第七十九話「Revival Fire」
「煙草を、いいかしら?」
尋ねられた声音にカヤノは頭を振る。
「ここをどこと心得る? 医者だ、医者。そんな場所で煙草吹かす馬鹿がいるか」
「あら? その割には、さっきから」
すんすんとラブリが鼻を動かす。カヤノはけっと毒づいた。
「ワシはいいんだよ」
「そういう理屈は通らないのではなくって? パパ」
その呼び名にカヤノは怖気が走って言い返す。
「ワシを、そんな呼び名で呼ぶな。寒気がするわ」
「でも、わたくしを取り上げてくれたのはパパじゃない。ママの緊急オペをして、わたくしをこの世に解き放ったのは紛れもない、パパでしょう?」
思い出したくもない過去だ。
ラブリの母親はとある組織の上役であった。その組織で何があったのか、どういう経緯であったのかは聞いていない。ただ、ラブリの母親は突然に運ばれてきて、流産直前であった。カヤノに命じられたのは多額の報奨金と手術である。
この女を助けろ、と。ただそれだけを、この街を牛耳っていた男の子飼いは言ってのけた。
男からしてみればそれはただの気紛れであったのかもしれないし、ラブリの母親は数多くいる女の一人であったのかもしれない。だが、彼女の命を助け、繋いだ自分には一生、この街で闇医者をやっていくに足る金と地位。それにラブリの育ての親としての役割が充てられた。
ラブリの自意識が育ち、その組織の発展型である今のホテルミーシャの頭目とされるまで、自分はラブリの父親であったのだ。
その事に間違いはなく、ラブリが「パパ」と呼ぶのはそれが理由であった。
「ワシはな、ホテルミーシャのボス。お前みたいなのを育てた事を少しばかり後悔している」
闇組織の頭にされるくらいならばあの時、母親を助けなければよかったのではないか。そんな思いに囚われた事が何度もあったが、ラブリは言ってのける。
「何で? だってパパはわたくしと、ママの命の恩人で、ホテルミーシャの最大の貢献者よ?」
最大の貢献者。口ではどうとでも言える。だがその行為が邪悪でなかった証明はない。
「ワシのやった事が、たとえ善性のものであってもだ。結局のところ、闇を育てた事に変わりはない」
「わたくしが闇、ね。面白い事を言うのね、相変わらず」
「お前はお前で、いけすかねぇガキだよ、フロイライン。ワシがその命を預かった時から、ずっとそうだ。お前は、ずっと、いけすかないガキだった」
「そのいけ好かない子供が、この街を二分する地位になった気分はどうかしら?」
ラブリは止めたのに軍曹から葉巻を受け取って火を点けていた。カヤノは舌打ちをする。
「禁煙だって言っただろうが」
「率直に聞くわ、カヤノ医師。ホテルミーシャ最高幹部として」
最早先ほどまでの声音ではない。何かを要求する、裏組織の頭目の声音になっていた。
「何だよ。教えられる事は少ないぞ」
「素人集団であるプラズマ団の目的としている、あのクズの波導使いによく懐いている女の子よ」
メイの事か。どこから嗅ぎつけた、とカヤノは勘繰る。
ラブリは葉巻を吹かし、「別にね、どうこうしようってわけじゃないんだけれど」と前置いた。
「どうこうするつもりじゃねぇんなら放っておきな。あの波導使いのお遊びだろうさ」
「お遊戯にしては、波導使いは念を入れ過ぎている。ハムエッグの影がちらつくのも気に食わないのよ。あのメイとか言う小娘に何があるのか、あなた、診察したのならある程度予測はついているのではなくって?」
「診断結果なんて極秘に決まってるだろうが」
軍曹が前に歩み出てケースを突き出す。開くと札束が詰め込まれていた。
「ざっと一千万ある。それで買えないか、検討してみる気はない?」
生唾を飲み下す。一千万は破格だ。同時に、どうしてそこまでしてメイの事を調べたがる? とカヤノは考えを巡らせる。何故、ここに来て必要になってきた?
裏を回ってくる情報は数多くあるが、その中で自分に関係のある情報を選び取るには長年のセンスが必要だ。カヤノはつい数時間前に閲覧した情報を思い返した。
「……なるほど。炎魔だな」
その言葉にラブリが眉を跳ねさせる。ビンゴのようだ。
「何故、そう思うのかしら? 今、炎魔の話は関係がないでしょう?」
「大当たりだよ、間抜け。ここ最近、だ」
カヤノは煙草を取り出して火を点ける。紫煙をたゆたわせると少しばかり、同じ土俵に立てたような気がしてきた。
「炎魔のやり口に似た殺しが増えている。お前らはこう考えているはずだ。炎魔だとすれば、復活したのか、と。しかし復活するにしても炎魔って殺し屋は宿主がいる。宿主のない炎魔は今までの歴史上、存在していない。だとすれば、宿主はお嬢ちゃんか? どうだ? 我ながら見事な推理だろう?」
つまり炎魔の殺しを特定し、それを止めるには宿主を殺すのが手っ取り早い。メイがシャクエンを手懐けていると思っているホテルはメイの素性から調べにかかった。
そう考えれば突然の珍客も合点がいく。
ラブリは苦虫を噛み潰したように声にする。
「……気に入らないわね。頭の回る端役は嫌われるわよ」
「嫌われ者上等だよ。こっちはお前が母親の腹ん中にいる時からずっと闇医者やってんだ。嫌われる程度、覚悟出来なくってどうする?」
問題なのはここでメイの情報を売るのは得策かどうかの判断。メイの身柄は今のところアーロンが握っている。場合によってはアーロンが敵になる。そう考えればカヤノの判断は迅速だった。
「売れねぇな。以上」
「待ちなさい、闇医者。可愛い娘の言う事が聞けないって言うの?」
「本当にカワイイ娘はんな事要求しねぇよ。いいか? お前らが言っている事はこうだ。患者の情報をワシに売らせて、後始末は死神任せ。なんて事はない、悪だくみのよく働く事だな、って言うだけだよ」
ラブリは歯噛みする。どうやらこの線で間違いないらしい。
「……分かっているのなら話が早いじゃない。軍曹」
呼びつけられて軍曹はアタッシュケースを仕舞った。ここでの一千万はブラフの可能性もあったが、炎魔ほどの殺人鬼の脅威を考えればあながち不利なだけの交渉でもなかったのかも知れない。
「カヤノ医師。我々はあなたに、お願いに参ったのです」
ここに来て初めて軍曹が口を開いた。ラブリのお目付け役であり、ホテルの実質ナンバーツー。普段は保護者を気取ってはいるが、この男は筋金入りの軍属だ。軍曹の名前は伊達ではなく、頭もよく回る上に腕も立つ。いざとなればラブリの盾となる事も厭わない従者の鏡であった。
「お願いだぁ? さっきまでの態度からは察しもつかねぇな」
「こちらも、カヤノ医師ならばお嬢の言葉を聞く、と判断しての事だったのです。決してあなたを軽んじているわけではない。身内として、頼み事をしたかった」
「筋違いだ。他、当たれ」
「炎魔によると思われる殺人の線に、我が方の人間がいくつか犠牲に」
軍曹は写真を取り出してカヤノのデスクに置く。この軍人気質の男の迫力は本物だ。だからか、自然と肩が強張る。
「こいつぁ……、やり口がえげつないな」
写真に映し出されている死体はどれも損壊しており、灼熱の炎で焼かれたのか、末端が炭化していた。
「炎魔のやり口に非常に近い」
「だが、炎魔は殺しを封印した。それはアーロンの口から聞いている」
「もし、仮にですが、別の宿主を見つけたとすれば? 炎魔はアーロンに従っているのではなく、あくまで別系統の殺し屋だと考えております。だから、アーロンの下にいた、というのは」
「アリバイにならん、というわけか」
承服したカヤノに軍曹は言い含める。
「正直なところ、確証が欲しいのです。炎魔ではない、という。あなたの審美眼ならば、炎魔かそうでないかは分かるはず」
最初から自分の下にその判断を仰ぎに来たのか。上手く取り入れれば炎魔を殺す名目が立つ。この街で殺し屋が妙に仲間意識を持っているのは気味が悪い、と思っているのはホテルだけではないのだろう。
「炎魔殺したきゃ、闇討ちでも何でもすりゃあいい」
「我が方の兵士を失いたくないのです」
リスクのある殺しはやりたくない。だが、この殺人が炎魔によるものだとすれば、ホテルは徹底抗戦の構えだ。炎魔を地の果てまで追い詰め、その上で大切なものを一つずつ奪って殺す。
「なんて事はない。お前らだってチンピラみたいなもんだろうが」
「……どうとでも。カヤノ医師、この写真の見極めをお願いします。報酬はこちらに」
小切手を手渡される。好きな額を書け、という事だろう。それほどまでに炎魔によるものだと判断しているのならば自分の判定など要らないだろうに。
――何を焦っている? とカヤノは探った。
ホテルは何かを焦っている。炎魔による殺人だと断定し、その報復行動に移ればいいものをこんなところで油を売る理由はただ一つ。
「……お前ら、何か当てがあるな? 炎魔じゃない、当てが。だから焦っている。そっちの方面を探られると痛くもない横腹を突かれるかもしれないから」
炎魔以外の炎の殺し屋など自分は知らない。だが、ホテルならば。ホテルほどの兵力を持つ組織ならば、似たような殺し屋を知っていてもおかしくはない。だとすればホテルはその殺し屋を擁護するために、炎魔を敵に仕立て上げたい。
そこまで考えてからラブリを見やる。
食えない、と苦々しい顔が物語っていた。
「カヤノ医師。勘繰り過ぎよ」
「どうだかな。ここで素直に炎魔を差し出せば、もしかしたらこの街のパワーバランスが変わっちまうんじゃないのか? だから、焦っている。さっさと黒と黒と言い切りたいどっかの誰かさんが、誰かに審判を仰いでいるんだな。黒と言ってくれるジャッジが欲しいから、こんなヤブのところまで来る」
「喋り過ぎた、かしらね」
ラブリの言い分からして炎魔以外の殺し屋がいるのが半分ほどは確定か。だが、それでも気になる事はある。
「もう、炎魔は殺しをしないって知っている人間にこうやって確信犯的に炎魔を悪者に仕立て上げたくって言い回るのはお勧めしないな。何だって、今に炎魔を排斥しようと? もう廃業した殺し屋なんて放っておけよ」
「それが出来ないから、言っているのよ」
意味が分からない。ホテルは炎魔に代わる炎の暗殺者を擁立したのではないのか。
軍曹に視線を流すと彼もばつが悪そうだった。
「……言ってもよろしいでしょうか?」
「好きになさい」
ラブリの許可を得て軍曹がぽつりぽつりと話し始める。
「実のところ、この炎の殺し屋については確証がないのです。炎魔かもしれないし、そうではないのかもしれない」
「意味が分からんな。そうではない、に分を振っているにしてはそっちのやり口はワシの口から炎魔だと、言わせたがっているように見えたが」
「カヤノ医師は街の傍観者です。誰よりも客観的に、ヤマブキを見ている。だからこそ、あなたの判定はあなたが思っている以上に、力がある」
「褒められているのか貶されているのか分からんな」
「何よりもまず――この一件がハムエッグのものになる事を、我らホテルミーシャは危惧している」
ようやく本音が出たか。カヤノは探ってみせる。
「ハムエッグの出方が早い。だから、ワシに発破をかけた。一人でも味方が欲しい、とな」
「面目ない。あなたを騙すような真似をしてしまった」
「これで騙されていたら、この街じゃ生きていけんよ」
毒づいてカヤノは写真を検める。殺しはあったのか、と目線で問いかけた。
「殺しは、ありました。我らの兵士が殺されたのは、事実です」
「だとすれば解せんのは、ホテルの手の者と知って殺したかどうか、だな?」
「ホテルへの宣戦布告にしてはあまりにも粗雑。かといって何も知らずに殺したにしてはその手際は見事」
「ヤマブキでの殺しの経験のない素人仕事とは思えず、かといってホテルを敵に回すには軽率、とでも言うべきか」
「察しの通り、ホテルが全兵力を挙げて抹殺にかかるにしても情報があまりに断片的です。炎使いの暗殺者はごまんといますが、その中でも手慣れた、最強に近い殺し屋は指折り数えるほどしかいません」
「炎魔、を真っ先に疑ったのは間違いじゃない」
だがそれにしては、炎魔だと断定する証拠がない。だから誰かの判定を欲しがった。
「面目が立たないのは承知でしたが、あなたの意見が欲しかった」
「だが天下のホテルが一ヤブ医者の意見を通す、というのは義理に合わない。だからフロイラインを通じてワシの情に訴えかけてきた、か」
何ともまぁ小汚い手だ。だが、そんな手を犯してでも、この件を収束させたいホテルの意地は見えた。
「恐れ入る。頭目自らが汚れ役を買って出るとは」
「ヨゴレは長たるものが買って出なければ誰もやりたがらない。長が動けば、民が動く」
ラブリの格言にカヤノは手を払った。
「いつからお前、そんなに偉くなった? まだハムエッグも健在だし、このヤマブキは今、随分と不均衡だ」
「だからこそ、一つのヨゴレでいいのならおっ被るって言っているのよ」
ラブリの覚悟は本気だろう。この街が今の状態では危うい事を悟っているのはハムエッグとアーロン。それに幾つかの組織。だがそれらの実態が露にならない以上、動くしか情報を取る手段がない。そのためにヨゴレが必要ならば、頭目自らやってみせる、というのは確かに他では見られない志だろう。
「……お前を育てたの、ちょっと後悔しちまったが、改めるよ。ワシが思っている以上の、フロイラインになったようだな」
「それはどうも、カヤノ医師」
ラブリは微笑んでみせるが後がないのは明らかだ。自分を情にほだして結論を急がせられれば、この場では最良の結果だっただろう。だが、そこまで愚か者ではない。
「どうするよ、ホテルミーシャのボス。ここではワシは判断を下さんよ。炎魔ではない、とは言わんが、ワシが金を受け取ってまで、その判断を下すほど早計だとでも?」
小切手を突き返す。軍曹は目線でラブリに判断を乞うたが、彼女は即決した。
「あなたがわたくしの思っているよりもずっと、この街では古株だった、という事ね。いいわ、ここでの判断は保留としましょう。ただ、釘を刺しておくようだけれど、波導使いを信じ込まない事ね。アレだって、ハムエッグの手先にならないとも限らない」
「そうかね。ワシは、あいつも馬鹿ではないと信じておるよ」
ラブリは脚を組み直し葉巻を差し出した。ポケット灰皿を出した軍曹がその灰を受け止める。
「あのクズの……、いいえ、今の炎魔に最も近い人間であるところの波導使いはどう動くのか見えていない。前回、ツヴァイとか言う馬鹿が動いたせいでちょっとばかしあのクズも動いたようだけれど、どうなの? クズはクズらしく、地べたを這い蹲って身の丈に合った生き方をしているのかしら?」
「さぁな。アーロンはどこまでやったのか、成果は聞いとらんよ。ただ、赤い波導使いの噂が途絶えた辺り、そういう事だと思ってはおるが」
アーロンが勝ったのだ。しかしホテルからしてみれば苦々しい事この上ない。波導使いに匹敵する使い手ならばこれから子飼いにする道もあっただろうに。
「使えないゴミがクズを倒した、ね。わたくしからしてみれば底辺同士の喰い合い。どっちが勝ったところで旨味はさほどないと思っていたけれど」
「そうかな。アーロンが勝った、という事は、だ。ヤマブキの面子は守られた、と思っていいんじゃないか?」
「素人集団……、プラズマ団とか言ったわね。どこまでやるつもりなのか知らないけれど、この街に入るって言うのならば全面戦争の心構えもしておく。第三勢力の登場なんて、うまくもなければまずくもないもの」
ホテルとて危険視するほどではないがプラズマ団を疎んじている。ハムエッグの見方はどうか分からないが、プラズマ団が出しゃばれば排除する、という点では一致しているのだろう。
「どうする? プラズマ団という組織に接触するのに、お前らの言うところの波導使いアーロンは、一番の窓口じゃないかね」
「急いた判断は逆効果、と言いたいの?」
「藪を突けば蛇が出る。炎魔を殺したいとしても、お前らが思っているほど一枚岩ではないという事だ。アーロンとて保護者ではあるまい。お嬢ちゃんの事、炎魔の事、分からん事のほうが多いんじゃないかね」
「分からないって……。あのクズ、暗殺者はべらせて何がしたいって言うの? まさか、暗殺者で家族作りたいって? そうなってくれば本当にクズね」
嘲るラブリにカヤノは煙草を吹かす。
「案外、アーロンも人の子だ。温情はあるかもしれない」
「死神に温情? それこそ、冗談と言うものよ」
「で、どうする? ファミリーの面子を潰されたホテルは、これからファミリー作ろうとしている人間に殴り込みをかけるかね?」
「まさか。判断は早計だと、あなたが教えてくれたのよ、カヤノ医師」
引き返すつもりだろう。カヤノは引き止めるつもりもなかった。
「ここは去りましょう。でも忘れないで欲しいのは、あなたと因縁があるのは何も波導使いだけじゃないって事よ。因縁に雁字搦めになって沈むのは、何もこの街では珍しくない」
「ワシは、出来るだけ切っていきたいところなんだがな。因縁なんて、重苦しいものは」
「バイバイ、パパ」
そう言い置いて、ラブリと軍曹が出て行った。
ようやく、と言った様子でカヤノは煙草を灰皿に移す。全く美味くもない喫煙時間があったものだ。
軽く咳き込み、カヤノは口元を拭った。
「……まったく、年寄りにどいつもこいつも節操なく……。闇医者にこれ以上、何をやれと言うんだ」
ベッドの陰に隠れていた看護婦が窺う声を出す。
「あの……先生」
「ああ、今の話は全部聞かなかった事にするか、絶対に口外しない事だ。すれば本当に沈む事になるぞ」
看護婦は肩を震わせて、「帰ります」と支度を始めた。そうするがいい、とカヤノも思っていた。
「祭りになるか、それとも大火事になるかも分からん案件だ。さっさと帰って、布団に包まってじっとしているのがお似合いだろうさ」