MEMORIA











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妖精の無色、電脳世界のフェアリーテイル
第五十九話「ホテルの暗躍」

 目を覚ますと大男が傍に佇んでいた。

 思わず短い悲鳴を漏らす。身体が痛んだが手当てはされたようだ。血も止まっているし、縫合もされている。

「お嬢、気がついたようです」

 大男の声に執務机についている黒衣の少女の姿が目に入った。

 周囲を見やるとオフィスの外観となっており、この場所はさしずめ応接室だった。しかし少女が上司など冗談の類としか思えない。

「気がついたのね。半日ほど眠っていたわ」

 少女は黒縁の眼鏡を外し、目頭を揉んだ。どうやら書類整理をしていたらしい。これでは本当にオフィスである。

 だがそれにしては、大男の気配が遊離していた。

 カタギのオフィスにしては大男が軍人めいた気配を発している。

「軍曹、彼の身元は?」

 軍曹と呼ばれた大男はホロキャスターを手に説明を始める。

「どこの組のものとも知れない、いわゆる、はぐれ者です。身元情報も断片的で、居なくなってもいいとカウントされた人間であると」

 軍曹の説明に少女は脚を組んで、「いわゆるこれものね」と頬を掠める真似をした。

「でも分からないのは、何でヤマブキのゲート付近で倒れていたのか。何かに追われているようだったけれど、何に追われていたのかしら?」

 少女の問いかけに男は答えようとしたが、自分達の仕事は極秘であった事を思い出し、口を噤んだ。

「言えない、のならばこちらから、分かっている情報を統合させてもらうと、昨日、クチバシティに何かが密輸された。その何か、を巡って海上警備隊と密輸集団が衝突。数人の死者を出したものの表沙汰にはされず。内々で処理されたこの事件の当事者、と考えるのが一番、筋に叶っている」

 男は瞠目した。少女の口にした言葉が全て的確であったからである。どうしてそこまで裏の事情に精通しているのか。

 男の目線を感じ取ったのか少女は高圧的に返す。

「自己紹介が遅れたわね。わたくしの名前はラブリ。ヤマブキシティでホテルミーシャを経営している、その頭目、と言えば分かるかしら」

 ホテルミーシャ。何度か名前は聞いた事がある。

 ヤマブキシティを二分する組織のうちの一つ。片方はハムエッグと名乗る盟主、もう片方がホテルだと。

 しかしそれは、ほとんど噂レベルでまさか本当だとは誰も思っていなかった。

「本当に、あんたらがホテルだって……」

「口を慎め。お嬢の前だぞ」

 軍曹の威圧的な声にラブリは手で制す。

「いい。彼はまだ状況を飲み込めてないでしょう」

 明らかに大の大人である軍曹がラブリに忠誠を誓っている。この状況こそが、全てを物語っていると言ってもよかった。この場所はホテルの本拠地なのだ。自分は愚かにも逃げ延びてホテルに拘束されている。

「拘束、などとは考えないで欲しいわね」

 だからか、その言葉が自分の心を見透かしたようで心臓が跳ねた。

「わたくしはただ、慈善の心をもってあなたを保護したに過ぎない。無論、保護したからには事情を聞かせてもらえないと解放出来ないんだけれど」

 喋るしかないのか。男が黙秘を貫いていると、「心象はよくならないぞ」と軍曹が圧力をかけた。

「お嬢は、いつだってお前の首をへし折る事くらい容易いのだからな」

「軍曹、そう脅す事はないわ。ゆっくり聞き出しましょう。わたくし達は紳士のルールに則って交渉しているのだから」

 紳士のルールにしては自分の手足は手錠で拘束されており、対等ではなかった。

「……何が聞きたいんだ」

「クチバシティの港であった事は本当なのか。まずそこからね。内々で握り潰されたから、わたくし達が情報を下手に探れば突かれたくない横腹を突かれる事になる。勘繰る事は出来ない、と思っていただいて結構。なにせ、作戦行動に臨んだのは海上警備隊、ひいては政府直属よ。この国の国防にわざわざ突っ込むなんて馬鹿な真似を誰がすると思う? わたくし達は、ただ真相が知りたいだけ。港で何が起こったのか。そもそも何を密輸してきたのか」

 話さなければ拷問でも何でもしそうであった。男は項垂れて口火を切る。

「筐体だ」

「筐体? 何の?」

「そこまでは分からないが、ホウエンからの払い下げ品だと聞いていた。それ一つでイッシュのスパコンと渡り合えるのだと。仲間内での噂に過ぎないが」

「イッシュのスパコンの性能は、無論、分かっているわよね? それなりの性能でなければ渡り合うどころか、枝の一つでさえもつけられない」

「分かっているが、エンジニアが何人かついていた。多分、本物だったんだと思う」

「本物……。軍曹、ホウエンでの有名企業と言えばデボンだけれど、デボンの株価は近年急落し、内部分裂によって保守派の台頭が激しい、と」

「その通りです、お嬢。そう易々とデボンの払い下げ品がカントーに回るとは思えない」

 信じてないのか。男は慌てて声を張り上げた。

「ほ、本当だ! 本当に、デボンの払い下げだと聞いた! ただ、分からないのは結局あれが何だったのか、という事なんだ。我々も末端だったし」

「もしもの時は切り捨てられるように情報は行き渡っていなかった、か。だとすれば奇妙な点として、海上警備隊の慌しい出撃理由がある」

 ラブリは執務机の端を指先で弾く。

「海上警備隊が、どうして先の先を読んだような動きを見せたのか。そもそも、どういう理由で出撃したのかが一切不明。これでは勘繰る事も出来ない」

 その理由の一端でも知りたいのか。しかし自分は海上警備隊が出てきた時、何も分からなかった。

「知らない。分からないんだ……」

「隠し立ては……」

「本当だって! おれにはまるで分からなくって……。何で海上警備隊は事前勧告もなしに撃ってきたのかも」

「撃ってきた? 発砲したと言うの?」

 ラブリの疑問に男は首肯する。

「多分、何かのポケモンによる攻撃だったと思うんだが、そこまでは分からなかった。ただ、海上から撃ってきたところを見るに、こっちの計画は割れていたんだと」

 ラブリは頬杖を突いて軍曹を呼びつける。机から葉巻を取り出し、軍曹が火を点けた。

「分からないわね。どうして海上警備隊に察知されるような迂闊さであったのに、事ここに及んで、カントーまで密輸は出来たのか」

「別口であった、という可能性は」

「考えられなくはないけれど」

 ラブリは紫煙をくゆらせて考えを巡らせているようだった。

「別口にしては、最後までの見送りも出来ないなんて、それこそ迂闊にもほどがある。アフターケアも出来ない業者に任せるなんて裏稼業では真っ先に爪弾きにされるわ」

「と、なると残っているのは」

 ラブリは煙い吐息を吐き出して声にする。

「……全て、カントーの掌の上であった。つまり、密輸も、それに伴う犠牲も、ある程度はカントーとホウエンの計算づくだった、という線ね。これなら結構頷ける。密輸を行ったのは裏の人間だけれど、結局そのギフトを手に入れたかったのはカントーの政府総本山だと考えれば」

「そんな……、そんなのってないだろ!」

 思わず声を荒らげてしまう。軍曹が歩み寄ろうとしたがラブリが止めた。

「よしなさい、軍曹。彼とて被害者よ。そりゃ喚きたくもなるわね。実のところ計算された犠牲だったなんて。死んだ人間はいるわけだし。でも、こう考える事は出来ないかしら? カントー政府を糾弾する手段が出来た、と」

 ラブリは手を掲げてゆっくりと揺らす。カントーという盤面そのものを支配したかのように。

「お嬢、それはカントー政府に貸しを作るという事ですか」

「政府が認めたがるかどうかは分からないけれど、今回の場合、その本体さえ見つかれば、証拠さえ挙がればカントーは言い訳出来ないわ。この情報を悪徳警官にでも掴ませて、調べを進めてもらおうかしら」

 軍曹が、「速やかに行います」と部屋を出て行く。ラブリは葉巻を手元で弄びながら尋ねた。

「どうかしら? あなた、今回の事件の重要参考人みたいなものだし、ちょっとばかし協力してみない? 割のいいアルバイトみたいなものだと思うけれど」

 ラブリのような少女の経営するホテルで働けというのか。男は渋った。

「……せっかくだが、おれはカントーを敵に回して生き残れる算段があるのかどうか」

「ああ、そう? でもあなたがこの先、政府に食われかねないっていう状況下でわたくし達を売るのは得策ではないわよ? どこに政府の狗がいるのかも分からないし、何よりもこの状況、あなた一人でも生き残っていると知られればヤマブキは戦場になるわ。一人の生き残りも出さない試算だろうし、そこから情報が漏れれば意味がないもの。どうする? あなた、殺されるのを待つ? このヤマブキに殺し屋はたくさん居るわ。誰に依頼してもおかしくはない」

 男は震え上がった。ヤマブキはいつからそんな治安の悪い場所になったのだろう。

「き、脅迫か? 言っておくがおれはそんなヘマはしない」

「ヘマはしない、と言っている人間が三歩歩けばもう殺し屋に拉致されている、というのが現状よ。第一、ヘマをしないなんて。それって死亡フラグみたいなもの」

 ラブリは穏やかに微笑む。しかし、この少女の采配次第で自分の命運が関わっているのだと思うと胸中は穏やかではなかった。

「あなたの取るべき選択肢は大きく二つ。ホテルに頼るか、誰にも頼らずにヤマブキを抜けて逃げ切るか。後者はおススメしないわ。もう手が回っていればホテルの真ん前でも殺しが起こるわよ」

「そんな。大都会の真ん中で」

「あるわよ。最近多いもの。つい先日、最強の暗殺者スノウドロップが裏通りを一面氷づけにしてビルを根こそぎ破壊した映像があるけれど、観る?」

 男は頭を振った。それが事実であれ嘘であれ、そのような暗殺者が公道を歩けているという事実。

「警察は何を」

「警察は、今頃は賄賂のご相談か、あるいは見当違いの殺しを追っているわ。もし踏み込み過ぎればこちらから警告を送る事も出来る。そういう治安体制なのよ」

 この街を実質的に支配しているのはホテルとハムエッグと呼ばれる盟主のみ。その二つに属さなければ即座に死が待っている。

「なんて事だ……。おれは……」

「生き残って幸運かと思いきや、こんな街のルールに巻き込まれて同情するわ。でもま、悪くはないはずよ。だってあなた、場合によってはいいポストを手に入れられる可能性だってある。自分の縮み上がった脳細胞をフルに使って、少しでも思い出しなさい。思い出した事の如何によってはわたくし達と対等な取引が出来る」

 対等な取引。男は唾を飲み下す。

「思い出した事を、ただただわたくし達ホテルに提供してもらうのも自由。あるいはわたくし達を出し抜いて他の勢力に味方するのも自由。まぁばれた場合のリスクを考えれば出し抜くってのは現実的じゃないけれど、もし出来れば大儲け。あなた、この街の祭りの中心にいるのよ」

 祭り。その言葉に男は震撼する。この街では一地方の命運と人の命ですら、祭りに昇華される。

「恐ろしい場所だ……」

「成り上がりにはちょうどいいけれどね。あなたがどれだけ賢く立ち回るかも見所ではあるわ」

 ノックがされて軍曹が入ってくる。

「オウミ警部に連絡を取りましょう」

「電話を」

 ラブリの手に電話が渡される。

 その時から交渉のカードは切られ始めていた。


オンドゥル大使 ( 2016/05/30(月) 20:10 )