第六十九話「赤い波導使い」
漆黒の影が翻る。
ビルの谷間を抜け、荒い呼吸のままに振り返った。
その瞬間、先ほどまで頭部があった空間を引き裂いたのは青い光の弾丸である。
戦闘神経を研ぎ澄まし、回避した直後、嘲りの声が響き渡った。
「おかしいなぁ。もっと骨があるのだとばかり思っていたのに、逃げてばかりでは敵を落とせない、という本質でさえも教えられていないのかな」
月光の下、姿が露になったのは赤い装束を纏った男である。旅人帽を傾け、鋭い目線が射る光を灯す。
その影から逃げに徹しているのは、青の死神――波導使いアーロンであった。
追撃する赤装束の男からの攻撃を避け続けている。
しかし、アーロンの青いコートはところどころ擦り切れており、避け切れていないのが窺えた。
呼吸を整えようとするが、その前に月下の街に降り立った影が視界に入る。
帯締めのような両腕を振るい、体躯は細くしなやかである。その背格好から速攻タイプのポケモンであるのが容易に理解出来る。
「コジョンド。波導弾」
コジョンドと呼ばれたポケモンが片腕を振るい上げる。その手から練り上げられたのは青い波導の塊であった。
アーロンは飛び退る。発射された波導弾がアーロンを追跡した。
「波導弾には、相手の波導を読み取ってある程度追尾する機能がついている。……おっと、同じ波導使いならば釈迦に説法だったかな?」
アーロンは歯噛みして手を薙ぎ払った。ピカチュウから放たれた電撃が波導弾を打ち消す。
「何でピカチュウなんだ? 波導使いならば、波導を読めるポケモンを使うのが流儀だろうに。そういう点でも、気に入らないな。波導使いの一門を、馬鹿にしているのか?」
コジョンドが身を沈ませてアーロンへと接近戦を試みる。アーロンは電撃を纏い付かせた右手を払ったが、コジョンドは接近しながらも見切っており、攻撃を受ける事はない。
その重要な要因を、アーロンは理解している。
コジョンドには波導が読めるのだ。
だからアーロンの攻撃の前に先んじて攻撃を放つ事が出来る。
足場を崩せば、と視線を投じるもその前にコジョンドの足払いが来る。アーロンは跳躍して攻撃範囲から逃れようとするが、コジョンドの追撃は留まる事を知らない。どこまでもアーロンを追尾し、追撃し、その攻撃をいなす事だけを教え込まれているようだった。
似たような感覚を昔、味わった事がある。
師父のルカリオだ。
師父のルカリオはアーロンに対して常に優勢に立ち、師父の指示を待つまでもなく攻撃してきた。あのパターンに酷似している。
コジョンドが両足に力を込めて掌底をアーロンに打ち込もうとする。アーロンは即座に電気のワイヤーでコジョンドの首を狙おうとした。
しかし、コジョンドはそのワイヤーによる攻撃を読み取ったように首を仰け反らせ、掌底の攻撃を諦めると同時に滑るようにアーロンの射程へと入ってくる。
これでは、とアーロンが逃げに徹しようとすると、電気ワイヤーを打ち込もうとした先をコジョンドが波導攻撃で破砕した。
目標を失ったアーロンが落下する。制動をかけようともう一度ワイヤーを放とうとするが、それを遮るようにコジョンドが跳躍していた。
コジョンドの腕に巻きついたワイヤーが引き出され、一挙に間合いを詰められる。
舌打ちしてアーロンは攻撃に移った。
手を突き出して電撃を打ち込もうとするが、コジョンドはそれと同時に拳を放つ。
いけない、と判断したのはアーロンであった。
クロスカウンターに持ち込むのも考慮にあったが、そんな事をすれば確実にこちらがやられているだろう。アーロンはコジョンドのパワーを過小評価していない。
電気ワイヤーを切り離し、コジョンドから距離を取ろうとするも、コジョンドは着地と同時に駆け出してきた。
「どこまでも……しつこいな」
「そりゃあ、そうさ。波導使いは街に二人も要らないだろう?」
こちらの声が聞こえているのか。先ほどから容易には姿を晒さない相手のトレーナーをアーロンは感知しようとする。
波導の眼を全開にしようとするが、その前にコジョンドが接近してきた勢いで粉塵が舞い上がった。
一瞬で視界が覆い尽され、アーロンは電撃でコジョンドの攻撃をいなそうとする。コジョンドは蹴りを加えてきた。刃のように鋭い回し蹴りに思わず冷や汗が滴る。
電気ワイヤーは全て感知され、こちらの電撃の届く範囲は相手の攻撃射程でもある。なおかつ、波導を読む術に長けているコジョンドには波導による優位が削がれてしまう。
「厄介な相手だ」
「そりゃ、どうも。こちらも厄介だと思っている。どうして、君は、ピカチュウなんて使う? もっとこちらの読みやすいポケモンなら早くに狩れているんだが。電撃で相手の波導を麻痺させて殺してでもいるのか? プラズマ団からの情報によれば、そちらの殺した人間は死因不明として処理されているらしいな」
プラズマ団の名前が出た途端、アーロンは今までの逃げのスタイルを捨て、コジョンドへと接近した。
手を突き出し、電撃を見舞おうとする。しかしコジョンドはこちらの波導が攻撃に転化したのを悟ったのか距離を取った。
そのまま跳び上がり、パイプや取っ掛かりを足場にして屋上へと躍り上がった。
月明かりの下、赤い装束の男が佇んでいる。
先ほどから追跡してくるコジョンドのトレーナーだろう。
「まだ、名乗っていなかったな。僕の名前はツヴァイ。君の兄弟子だ。師父……いいや、波導使い、アーロン元帥に教えを乞い、波導を読む術を心得ている」
師父の本当の名前を知っている人間となればそれは間違いないだろう。
アーロンは逃がすつもりはなかった。
「そうか。ならば殺し合うのは必定」
電気ワイヤーを伸ばし、ツヴァイを引き寄せようとする。しかしコジョンドが届く前に蹴りで切り裂いた。
「今日は挨拶がてら戦っただけだ。なに、望もうと望むまいと、僕らは戦う運命だろう。同じ師を持ったとはいえ、僕の波導は元帥よりも数段、上を行っているのでね」
アーロンの波導の眼に映ったのは、ツヴァイの身体から立ち上る赤い波導であった。
その波導を感知した瞬間、目を瞠る。
「まさか、お前は……」
「そのまさかさ。僕は波導を進化させた。元帥でさえ行き着く事の出来なかった波導の進化点。赤い波導は特殊な方法論を僕に示す。例えば、そうだな、ポケモンとの同調」
先ほどから見えているようにコジョンドが動いていたのはそのせいか。
ツヴァイが指を鳴らすと、コジョンドは青い波導の弾丸を練り上げてアーロンへと放つ。
アーロンは咄嗟に飛び退った。
「もう一つは、波導の強化。そちらがどれだけ優れた波導の殺し屋であろうとも、僕は殺せないよ。僕の身体を保護する波導は常人の倍近い。お得意の波導戦術は通じないと思ったほうがいい」
「それでも、死なないわけではあるまい」
こちらの声音にツヴァイは笑い声を上げた。
「凶暴だね。まるで猟犬だ。そんな君によく、元帥が波導を教え、あまつさえ名前まで譲るとは。波導の正当後継者。本物のアーロンを継ぐのはどちらなのか、いずれハッキリさせよう」
ツヴァイは身を翻す。
アーロンは攻撃姿勢を取ったまましばらく動けなかった。
「波導使い、ツヴァイ、か」
カヤノに傷を診てもらっている間、アーロンの喋った事は少ない。しかしカヤノは情報を先んじて手に入れていたらしい。ハムエッグか、と苦々しく感じる。
「この街ではもう評判か?」
「まぁな。もう一人、波導使いが現れたって言うんなら、そっちに仕事を、って奴も多い。でも、そいつはこういう荒事専門じゃないんだろ?」
「俺に言ってきた。真の波導の継承者はどちらか、と」
カヤノは鼻で笑う。
「波導の継承者、ねぇ。お前らの間でそんなのは重要なのか? どっちかじゃないといけない、みたいなものがあるのか?」
「知らないな。俺は、そこまで教わっていない」
自分以外の波導使いが現れた時、どうすればいいか。それは師父にも聞いていなかった。
「兄弟子の存在は?」
「まったく。俺も昨日初めて知ったくらいだ。戦闘スタイルとしては俺の師に近い。やりようはある」
カヤノは息をついて煙草を取り出し火を点けた。いつものように検診の器具を取り出す。
「ほれ。波導の眼は衰えていないか試してやる」
「上から、赤、緑、黄色、白」
的中させると、カヤノは紫煙をくゆらせながらぼやいた。
「……お前、最近やばい事に関わり過ぎなんじゃないのか?」
カヤノの耳にも入っているのだろう。四天王との戦い。その前にはこの街最強の殺し屋、スノウドロップとの戦闘。
「俺は関わる気はないのだがな」
「街もいきり立ってやがる。そこに波導使いがもう一人、っていうんなら火種以外は考えられんな」
「俺が内々で始末する。問題あるまい」
「あるっつうの。問題なのは、もうそいつが自分を売り込んできてるって点だ」
ツヴァイがこの街に擦り寄ってきているというのか。プラズマ団の事を口にした時点で怪しいとは思っていたが。
「殺し屋として、か?」
「波導使いとして、だろうな。波導を見る、ってのは色々と便利だし。お前だって、波導を読む力がある。それが悪用されればどうなるか、くらいは予想つくだろ」
悪用されれば。要人暗殺、あるいはすれ違い様の殺しくらいはお手の物だ。
「……ツヴァイとやらがどこまで本気なのか分からない」
「本気だって言うんなら、まずはハムエッグだろうな。それがこの街では正しい方法論だ」
「ハムエッグからの情報は?」
「もう一人の波導使い、って以外はお前が話したのと大差ない。ハムエッグも掴みあぐねている。この間の四天王、いや軍部による極秘作戦によってこの街は切り分けたピザみたいに派閥が分かれた。ホテルと他、いくつかの勢力が同じくらいの力を得たんだ。国家基盤を揺るがすほどの力をな。今までは、何だかんだでハムエッグがバランサーだったのさ。ところが、その調整者を超える能力を持った奴らがいるっていうんなら、胸中穏やかじゃないだろうよ」
ハムエッグはルイのコピーを持つ勢力を恐れているのか。必要以上に干渉してこない。
勘繰られればハムエッグとて痛い横腹があるに違いないからだ。
「ハムエッグに会ったほうがいいかもしれないな」
「嬢ちゃん連れて行くのか?」
アーロンはその言葉を聞いた途端、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……何であいつを。蚊帳の外だからと言って面白がっているのか」
「いんや、そこまで楽観主義じゃないよ。ただな、ワシとしちゃ、ああいう子がいたほうがいいのかもしれん、とか思う。ラピス・ラズリを救えるかもしれなかったんだろ?」
「かもしれない、で動くほど俺は楽観主義ではないのでね」
アーロンの返した言葉にカヤノはフッと笑みを浮かべる。
「変わらないな。嬢ちゃんのお陰でお前も変わったかと思っていたが」
「変わる? その必要はない」
しかし、如何にしてハムエッグと会う口実を作るか。ラピスによる反撃が怖いのは同様だった。
「アーロン、回復終わったぞ」
また違う若い看護婦がピカチュウの入ったモンスターボールを持ってくる。手渡されてアーロンはホルスターに留めた。
「ピカチュウも大変だな。連戦に次ぐ連戦で。たまには相棒を労ってやれよ。ほれ、これはワシからのサービスだ」
カヤノの差し出したのはピカチュウの大好物である魚介の缶詰だった。
「最近やれていないな。助かる」
「気をつけろよ。一番にご機嫌取らなきゃいけないのは、嬢ちゃん達じゃなくってお前の長年の相棒なんだからな。最近、ろくに飯も食わせていないんじゃないのか?」
主治医であるカヤノからしてみればある程度お見通しなのだろう。
「そうだな。今日くらいは、ピカチュウのための飯を作ってやろう。最近、残り物ばかり食わせていたし」
「相棒の調整も出来ないんじゃ、殺し屋名乗れないぞ。しっかりやっとけ」
カヤノが煙い息を吐き出して告げる。アーロンは手を振って診療所のあるビルを出て行った。
雑踏に紛れるなり、アーロンはホロキャスターを繋ぐ。
通信先はルイであった。
『どうしたの? 波導使い』
「お前ならばモニター出来るだろう。追跡者は?」
『今はいない。なに? 昨日の敵の事を気にしているの?』
それも半分はあったが、この状況で追跡されるとまずいからだ。
「ハムエッグと会う。久しぶりだからな。後ろを取られるのは面白くない」
『その反応はないみたいだけれど。でも、何でこのタイミングで? やっぱり釘を刺しておきたいの?』
「違う。ここ最近、俺はこの街の盟主の面目を潰すような真似をしてきた。ここいらで一旦、ハッキリさせておく事がある」
『何? 殺し屋としてここにいる事?』
「そうだ。俺は便利屋ではないし、この街の守り手でもない。ただの暗殺者だ。だから、その辺りを履き違えるな、と言いに行ってくる」
『メイ達は? どうする?』
「バイト中だろう。教えるな」
教えればメイならば来ると言いかねない。
『昨日も帰ってくるなりボロボロだったから心配していたみたいだよ。あんまりメイ達に心配はかけない事だね。薮蛇を突きかねない』
まるで人間のような事を言う。アーロンは言い含めた。
「お前はシステムだ。余計な事に気を張る必要はない」
『了解。でもま、人間以上のシステムである、って事は忘れないでね』
通話が切られ、アーロンは舌打ちした。