第六十七話「次の栄光」
「そうか、少尉。では青の死神は逃がした、と?」
『現状では戦闘継続は難しいと判断しました』
「その割には、何故撤退命令を無視して戦った? あそこで踏み止まる必要はなかった」
『それこそ、四天王であるオレの一存です。責任があると言うのならば書面にして提出していただいても構わない』
「……いや、いい。これは不問とする」
無線機を切ってランドは目の前で優雅にカップを傾ける少女へと視線を据える。
気に入らない事だ。
この勝負、ヤマブキの側の勝ち、というわけか。
その余裕をたっぷりと滲ませたラブリは、「飲まないのですか?」と自分の側にあるカップを示した。
「ああ、そうですな。ぬるくなってしまった」
「取り替えます。軍曹」
ラブリが鈴を鳴らすと軍曹と呼ばれた大男がその体躯に似合わぬ繊細な指使いでカップを受け取って、「ごゆっくり」と会釈した。
まるでメイドか何かのように軍人を使う。
「それで、どこまで話したでしょうか? ヤマブキ、という街の特殊さについて、でしたわね?」
それも時間稼ぎの方便だ。ホテル側は青の死神――波導使いアーロンを有していたのは明らかであるし、こちらも四天王ワタルを使ったのは知れている事だろう。
盤面における戦闘での敗北。
それは明らかだった。
「ハムエッグが、またしても動いたのですかな」
「さぁ? 当方はハムエッグの動きを逐一モニターしておりませんので」
「盟主、なのでしょう? 二重スパイなどは」
ラブリは微笑んで、「映画じゃないのですから」と手を振った。
「そのような事、あり得ませんわ」
だがここまで話を聞いた限りではありそうなのが困る。波導使いの暗殺者が四天王を下した。悪い冗談としか思えない。
「システムが人間を飼うのではなく、人間がシステムを飼っているのですな、この街は」
ラブリは小首を傾げた。
「当然でしょう? システムに飼われるなど、それは本末転倒ではありませんか」
システムに翻弄され、システムを保持した側の勝利だった今回においてよく吼えられるものだ。
ランドは目の前の少女がどこまでも食えない存在なのが分かった。
「確かに。システムに行く先々で妨害でも受ければ、堪ったものではありません」
「わたくしから言える事は、システムをある程度掌握すれば、その先は人間次第ではないか、という事です。システムに翻弄される人間よりも、システムを翻弄する人間のほうが価値はあるでしょう?」
その通りだった。システムを手に入れる事ばかり考えて四天王まで投入した結果が敗北では後味が悪い。
軍曹が紅茶を持ってくる。ランドはカップを傾けた。
「……苦いですな」
「カロスのお茶でも好みが分かれるお茶葉ですからね。お口に合いませんでした?」
「ええ、まぁ。元々、茶なんてろくに飲みもしないですから、味の違いなんててんで」
しかし、苦いのは事実。
敗北と、一線で手に入れたシステムの一端。本体はホテルが保持しているのかそれとも他の団体なのかまるで分からないが、こちらは国家の代表でありながらシステムの末端を掴まされて逃げ帰るという事実。
ランドは押さえたがそれでも力が篭っていたらしい。カップが割れて紅茶がこぼれた。
「あら、大変。すぐに拭かせます」
「いや、いいです。こちらこそ、せっかくの紅茶を無駄にしてしまった」
ランドは立ち上がる。これ以上、マッドティーパーティーを続けていても仕方あるまい。
「お帰りになるのですか? では見送りを」
「いえ、構いませんよ。我々の任務を遂行しただけですから」
「せっかくヤマブキに来たんですもの。もう少しゆっくりなされては?」
「せっかくのご厚意ですが、どうやらこの街、我々軍人をとくと嫌っていると見える。すぐにでも退散したほうが無難でしょう」
「そうですか。ですが見送りはさせてください。ホテルとして、あなた方の次の栄光を願わせて欲しいのです」
次の栄光、か。ランドは胸中に口走る。
もう「今回」は失われた、というような口ぶりだ。
エレベーターにラブリと軍曹と共に乗って屋上を目指す。
二人とも無口であったが、ヘリに飛び乗る際に、「これからもよしなに」とラブリがスカートの裾を摘んで会釈した。
パフォーマンスに過ぎない行為にランドは苦々しく頷き返す。
ヘリの扉が閉まってから、思い切り鉄の床を蹴りつけた。
「あの軍人達は、もう来ないでしょうね」
軍曹の言葉にラブリはふふんと笑う。
「ここまでプライドをぐちゃぐちゃにしてやって、もう一回来るとすれば、恥知らずね。あのランドという将校、あれでも敏腕でしょう。動いていたのは?」
「四天王クラスの人間です。名前はワタル」
軍曹が差し出したのは戦闘を映し出した望遠写真だった。荒い画素だが、カイリューに乗った赤髪の青年の姿が確認出来る。
「間違いなく、これはワタルね。四天王相当をこの街につぎ込んだ、という事は結構お国に恩を売ったのでしょう。その結果がシステムの末端のみの回収。悔しくないはずはないわ」
ラブリが邪悪に微笑むと軍曹は、「危険な綱渡りでした」と答える。
「波導使いが? それともわたくしが?」
「両方です。波導使いも追い詰められ、炎魔が介入した事でようやく、と言った具合ですね。四天王相手に、やはり辛勝は否めないかと」
「それでも勝った。さすがね。最高のクズだわ、波導使いアーロン」
「お嬢。私はお嬢の事も言っているのです。あんな場所に軍人と二人きり。もう二度と、あんな真似はやめてください」
「でもわたくしが矢面に立たずして誰があの場所に一時間近く座り込んでだべっていられた? その間に状況は動く。そう確信しての事よ。オウミ警部に連絡を。システムの末端だけを回収した、というよりもこれは逆説的に考えるべき」
「逆説的、とは?」
ラブリは靴音を鳴らしながら答える。
「システムに末端だけを切り離されて回収された。本体はどこにあると思う?」
その段になって軍曹も気づいたようだ。
「オウミ警部が、うまい汁をすすった、と?」
「どこまで本気かは知らないけれど、オウミ警部はどこかでそういう事に精通している部下でもいるのでしょうね。そうでなければ門外漢を決め込むはず。今回の依頼、請けた時点で、ある程度の利益を計算していた」
遠ざかるヘリを眺め、ラブリは声にする。軍曹はヘリの羽音に眉をひそめた。
「この街の上空を、軍のヘリが飛ぶなど……」
「軍曹。今は、我々はホテルミーシャ。大戦の頃の傷は忘れなさい」
軍曹は傷跡の色濃く残った顔を綻ばせた。
「どこまでも……お嬢は見通していられるのですね」
「当然でしょう? あなた達のボスよ」
身を翻し、ラブリは電話を取った。通話先は依頼の仲介を命じたリオである。
「うまく波導使いが立ち回ったようね。約束の謝礼金を出すわ」
『……ホテルのあんたらにこんな事を言っても無駄かもしれないが、本当に、ギリギリだったんだぞ。あの人は、ギリギリで勝っただけだ。ともすれば負けていてもおかしくなかった』
「だから何? 責任でも感じろと? 生憎だけれど、そんなものに浸っている暇があれば、少しでも状況を動かす側につく事を覚える事ね、路地番。前回は、うまい事いったみたいだけれどあれは所詮、ハムエッグの掌の上で踊っていたに過ぎない事を理解なさい。あなたとて、祭りの一部だったのよ」
真相を突かれてリオは口を噤んだようだ。ラブリは言葉を継ぐ。
「波導使いにも約束の金額を振り込んでおくと言いなさい。あなた達は所詮、我々に使役される殺し屋とその末端に過ぎない。システムの本体がシステムの末端を切る事はいつでも出来るのよ」
今回の一件がただ単にシステムを巡っての攻防ではなく、この街の縮図である事を、この路地番には理解させなければならない。
『おれは……、出来る事ならアーロンさんに嘘はつきたくない』
「それはあなたの裁量でしょう? わたくしのように嘘をつかなくてもいい立場まで上り詰めなさい。そうでなければあなた一生、自分にも他人にも嘘をつき続ける事になる」
リオは、『……了解』と吹き込んで通話を切った。ラブリはフッと笑みを浮かべる。
「生意気盛りね。昔の波導使いを思い出すわ」
「リオ、という路地番ですか。彼は割り切れていないところが昔の波導使いにそっくりですね」
「今も、波導使いは割り切れていない。だってビジネスライクに考えれば、どうしたって四天王と真っ向勝負なんてするべきじゃない。辛勝したと言っても他のやり方はいくらでもあった。波導使いも実のところ、まだ非情になりきれてないのかもね」
あるいはメイ達との出会いが波導使いの人間としての側面を引き出したか。
どちらにせよ、このままではシステムとしては不合格だ。
「どうなさいます? 波導使いアーロン。切るには惜しい戦力です」
「そうね。まだプラズマ団の一件も片付いていないし、その後で考えましょう。ハムエッグに取られるのは悔しいから、わたくし達流の扱い方を心得るべきなのよ。波導使いが、最大の戦力を振るえるようになるために、ね」
もっとも、最大と言っても自分達の制御下、という条件付きではあるが。
「四天王ワタルがやってのけた被害の後始末は」
「無論、ホテルが請け負う。四天王だからと言ってあれは」
ラブリが手でひさしを作る。すかさず軍曹が双眼鏡を手渡した。
その視界の先にあったのは中央から断ち割られるように崩壊したビルである。裏路地のビルではなく表のビルであるため消防や警察でごった返していた。野次馬も多い。
「表の外資系のビルにポケモンを突っ込ませるなんて面倒な真似を。まぁいいわ。どうせ、わたくし達ホテルが、この街を飼うに当たって少しくらいの面倒は見るもの」
「ですがオウミ警部も予測出来なかったでしょうね。まさか表街道を攻めてくる連中が現れるとは」
「予定外の事は起こるものよ、軍曹」
双眼鏡を返してラブリはこぼす。
「さて、結局今回、誰が一番おいしいのかしら」