第七十二話「繰り言」
喫茶店に戻るなり、だらけ切っているメイの姿が視界に入った。
給仕係の服装に身を包んでいるものの、テーブルに突っ伏しているのでは仕事をしていないに等しい。
「何をやっている。仕事をしろ」
「あっ、アーロンさん。昨日の夜から見当たらないからどこに行ったのかと」
「作り置きしておいた飯があっただろう。それには困らなかったはずだが」
「もう! あたしがご飯さえあげていればいいと思っているような言い方はやめてくださいよ!」
違うのか? と問い返したい。メイは三食くれてやれば文句を言わない、そういう人間だとばかり思っていた。
「アーロンさんの事、三人で心配していたんですよ。朝早くから出かけちゃうし、今は夕方だし」
「それはすまないな。飯は作ろう」
「……いいですよ。店長さんが今日の分は作ってくれましたから」
「それは申し訳ない事をしたな。店長には俺が謝っておく」
階段を上がろうとするとメイの声がかかった。
「アーロンさん。……また、危ない事に関わっているんじゃないでしょうね」
「危ない事? お前は俺の職業を理解した上で言っているのか?」
暗殺業に、危ないも何もない。常に殺しの危険性はある。
「そうじゃなくって! ……隠し事とか、してるんじゃないかな、って」
これで目ざといのが困る。何も考えていないようで意外と見ているものだ。
嘆息をつき、アーロンは口を開いた。
「……付け狙われている。お前らは喫茶店から先には出るな。俺が買い出しはしておく。人質にされれば事だからな」
「人質って……! やっぱり、そんな危ない事に」
「俺にも心当たりがないのだが、今回は特殊だ。俺を追い詰めるために、どんな手でも打ってくるだろう」
「……プラズマ団ですか」
「何とも言えないな。プラズマ団だとハッキリ分かれば、まだ手の打ちようがあるのだが」
相手はプラズマ団の尖兵ならばそれで話が早い。メイを差し出さなければいい。しかし、ツヴァイは自分を狙っている。メイやシャクエン、アンズに迷惑がかかるとすれば、それは自分のせいだ。
「アーロンさん、自分のせいであたし達に危害が及べば、なんて考えていません?」
「いや。何も」
平静を装って返したが、どうしてこうも悟って欲しくない事ばかり分かってしまうのか。
三人をツヴァイに狙わせてはならない。本来ならば、この場所に戻ってくる事さえも躊躇したが、一度体勢を立て直さなければ勝てないだろう。
「あの! 言ってくださいよ。力になりたいんです……」
「お前に出来る事はない。無論、他の二人にもな」
今回の場合、波導使い同士の因縁だ。メイはもとより、シャクエンやアンズにだって関係はない。
「でも、あたし達、みんな、アーロンさんの事が心配で……!」
「心配するのは勝手だが、介入出来ない事までする必要はない。俺が倒せば問題のない敵だ。気にするな」
どうして、こんな言い方になってしまうのだろう。メイ達の協力は確かに必要ない。波導使い同士なのだから。しかし、突き放すような言い回しを使わなくともいいのではないか。
メイは拳を握り締めて立ち上がっていた。
「アーロンさんが困っていたら、助けたいんです!」
「俺が困っていたら、か。だがお前らが俺に返せる事などたかが知れている。割り込むな。それだけだ」
アーロンは階段を上り、部屋の扉を開ける。
シャクエンとアンズがテレビを観ていた。店主が厨房に立っている。
「おかえり、アーロン。また残業か?」
「ああ。立て込んでいてな」
シャクエンとアンズには瞬時に分かったに違いない。自分が狙われている事を。
「店長。少しだけ、席を外してもらえると、助かる」
シャクエンの声に店主は、「もう出来るけれど」と調理中の鍋を見やった。
「あとは、私達でもやれる。ありがとう」
シャクエンが礼を述べ、店主は釈然としない顔で階段を降りていった。
アーロンは口火を切る。
「余計な真似をするな。怪しまれるだろう」
「波導使い。何があったの? 右脇腹に酷い怪我がある」
シャクエンが見通して声にする。アーロンはコートを引っ掛けて頭を振った。
「気にするな。掠り傷だ」
「掠り傷じゃないよ。あたいでも分かる。格闘タイプの技を受けたんだね。何で、言ってくれないの?」
「波導使い。私達はそんなに邪魔? メイに言えないのは、百歩譲って分かる。でも、ルイにばかり周辺を任せて、私達に何も頼らないのは……」
言葉を濁らせる。それは一緒にいる意味がない、とでも言いたいのだろう。
だが、ツヴァイは明らかに自分だけを狙っている。以前のスノウドロップ戦や四天王との戦闘とは違うのだ。巻き込みたくない、と思っていた。
「気にするな。今回の仕事は完全に俺だけのものだ。お前らが分け入ればややこしくなる」
「本当に、それだけ? 仕事だって言うのは、本当?」
いつになく、シャクエンがしつこい。アーロンは手を払った。
「何も、心配の必要はない。俺だけの、私事だ」
ツヴァイとの戦いに割って入られても困る。波導使いの戦いは波導使いだけで収めればいい。シャクエンやアンズが分け入っても、それは意味がない。共闘するために一緒にいるわけではないのだ。
「波導使い、あなたは本当に、何も心配が要らないと? メイや私達が、どういう思いでいるのか分からないと言うの?」
「別に、分かってもらいたくて戦っているわけでない」
「……ねぇ、起きてる?」
メイは思わず尋ねていた。
眠りにつく時には髪を解き、ストレートに流している。
シャクエンも同じように結っている髪を解いて天井を睨んでいた。
「うん、起きてるよ、メイ」
「アーロンさん、変だったよね。いつもと違うって言うか」
自分のように疎くとも分かる。アーロンはぴりぴりしている。何か抱えているのが目に見えて分かった。それを自分達に悟らせたくないのも。
「うん、お兄ちゃん。いつもならもっとうまく隠すよね。何で、あんなに分かりやすかったんだろう」
アンズも同じ感想らしい。三人は揃って顔を見合わせた。
「アーロンさん、自分の問題だっていう風にしたいんだと思う。だから、あたし達に何も言わないとか?」
「私も、今回の波導使いのやり方は気に食わない。何でか、蚊帳の外に置かれているみたいで」
シャクエンは起き上がり、端末を起動させた。常駐しているルイに話しかけようというのだろう。
「ルイ、起きているんでしょう」
『なに? ボクだってたまにはスリープモードに入るってば』
「波導使いについて。何か知っているんじゃないの」
『おかしな事言うなぁ、炎魔シャクエン。君だって勘繰られたくない事の一つや二つ、あるでしょう?』
つまりはルイには相談しているのだ。その事実にメイは腹を立てた。
「何で! 何であたし達には言えないのに、ルイには話してるの! おかしいじゃん!」
『おかしくないよ。だって人間は誤魔化せないけれど、ボクなら君達三人が責め立ててこようとも涼しい顔をしていられる。そういう事じゃないの?』
隠し事のためにルイを利用しているのか。メイは余計に苛立った。
「だったら、あたし達の意味って何! 何で、アーロンさんはあたし達を信用出来ないの?」
『信用とか、今回はそういう問題じゃないんだろうけれどね』
「ルイ! 知っているなら教えてよ! アーロンさんは何を隠しているの?」
メイの必死の訴えかけにもルイは風と受け流す。
『ダメダメ。波導使いとの約束でね。今回、君達は外野だ。ボクと波導使いが内々に処理する。何で、人間ってのはお節介なのかな。誰にだって割り込まれたくない事ってあるんじゃないの?』
そう言われてしまえば、自分達だって勝手な事をしてきた。言い返せない、と感じているとシャクエンが口を開く。
「私は、そうは思わない」
ほう、とルイが眉を上げる。
メイもシャクエンが齧りつくとは思っていなかっただけに意外だった。
「波導使いの隠し事が、メイを危ぶませるものならば、私は割って入る事だって辞さない」
『あのねぇ、そういうの野暮だって、分からないかな? 波導使いは自分の問題だって言ってるんでしょ?』
「それでも、波導使いは殺し屋。私達は彼に、人生を変えられた。だっていうのに、受け取ってばかりなのは傲慢」
シャクエンの言う通りだった。自分達はいつだってアーロンに助けてもらってばかりだ。一つくらい、助けになりたい。
「そうだよ。お兄ちゃんの助けになるのなら、あたいだって」
アンズも声を上げる。メイもルイを睨みつけた。
ルイは三人分の視線を受け止めてもまだ余裕しゃくしゃくで画面の中を遊泳する。
『……あのさ、そういう人海戦術めいた事をされても、ボク所詮はシステムだから。情に流されるとか一パーセントだってない』
やはりそうなのだろうか。メイが諦めかけると、『でもま』とルイは声にした。
『状況を動かしてみるのはいいかもね。波導使いもちょっと手詰まりみたいだし、君達が動けば、波導使いの助けになるのなら、ね。ボクもお礼くらいはしたいし』
「今しがた、自分はシステムだって言ったのに?」
メイの声にルイはウインクした。
『システムにもたまには妙な行動があったっていいでしょ。そういうシステムでもあるんだから。ボクは』
「話して。波導使いは、何を考えているのか」