第七十六話「波導の末路」
「撃て!」
即座に叫んだツヴァイの命令で黒服が発砲する。
その時にはアーロンの姿は掻き消えていた。代わりに黒服の片割れが銃弾に倒れる。
どこへ、と銃を撃った黒服が首を巡らせると、その背後へと青い影が降り立った。
「まさか……、まさか!」
振り返ろうとした黒服の喉から迸ったのは断末魔の叫びだ。だらんと項垂れた黒服の首筋へと電気ワイヤーがかかっている。
ツヴァイは呆気に取られていた。メイも、である。どうしてアーロンがここにいるのか、誰も説明出来なかった。
「何故、ここが……」
「親会社を売る事までは、さすがにしなかったようだ。GPSの逆探知。馬鹿の持っているホロキャスターの電波くらい辿れる」
黒服を払い除け、アーロンが歩み出る。肩に乗ったピカチュウが電気袋に青い電流を走らせ怒りを体現していた。
ツヴァイはようやくアーロンが来たという現実を飲み込めたのか、笑みを浮かべる。
「そっちから来たって言うんなら、話は早い! ここで全てを――」
「決する」
言葉尻を引き継いだアーロンが電気ワイヤーを伸ばしてツヴァイを絡め取ろうとする。それを遮ったのはコジョンドであった。電気ワイヤーを切断し、アーロンへと駆けてゆく。アーロンは右手を突き出してコジョンドと交差した。
コジョンドの拳がアーロンに突き刺さりかける。アーロンはギリギリのところで回避し、コジョンドへと電撃を見舞おうとするがコジョンドもその攻撃を避けていた。
「……同調か」
言い捨てたアーロンに、「いかにも」とツヴァイは答える。
「ただのトレーナーとポケモンのそれだと思うな。波導使い、アーロン!」
コジョンドの青い光を纏った拳が空を切る。アーロンは後退して電気ワイヤーを放っていたが、ツヴァイに巻きつく前にコジョンドが蹴りで叩き落す。
「ワンパターンだな、アーロン。そんな攻撃では、僕は殺せない!」
「自信満々なところ悪いが、これだけではないのでね」
アーロンの左手からはもう一本、電気ワイヤーが伸びていた。その先はツヴァイの背後にある通風孔に繋がれている。
「まさか……!」
「死ね」
放たれた電撃が換気扇を爆発させ、水蒸気と粉塵が舞い上がる。視界を閉ざされた中、アーロンの手がメイを引っ張った。
「その、アーロンさん」
「これで時間を稼げるか」
しかし、アーロンの目論見は脆く崩れ去った。
跳躍してきたコジョンドが進路を遮ったのである。アーロンは右手を突き出し、コジョンドを始末しようとするがコジョンドの精密な動きのほうが素早い。瞬く間に攻防が逆転し、アーロンが防戦一方になる。
「言っただろう! 同調だと!」
粉塵に煽られた赤いコートをはためかせ、ツヴァイが声にした。アーロンは肩越しに視線を振り向ける。
二人の眼光がお互いを捉えた。
「僕の視界を潰すだとか、コジョンドだけを狙えば勝てるだとかそういう次元じゃないんだよ。僕とコジョンドは等価だ。だから、どっちを潰せば、ではない。嘗めるなよ」
アーロンはコジョンドの攻撃をさばきながら、「なるほど」と声にする。
「ならば、両方を同時に殺すしかないな」
「そんな手段は存在しない!」
コジョンドの踏み込んだ一撃がアーロンの鳩尾へと叩き込まれる。アーロンは直前に防御したようであったが、その背中へと追撃を放ったのはトレーナーであるツヴァイであった。
「これが、波導使いの戦い方だ!」
なんとツヴァイは掌底を放ち、アーロンの身体を煽った。衝撃波にアーロンはたたらを踏む。
「ポケモンとトレーナーがどちらも! 波導を使って肉体を強化する! それによる連携攻撃。避けようもないだろう、アーロン」
アーロンへとツヴァイが踵落としを決めようとする。咄嗟に後ずさったアーロンの頭部のあった空間を赤い軌道が引き裂いた。
「赤い、波導……」
可視化されたそれにアーロンは呟く。
「それほどの波導密度。殺すつもりである事は重々分かった」
「何を今さら! 波導使いは二人と要らない!」
叫んだツヴァイが地面に貫手を突き刺す。持ち上げられたのは重量がツヴァイ本体の何倍もあるコンクリートの塊であった。コンクリートを補強しているのは赤い光である。
「波導は! こうして使う!」
投擲されたそれにアーロンは手を払う。
「ピカチュウ、電撃で相殺……」
「遅い!」
ピカチュウが電撃で相殺した瞬間、岩石の合間から現れたのはツヴァイ本体であった。まさかトレーナーが直に攻撃を仕掛けるなどアーロンも思わなかったのだろう。反応が一拍遅れたのが見て取れた。
「貴様……」
「これが、真の波導の継承者の戦い!」
打ち込まれかけた波導による激震を、アーロンは自身の右手と突き合せる。両者が弾き飛び、お互いに距離を取る形となった。
「電撃で、僕の波導を消そうとしたな……。ようやく分かったぞ、アーロン。お前の波導の真髄は消す事、いいや切る事か。どちらでもいい。その真髄が僕や元帥とは真逆である事がよぉく分かった」
「それこそ、今さらの言葉だろう」
アーロンの挑発にツヴァイが声を張り上げる。
「コジョンド!」
高空に展開していたコジョンドが飛び蹴りの姿勢を取る。アーロンは前に転がって避けようとしたが、そちらはツヴァイの射程だ。
「これで!」
打ち込まれかけた掌底に対し、アーロンはピカチュウへと命じる。
「エレキネット、衝撃を減殺」
張り巡らされた電気の網によってツヴァイの掌底が打ち消された。それだけではない。アーロンとツヴァイがエレキネットによって繋がった結果となった。
「これで」
「終わりだと思うな!」
何とツヴァイは自らの指で、エレキネットを引き千切った。そのパワーは既に常人の域を超えている。
「獣となるか。だが、それは破滅の道だぞ」
「破滅だと? ここで波導使いアーロンを殺せなければ、いずれ同じ事!」
「分かっているじゃないか」
ツヴァイの全身から立ち上ったのは赤い瘴気であった。エネルギーの枠を超えたそれがツヴァイの四肢に神経を走らせる。
「波導による肉体強化。これで僕は、コジョンドと、ポケモンとほぼ同じパワーだ」
「それによってでも超えられない壁はあると知るがいい」
アーロンが電気ワイヤーを放つ。しかしツヴァイは指で弾いた。それだけで電気ワイヤーがたわみ、瞬く間に力をなくしてゆく。
「これが、ポケモンのパワーだ!」
アーロンが飛び退る。打ち下ろされた拳が地面を抉った。隕石の落下の再現のように、粉塵が舞い上がり地面が陥没する。
「コジョンド、挟み込め!」
命令にコジョンドが青い波導を帯びてアーロンへと攻撃する。波導の塊がアーロンを押し潰さんとした。
「アーロンさん!」
「波導弾か。だが、俺とてただ単に今まで攻撃をいなしてきたわけではない」
突如として、アーロンに襲いかかろうとしていた波導弾が壁に遮られたように動きを止める。ツヴァイも目を瞠っていた。
メイは視界に入った情報に困惑する。
「ピカチュウのエレキネットが、いつの間にこんな……」
ピカチュウの張り巡らせたエレキネットの包囲網が、アーロンの周囲を固めているのである。お陰で波導弾が着弾する前に、エレキネットがその衝撃を絡め取った。
「馬鹿な……、僕との戦闘中にそんな事をする暇なんて」
「分かっていないようだから言っておこう。――波導を使うとは」
エレキネットの末端が地面を絡めて巻き取ってゆく。ツヴァイの直下の地面が揺れ、その姿勢が危うくなった。
バランスを崩したツヴァイへとアーロンが突っ込む。
右手を突き出し、服の上からそのまま心臓を引っ掴んだ。
「こういう事だ」
電撃が可視化出来るほどの勢いで放たれ、ツヴァイが口腔から断末魔の叫びを上げる。
プスプスと黒煙が棚引き、生き物の焼ける臭いが鼻をついた。
「……慢心しなければあるいは、だったな」
身を翻すとツヴァイが倒れ伏す。
メイは思わず尋ねていた。
「死んだんですか?」
「これで生きていればそれこそ化け物だろう。それよりもお前……、出るなと言っておいたはずだが」
アーロンの睨みにメイは目線を逸らす事しか出来ない。慌ててシャクエンとアンズに歩み寄る。
「二人とも、気を失っているだけみたいです」
「殺されてもおかしくなかった。その自覚はあるのか」
「分かっていますよ。……でもアーロンさんが、何もかもを背負い込むから」
「俺のせいか。何でお前らはそういう……」
その言葉が最後まで紡がれる前に、メイは背後から引っ掴まれたのを感じた。肩をあり得ない力で拘束され、首筋に冷たい刃物の感触が当てられる。
まさか、と視線をやるとツヴァイが肩を荒立たせて立っていた。
あり得ない。死んだはずだ。
だが、ツヴァイの眼には最早、生き物としての色調ではない。怨念の塊のように、禍々しい赤が浮かんでいる。
「……波導だけで、行動不可能になった四肢と脳髄を無理やり叩き起こした」
「波導使いならば、知っているだろう? 波導傀儡。波導の奥義の一つ」
アーロンは電気ワイヤーを伸ばそうとする。しかし、ツヴァイの行動がそれを止めた。
「動くなよ、アーロン。動けば、僕の波導の爪で、この娘の頚動脈を掻っ切る」
ツヴァイの眼には本気でそうすると思えるような狂気があった。アーロンは落ち着いた声音で返す。
「……俺との勝負だけのはずだろう」
「うるさい! お前との勝負というのならば、この娘だってお前としては失いたくないだろう? こいつ、僕をコケにしやがった。だから殺す。何の躊躇いもない」
ツヴァイがコジョンドを呼びつける。コジョンドはエレキネットの網に囚われて動けなくなっていたが、主人の命令で全身から波導を立ち上らせる。波導の刃が奔り、エレキネットを断ち切った。
「コジョンドはまだ動ける。僕もまだ生きている。勝負はついていない」
「よせ、と言っても無駄だろうが、やめておけ。決定的な間違いを犯さずに済むぞ」
「挑発か? それとも負け惜しみか? ここでこいつを殺せば、お前の敗北だもんなぁ」
アーロンは電撃を右手に集中させる。射る光を灯した眼差しでツヴァイを睨んだ。
「退け。そうでなければお前は、間違いを間違いと気づかないまま、死ぬ」
「誰に言っているんだ? この状況下で言える口か? 僕のほうが波導使いとして優れている。それを認めたくないだけだろう」
「……名誉ならくれてやる。波導使いと名乗りたいのなら好きにしろ。ただ、その真実に至る道標の一つも知らないまま、死んでいくのがお前だ。師父はお前に、そこまで教えなかったか。あるいはお前が教えを拒んだか」
「うるさいんだよ! 元帥は、あの人の言葉は難しいだけで、結局繰り言だ。僕の波導が強過ぎるからっていつも言っていたさ。波導を使い過ぎるな、過信するな、って。わけが分からない。僕は特別だ! 波導使いなんだ! 何を惑う必要がある? 元帥も、アーロン、お前も、どいつも底辺漂っている雑魚なんだよ!」
コジョンドが波導弾をアーロンに打ち下ろそうとする。しかしアーロンは動かなかった。今までは避けようとしていたのにどうして。
自分のせいなのでは、とメイは感じていた。
ここでアーロンが余計な行動に出れば、自分が死ぬから。
アーロンはこのまま殺されかねない。
ならば……。
「……アーロンさん。いいです、あたしの事は。この! 勘違い波導使いを、倒してください!」
メイの声にツヴァイが首を絞めた。
「やかましいんだよ! このアマ! 僕に逆らわなければ、ちょっとばかしいい目を見られたのに。こんな、紛い物の波導使いの下でいるよりかは幸福であったのにな」
「……あなたなんかに、アーロンさんの何が分かるって言うの」
怒りを滲ませた声にツヴァイが目を見開く。
「馬鹿が! 長生き出来たものを! 心臓を貫いて、惨たらしく殺してやる!」
ツヴァイが貫手を構える。
終わった、とメイは目を固く瞑った。
しかし、何も訪れなかった。
恐る恐る目を開けると、ツヴァイの攻撃を放とうとしていた右手が、指先から結晶化していた。
思わぬ現象に、ツヴァイもメイもわけが分からない。ツヴァイは困惑し、メイを手離した。
「な、何だこれ。くそっ! 離れろよ!」
もう一方の手で払い除けようとするが、左手も同様に結晶化が進行する。ツヴァイが両腕を掲げ叫んだ。
「何なんだよ、これ!」
「どうやら、お前は波導使いの、その代償を知らないで戦っていたらしいな」
「代償……」
ツヴァイがアーロンへと敵を見る目を向ける。アーロンが仕掛けたのだと思い込んだのだろう。
「何をしたァ……、波導使い、アーロン!」
「何も。俺は本当に、何一つ手を加えていない。全て、お前の招いた結果だ」
「嘘だ! 僕は波導を使っていただけだ! しかも、進化した波導を。赤い波導は僕を更なる領域へと高めてくれるはずじゃ――」
「それが、間違いであった。どうやらお前は兄弟子を自称した割に、師父の言葉の半分も理解していなかったらしい。師父は、俺にこう言った。波導使いの波導は無限ではない。いや、もっと言えば全ての生物の波導に、無限などない。有限なのだと」
アーロンの声にツヴァイは怒りを滲ませる。
「コジョンド! アーロンを叩き潰せ!」
コジョンドが放とうとしていた波導弾であったが、全てが霧散した。コジョンド自身も倒れ伏す。肩を荒立たせて今にも死に絶えそうだった。
「言ったはずだ。有限だと。放出系の波導使いは、その根源、つまり波導という名の生命エネルギーを常に放出している。その放出を抑える術をまず習うはずだが、お前はその過程を師父からまともに教えられなかったな? 師父の波導が弱いんじゃない。あの人は、最大まで波導を弱める術を知っていた」
ツヴァイが両手に視線を落とす。次々と結晶化が進んでいき、右手のほうは肩口まで至った。
「何だこれ……。僕は、どうなるんだ?」
「波導使いの終点だ。波導の枯渇した人間は、結晶化して消える。死ぬのでも、殺されるのでもない。結晶化による、消滅。それが波導使いの運命」
「でまかせを!」
ツヴァイがもう一度、波導を手に込めようとするが、その瞬間、右手が形象崩壊した。どろどろと溶け出す右手にツヴァイが恐怖に慄いた目を向ける。
「これは……、僕の手が……」
「お前、赤くなったのは進化の証だと言っていたな。それは間違いだ。波導の赤は危険色。常に青い波導を維持していなければすぐにその状態、つまりオーバーヒートの状態に達してしまう。お前は勘違いをして、赤の波導が強くなったのだと、思い込んだだけだ」
「嘘だ……。僕の波導は実際に強かった! お前よりも!」
「散り際に、波導は最盛期を迎える。お前は徹頭徹尾、勘違いだったという事だ」
ツヴァイが目を戦慄かせて後ずさる。しかしアーロンは逃がすつもりはないらしい。電気ワイヤーを手に、ツヴァイを追い詰めようとする。
「い、嫌だ……。消えるなんて……。僕の存在の意味もなく、消えるなんて!」
逃げ出そうとしたツヴァイの足元を電気ワイヤーが払う。よろけたツヴァイが転倒するが、その瞬間、足先から右脚の付け根までが瞬時に結晶化した。もう立つ事も出来ないツヴァイがアーロンを目にして恐怖に顔を引きつらせる。
「あ、アーロン……。慈悲はないのか? 兄弟子だろう? 同門だ。元帥……師父の下で学びあった者同士、通じるものは……」
「ないな。悪いが俺は売られた喧嘩を買っただけだ。お前が勝手に宣戦布告しておいて、いざ負けが濃くなれば命乞いか? 言っておくが、波導使いを嘗めるな」
その言葉にツヴァイが雄叫びを上げてアーロンへと飛びかかる。最後の足掻きだ。赤い波導が一気に光を帯びてアーロンを覆い被さろうとした。
「見ろ! 僕の波導が、こんなにも輝いて……」
その直後、ツヴァイの内奥から発せられた赤い波導が強く脈動したかと思うと、一瞬で弾け飛んだ。
結晶の欠片が舞い散る中、アーロンはツヴァイであった存在の残滓をその手に掴む。
「自滅まで追い込まれてなお、自分を強いと信じて疑わなかったか……」
散り際の花火であったのだ。最後の最後、波導が一際強く輝いたのはその波導の消滅――つまり、ツヴァイという個の消失を意味していた。
押し黙るアーロンと共に、メイは言葉もなかった。
自分の事を強いと信じて疑わなかった男の最期は呆気なく、その存在の証明さえも失ってしまうなど。
残酷だ。
それが敵であったとしても。許せない敵であったとしても、何と残酷な事か。
自分の死骸さえも存在しない、無の極地。それが波導使いの最後だなんて悲しい。それを、アーロンが沈黙の内に是としているのも。
メイの頬を涙が伝った。
「何故、泣く? 奴は敵だった。お前や、炎魔、瞬撃に危害を加えた、敵であったんだぞ?」
悲しみの理由が分からないのだろう。メイは涙を拭いながら答えた。
「だって……波導使いの行き着く先は、って事は、アーロンさんもいずれは……」
それ以上は言葉に出来なかった。
いずれ、アーロンも結晶化し、消滅する。
それが分かってしまったから、メイは止め処ない涙に暮れた。
「いずれは、の話だ。その前に、俺にはやる事がいくつかあってな」
「やる事?」
しゃくり上げるメイに、アーロンは語って聞かせる。
「師父と、約束した事がある。これだけは守ってから死ね、と」