第七十四話「愉快犯」
「結局、あまり情報は得られなかったね」
シャクエンに残念そうに言うと、「そうでもない」と言葉が返ってきた。
「案外、相手の正体が見えてきた。波導使い、殺しは素人、それに、自分の力の誇示。これだけでも随分と相手の犯人像が見えてくる」
「そう? あたしにはさっぱりだなぁ」
後頭部で手を組んで空を仰ぐ。垂れ込めた曇天がヤマブキを覆っていた。
「メイお姉ちゃん。情報を得ようって言うんなら、やっぱりハムエッグがいいと思う」
アンズの言葉はもっともだったが、メイにはその気はなかった。
「でも……アーロンさん、自分のいる時以外にハムエッグさんと会うなって言っていたし……」
「そんなの、今は非常時じゃない。情報が一つでも欲しいのは事実だよ」
頭を悩ませているとシャクエンが告げた。
「ハムエッグは、今はよしておこう。波導使いと鉢合わせれば、それこそ厄介」
アーロンはハムエッグから情報を得て今回の相手の足取りを掴んでいるのかもしれない。そう考えれば鉢合わせが最も危惧すべき事だった。
「そうだね……。アーロンさんと会って、もう関わるなって言われればそれまでだし」
「でも、じゃあどこに情報源が? あのオジサン刑事だけでしょ? 炎魔のお姉ちゃんに伝手があるの」
他の情報源と言えばホテルくらいしか思い浮かばないがホテルにはいい思い出はない。手詰まりか、と思っているとメイは当てが浮かんだ。
「あっ、それなら路地番の人に聞くのはどう?」
路地番、と聞いてシャクエンとアンズが疑問符を浮かべる。
「路地番って、あの路地番? でも誰と? 個人的に親交のある人なんて居たっけ?」
「えっと、あたし、一人だけ知ってる。確かリオって人で」
メイはホロキャスターを手に電話をかけていた。
「快楽殺人犯、って言いたいわけ」
ラブリの結論付けにアーロンは早合点だとは言えなかった。その側面はある、と部分的に肯定する。
「俺よりも優れている、と言いたいのはよく分かる。奴は、自分の波導が師父や俺よりも進化した波導だと言っていた」
「で? 実のところそれは進化した波導なのかしら?」
ラブリはカップを傾ける。アーロンはその部分に関してはぼかす他なかった。
「さぁな。ただ、ハムエッグだけの情報では弱い。ホテルに知恵を貸してもらいたい」
「珍しいわね。ここまでストレートな頼み事は。あなたって、最低のクズだから、どこまで他人を馬鹿にするのかだけを考えているのだと思っていたわ」
普段ならばホテルになど補足情報を頼まない。だが今回は出来るだけ外堀を埋めていかなければ。そうでなければ自分の居場所を消すつもりで動いているツヴァイの動きを制せない。
「あなたが言いたいのはよく分かる。ツヴァイとやらは、あなたに成り代わろうとしている。だから、わたくし達の結束を強くしてこの街から奴を排する、と。つまり、奴に頼るところがなければ、結局自分との直接対決だけに雪崩れ込む事になる。それを考えている」
見透かされているが今回ばかりはありがたい。アーロンは、「身内の恥のようで気が進まないがな」と付け加えた。
「同門の波導使いと相手が名乗った以上、俺の居場所を消し、成り代わる。それが最も屈辱的なやり方だと心得ているに違いない。だからこそ俺は先手を打つ。ホテルとハムエッグが結託して奴を排除すれば結局のところ、奴は最低限の能力だけで俺に立ち向かわざるを得ない」
「純粋な力比べなら、負けないと?」
「何年殺し屋稼業をやっていると思っている。殺しの腕だけならば比肩する奴など多くはない」
だが殺し屋のパワーバランスなどバックにいる存在の量で変動する。ハムエッグとホテル。両方をバックに持てているから、自分は殺し屋としてヤマブキに貢献出来ている。だが、もしこの二つを失えば自分でもどこまで生き残れるのか分からない。それほどに殺し屋とはデリケートな職業なのだ。
「今まで通りの信頼関係を、か。断る理由もない。ただし」
「前金は払う。金の流通しない信用など紙切れだ」
「よしとするわ」
ラブリは指を鳴らし軍曹を呼びつける。
「入金されると同時に下部組織に連絡。ツヴァイなる波導使いを信用するな。この街から追い出せ、と」
「御意に」
軍曹は恭しく頭を垂れてラブリの意見に従った。
「でも、あなたも災難ね。まさか波導使いがあなた以外に存在したなんて」
「俺も驚いている。兄弟子、など聞いていないからな」
ツヴァイが本当に師父から教えを乞うたならば、自分に合った波導のスタイルを身につけているはず。あのコジョンドとの連携である程度の波導知識はあると見たが、本当に師父から最後の最後まで教えられたにしては……。
「何か言いたそうね、波導使い」
ラブリの言葉にアーロンは口を開いた。
「奴が、ツヴァイが本当に俺の兄弟子で、師匠も同じならば、おかしい点が存在する。……これを聞かないで波導使いとしての活動を許されるはずがない」
「興味深いわ。何なのかしら?」
それは言えない。これだけは波導使いの弱点となる部分だからだ。明かしているのはカヤノだけ。ハムエッグはどこから仕入れたのか知っているが。
「そこまでは言えないな。俺とて、秘密くらいはある」
「秘密主義の癖に何を今さら。でもま、信用に足るのはあなたのほうだから、それだけは裏切らないわ。ツヴァイという波導使いのやり方、わたくし達としてもあまり気に入ったやり方ではないもの」
ツヴァイはここ数日で殺しを重ねている。その情報を得たのはつい先ほどだ。ホテル側としてみれば「波導使いの仕業に違いないのに不可解な殺し」だとしてまず自分に聞いてきた。
「これらの数件、あなたにしてはずさんで、なおかつ……こう言ってしまうのはなんだけれど、美しくない。それが分かる」
「何の見返りもない殺しはしない。それだけだ」
ツヴァイの殺しの手口は波導を使った殺人だが、自分のようにルールを明言化して殺しているわけではない。ただ単に、目に入った人間を殺しているだけの、快楽殺人。
「では、わたくし達はまたしても高みの見物を決め込めるのかしら。波導使い同士、自分達だけでケリをつけたいんでしょう?」
アーロンはそれを確認するために今、ホテルと交渉しているのだ。ツヴァイに居場所を与えてはいけない。奴の最も望んでいる事は自分から何もかもを奪う事。
「そうだな。奴との次の直接対決になれば、それが分かる」
「楽しみね。それにしても、今回もプラズマ団ですって? 本当、連中も好きね。この街をせっつくのが」
プラズマ団関連の裏づけ企業をホテルは次々と潰しているらしい。それは目に入った悪を潰す、というホテルらしい行動原理だったがそれだけでもないのだろう。現にプラズマ団のせいで街はスノウドロップの解放という手痛いダメージを受けている。
「プラズマ団はいずれ潰す。それだけだ」
立ち上がろうとすると応接室をノックする音が聞こえた。「入りなさい」の声で部下が一人、慌てた様子で入ってくる。
「失礼します。その、つい先ほどの情報なのですが……」
濁した部下が書類をラブリに見せる。目を通したラブリが眉間に皺を寄せた。
「これは……。どう受け取るべきなのかしらね」
「既に手を回しておりますが、バックがいると考えられます。やられました。こちらが動く前に」
苦々しい表情を浮かべる部下に、ラブリは下がらせるように命じる。
「悪いニュースよ。我がホテルの下部組織のうちの一つ。外資系の資本家が経営する組織、ビートバレットがツヴァイを受け入れた。もう敵対組織の殺しを依頼し、つい先ほどそのトップが死亡……。先を越されたわね」
ラブリは軍曹に葉巻を取らせる。火を点けて紫煙をくゆらせた。
「つまり、俺達のやり方が遅過ぎた、というわけか」
「言いたくはないけれど、そうね。相手を嘗めていた。まぁわたくし達を篭絡する手段はないけれど、一つの組織をバックに据えればそれなりに殺し屋としては装飾がつく。ツヴァイは思っていたよりもずっと本気だって事よ。本気で、波導使い、あなたを追い詰めようとしている」
「その下部組織、切り捨ては」
「出来る、けれどしたところで金はあるし、ツヴァイ一人を支援するだけならば潰れる覚悟で上に牙を剥いても、と言ったところね。まぁツヴァイからしてみれば一時的な資金援助を受けるためだけだろうけれど。正直、一時的でも資金の余裕を持たせるのは危うい」
「俺が、ホテルの代表として出てもいい」
「駄目よ。一時的とはいえど、波導使いを私兵として使えばそれなりに角が立つ。後々の事を考えればいざという時以外にあなたというカードは切らないほうがいい。つまり、今回、ホテルは援助出来ない」
やられた、とアーロンは歯噛みする。相手が企業の援助を得る前に仕留めるのが理想だったのだが。
「ホテルとハムエッグの信頼があっても、いざ金を出すとなれば渋るか」
「当然よ。金は信頼の証だと、今しがた言ったばかり。金を出して動かせれば、それは結局のところこちらの思惑となる。わたくし達は下部組織に恨みはないし、あなたの都合に過ぎないもの。この下部組織を切る、と判断するのもツヴァイがいるからというだけ。そこまでは信頼で何とかなる。でもそれ以上は、となればあなたとしても動きにくいんじゃない?」
瞬撃を退けた時とは違うのだ。あの時は暗殺同盟そのものがヤマブキへの害悪であり、街を上げて排除する流れであった。だからホテルは協力した。だが今回は所詮アーロンの私事。それに金を注ぐかと言えば、ハムエッグもホテルも一旦話を止める。
「そうだな。俺もホテルの私兵になるつもりはない」
「こうなってくると、厚顔無恥なツヴァイがある種、動きやすくなってくるわね。奴には守るべき理念も、もっと言えばやり方もない。無茶苦茶で、その場凌ぎだからこそ、今回は手強い。あなたが何年もかけて築き上げてきた信頼でも、奴としてみれば一回使えればいいだけだから、それこそ考えなしに動ける。どんな企業でもバックに据えられるし、何よりもどんな企業でも駒として切れる、というのは大きい。これまで仕事を選んできた波導使いと同等の存在を、安くで使えるとなればね」
長期的な信頼の確保も、最終的な利益も必要としないツヴァイからしてみればヤマブキは動きやすいのだろう。自分という波導使いを潰したい。ただそれだけの都合ならば援助する向こう見ずな輩も存在する。
「どうするの? 相手はバックを得たという事は情報面での根回しでは一手遅れた。今から切ってもならばそれは波導使いアーロンのため、という事になる。我々としては体面上、ドライに行きたい。ウェットに波導使いを援助する、というのは間違っているし、信頼、という言葉があってもそれは遅いか速いかの違い。上は押さえておくけれど下のほうの末端は節操がないわ。一時的な兵力ならば都合がいいのは向こうよ」
たとえこの街のナンバーワンとナンバーツーを制する事が出来ていても今回ばかりは無遠慮なほうが勝つ。
ツヴァイはプラズマ団を既にバックに据えながらも、自分が波導使いであり、アーロンを超える強さだという旨みを充分に売り味にしていくはずだ。当然、長期的な事を考えない人間は飛びつく。
「時間が過ぎれば不利になるだけよ。波導使い、今すぐにツヴァイを捕捉しなければ負けが濃くなるわ」
「分かっている」
アーロンはホロキャスターで電話をかける。通話先はルイだ。
「そちらでツヴァイの捕捉は?」
『それが、出来ているのが不思議なんだけれど、その、言いづらい事もあって……』
ルイが言葉を濁す。何だ、とアーロンは不思議がった。
「何でもいい。ツヴァイはどこにいる?」
『……言っちゃうと、ツヴァイは逃げも隠れもしていないよ。企業のトップを殺して今、向かっているのは表参道。どこから情報を得たのか知らないけれど、ツヴァイの背後にGPS管理の会社もいたみたいだからそれかもね』
「……何を言っている? ツヴァイはどこなのか、だけ言え」
『だから、言い辛いって言ってるじゃん。ツヴァイが狙っているのは、メイちゃん達だよ』
アーロンは瞠目する。アジトから出るな、と言っておいたはずだ。アジトがばれた? と一瞬考えたがその可能性は限りなく薄い。
「……あいつら、外に出ているんだな?」
含めた声にルイは逡巡する。
『だから言ったじゃん。怒るし……』
「どこにいる! 教えろ!」
いつになく声を荒らげたからであろう。ルイは気後れ気味に答えた。
『だから表参道だよ。今は、路地番と会っているみたい。そこにツヴァイが向かっている』
アーロンは踵を返す。外に出ようとしたアーロンを制したのはラブリだった。
「待ちなさい、波導使い。どうするつもり?」
「ツヴァイを殺す。それだけだ」
「何か、弱みを握られたわね? だから焦っている」
「焦ってなどいない」
だが声音が急いているのは事実。一刻も早く、メイ達に追いつかなければ。
「だから、焦るのはやめなさいって。ホテルから直通の車を回すわ。あなたが歩いていくよりかは速いでしょう」
アーロンは振り返り、「いいのか?」と尋ねていた。
「それは契約以上の行動だが」
「あなたがやるというのならやるのでしょう。それはもう長い付き合いだし分かっている。……まぁ何よりも、新参の波導使いにしてやられるあなたを見るのは忍びない、って事があるわね。ここまで長い付き合いの相手のピンチに何もしないってのはあまりに薄情でしょう?」
アーロンはどうするべきか、一瞬だけ考えたがここはホテルの言う通りにしたほうがよさそうだ。何よりもツヴァイに追いつくには自分の足だけでは無理かもしれない。
手遅れになってからでは遅い。
「車を回して、軍曹。GPSの会社からその位置を探れるわね。通話先の、さっきの誰かにもう一度、逆探知をかけられないか聞いてみて」
ホテルはルイの存在を知らないのだから誰か協力者の一部だと考えたのだろう。
「メールで送らせる」
アーロンは即座にルイへとメッセージアプリでその旨を告げた。
「となると、あとは速さ、ね。わたくし達が勝つか、ツヴァイが勝つか」
「そのような結果など与えない」
アーロンは帽子を目深に被り言い放つ。
「奴は俺が殺す」