報を巻き上げるんだ。俺はハムエッグの側についている。そのせいで、ホテルからは敵対対象だと思われかねない。お前が窓口になって、情報を引き渡せ。そうでなければ……」
ワイヤーを引くと下っ端は何度も頷いた。
「わ、分かったよ! やるよ……」
電気ワイヤーを外し、アーロンは下っ端に命じる。
「よし。ならば一度本部へ帰れ。どこまで事態が切迫しているのか知らなければならない」
「あ、あんた波導使いだよな? 何で、炎魔の事なんて気にするんだ? 今回、もしもだ。戦争になったとしても蚊帳の外を決め込めばいい。あんたには飛び火しないはずだろう? 何で、そこまで必死になれる?」
下っ端の問いかけにアーロンは答えていた。
「さぁな。だが、放っておけない事だけは事実のようだからな」