MEMORIA











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胎動の真紅、斜陽の街
第七十八話「宿命前夜」

「ええ、聞いているわ。波導使いツヴァイの死。その死の真相を明かそうとはしなかったものね、あのクズの波導使いは。結局、わたくし達のバイクで間に合った事だけを報告されて、しかもこれは口止め料かしら? ちょっと料金も上乗せされていた。つまり、何かがあった。あの波導使い、ツヴァイの死には、何かが。それを知っていて、教えようというのね、あなた」

 視線の先にいる男がじっと押し黙って紅茶に視線を注いでいる。

「飲めば? 毒なんて入っていないわよ」

「……いただきます」

 紅茶で喉を潤した男はその真意を語り始めた。

「おれは、結局のところ、アーロンさんに、メイを任せられない。それだけなんだと思うんです」

「男の嫉妬、ってわけ。なかなかに見苦しいものを見せてくれるじゃない」

 皮肉めいて口にすると相手はフッと自嘲を浮かべた。

「おかしいですよね。何で、あなた方ホテルに、アーロンさんの弱点を売ろうなんて考えるのか」

「別段、おかしくもないんじゃない? あなた、メイって子が好きだから、波導使いに任せておくのが癪なんでしょう? 今回、その波導使いに救われた身でありながら。――路地番のリオ、とか言ったかしら?」

 その言葉にリオは首肯する。

「アーロンさんは、いずれ死にます。長持ちしません。だから、その後の事を含めて、おれに一任して欲しいんです」

「スノウドロップの時の活躍、聞き及んでいるわ。あなたがいなければ波導使いもスノウドロップもただでは済まなかったかもしれないわね。ある意味では陰の立役者」

「おれは、別に表舞台に出たいとかじゃない。ただ、アーロンさんの秘密を抱えたまま、生きていられるほど利口じゃないって話です」

「王様の耳はロバの耳、みたいなものね。あなたは沈黙を是とするほど、大人ではない、という事なのでしょう」

 ラブリの口調にリオは言い返す。

「大人のつもりです……」

「それが大人じゃないって言っているのよ。大人は、口にチャックする術を覚えているものよ」

 リオは自分の握り締めた拳に視線を落とした後、意を決して口を開く。

「ホテル側に売ります。波導使いの最期を」

「いくらで買って欲しい?」

「値段なんて。ただおれは、メイを守りたいだけなんです」

 ラブリはくすくすと笑った。この男は、誠実だ。その誠実さゆえに道を踏み間違える。

 アーロンという英雄に任せておけない。姫を助けるのは自分だと固く信じ込んでいる。こういう手合いが実のところ一番厄介であるのは、ラブリは経験則で知っていた。

 勘違い、というわけではない。自分の分は分かり切っている。分かり切った上で、分不相応な事を言い出し始めるのは強欲か、あるいは自分の限界が見えた人間の暴走だ。

 リオには天井が見えている。この男は分かっているはずだ。何よりも。

 ――アーロンという男にはなれない事を。

 波導使いのように孤独と共にある事も出来なければ、対価を要求しない事にも慣れていない。路地番に抜擢されたのもアーロンとハムエッグの力であるのに、その力を自ら捨てようとしているのは二人からの脱却を目指しているからだ。

 二人の呪縛を超えて、その弱点を売る。

 裏切り者、と古くから言われる存在であろうが、彼はそのような自覚はない。

 己が誠実さと正義のために、どこまでも汚くあれる。

 それがこのリオという青年の全てであった。

「波導使いの弱点ね。いいわ、軍曹。買い取りましょう。あなたが生き残った時に、メイをあなたの好きなように出来るようにこちらが善処すればいいのでしょう?」

「……おれは、好きなようになんて」

 口ではいくらでも取り繕える。だが持って生まれているのは征服感と達成感。

 メイを守りたい、というのは結局のところ物にしたいと同義。それを装飾して綺麗なものにしたがっている。

 自分が汚れを買って出ている事を自覚していない悪党というのは、実に厄介で、なおの事、始末が悪い。

 ラブリは「買う」という部分を強調する。

 これは交渉に打って出たのだ。慈善事業ではない。今、自分とリオの間に降り立っているのは力関係であり、何よりも金の絡んだ依頼の一つ。

 リオは黙っている事も出来た。だが、これを言わなければ一生、アーロンには勝てないというのも悟ったのだろう。

 勝ちたい、という飢え。ラブリは口角を吊り上げる。

「では弱点とは。波導使いのそれを、聞いておきましょうか」



















「随分と無茶をしたようだね、アーロン」

 ハムエッグの声にアーロンはグラスを傾ける。

 酒ではない。水が入っていた。

「別に。ただ、今回の場合、俺が率先して動かなければ何も好転しなかっただろう。この街に、波導使いは二人も要らないからな」

 返した声にハムエッグが快活に笑う。

「それはその通りだ。助かっているよ。今、別室でね」

 ハムエッグが濁したのはラピスの事だ。別室でメイと遊んでいる。

 ラピスの遊びにメイが乗っているだけだが、それだけでもラピスの様子が変わった事は明白であった。

「ラピスには、やっぱりメイちゃんのような子が必要なのかな」

「知らないぞ。あのような不確定要素を必要とするなど」

 暗殺者としては失格だ。しかしハムエッグは否定も肯定もしなかった。

「メイちゃんはいい子だよ。それだけは確かだ」

「答えになっていない」

「お前だってそうだろう? アーロン。何故、メイちゃんや炎魔、瞬撃と一緒に住んでいる? 何のためだ? いざという時に彼女らを守るためだろう?」

「……さぁな」

 実のところ自分でもよく分からないのだ。

 どうして不確定要素を取り込みたがるのか。ラピスと同じく、自分も暗殺者としては失格なのかもしれない。

「だがまぁ、ある種では安心したよ、アーロン」

「安心?」

「君もまた、人間だという事に、だ。良くも悪くも」

「良くも悪くもとは、とんだ言い草だな」

 ハムエッグは酒を勧めてくるがアーロンは断った。あまり酒に溺れたくはない。

「そういえば、ツヴァイの死についてだが、ちょっと情報が立て込んでいてね。偽装情報を流そうとしたが、どうしてだか、先手を打たれていた。わたしが情報を回す前に、何者かが既にツヴァイの死を偽装していた」

 その事実にアーロンは声を潜める。

「プラズマ団か?」

「かもしれない。だが、手慣れている。この方法論はもしかすると関係者の誰かかもしれない」

 つまりヤマブキ内部で既に分裂が起きている、という可能性だ。

「余所者を巻き込んだ挙句、情報が錯綜しているなど」

「わたしもまさか上を行かれるとは思っていなくてね。ちょっとばかし意外だった。今回の敵、ツヴァイは波導使いだった。その死、という事はつまり、君の弱点に繋がってくる」

 波導使いの殺し方が分かった、という事だ。アーロンは水を呷り、「だが方法論が分かったとて」と口にする。

「実行するには難しいだろう」

「そうだろうね。すぐには出来まい。だが、じわじわと、それこそ君のピンチにちょっとだけ、反応を遅らせれば可能だ。その時だけ、妙に立て込んでいればいい」

「お前がやるのではないだろうな」

「わたしはやらないさ。だって波導使いアーロン。わたしが君の弱点を知っているように、君もわたしの弱点をある程度看破しているのではないかな?」

「さぁな」と濁す。

 だがその力関係の拮抗があるからこそ、ハムエッグと対等条件で話せる。

「まぁ、いいさ。追々、この情報については潰しをかける。問題なのは、プラズマ団と、それにヤマブキの勢力図か。ツヴァイのようなイレギュラーが現れたら、何度も試算しなくてはこの街の確率は変動する。生き死にのバランスが一パーセントでも狂えば、それこそ事だ。暗殺者達が黙っていまい」

 波導使いとスノウドロップ。それに炎魔、瞬撃。明らかな限りでも自分を含め四人の暗殺者がいる。この状況に一石を投じるのには、情報面での上を行く事となおかつ、パワーバランスを崩しかねない一強の存在。

「スノウドロップが君と大差ない、と割れてしまったのは少しばかり状況を悪くした。いや、あのままこの街の内々だけで事が進んでいれば問題なかったのだが、先日の強力なOSの奪い合い。それによる軍部の牽制。これはちょっとまずいな、とわたしも思うわけだよ。システムが内部から徐々に狂い始めている。その狂いが一定ならばまだマシだが、誰かが調子を崩して一方向でも流れが悪くなると、これは街全体の崩壊を招きかねない」

 つまり今の状態は全員がカードを隠している状態。ハムエッグもつい先日まではスノウドロップの戦力というカードを隠し持っていたが、自分との戦いでそれが露見した。ある意味では一番不利に立たされている。

「システムOSの件さえなければね。まだ情報面での優位を保てているはずなのだが、ちょっとばかし気がかりなんだ」

「勝手に突っつけばいい。俺は協力しない」

「冷たいなぁ、アーロン。まぁ、システムの関係者を当たれば、特定は難しくない。今は、誰が切り札の持ち主なのかをお互いに牽制し合う。それはホテルかもしれないし、特定の個人かもしれない。あるいはこの国という巨大な存在か。どちらにせよ、今のヤマブキはまだ安全圏だ。誰かがまかり間違った事をしない限りはね」

「その誰かが、俺であるかのような言い方だ」

 アーロンが睨みつけるとハムエッグは鼻息を漏らす。

「……君じゃない。それは分かっている。君だとすれば、本当に必要な時にしか使わない。だから、君は脅威ではない」

「それは褒められているのか貶されているのか」

「無論、褒めているのさ。君ならば使い方を心得ている。わたしが一番に心配なのはね、使い方もまるで分かっていない素人の暴走だよ。暴走ほど怖いものはない。だってそのルートに、法則性も、あるいは攻略法も存在しないのだから。素人の暴走に付き合わされているんじゃ疲れる一方だよ」

「それは難儀だな。……で? ラピス・ラズリの回復のためだけに、俺を呼んだわけではあるまい?」

 本題を切り出すとハムエッグは写真を取り出した。

 一枚の写真には鎖と、それを繋いでいたと思われる枷があった。枷には翼の刻印がされている。

「これは?」

「ちょっと前にわたしが介入していた一件でね。とある仲介業者に育て上げられた何かの一室であったらしい。その部屋の内観を写したものだ」

「内観、と言っても……」

 アーロンが濁したのは鉄筋コンクリートの部屋で、ところどころ爪を立てたような痕があったからだ。とてもではないが人の住む部屋ではない。

「ポケモンか?」

「いや、それにしては大人しいだろう? 多分、人間だ。そしてもう一つ。その仲介業者の死骸が三日前、ヤマブキ郊外の公園で発見された。既に一部が白骨化していたらしいが、その死因は焼死。その発見を嚆矢としたようにこの三日で連続だが、殺しが発覚している。同じ手口だ。対象を焼き殺して投げ捨てる」

 まさか、とアーロンは推測を口にする。

「俺の知っている奴だとでも?」

「極めて似ていないかい? 君の傍にいる炎魔に」

「あり得ない。アリバイが……」

 口にしようとしてシャクエンにはアリバイがない事に気がつく。ほとんど放任していた。それはシャクエンが二度と自分から殺しなど行わないという確信があったからだ。

「だが、この鎖の説明がつかない」

「炎魔には協力者がいる。その協力者を引き金として殺人衝動が芽生えた、と考えればどうかな? 炎魔は自分からビジネスにならない殺しはしないが、誰かのためならば一途に殺し続けられるオートメーションだ。君が見ていないだけで、彼女は今も罪を重ねているのかもしれない」

「……言いたい事はよく分かった。この殺しの件を、炎魔のものではないと俺に確認させたいんだな?」

 立ち上がったアーロンの表情を見て、ハムエッグが微笑む。

「怒るなよ」

「怒っていない。ただ、いわれのない事に対しては理不尽だと感じるだけだ」

 シャクエンがやっていない事の証明。

 それがこの街の秩序に繋がるのならば。



















 カヤノは診療を終えて煙草を吹かしていた。

 看護婦が、「身体悪くしますよ」と忠告したがカヤノは一笑に付す。

「馬鹿たれめ。ワシの歳まで生きてから言いやがれ」

 カヤノは今回、アーロンの持ってきた欠片を精査していた。

 それは波導使いツヴァイの欠片なのだという。

 波導使いは死ねば結晶化する。それは既にアーロンから聞かされていたが、この事実を知っているのは自分とハムエッグだけだ。三人の中で取り交わされた秘密でもある。

 アーロンは秘密裏にこの欠片を解析しろと言ってきた。

「自分の希望になるかもしれない」との事であった。

「希望ねぇ……。希望なんて毒だって言っていたお前が、どうしてまた」

 自分以外の波導使いの存在に恐れを成した、というほど小心者ではあるまい。アーロンは自分のためにこれを解析しろと言っているのだ。

「波導使いの宿命から逃れるためか? アーロン。にしては、ちょっとな。お前らしくない……」

 そう呟いた時、耳にはめ込んである通信機から警備の黒服の声が発せられた。

『カヤノ医師。来客です。通しますか?』

「何者だって?」

『ホテルミーシャの者だと言えば分かる、と』

 カヤノは慌てて欠片を入れた試験官を仕舞い込み、「通せ」と口にする。

 ホテルの、誰が来ると言うのだ? 時計を見やる。

 既に深夜。

 こんな時間に自分を訪れる人間など。

 もしかすると急患か、と勘繰っていると通路を通ってきた人影に、カヤノは目を瞠った。

「……何だって、お前が」

「ご挨拶ね。会いに来たのよ、カヤノ医師。いいえ、パパ」

 暗闇の中、黒い衣装を纏ったラブリが佇んでいる。

 その口元には不気味な笑みが宿っていた。

 怖気が走る。

 これから起こる事がろくな事ではないという確証がカヤノの中にあった。それが暗雲となって、胸を埋め尽くしてゆくのに時間はかからなかった。





 第六章 了


オンドゥル大使 ( 2016/06/29(水) 19:44 )