第六十一話「電子の妖精」
「いいか? 買うものはテレビだけだ」
最初にそう言い含めておいたのは全員がついてくると言いだしたからだ。
当然の事ながら三人も連れ歩くのはどうかしている。
「何でですかぁ。あたし達はついていく義務があります」
「馬鹿なのか? 大の大人が三人の小娘を連れている様子を見て、お前はどう思う?」
メイは少し考える仕草をしてから呟いた。
「……異常ですね」
「まだ子供に近い瞬撃ならばいざ知らず、お前らは充分に大人びている。そんな連中を二人も連れて行けば怪しいに決まっているだろう」
電気屋一つに行くのでもこれである。アーロンは頭を抱えていた。
「で、でもでも! あたしがまずは見るべきでしょう?」
メイを連れ回したくないのは理由がある。
プラズマ団がまだこの街に潜伏しているかも知れない、という可能性。もう一つはシャクエンの懸念であった。
「俺としては、炎魔を連れて行くつもりだったんだが」
「シャクエンちゃんを? ……まさかアーロンさん、シャクエンちゃんに何か――」
「何もしていないし、お前は余計な事を考え過ぎだ」
どううるべきか。悩んでいるとアンズが手を振った。
「あたいはお留守番でいいよ、お兄ちゃん。テレビとかよく分からないし」
「私も。テレビとかは分からない」
シャクエンとアンズの声にアーロンは言い返す。
「だからと言って馬鹿を連れて行くのは」
「また馬鹿って言った! 酷いですよ、アーロンさん。壊したのはあたしじゃないんですから」
勝手に壊れていた、と言っても最後に使っていたのはメイである。よくもまぁ、そんな太い事が言えたものだ。
「ではどうする? 炎魔、お前が来るのならばまだ理解出来たが、どうして留守番なんて」
「メイと、あなたは話したほうがいい」
スノウドロップ戦から先、自分とメイはろくに話をしていない。それを慮ったのだろう。暗殺者にしては、他人の心情を読む事に長けている。
「……俺は保護者か」
ため息をついてメイを手招く。メイは部屋を出る際に、「火の用心をしっかりしてね」と言い置いた。
「炎魔に向かって火の用心とは。洒落にならん話だ」
店主に予め聞いておいたテレビの型番をメモしておき、アーロンはヤマブキの街並みを歩いた。
考えてみれば、何も考えずにヤマブキシティを歩いたのは久しぶりかもしれない。
ここ最近、殺しだのトラブルだのが相次いだ。大体がメイのせいなのだが当の本人には自覚はないらしい。
「アーロンさん、何か喋りましょうよ」
「勝手についてきてその言い草か。言っておくが、俺は気の利いた話題なんて出せないし、そういうのは期待しない事だな」
メイはむくれてそっぽを向く。
「いいですよーだ。どうせ、アーロンさんに女の子のエスコートなんて出来ないんですから」
アーロンは釈然としないものを感じつつ、まだ撤去工事が行われている裏路地を視界に入れた。スノウドロップとの戦闘は明らかに街へと大きな傷跡を負わせた。その責は背負うべきだと判じていたが誰も自分を罰しなかった。そもそもプラズマ団という横槍のせいで発した戦いだ。ヤマブキの全員が同情はしたが責め立てるような空気の読めない輩はいなかった。
そういう点ではこの街の人間は温情に溢れている。
「……まだ、工事しているんですね」
だからか、メイの呟きを聞き逃しそうになった。
「……まだ、か。しばらくは工事が続くだろうな。裏路地の大改編はあり得るだろう」
「あたし達が、暴れたからこんなことになったんですよね。死んだ人とかは」
「いたずらに犠牲を増やすような戦いはしない。それはスノウドロップとて分かっている。全部廃ビルを襲ったものだ。だが、そこいらのホームレスは死んだかもな」
確認出来ていない死体。一つや二つはあってもおかしくはない。だが、その責を背負うのは筋違いであるし、そういうのは事故に巻き込まれたのも同然だった。
しかし、メイは足を止め、鼻をすすり上げる。振り返ると目の端に涙が溜まっていた。
「……何故、泣く? お前のせいではあるまい」
「あたしが、迂闊な事をしなかったら起こらなかった。アーロンさんはそう言っていたじゃないですか」
「あれは転がっている事態をどうこうするために必要だった言葉だ。もう忘れろ」
どちらにせよ、不器用にしか言葉を交わせないのだから。
二人の間に無言が降り立ち、メイは俯きがちになっていた。
「下を向いていると転ぶぞ」
「転びませんよ。ただ、下を向いていないと、どこに目を合わせていいのか分からなくって」
「俺達が見なければいけないのは常に先だ。だから前を向け。過去を回顧するのはいつでも出来る。だが先を見据えるのは、今しか出来ない」
そんな、誰に宛てたでもない言葉を口にする。
メイが顔を上げたのかどうかは結局見なかった。振り返ったところで仕方がないのだと、アーロンは割り切った。
「店主の注文したのは20型か。結構大きめだな」
ウィンドウに設置されているテレビを見やり、アーロンは呟く。
どうせ自分の金で買うわけではないのだが、それにしても一人用の大きさではないな、と感じる。
「映画とか、店主さんは観るみたいですよ」
すっかり様子も元通りになったメイが声にする。割り切れたかどうかは、結局聞き出せず仕舞いだ。
「映画ね……。上ではほとんど観ないから小さめでいいな」
「えーっ! せっかくだし大きいの買いましょうよ」
メイの不満にアーロンは言い返す。
「大きいテレビを買って、お前らは何をする? 下らんテレビのバラエティ番組しか観まい。それも俺のいないところでゲラゲラ笑うだけだろう。正直なところ、テレビは訓練用に小さくてもいい」
「波導の眼の訓練ですか? 毎朝やっていますけれど、あれ意味あるんですか?」
高速でチャンネルを回し、即座に脳に情報を取り入れる作業の事をメイは言っている。アーロンは、「教えは忠実に守るものだ」と答えた。
「特に、日々の鍛錬はな」
「変な事を教える人もいたもんですね」
自分の事を棚に上げてよく言う。アーロンは一つの中型テレビに目を留めた。
「値段も手ごろだ。これにしよう」
そう言って振り返ったところにメイがいなかった。どこへ行ったのだ、と探しているとメイはパソコンコーナーにいた。
「おい、買うテレビは決まったぞ。油を売っていないで」
「アーロンさん、これ、変ですよ」
メイの注目は一つの端末に集中していた。アーロンは嘆息を漏らしつつメイの視線を追う。
「何が変なんだ? ただのパソコンだが」
「だって、これだけネットに繋がっていますよ?」
ディスプレイされているパソコンはどれもオフラインだったが、その一台だけオンラインだった。確かに奇妙と言えば奇妙だが設定のミスだと考えた。
「店員のミスだろう。オンラインになっているパソコンの何がおかしいんだ」
「いや、でも……。気になりませんか?」
メイの視線はその端末から離れない。アーロンは端末の画面を覗き込んだ。
その瞬間、ほんの少しだったが意識が混濁したのを感じた。
アーロンはよろめく。
あり得ない事だが、波導の眼が勝手に機能し、パソコンの内部を視ていた。
「……何だこれは」
無機物にも波導は宿る。それは師父との訓練ではっきりした事だ。だが、目の前のパソコンに宿っている波導は質が違う。
人間の纏っているものに近い波導を、そのパソコンに感じた。
他のパソコンも瞬時に見やる。だが、どれも無機物だ。それらしい波導は宿っていない。
――こいつだけ、別なのか?
アーロンはメイを押し退けてパソコンを注視する。その姿にメイがむくれた。
「見つけたのはあたしですよ。アーロンさん、気になるんですか?」
「ああ、こいつは。ひょっとするとひょっとするかもな」
意味が分かっていないのか、メイは首を傾げる。アーロンは値札を見た。特価品と書かれておりテレビと一緒に買い付けてもまだ余裕がある。
「これも買おう」
その言葉にメイが予想以上に困惑した。
「何でですか? あたしが変って言ったから?」
「大体そんなところだ」
この一台だけ波導の位相が違う、と言っても常人には理解出来まい。アーロンはパソコンを手にレジへと向かった。
「これ一台限りなんですよ」と店員は笑顔を振り撒いた。
「何で買ったんですか? テレビはそうですけれどパソコンなんて要らないでしょ」
家に帰るなりメイの文句が飛んできた。シャクエンとアンズも同様の意見を口にする。
「予定外の出費は必要ないって、言っていたくせに」
「パソコンなんて使い方分からないよー、お兄ちゃん」
アーロンは導かれるようにパソコンをネットに繋ぎ、先ほどと同じ状態を試してみた。すると、ポップアップが現れ、何かを表示するか否かを問われる。
「アバターを表示しますか、だって。何か古臭いよね。今時アバターなんて」
アーロンは「はい」の項目を選択する。直後、ノイズが走った。
「壊れたんじゃ」と三人とも呆気に取られていたがアーロンだけは違うと感じていた。
ノイズと同期して波導の度合いが強くなったのだ。
やはり、と確信する。
「このパソコンは他のとは違う」
「あたしが言った事ですけれどね」
「そういう意味ではない。俺の波導の眼を、勝手に発動させた。このパソコンには特定周波数を他人の脳に直接叩き込むサブリミナル効果が施されている可能性が高い」
「サブリミナル……。えっと、どういう意味ですか?」
馬鹿には一から十まで教えないといけないらしい。アーロンはため息をつきつつアバターを表示させる。
「お前から説明しろ。波導の眼の強制発動なんて、波導使い以外では出来ない」
アーロンの言葉に表示画面に浮かび上がったのは薄紫色の髪をした少女のアバターであった。眼が赤く、容姿は幼い。
『さっすが、波導使いアーロンなだけはあるみたいだね。ここまで早く見つかるとは思っていなかったよ』
マイクを震わせる声にメイとアンズが後ずさる。
「なっ、何これ!」
「の、呪いのパソコン……!」
「馬鹿を言え。呪いなんて存在しない。こいつはこのパソコンに入っていた、物理存在だ」
「そ、それが亡霊とか、幽霊とか言うんじゃないですか!」
メイの喚きにパソコンの中の少女は首を傾げる。
『おっかしいなぁ。もうちょっと理解がある人間が揃っていると思って大都会ヤマブキシティの、あんな電気屋に張り付いていたって言うのに。随分とアナクロだね』
アーロンはアバターが喋る度に内蔵する波導の度合いが強くなっているのを感知する。一体、これは何だ? 何が意思を持って存在している?
「一つ聞こう。俺達を担ごうというわけでは」
『ないない。だってボクは、自分の身柄でさえ危ないんだ。ふざけている時間なんてないよ』
「こ、この亡霊を何とかしてください! アーロンさん! 波導使いなんでしょう?」
「……生憎と波導使いは亡霊をどうにか出来るわけではないし、それにこいつは亡霊でも何でもなく、一種のプログラムだ」
放たれた声にメイとアンズが呆然とする。
「プログラムって……。勝手に喋るプログラムなんて存在するわけ」
「そ、そうですよっ! いくらあたしとアンズちゃんが機械に疎くたって分かるんですから!」
「プログラムである証拠を見せようと思うと、言語化が難しいな。お前の口から説明しろ」
『えーっ。ボクだって暇じゃないし、一刻を争うんだけれどな……。まぁ、いいや。ここは結構有意義な場所だね。電波遮断施設だ。そこいらからの横槍を完全に受け流す、一級の建物だと言ってもいい』
少女が投射させたのは衛星画像である。そこには粗いながらもこの場所が映し出されていた。
「そ、空から狙われている?」
「衛星に即座にハッキングしたのか。ただのプログラムにしては、なるほど、強力だな」
『分かってもらえた? ボクはプログラムというよりもシステムそのものだ。だから、そうだね、亡霊じゃないよ、そこの……、メイとか言うトレーナーさん』
「何で、あたしの名前……」
名乗っていないはずである。アーロンは自分の身元も特定したアバターの少女の手腕を推測する。
「衛星どころではないな。この街のネットワークに接続している。恐らくはホテルか、ハムエッグのところから情報を拝借しているんだ」
「そんなの、ばれたら……!」
『ばれないよ。ボクは一流のプログラムOSだもん』
えっへんと胸を張ってみせる白衣の少女のアバターにメイは血の気が引いたようだ。
「怖い、っていうか、不気味……。何なの、これ。どうして、こんなプログラムが……」
「俺にも分からないが、どうしてだか、一台だけオンラインになっていた家電屋のパソコンに紛れ込み、サブリミナル効果を生み出す画面を表示させ続けて買い手をこいつが選んでいた、と考えるのが筋だろう。俺の眼を強制発動出来るサブリミナル効果なんて知らないが、あるのだろうな」
『嘗めてもらっちゃ困る。ボクの中には波導使いのデータだってあるんだ。当然、その一族がどういう眼を持っていて、どういう体質なのかも』
「アーロンさん! 壊してください!」
メイの張り上げた声に少女のアバターは戸惑う。
『ちょっ、ちょっと待ってよ! ボクは何もしてないじゃない』
「何もしていないって、これだけの事をやっておいたプログラムですよ。危なくないはずがない」
「馬鹿にしては聡明な考えだ。俺も、このプログラムは危険だと判断している」
画面の中の少女は腕を組んで、『どうするべきかな』と悩む。
『このまま、オンラインだし逃げ切る事は出来る。痕跡の一つも残さずに、ね。でもそれをやるには、この電波遮断施設が厄介なんだよね。特定周波数以外は内からも外からも弾く。こんな特殊な素材の家に住んでいるんだから、カタギなわけがないよね』
「そこまで分かっていれば話が早い。どうするか、お前が決めろ」
アーロンの発言にメイとアンズが声を荒らげる。
「アーロンさん! こんなの、壊しちゃってください!」
「お兄ちゃん! 怖いからもういいよ、これ!」
「……だそうだが、炎魔、お前はどう考える?」
質問を振ると先ほどから黙りこくっているシャクエンは口を開いた。
「……多分、波導使いと同じ見解だと思うけれど」
「だろうな。お前はそういう考えの持ち主だ」
「ちょ、ちょっと。二人だけで納得しないでくださいよ」
アーロンはメイへと視線を振り向ける。
「俺は、こいつの存在を、好機だと考えている」
その言葉の意味が分からなかったのか、二人して目を丸くする。
「好機……?」
「この、不気味なパソコンが? 何で?」
「今分かっている事実から述べよう。このアバターはシステムとして大変優秀だ。俺やお前らの情報を、この街で最も堅牢であるところのハムエッグからも盗み出せる。自律型なのが惜しいくらいだが、こいつはある程度、自分の意思がある。それは波導の眼で確認済みだ。生物の波導に近いものを、こいつは発している」
「だからって、こんなの生き物じゃないですよ!」
『うわ、酷いな。いくらなんでもそりゃ差別だよ』
画面の中の少女が仰け反る。メイは糾弾の声を上げた。
「だってこんなの! プログラムじゃないですか!」
「そうだ。だからこそ、俺は冷静になれと言っている。お前らは自分達の情報が丸裸な事を気にしているようだが、俺はこいつを使えば、今まで不利だった戦局が変わるのでは、と考えている」
「つまり、ハムエッグ、ホテルに優位に動いてきたこれまでのヤマブキシティの状況を一変出来るだけの力を、こちらが保有する事が出来る、と波導使いは言っている、メイ」
シャクエンの補足のお陰でようやく理解したようだった。それでも、メイは不満を漏らす。
「で、でも! そんな事をしてばれたら」
「ばれないように、俺達もこいつにヤマブキの事を教える。見たところ、まだ素人が調子づいているレベルだ。ヤマブキのシステムを教え込めば、こいつは敵の警戒網を潜り抜けて、相手へと肉迫出来る鍵になる」
「……もし、それが出来なければ?」
「破棄する。異存はあるまい」
使えるだけ利用し、もし手に余るようならば壊すと言っているのだ。悪い条件でない事はメイでも分かるだろう。
「でも、お兄ちゃん。一番危ないのは、これの存在が見つかる事、だよね?」
これだけの情報特記戦力を所持している事がハムエッグ、ホテル両側に露見すれば、即座に排除命令が下るだろう。つまり、これの存在は秘密に行わなければならない。
「だが、使いこなせば一級だろう。お前、システムとしての名はあるか? 物理存在に近いという事は名前があるという事だ」
『……なるほど、波導使いアーロン。データよりも冷静で、なおかつ聡明だ。ハムエッグはまだ軽んじているようだけれど』
「能書きはいい。お前が使えるのか、使えないのかを示せ」
少女のアバターは肩を竦めて答える。
『RUI、という開発コードで造られた個体。愛称はルイ、だよ』
「分かった。ルイ、この街での生き方を教えてやる」