第七十一話「仇敵」
定時のバスに乗ってアーロンは南方を目指した。
サイクリングロードの隣を通る国道を貫くバスの窓から望める景色は、自転車を漕ぐ若者達やバイクに飛び乗って爆走する不良達など様々であった。彼らの生き様はともかく、ヤマブキの混乱などまるで関係のない人生を送っている事だろう。
自分は、といえばその混乱の一端を担い、これから先会う人物にも一枚噛んでもらおうと思っている。
カントーの南方、セキチクシティ。
観光業で成り立つこの街の、さらに南。
浜辺が近くなり、潮風がコートをはためかせる。アーロンは帽子を目深に被って、その敷地に入った。
敷地内は暗く、昼間だというのにまるで真夜中のようだ。その暗黒の最奥に鎮座している存在に声を投げる。
「随分と、また陰気になったじゃないか」
「仕方がないだろう。ワタシしか住んでいないのだから」
答えたのはこのセキチクのバラック小屋に住まう錆び付いた暗殺一族の頭首、キョウの声であった。
同時にアンズの父親なのだ、とアーロンは改めて言葉を聞く。
「アンズは、どうなっている?」
「別に。何もしてこない。あんたも、もう命じる気もないのだろう?」
「どうかな。ワタシの命令権は生きているさ。今でも、ワタシがやれと言えば、アンズは躊躇いなく殺しをするだろう」
「分かっているかどうかは分からないが、常に監視を置いている。そいつに勝てなければまず意味がない」
「炎魔、か。それもどうだかな。ワタシの仕立て上げた瞬撃ならば、炎魔を凌駕するはずだが」
言葉を繰り合っていても仕方がない。アーロンは茶封筒を投げた。キョウが身じろぎし、飛び出したポケモンが茶封筒を掴む。
もう手足も自由ではないのか。前回よりも石化が進んでいるのかもしれない。
「……これは、何の冗談だ? 波導使い」
「確認のために持って来た。ヤマブキに出払ってきた新人だ。波導使いを自称している。俺と同門らしいが、俺は面識のない男だ」
「名前は?」
「ツヴァイ、と言っていたか。俺が聞きたいのはただ一つ。石化の波導使いはそいつか?」
そのためにセキチクを訪れた。キョウに確かめさせなければ迂闊な行動には出られない。
キョウはポケモンを操り、写真全てに目を通した後一言だけ呟く。
「……違うな」
やはり、とアーロンは感じる。石化の波導使いではない。
「そうか。それだけ知りたかった」
「待て、波導使いアーロン。理由を聞かせろ。お前に害する存在でなければ、こいつの身柄を知ろうともしないはずだ」
腐っても暗殺一族の頭首。その辺りは目ざとく察知してくる。
アーロンは自分の知り得た情報を話した。
ツヴァイは自分を狙っている事。赤い波導の持ち主である事。手持ちはコジョンド。自律型の戦法を使ってくる事まで。
聞き終えたキョウは、「なんと……」と声にした。
「赤い波導の持ち主……。という事は我が怨敵、石化の波導使いについて知っているかもしれない、という事か」
「こっちもそのつもりで来たんだが、知らないのならばそれでいい」
「それでは筋が通らないぞ、波導使い。他にも気になる事があるのだろう?」
話さなければならないか。アーロンは一つ息をついた。
「石化の波導使いではないとして、ではこいつは何故俺を追ってくるのか」
「そちらに自覚がなければ、こっちが分かるはずもない」
「かもしれない。だが俺はこうも考えた。お前達が仕組んだのではないか、と」
その段になってキョウは勘付いたのだろう。笑い声を上げてその可能性を棄却した。
「なるほど。お前に敗北した者達の作り出した新たなる尖兵、か。そう考えるのも不可思議ではない。だが、ワタシはもう再起不能、炎魔の飼い主も手痛い傷を負わせたのだろう? 結託はあり得んよ」
では結託ではないとして、誰が、この波導使いを送り込んできたのか。
「俺が波導使いとして、ヤマブキで戦い始めたのはもう随分と前だ。今さら俺の足跡を追ってくるのは不可思議で仕方がない」
「師は? 波導使い、師は同じなのだろう? その者が手招きした」
「あり得ない。波導使いは一人だけだ。このアーロンの名と、青い装束が全てを証明している。俺は、継承権を得た。だが、こいつは。赤い波導使いは、恐らく破門されたのか、あるいは自称だ。師父の許しを得ていない」
「師匠の許しなく、波導を使うものには何か罰でも?」
「いいや。そもそも波導を使える人間が希少だ。罰など、師父は教えもしなかった」
キョウは身じろぎして写真をポケモンに運ばせる。アーロンは手元で受け取った。
「こちらに渡されても、今のワタシには不要なものよ」
「俺も確認のためだった。それ以外にない」
「食えないな、相変わらず」
キョウが口元に笑みを浮かべる。アーロンは写真を取り出して眺めた。
赤い波導使い。ツヴァイの姿が映し出されている。
その姿はまさしく自分の生き写しであった。青の死神と名指しされる自分の色を反転させた存在。
「こいつは、俺を追ってきたのではないのか?」
「そうであるとするならば、何か心当たりでも?」
アーロンは一つの可能性を思い浮かべる。
まさか、メイの確保? しかしだとすれば余計に、自分の前に姿を現したのが解せない。
メイを確保したければ、いくらでも機会はあるはずだ。どうして自分に宣戦布告した?
「プラズマ団の命令、というのもあながち間違いではないのか。しかし、考えれば考えるほどに、こいつの動く意味が分からない」
「波導使い。考えを改めてみろ。逆転の発想だ。こいつに、思想も何もないのだとすれば?」
「思想がない?」
それはあり得ない。愉快犯だとでも言うのか。
「波導の使い手で、ただの愉快犯は、あり得ない。いいや、師父の教えであり得てはならないはずだ」
「だが現に、こいつはお前の前に現れて、宣戦布告した。派手な衣装に、派手な動き。そして自分と同門の相手に対して堂々とうそぶく。ワタシからしてみれば、それ以外が見当たらないがね」
ただの愉快犯? しかし、ならば何故、波導を使えるのか。
「波導使いは、師父の下で学んだのならば波導がただの無限エネルギーでない事は理解しているはずだ。だというのに、こいつのやり方は、どこか矛盾している」
「波導使いと言っても、兄弟子だろう? 教え方が違ったのではないか?」
それにしては師父のルカリオに似た使い方であった。あの自律型の波導の方法論は独学では出せない。師父に学んだのは嘘ではない。それでも、師父に学んだ事を忠実に守っているわけでもない。
「……矛盾点に突き当たった」
「そういう時は、考え方をころっと変えてみるのさ。こいつの事を何だと思っていた?」
「赤い波導使い。俺を殺すために、プラズマ団の送り込んだ尖兵だと思っていた。あるいは俺に負けた者達の復讐だと。だが、それにしてはこいつ自身の思想が薄っぺらい。何かに命令された風でもなく、プラズマ団も利用出来るから利用したとでも言うような感じだ。どうして、俺を狙った?」
「そもそも、あの街で波導使いアーロンを狙う、という事がどれほど自殺行為なのか理解していない時点でおかしいだろう」
キョウの言う通りだ。今までの自分の評を少しでも聞いているのならば単体で立ち向かうなどあり得ない。
だとすれば、本当に最後に残ったのは……。
「こいつ、本当に何も知らないで、自分の力を誇示したいだけなのか?」
それが最もしっくり来る答えだったが、そうだとすればツヴァイは知らないのか。
――波導使いの宿命を。
「無知のまま、師父は解き放ったのか? しかし、疑問が残る。師父は、そんな中途半端な人間を弟子には取らない」
「だとすれば、まさしく最初の可能性だな。力を誇示したいだけの、愉快犯」
師父の教えに間違いなければ、この男はただ単に自分を潰したいだけ?
アーロンは自分でも混乱してくるのを感じた。
ツヴァイの行動原理があまりにも見えてこない。
「……少し、考えてみよう。写真の件、それだけ確認したかった」
アーロンは身を翻す。背中にキョウの声がかかった。
「波導使い。お前の思っているほど、世界は高尚ではない。むしろ、逆だ。もっと下世話に、世界は構築されている」
その忠告にアーロンは片手を上げて応じた。