第六十六話「ドラゴンマスター」
「ドラゴンを破る術は、既に手に入れている、か」
こぼした言葉にルイが反応する。
『何それ。結構危ないよ、波導使い。オンバーンを相手に勝てる算段でも』
「勝てる、勝てないではない」
アーロンは立ち止まり、上空のオンバーンを見据えた。
「――俺が、勝つんだ」
オンバーンは赤い燐光を棚引かせてアーロンへと真っ直ぐに向かってくる。狭い路地を翼で破砕し、勢いが弱まる様子もない。
だが、それこそがアーロンの仕掛けたドラゴンタイプ突破の術だった。
突如、オンバーンの動きが止まる。
オンバーンの両翼が何かに射止められたかのように勢いを弱めたのだ。引き千切ろうとするがオンバーンは空回りするばかりである。
「ドラゴンをまともに破ろうとするのは間違いだ。だからこの狭い路地裏に誘い込んだ。オンバーンの長所は、聴覚。それを用い、レーダーのように常に相手を正確に捕捉し続ける。だからこそ、眼に頼る必要はないと見た。推論だが、オンバーンは実のところ視力がほとんどないのではないか。視力のないポケモンは代わりに発達させるのは、聴覚、触覚。オンバーンはその耳のような器官が発達している。加えて先の音波攻撃。音波と聴覚に頼り切った戦い方ならば、微細なこれは見えないだろう?」
その時になって、オンバーンを絡め取ったものが見えてくる。
それは細やかな電気ネットであった。太陽の光を浴びて辛うじて眼に映るレベルの細い電気ネットがアーロンの周辺に張り巡らされている。
「ビルの上では不利だった。何故ならば遮蔽物がない。そんな場所なら、勝てない。上空からはオンバットが常に捕捉し、オンバーンの素早さと聴覚に頼って相手トレーナーは姿すら現さない。ならば、と俺は下に降りた。走ればすぐにでも追いついてくるかと思ったが、警戒して今まで上空を飛んでいたな。だが、ここに来て、俺が立ち止まったのを関知し、一気に攻め込もうとしてきた。オンバーンとオンバットを使った戦法の強みは、トレーナーからの遠隔操作。つまり、大雑把な位置さえ分かればトレーナーは遠くからでも、オンバットとオンバーンによる連携攻撃で相手を付け狙える。まるでそこにトレーナーがいるかのような錯覚さえも与えられるだろう。だが、実際は違う。最初から、オンバットが現れたときからだな、正確には。オンバット二十体の目的は俺の足を潰す事ではなく、俺がどこにいるのかを捕捉する、遠隔レーダーの意味だった。オンバットの後にオンバーンが仕掛けてきたのはそういう理由だ。そして耳を潰せば、オンバーンがどこから来るのかも分からない相手は確実に狩れる。手慣れたやり方だな。これが基本戦術か?」
アーロンの言葉にオンバーンが咆哮し、発達した耳から音波を発生させようとする。その前にアーロンは指を鳴らした。
「波導が見えづらい、というのはつまり、遠くから見ている場合だ。あるいは触れずに、相手を視認する場合。そういった場合のみ、ドラゴンは無敵に近い。だが、俺はこうしてお前に触れている」
アーロンが五指を開く。指先には電気ネットの末端が繋がっていた。
波導の眼を開くと今まで見えづらかったオンバーンの波導が手に取るように分かる。接触しているためにオンバーンの波導がどれだけ位相を変えようが、多層であろうがアーロンには理解出来る。
オンバーンが咆哮するがアーロンは指を開いたまま口にした。
「……悪いが、まだ耳が回復していなくてね。どれだけ吼えようが喚こうが威嚇にもならない。それに逆鱗に頼り過ぎたな。お前の全身に、電気ネットは絡み付いている。これならば、波導の切断は――」
ピカチュウが電気を溜める。次の瞬間、それが放出された。ただ単に電撃として使ったのではない。オンバーンの波導の表層を焼く。
「可能となる!」
表層を焼かれたオンバーンだがまだ波導の層は残っている。アーロンは迷いなく残りの波導を焼き切っていく。
一つ波導を焼く度にオンバーンは身をよじって逃れようとするが、完全に絡みついた電気のネットを解くのには時間が足りなかった。
「一つ!」
波導の層が切り裂かれる。オンバーンが翼を羽ばたかせようと大きく手を引いたが、その前にもう一つの波導を切断する。
「二つ! 三つ!」
波導の層が焼かれ、遂には最後の波導だけがオンバーンを包み込んでいる状態になった。アーロンは固めた手を差し出す。
「あと一つの波導を焼けば、お前の波導は消滅する。波導を切断するとは、それは即ち命の源泉を絶つという事。次で終わりだが、どうする? 主人を呼ぶか、それともここで野垂れ死ぬか」
選べ、と睨みつけた瞳に、オンバーンが三つ、声を上げたようだった。そのタイミングでアーロンは波導を完全に切断する。
オンバーンが電流で身体を焼かれ、内部から煙を棚引かせた。
電気のネットに抱かれたまま、オンバーンは絶命していた。オンバットが襲ってくるかと警戒していたが、オンバットは進化先であるオンバーンの死に恐れを成したのか近づいてこない。
アーロンは緊張を解き、肩を荒立たせた。
鼓動が今にも爆発しそうだ。
それほど、先ほどの戦闘は賭けだった。オンバーンがもし、接近攻撃にこだわらなければ、自分はやられていただろう。
「辛勝、か……。ドラゴンを相手取るのは疲れるな」
オンバーンがこちらの罠にかかったからよかったものの、音波攻撃の一辺倒にこだわるのならば敗北していたかもしれない。アーロンは汗を拭おうとして別のプレッシャーの波が波導の感知野を粟立たせた。
咄嗟に前に転がる。
先ほどまでアーロンのいた空間を引き裂いたのはオレンジ色の光条だった。
「何者だ……」
しかし、問いかけてみてナンセンスだと感じる。オンバーンがやられて現れる人物と言えば一人しかいない。
「何者だ、とはご挨拶だな。ついさっきまで戦っていたのに」
現れたのは金色の表皮を持つドラゴンタイプであった。水色の皮膜の翼を広げ、今しがた光線を放った口腔を開いている。
そのドラゴンの上で、一人の青年が佇んでいた。
ぴっちりとした青いスーツに、紫色のマントをはためかせている。
異様であった。ここで現れるのならば軍人だと思い込んでいたのもある。
相手は、軍人にしては華美で、ただの人間にしては纏っている空気が桁違いであった。
思わず波導を読む。
乗りこなしているドラゴンタイプと波導の閾値がぴったりと合っている。つまり、相棒はこのドラゴンであるという事だ。
「オンバーンは、残念だったよ。これほどまでの使い手が相手だとは思わなかったから、実戦も兼ねてのテストだった。まぁ実際のところ途中まではうまくいっていた。オンバットを使っての相手の捕捉。オンバーンの補助をうまい具合にやってくれていて、勝てると思っていた。だが、まさかこちらの読みの甘さを突かれるとはね。遠距離を徹底するべきだったな。もしそうならばこの事態は違っていただろう」
オンバットが数体降り立ってきてオンバーンの遺体を回収する。この場に軍人のポケモンを残しておくのは危険だろう。
「オンバットはね、実は全く強くないんだが、二十体もいればオレを特定するのも難しいと思ったんだ。ドラゴンタイプを相手取る際、一番に相手が考えるのはトレーナーの無力化。ところが、オンバットとオンバーンを使った遠隔戦術ならばオレがここに来なくとも自由自在に追い詰められる。いや、追い詰められるはずだった」
だが実際には自分の読みが勝ち、オンバーンを退けた。その現実に青年は肩を竦める。
逆立てた赤い髪をかき上げた青年は自嘲気味に語った。
「ちょっとばかし……、オレは甘かったようだ。ヤマブキの、有名な殺し屋だと言っても所詮は殺し屋。アマチュアだ。プロであるオレとは比べ物にならないのだと思っていたが、いやはや感服したよ。勝利は君のものだ。とても尊いよ、この一勝は」
「どうだかな。事実、この距離からお前らが破壊光線を放てば、それこそ勝敗は覆る」
アーロンの冷静な声に乾いた拍手を送っていた青年は手を止めた。
「……警戒の糸を切らないのも見事だ。戦闘後なら、今の破壊光線。当たると思っていたが。それもオレの読み不足か」
「お前らは何者だ。何故、ヤマブキに介入する?」
「知っているだろう? ホウエンから仕入れたシステムが逃げた。オレはそれを匿っているかもしれない一派を消すために派遣された、軍人だ。そうは見えないかもしれないが、名乗っておこう。こっちは君の名前を知っているのにオレは知らないのはフェアじゃない。カントー攻勢部隊。β分隊所属、ドラゴン使いのワタル。もう一つの顔は、カントー四天王、最後の試練の男だ」
アーロンは歯噛みする。手強いと思っていたがまさか四天王クラスだとは。
ドラゴンの扱いも四天王ならば、遠隔からの戦術を試すのも頷けた。
「四天王が一つの街の揉め事に関わってくるのか?」
「だから、これは極秘作戦だ。まぁオンバットがちょっとばかし荒っぽい事をしたが、あれは野性で片付くだろう? オンバーンを実際に目にしたのは君くらいだ。情報統制でどうにでもなる」
そのための二十体による同時作戦。アーロンは、荒事を平然とやってのけるその性格もそうだが、二十体を同時に操っていたのがまさかたった一人だという事に戦慄する。
「二十体を、操っていたのか」
「まぁね。いくらドラゴンに精通していても二十体はちょっと操るのが難しい。でもそれで余計に、野性っぽいだろう?」
全て計算ずくという事か。アーロンはどこから攻撃すればワタルを攻められるのか考えたがワタルに隙はない。乗っているドラゴンタイプもオンバーンのような自律型のポケモンではないのが窺えた。
「オレを、必死に落とすための算段でもつけているのか? 無口だな、波導使い。いいや、青の死神、アーロン。この街が擁する、最強に近い暗殺者というのは伊達ではないようだ。今も考えているのはオレを殺す術。どこから攻めればいいか。だが今のオンバーンの犠牲に報いるには、君に一切の慈悲を与えず、殺す事だと判断した。この距離で破壊光線を撃ち続ければ、君も逃げ場をなくし、死ぬしかない」
ワタルの眼は本気だ。本気で自分を殺す事を考えている。アーロンは質問を投げた。
「俺を殺してどうする? 俺は、お前らの探すシステムとやらに全く通じていないかもしれない。あるいは考え以上に精通しているかもしれない。それの判断がついていないのに、殺すのは早計だと思うが?」
「意外だな。命乞いか? 安心して欲しい。システムについては別働隊が動いているし、それにもうすぐ特定可能だ」
それはルイに聞けばすぐにでも分かるのだが、この男の前では無用な動きは出来ない。
「オンバーンを殺したんだ。そのポケモンがいかに優れていようとも、攻略法はある」
「ドラゴンを倒すのにまさかそんな電気ネズミだとは思わなかったよ。だが、入り組んだ路地に、視力の弱点を突く的確さ。さらに言えば読みの深さ。オンバーンは負けるべくして負けたが、オレはこの距離までピカチュウの電撃が届かない事を知っているし、それにちょっとでもピカチュウを手離せば、そちらに勝機がない事も分かっている」
こちらの戦闘を全て見られていたのならば、肩からピカチュウが一切動かない事も承知の上だろう。アーロンは舌打ちする。四天王は侮れない。
「さて、この状況で君はどう出るか。色々と考えてみたが大きく二つだ。オレの相棒、カイリューを倒す方向に来る。だが、これはとても薄い線だと考えている。なにせカイリューはオンバーンの同じ轍は踏まないし、オレの完全な指示の下で動くドラゴンに死角は存在しない。ない弱点を突く事は出来ないし、君だってそれくらい分かっている事だろう。では、もう一つの可能性。つまり、素直にシステムの情報源を吐き、ここで撤退する。オレとしては後者が賢いと思うが」
アーロンはその言葉に確信を強める。相手はルイのシステムの一端すら握っていない。ルイが自分の下にある事さえも知らないのだろう。ただ、自分はルイの場所を少しばかり知っている私兵だとでも思っているのか。
「答えなければ、どうなる? 撤退もしない。ここで逃げれば名が廃る」
「言うと思ったよ。そうだな、逃げなければ」
カイリューが口腔を開く。内部にオレンジ色の光線が次々と充填された。
それだけではない。上空に展開するオンバットも降下してきて音波攻撃を仕掛けようとしてくる。
どう考えても不利。音波で動きを止められて破壊光線を撃たれれば勝てない。
「ここで潰えるか。青の死神。合理的に考えるといい」
アーロンは余裕の眼差しを自分に向けるワタルへと睨み返した。ここで臆せば負ける。それ以前に、この戦いには時間稼ぎの意味合いが強い。
退けば終わりなのだ。
アーロンの意思を感じ取ったのか、ワタルは呟く。
「……残念だよ。もっと賢いと思っていた」
カイリューが今にも破壊光線を撃とうとする。オンバットからの音波攻撃に晒されようとした瞬間、お互いの無線機が同時に音を立てた。
ワタルが無線を取る。
「もしもし?」
アーロンもホロキャスターを耳に当てた。
「どうした?」
『ワタル少尉。作戦は中止だ。別働隊からシステムはヤマブキの外に持ち出されたとの報告があった。これ以上ヤマブキをせっつくのは面白くない。我々としても、ヤマブキにこだわっていればいつ足元をすくわれるのか分からないからな』
『波導使い、ボクはボクの一部を、相手に誤認させて外に持ち出させる事に成功した。これで、戦う必要性はないわけだ』
システムの切り離しに成功したわけか。
アーロンとワタルはお互いに無線機を耳から離し、「なるほど」と声にする。
「悪い報告ではないようだな。お互いに」
「そうだな。だが、どうする? これから先、禍根の芽になりそうなものは摘み取っておくか」
「そうだな。オレも、オンバーンをやられたんだ。正直、ちょっと怒りがあってね。オレのドラゴンを傷つけた奴を、このままむざむざと逃がして堪るか」
『おい、聞こえているのか、少尉! これ以上、ヤマブキの内情に首を突っ込むな。少尉!』
喧しい無線機のスイッチをワタルは切る。ここから先は、軍人ではない。一人のトレーナーとして、許せない相手との対峙だろう。
「オンバットは使わないでおこう。もうこの街からも逃がすよ。それが一番いい。フェアに、一対一で」
「ああ、来い」
カイリューが破壊光線を一射する。アーロンはビルへと即座にワイヤーを絡めつかせて舞い上がった。
それを阻むようにワタルの乗ったカイリューが大写しになる。
まさか接近戦か。想定していなかった戦法にアーロンはうろたえながらも電流の皮膜を張った。
お互いに攻撃の干渉波がスパークし後ずさる形となった。ビルへと飛び移り、足場を整える。
カイリューが接近してきたのは今の一度きりだ。恐らくどれほどの攻撃か試すための。
逆に言えば今の機会が唯一。
アーロンは電気の皮膜と同時に放ったワイヤーの一本を引く。
カイリューの片腕に巻きついたワイヤーがようやく感知したのか、ワタルが目ざとく反応する。
「カイリュー、バリヤーだ!」
カイリューを覆って薄紫色の防御膜が構築される。ワイヤーに電気を通そうとした瞬間に遮断された。
「続け様に、流星群!」
カイリューが両手を広げその五指から電磁を纏った青い球体を、左右三つずつ練り出す。両手を握り締めてそれを突き出した瞬間、六つの青い球体が幾何学の軌道を描いてアーロンへと射出された。
ステップを踏み、回避しようとするが一撃がビルの屋上へと食い込むと、それを中心として螺旋状の爆発が巻き起こる。
アーロンは歯噛みした。これほどの威力の攻撃を六つ。あと五つ避けなければならない。
電気ワイヤーでカイリューを叩き落そうにも相手は射程内に入ってくれない。これでは消耗戦を続けるばかりだ。
「これがドラゴンの力だ。食らい知れ!」
二つ目の青い球体が自分へと突き進む。アーロンは電流を放たせてビルの粉塵を巻き上げた。粉塵にぶち当たった瞬間、球体が爆発する。
払われた塵の向こうにアーロンはもういなかった。
直後に走り込んでカイリューとの距離を詰めようとする。少しでも近付ければ。もう一度だけでも電気ワイヤーを絡め取れれば、という思いだったが、カイリューとワタルは全くこちらの射程を許さない。
「三発目を忘れているな!」
ハッとしてアーロンは足を止める。下段から浮かび上がった青い球体が弾け飛び、アーロンの眼を眩惑した。
波導の眼を潰されればアーロンとて足を止めるしかない。その隙を突くようにカイリューが手を払う。もう三つの青い球体が天上から押し潰さんと迫ってくる。
習い性で足場を蹴ると、先ほどまで頭蓋があった空間を二つの球体が引き裂いた。
爆発が足元で生じてアーロンは突風に煽られる。
「まだ、あと一発を……」
使い切っていない。その事実に警戒網を強めるが、回復した視界に入ってきたのは破壊光線を一射しようとするカイリューの姿だった。
この距離から撃たれれば確実にどちらかは命中する。
破壊光線か、あるいは先に放った流星群のうちの一発か。
「感服した。まさかここまでやるとは」
「カントーの国防さえも任される四天王だ。それなりの実力である事は分かっていただろう? 何故、逃げなかった」
確かに逃げれば、機会はあったかもしれない。生き残れる数値は高まっただろう。
だが、お互いに分かっていたはずだ。
どこかで決着をつける必要があると。
ならば、今をおいて他はない。自分の実力を示し、相手に不可侵の恐怖を抱かせるには、今なのだ。
「カイリューはそこから破壊光線を撃つ事に専念。流星群で少しばかり威力が落ちたとはいえ、ポケモンで防御もしないトレーナー相手ならば関係がない、か。俺の弱点をもう分かっている」
「だからこそ、解せない。青の死神。君は何で、オレに背を向けない?」
「簡単な事だ。――俺が勝つのだと、そう考えているからだ」
その時、ピカチュウが不意に跳躍した。突然の事にワタルが目を見開く。ピカチュウを手離すとは思わなかったのだろう。
「肩口に留まって、常に君の攻撃を補助するのでは……」
「普段は、な。だが、今は敵が敵だ。違う戦術を取る。ピカチュウ、突き破れ」
ピカチュウがカイリューの前で反転し、雷の形状の尻尾を突き立てる。尻尾の打ち下ろし攻撃だと判じてカイリューは防御を取らなかったが、それはミスであった。光を帯びて拡張した尻尾は鋼鉄の輝きを帯びてワタルの肩口に突き刺さる。
「オレを、最初から狙って……」
「自分で言っただろう? ドラゴンを制するには、トレーナーを狙うのが一番だと」
「だが、遠距離で指示など……」
その段になってワタルも気づいたらしい。ただ単にピカチュウを手離したわけではないと。ピカチュウから伸びていたのは細い電気ワイヤーだ。それが一本だけアーロンの中指に繋がっている。
「一本でもあれば、お前の波導が分かる。切断位置も。さぁ」
片手を突き出し、アーロンは言い放つ。
「――死ね」
ピカチュウを介して電撃が放たれワタルが絶命する、かに思われたが、カイリューが身をよじり、ピカチュウを無理やり突き放した。赤い燐光を帯びている。「げきりん」だ。
「よもや、使う事になるとは……」
離れたピカチュウをカイリューが蹴りつける。アーロンは電気ワイヤーでピカチュウを自分の肩に引き戻す。
「大丈夫か? ピカチュウ」
ピカチュウは短く了承の鳴き声を上げて頭上のカイリューとワタルを睨む。志は同じだ。
――仕留め損ねた。
ワタルはピカチュウの「アイアンテール」で受けた傷口を押さえている。
「カイリュー。ここまでコケにされて、黙っているわけにはいかないな。逆鱗からの、破壊光線の照射で――」
それを遮ったのは明確な殺意の出現であった。
ワタルは即座にカイリューへと命じる。カイリューにぶつかってきた影があった。
丸まった黒い表皮のポケモンである。アーロンは即座にそれが何なのか判じる。
「炎魔の、〈蜃気楼〉か……」
シャクエンのバクフーンが炎を帯びて車輪のようにカイリューへと突進する。ワタルは手を薙ぎ払って交戦した。
「破壊光線!」
一射された破壊光線をバクフーンは炎の皮膜でずらす。貫いたのは高熱の生み出した幻影だ。
本物のバクフーンは下に回り、カイリューの直下から攻撃を仕掛ける。
地面が隆起したかと思うと、一挙に炎が弾け上がった。火柱だ。高熱の火柱が、カイリューへと襲いかかる。
ワタルは舌打ちしてカイリューを退かせた。自分が騎乗しているためにカイリューに無茶な機動はかけられない。
バクフーンが追撃の火柱を連鎖させる。カイリューは翼を羽ばたかせて必死に回避した。
「……なるほど。もう一人、この街には伝説的な殺し屋がいると聞いていた。炎を操る殺し屋、炎魔、とか言ったか。炎魔との連携を組んでいたのだとすれば、これ以上は不利に転がるだけだな。何よりも、火柱をかわしている間にいつの間にか波導使いの射程に入っているのではまるで意味がない」
カイリューが一際大きく翼を広げて高空へと逃げてゆく。バクフーンはそれ以上、追おうとはしなかった。
「ここは退こう。それが賢明だ。だが、忘れるなよ、波導使いアーロン。この傷の雪辱は、いずれ返すのだと」
睨み返すとワタルはカイリューに身を翻させる。
いつの間にか空中展開していたオンバットは東方に抜けていったらしい。黒雲のように垂れ込めていた群れのプレッシャーが消えていた。
バクフーンが傍に降り立つ。アーロンはその時になってようやく、緊張の糸を解けた。覚えず膝を落とす。
「すまないな、〈蜃気楼〉と言ったか。お前が来なければ勝敗はどちらに転んでいたか分からない。炎魔は……」
バクフーンが顎をしゃくると、離れたビルの屋上でシャクエンがこちらを見つめているのが分かった。アーロンは息をつく。
「随分と無茶をした。あのシステム一つのために四天王が動くとは。想定外だったが、生きて帰れるだけでも儲け物か」