MEMORIA











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妖精の無色、電脳世界のフェアリーテイル
第六十四話「音響龍」

「どうやらホテルの奴ら、アーロンさんを利用しようという心積もりらしいですよ」

 リオから聞かされたのは逃げ込んだシステムの行方を追う事であった。ホテルからの依頼であるが、同時にホテルは軍部に接触しているとルイからのメールにはある。

 つまり二枚舌。

 ホテルは自分の存在を体よく利用するつもりだ。

 軍部には動く様子のない門外漢として。実際には誰よりも目を光らせている。

「そうか。やはり、軍隊と俺を衝突させる気だな」

「やめておいても、いいと思いますよ。どうせホテルも、アーロンさんをそこまで重要視しているわけじゃない」

「俺が負けるとでも?」

 リオはその質問は意外だったのか、目を見開く。

「……スノウドロップとは引き分けた。その実力は分かっています。でも、相手は統率された軍隊です。アーロンさんは一個人。殺し屋と軍隊ではレベルが違いますよ」

「そうだな。俺も、正攻法では勝てるとは思っていない」

 アーロンの言葉にリオは首を傾げる。

「正攻法では、って……。まるでそれ以外の方法があるみたいな」

「俺に伝えるべき事は、以上か?」

 封鎖された路地から出ようとするとリオは背中に声を投げた。

「殺されますよ! 連中は本気なんだ!」

「一度だって、本気でない連中を相手取った覚えはない。この街は意地が悪い事にいつだって、人の命を紙切れ一枚以下にしか思っていない」

「だからって、アーロンさんが死にに行く理由はないですよ!」

「安心しろ。死ぬつもりはない。情報はそれだけじゃないだろう? どこまでホテルに聞いた?」

「……理由を作るから、ある場所にアーロンさんと軍隊をぶつけさせろ、と。その作戦場所が、これです」

 リオがメモを差し出す。恐らくオープンソースにホテルがわざと情報を漏らし、軍隊をここに引きつけているはずだ。

「何の理由があって……! アーロンさんが巻き込まれる事は」

「それも、安心するといい。もう巻き込まれているのでな」

 リオが聞き返す前にアーロンはピカチュウを繰り出して電気ワイヤーを放つ。絡みついたワイヤーを引き戻してビルの屋上に降り立った。

 アーロンはホロキャスターを取り出しルイに繋ぐ。

「そちらはどうなっている?」

『どうもこうも、さっきからひっきりなしにこちらを傍受しようっていうのが続いている。この電波遮断施設のお陰で特定には至っていないけれど、こちらから動くのはまずいかも』

「こちらは場所の指定を受けた。今から座標を送る」

 アーロンの読み上げた座標にルイは、『そりゃ困った』と口にする。

「困った?」

『張られている。二十秒後に敵が来るよ。せいぜい死なないように頑張ってね』

 二十秒後、とアーロンは警戒する。メモに記されていたビルが視界に入った瞬間、そのビルの中腹が破れた。

 黒々とした群体がビルを内側から食い破り、こちらへと殺到してくる。

 隠密に長けた相手だと思っていただけにアーロンは思わず足を止めた。

 両翼を有した紫色の小型のポケモンであった。耳のような器官が発達しており、頭頂部で二つ存在した。黄色い眼窩がこちらを睨み据え、逃げられない、と感じ取る。

「しかし、これだけの数を……」

 思わず言葉をなくす。

 紫色の翼手ポケモンがアーロンを見つけ出すと共にそのうち一体が声を放った。

 それに呼応するように、一体、また一体と声が重なっていく。

 巨大なうねりのように音波が重なり合い、アーロンへと攻撃を加えた。

 覚えずその場に膝をつく。

「これだけの、音波攻撃を……!」

 恐らくは音波による連携技「りんしょう」。だが、数が桁違いだ。数体の「りんしょう」ならば問題なくすり抜けられる。だが問題なのは二十体をゆうに超える数の音波攻撃。

 音の圧力を前に、アーロンはその場から動く事さえも儘ならなかった。

「ピカチュウ……。必ず、仕掛けてくるはずだ。音波だけでは俺を殺せないからな。そのために、既に」

 電気ワイヤーは隣のビルへと伸びている。アーロンはその時を待った。

 果たして、それは背後から現れた。

 巨大な黒い翼を広げたポケモンである。群体を生じさせているポケモンの親玉のようだった。同じように発達した耳の器官。二倍近くもあるその巨体が音の網に囚われたアーロンを噛み砕こうとする。

 アーロンはその瞬間、電気ワイヤーを引き戻し、攻撃から逃れた。

 空を切った攻撃だが、黒い翼のポケモンは翼による一陣の暴風域を発生させ、足場としていたビルを根こそぎ消し去った。もしまともに食らっていれば上半身を持っていかれただろう。

「同じタイプのポケモン……、恐らく明らかなのは飛行タイプだが、ルイ! 相手のタイプを判別しろ! 容姿はカメラで送った!」

 ホロキャスターのカメラ機能を使い、アーロンは相手の判別に移った。群体のポケモン達は新たな技を発生させ、アーロンを巻き込もうとする。しかしこれほどまでに大規模なポケモンによる侵攻は街の人々にも明らかだ。

 相手は隠し通す気はないのか。アーロンは飛び退り、ビルからビルへと飛び移る。

『解析結果、出たよ! 相手は音波ポケモン、オンバットとその進化系、オンバーンだ。飛行・ドラゴンタイプ!』

 ドラゴンとは、また厄介な相手だとアーロンは感じる。集団で行動している二十体もドラゴンであるのならば、それなりの攻撃でなければ沈まないだろう。

「しかし、これだけのドラゴンタイプを同時に扱えるなど。通常の使い手ではないな」

『今、データベースを照合中だけれど、オンバットの集合体を使う軍部なんて存在しないよ。しかも、こんな……。隠密作戦なんてまるで無視の扱い方』

「素人か。だが、それにしてはオンバーンの攻撃。仕掛けられたものがあった」

 推測するに軍人としては素人だが、ドラゴンの扱いにかけては一級。それを証明するのは二十体のオンバットの連携攻撃と、オンバーンの裏を掻いた攻撃だけでも充分であった。

「トレーナー本体を見つけ出す。それほど遠くで操っているわけではないはずだ」

 波導の眼を使う。しかしオンバットの数が多いせいか波導が分散しうまく追跡出来ない。

「少しでも蹴散らさないと――」

 そう口にしようとした時、殺気に肌が粟立つ。条件反射で飛び退ると、肉迫してきたオンバーンが頭頂部の耳のような器官から音波攻撃を発生させた。

 ビルが瞬時に粉砕し、微粒子に至るまで引き裂かれる。

 次いでアーロンを襲ったのは純粋に鼓膜を叩く強大な音だった。聞くだけで鼓膜が破れそうになる。アーロンは波導を操り、耳を保護する。それでも音の感覚の麻痺した世界に晒された事には変わりない。オンバーンが咆哮して、翼を返す。突風が巻き起こり、アーロンの青いコートを煽った。

「これだけの凶暴性、トレーナーは近くにいる。そうでなければオンバーンは操れない。どこだ、どこにいる?」

 視線を巡らせようとするも、オンバーンの動きが速い。一瞬でも気を抜けば身体を引き裂かれる。

「オンバットから探ろうにも数が多い。オンバーンから探るには相手が速過ぎる。これでは……」

 打つ手もないのか。歯噛みするアーロンへとオンバーンが間断のない攻撃を放った。音波が放たれ、アーロンの飛び移ろうとしていたビルを先んじて破砕する。舌打ちをして細かくなったビルの壁面を蹴りつけた。波導で一時的に粉砕されかけた足元を補強する。

 一瞬の足場には出来たが、オンバーンは確実にこちらの動きを読んでいる。精密だ。だがそれほどの精密さにはやはりトレーナーの指示が不可欠だろう。

「自律的に動くタイプのポケモンではない。恐らく小さなスピーカーでもつけて指示をしているか。だが、どこにいる? どうやって、俺の位置を知れる?」

 オンバーンにはカメラらしきものが搭載されている波導はない。あれば既に感じ取って壊そうとしている。オンバーンに指示を飛ばすスピーカーの存在は確定だとしても、どうやって手に取るように自分の居場所が分かるのか。

 空中を埋め尽くすオンバットの群れは黒い積乱雲のようだ。たまに音波攻撃が飛んでくるが射程外のオンバットを攻撃する暇があればオンバーンに注意を向けなければやられる。

「こちらに注意を割けば、あちらにやられる、か。厄介な事に変わりはないな。そして、オンバーンを相手取るには、耳を塞いだままでは不可能だ」

 五感のうちの一つを封じて戦えるほど相手は生易しくはない。常識で考えても相手は軍人か、あるいはそれに属するほどの使い手。恐らく、最初の音波攻撃で耳を潰す算段だったはずだ。

「波導は身体を流動する。耳が塞がれているという事は、通常の波導の流れを阻害しているのと同義」

 オンバーンが両翼を勢いよく羽ばたかせてアーロンを叩き落そうとする。咄嗟に横っ飛びし、電気ワイヤーによる一撃を放った。翼に絡みついたワイヤーを介しての電撃。だが、オンバーンは勢いを弱める事はない。

「電気があまり効かない?」

『オンバーンは飛行を持っているとはいえ、ドラゴン。通常ダメージで落とせるほど脆くはない、っていう事だろうね』

「感心している時間もないな。ルイ、弱点を教えろ」

『いいけど……っていうか聞こえていないんじゃないの?』

「波導を介して音声を振動と化し、骨伝導で伝えている。骨に直接音を伝えて聞いているんだ。だが、逆に言えばお前の声しか聞こえていない。オンバーンが何をやろうとしているのか、オンバットの群れをどうやって弾けばいいのか、五感のうち一つが潰されている事に変わりはないんだ」

『……待ってて。今すぐオンバーンの弱点を――』

 その言葉が消えるか消えないかのうちにオンバーンが踊り上がり、内部骨格が赤い燐光を灯した。粒子を棚引かせながらオンバーンがこちらへと突進してくる。

 アーロンは電気ワイヤーで次のビルへと繋いでおいたが、明らかに攻撃の勢いが強まった。翼による羽ばたきの威力も上がっている。

「逆鱗、か。ドラゴンはこれだから厄介だ」

 オンバーンの黄色い眼がアーロンを睨み据える。敵を見る眼に、アーロンは電流を放たせた。

 一瞬だけ眩く放った電流にオンバーンはうろたえて標的を見逃すかと思われたが、目を瞑っていてもオンバーンはこちらを正確に捕捉する。

「眼じゃないな。耳だ。こいつらは音で俺を判別している」

 だとすれば厄介な事この上ない。音を乱すような技は組み込んでいないからだ。

 オンバーンの鉤爪のついた足がアーロンへとかかろうとする。アーロンは前に転がってそれを寸前で避けた。だが、攻撃の反射が早い。即座に身を翻したオンバーンは直下に向けて音波攻撃を放ったようだ。

 耳の聞こえないアーロンからしてみれば、音波というよりもそれは衝撃波に近い。

 瞬時にビルの足場が粉砕され、細やかな粉塵が飛び散る。

 視界を潰された、と思った瞬間、赤い燐光を体内から充填させたオンバーンの片翼がアーロンをなぶった。

 ビルからワイヤーが外れ、そのまま自由落下は免れないかと思われたが、直前に張っておいた「エレキネット」によって着地の衝撃を減殺する。

「本来、エレキネットはこう使う」

 攻撃を受け切るエアバックとしての使用によって死は免れたが、それでも窮地には違いない。

 オンバットの群れはアーロンを常に捕捉し、オンバーンの運動を補助しているようだった。

「オンバットの無数の眼と耳が、俺を常に捕捉する。まるで張り巡らされたネットワークだな。オンバーンはその信号を受けて俺を攻撃。オンバットの波導から本体を探ろうとしても雑多が過ぎ、オンバーンから探ろうとしても相手は素早く、その隙を与えない。よく出来ている」

 陸路を走り始めたアーロンであるが、オンバーンの追撃は留まる事を知らない。狭くなった路地を物ともせず、オンバーンは上空からアーロンを追い続ける。

 耳の回復にはまだ少しばかり時間がかかりそうだ。

 加えてオンバーンとオンバットをいくら落とそうとも、本体であるトレーナーに辿り着けなければ結局こちらの負け。時間稼ぎの間にルイの事が露見しても敗北。

 畢竟、アーロンに余計な時間は残されていなかった。

「ドラゴンを倒す術、か」

 対ドラゴンは波導使いにとっても重要な戦闘要素だ。アーロンは静かに過去の言葉を思い出していた。


オンドゥル大使 ( 2016/06/09(木) 21:38 )