MEMORIA











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妖精の無色、電脳世界のフェアリーテイル
第五十八話「人の胸の迷宮」

「あれ? アーロンさん。テレビ、映らなくなっちゃいましたよ」

 ソファに座っていたメイがそのような事を言い出すものだから、アーロンはオムライスの玉子をうまく丸める事が出来なかった。

 嘆息をついて菜箸で調整する。

「アーロンさん。テレビ。点かないですよ」

 ソファに座りながらメイがチャンネルを回す。同席していたシャクエンもテレビの裏側に回って配線を確かめた。

「メイ、これ、もう古いタイプだから映らないんだと思う」

「そんなぁー。テレビもないんじゃつまらないですよ」

 相変わらずこちらへと向けてくる声音が煩わしい。

 アーロンは四人分のオムライスを仕上げてから、「下の店長にかけ合え」と告げる。

「古いテレビでも譲ってもらえるだろう」

「買わないんですか?」

 食卓に並べながらアーロンはメイを睨む。

「誰かさんのせいでこちらは大損をしたのでな。そう易々と金が使える状態ではない」

 アーロンの声にメイは乾いた笑いを浮かべる。

「いやー……その、誰のせいなのかなー」

「店長さんに言って、もらってこようか?」

 シャクエンの提案にメイは慌てて手を振った。

「いや、今はいいって。だってあたしのわがままみたいじゃない」

「実際、そうなのだがな」

 四人分並べてから、アーロンは一人足りない事に気がつく。

「おい、瞬撃はどこへ行った?」

「アンズちゃんなら、まだ働いているんじゃないですかね」

 今日はアンズが喫茶店のシフトだったか。アーロンは舌打ちする。

「飯時になったら戻って来いと言ってあるだろう」

「仕方ないじゃないですか。アンズちゃん、もう殺し屋はやらないって決めたみたいですし。その収入が見込めないのなら、バイトもするでしょ」

 アンズは自分達に誓って殺しはしないと言った。だから下の喫茶店で働かせているのだが殺し屋を二人も雇っている店主は気が重いだろう。いや、そもそも殺し屋だと言う事を知らないのだから気が重いもないか。

「怪しいだろう。瞬撃はまだ十二かそこいらだ。その子供が、喫茶店でバイトなど」

「でもアンズちゃん、物覚えが速いですから。店主さんも一番助かっているって」

「それはお前らが不誠実だと言われている事に気がつかないのか?」

 無理もない。

 全く仕事を覚える気のないシャクエンと、お気楽なメイではまだアンズの必死さのほうがマシに思えてくるだろう。

「失礼ですね。あたしはきっちり仕事してますよ」

「私も。それなりにやっている」

 シャクエンは静かに言い返してからオムライスを口に運ぶ。

 ふっと、驚いたように目を丸くした。

「今日のオムライス、おいしい」

「ですね! また腕を上げたんじゃないですか、アーロンさん」

「お前らの分も作っていれば嫌でも腕は上がる。そもそも、どうしてお前らは全く家事をしようとしない。居候ならば少しは動け」

 アーロンの言葉にメイは、「いやはや」と照れたように後頭部を掻く。

「昔から家事は苦手で」

「私も、まともにやった事はない」

 シャクエンはまだ分かる。年端も行かない頃から殺し屋として育てられていた。だがメイは別だ。

「お前は一般家庭だろう。何で出来ない?」

「目玉焼きも作れないんだよね。何でだろ?」

 それは致命的な欠陥ではないのか。アーロンはそう思いつつ口にはしなかった。

「余計な仕事を増やすくせに家事の一つも出来ないのでは、まさしくごくつぶしだな」

「酷い! アーロンさん、今は男も家事をやる時代ですよ?」

「メイの言う事は間違っていない」

 シャクエンも肩を持つ。しかしアーロンは言い返した。

「男も、だろう? それは女が何もやらないでいい、という話ではない」

 うっ、とメイが言葉を詰まらせる。どうしてこうも穴だらけの理論を自信満々に言えるのか不思議でならない。

「黙って食え。どうせそんな事しか出来まい」

「失礼ですね。あたしだって出来る事はありますよ」

 アーロンはさっさと食べ終えてメイの理屈を聞いていた。

 聞きながら考える。

 Miシリーズ。Mi3、と呼ばれた所以。プラズマ団は何故追ってくるのか。そもそも前回はメイの身柄がハムエッグの下にあったからややこしくなった。もうハムエッグのところには行くなと言い聞かせたが、メイの事だ。ラピスが心配になっただの適当な理由をつけて行きたがるに違いない。

「――で、ですよ。やっぱり、男の人が率先して家事をやるのなら、女はしっかり家庭を守る事が必要だと思うわけです」

 とんでもない方向に理論が飛躍していたらしい。

 アーロンは、「言ってろ、馬鹿」と言い置いて自分の食器を片付けた。

「むぅ……。アーロンさん、何か素っ気ないですよね。前までなら言い返してきたのに」

「いちいち付き合わされる身にもなってみろ。諦めたほうが得策に思える」

 シャクエンも食事を終え、片付けに参加しようとする。

 それを見てメイが呻った。

「シャクエンちゃんはこっちでお喋りしようよ」

「でも、波導使いだけに任せておくのは、やっぱりよくない」

 どうやらシャクエンは少しばかり分かっているらしい。メイは不服そうにむくれて横になった。

 とてもではないが居候の風上にも置けない。

「いいですよーだ。あたしはアンズちゃんとお喋りするし」

 扉が開き、アンズが帰ってきた。ちょうどよかった、とメイが飛び上がる。

「アンズちゃん! これからご飯?」

「うん。お腹空いちゃった」

 アンズは食卓につくなりすぐに食べ始めてしまった。メイは言葉をかけそびれる。

「あの、その……」

 育ち盛りだからだろう。アンズは食いについている。いい気味だ、とアーロンは感じた。

「あたしの話を……」

「ごちそうさま! 今日のオムライスはおいしいね、お兄ちゃん!」

「お兄ちゃんというのはやめろ」

 アンズもこちらへと歩み寄って片づけを手伝おうとする。メイはとうとう不貞腐れてしまった。

「いーですよー。あたしはぐーたらで。そういうポジションですから」

「どういうポジションだ。毎回厄介事を持ち込むだけのごくつぶしが」

 メイがテレビを点けようとするもテレビは壊れたばかりである。ばたばたとメイは手足をばたつかせて暴れた。

「暇ぁー!」

「うるさいぞ。暇ならば手伝え」

「あたしは暇を享受する役目なんです! だっていうのに、テレビも観られないなんて」

 無茶苦茶な理屈を並べ立てるメイに、アーロンはため息をついた。

 ――どこが、英雄の遺伝子なのだ。

 プラズマ団は調整を間違えたか、あるいは最初から英雄なんていないのではないか。

「少し席を外す。炎魔、瞬撃、後片付けの手順は分かるな?」

「私が掃除を」

「あたいは皿洗いの続きね!」

「任せたぞ」

 アーロンはそう言い置いて下階へと降りようとする。

「アーロンさん? どこ行くんですか?」

「……馬鹿が喧しいから、店主にテレビがないか掛け合ってくる」

「アーロンさん……!」

 感激の声でメイがこちらを見つめてくる。アーロンは手を払ってその視線を一蹴した。

「気持ち悪いぞ。俺は自分が観られないのは困るから掛け合うだけだ。お前らのためではない」

「またまたー。これだからアーロンさんはー」

 メイの声を背中に受けながらアーロンは階段を降りる。

 店主はちょうど夕食を食べ終えたばかりだったようだ。いつもの事ながら喫茶店に人はいない。店主がまかないを食べていても誰も見咎めない。

「おっ、どうした? アーロン。飯時に追い出されたか?」

「そんなんじゃないさ。アンズが世話になっている」

 彼は一般人だ。瞬撃、という通り名を使うわけにはいかない。

「ああ、あの子働き者だな。何でも父親に随分と仕込まれたそうで。てきぱき動くし、彼女だけでシャクエンちゃんとメイちゃんの働きはカバー出来るよ」

「だったら二人は必要ないか?」

「いいや。働かせてあげよう。何やらワケありっぽいからね」

 店主もある程度は分かっているらしい。シャクエンは明らかにカタギではないのでなおさらだろう。

「感謝する。それで、押し付けがましいのだが、テレビは余っているか?」

「テレビ? 何でまた」

「壊れたらしい」

 アーロンの言葉に店主はピンと来たようだ。

「メイちゃんが壊した」

「当たりだ。どうして当たって欲しくない事ばかり当たる」

「よくお皿も割るし、コーヒーの配分は間違えるし、ありそうだな、って思ったんだよ」

 申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「すまないな。それで、余っていたら一台欲しいんだが」

「うちのも古くってね。買い換えようかなと思っているんだが、電化製品にはてんで。だからちょうどいいし、うちのも明日買って来てくれないか? ああ、もちろん金は出すから」

「そんな。そこまでよくしてもらえない」

「まぁ、ドジでも三人娘はよくやってくれているよ。頑張りのご褒美だ、っていう事で」

 アーロンは店主の懐の深さに感服する。

「よくもまぁ、そこまで言えるもんだ。俺なんかがあんたの立場ならクビにしている」

「衛生局のエリートが匿っているって言うんなら、彼女達だって同等の扱いをするべきさ。それに、テレビをもらうなんてけち臭い真似をしなくとも、買えばいいじゃないか」

「買い与えれば調子づく。目に見えている事だ」

「そうだった」と店主は笑う。アーロンは重ねて感謝の言葉を述べた。

「すまないな。あの三人を世話してもらって」

「いいって事だよ。こっちも看板娘が出来てちょうどいい」

 アーロンは手を振って部屋に戻った。するとメイが寝転んでおり、他の二人は掃除と皿洗いをこなしていた。

 アーロンはメイの横っ腹を突く。

 ごろごろと寝転がったメイがアーロンに気がついた。

「あっ、アーロンさん」

「馬鹿かお前は。見てみろ。炎魔は掃除をし、瞬撃は皿を洗っている。こんな状況で、どうして自称一般人であるところのお前は何もしない?」

「や、やる事がないんですよぉ」

 アーロンは考えてからテレビを指差す。

「ちょうどいい。明日、買い換える事にした。配線を全部外しておけ」

「えーっ! あたし、機械部品とか苦手で」

「文句を言うな。この状態を見ても何も思わないのか?」

 ヤマブキを震撼させた殺人鬼、炎魔が行儀よく掃除機を使い、奇襲の暗殺者、瞬撃が一枚の皿も割らずに皿洗いをしている。

「あ、あたしだってそりゃ思うところくらいは」

「では配線を抜いておけ。俺はもう寝る。明日、一番電化製品に詳しい奴がついて来い」

「えーっ! アーロンさんも何もやらないんじゃないですか!」

 メイの文句にアーロンは言い返そうとしたが、どうせ無駄だと言葉を仕舞った。肩透かしを食らったようにメイがつんのめる。

「言い返してくださいよ」

「いい。何かと面倒だ」

 どうしてメイは普段通りでいられるのだ。アーロンには分からない。

 前回、この街で最強の暗殺者と自分の殺し合いを見せつけられて、それでも平静を装えるその心が。

 通常ならば折れてしまいかねない精神がお気楽な言葉で取り繕っていても窺えるものだ。だというのに、メイは何も気にしていないようである。

「特別に馬鹿なのか……。あるいはわざと忘れようとしているのか」

 自分とスノウドロップが本気で殺し合った。その理由が自分となれば、忘れる、という選択肢が一番に賢いのかもしれない。

 アーロンは店主に告げて自分の寝所へと入った。

 手狭だか、一人分の寝床である。

 コートを引っ掛けて帽子を脱ぐ。せっかくの特注コートもスノウドロップとの戦闘で随分と擦り切れた。血のシミは取れたが、使い続けるには無理が生じる。

「買い替え時か、これも」

 普段は問題なく使えるのに、いざという時に決まって纏った買い替えが必要になる。

 アーロンはそのままベッドに寝転がった。すぐに睡眠が降りてくると思われたが、背中をつんつんと突かれる。

 店主だろうか、と寝返りを打つと意外な顔が視界に入った。

「お前……」

「しっ。メイには言っていない」

 シャクエンが自分の寝所へと潜りこんで来ている。アーロンは怪訝そうにその顔を眺める。

「何の用だ? 恨み言でもぶつけに来たか?」

「違う。……分かっているはず、波導使い。メイの様子が変だって事を」

 改まったシャクエンの声にアーロンは寝そべっていた身体を起こす。

「変だと? あいつはいつも変だ」

「茶化さないで欲しい。メイが、あんな事があった後なのに普通なわけがない」

 シャクエンはメイの感情の起伏に敏感なのか、それともあの場にいて何も出来なかった悔恨があるのか、真剣なようだった。こちらも自然と肩が強張る。

「何か言っていたのか?」

「何も。だからこそ気になる。何も言わないなんて、普通の人間じゃ耐えられない」

 裏社会を嫌というほど見てきたシャクエンの言葉には自然と説得力が宿る。アーロンは聞き入っていた。

「お前らの間で、何も話さないのか?」

「メイは、何も言わない。スノウドロップがあの後どうなったのかも、聞こうともしない。もしかしたら怖いのかも」

「怖い? 何がだ」

「波導使い、あなたがスノウドロップを殺そうとしたのは事実。殺し合った間柄の人間がいるのに、元の関係には戻れないのではないか、と。多分、思っている」

 メイは愚鈍にもスノウドロップを信じ込んで前回の状態を作り出した。その責任を少しは背負っているのだろうか。

「少しくらいは分からせてやれ。俺も回復には必死だったし、今でも医者通いだ」

 カヤノの下に通院して傷を癒そうとしているが、それでも全治一ヶ月だという。もし暗殺者が来れば、万全の状態で迎え撃てないだろう。

「癒すのは、身体だけじゃない。心の傷もそう。メイは、心に深く傷を負った。私達では癒せないほどに深く。メイはもう、前までの優しいメイじゃないかもしれない」

 ラピスを信じ込んで裏切られたようなものだ。ある意味では慎重になっているだろう。だが、アーロンにはその程度でちょうどいいと感じていた。誰も彼も信じ込むようではこの街では生きていけない。

「ちょうどいいんじゃないか。いい薬だ」

「分かっていない。メイのお陰で、私は救われた。アンズもそう。波導使いアーロン、あなただってそうなのではないの」

 自分が、メイに救われただと。

 アーロンは平静を装っていたが、すぐに否定の言葉が出なかったのは自分でも意外だった。

 あのような生易しい人間が介入しても何もいい事なんてない。さっさと現実を分かるべきだ。

 そう言い返すつもりだったのに、口からついて出たのは疑問の声だった。

「そうなのか……? 俺は、変わったのか?」

 以前までの冷酷な波導使いの殺し屋であったつもりだった。今もそうだ。そのはずである。だというのにシャクエンは自分が変わったという。あり得ない、と一蹴出来ないのは何故なのか。

「心の中では気づいているのでは? メイによってあなたは何かが変わった。変わらざる得なかった」

「俺が変わったとすれば、それは弱さを、弱点を背負い込んだ点だ。あいつは面倒な荷物で、今までの波導使いアーロンになかった、弱点だと、皆が思い込んでいる。それが俺にとって動きにくさを生じさせているだけの事。何も、変わってなどいない」

 自分で言っておきながらどこか言い訳がましい。何も変わっていないと信じたいだけなのだ。

 自分は今も昔も、変わらぬ殺人鬼であると。

「そう思いたいのなら好きにすればいいけれど、メイには変える力がある。人の根本を、彼女は変えられる」

「人間の根本はそう簡単には変わらない。人殺しはいつまでも人殺しの性を背負い続ける」

「でも、それは虚しいのだと、私は思う」

 アーロンは嘆息を漏らして、「話は以上か?」と声にした。

「俺が変わっただの、弱くなっただのを言いに?」

「スノウドロップとの戦闘局面、私は一歩も動けなかった。炎魔なら、今までの炎の暗殺者としての私ならば、自分の命を度外視して突っ込めた。〈蜃気楼〉による一撃を、相手に叩き込めた。それが刺し違える結果でも」

 それが炎魔の宿命のはずだ。しかし、とシャクエンは頭を振る。

「殺せなかった。動けなかった。私は……、メイを救えずに自分だけ死んでしまうのが怖くなった」

 それが、メイが人を変える、と思った要因か。実際に炎魔であるシャクエン自身が変わったと自覚しているのだ。

「人並みになっただけだろう。自滅覚悟の暗殺者よりも少しばかり賢くなっただけだ」

「そうかもしれない。でも、それは私に、捨てられるものが命以外に出来たからだと思う。前までは、命さえも捨てられたのに」

 命が惜しくなった。その原因がメイという一人の小娘にあるというのか。

 馬鹿な、と一笑に付すことは出来なかった。

 シャクエンは会った当初よりも変わっているのは確かだ。オウミの人形のように人殺しに迷いのなかった時の目ではない。どこかに温情のようなものが垣間見える。

「それが普通だろう。自分の命を殺しの勘定に入れるのは、馬鹿正直か、あるいはそういう洗脳を施された人間のやり口だ。一端の暗殺者になったのだと思えばいい」

「私は、もう殺しをしたくない」

 シャクエンの願いは恐らく裏切られるだろう。この街で、一度手を汚した人間が真っ当に生きられるようなシステムは存在しない。

「願うのは勝手だが、もしもの時には躊躇わないほうがいい。人殺しをしたくない、が自分も他人もみんな命は平等だと言い出し始めればお終いだ。命には貴賎がある。自分の命が他人よりも大事なのは当たり前なんだ。お前が、あいつのために命を張れるだとか、自分よりも誰かのほうが大切だとか言い始めなければ、まだ正常さ。俺達は引き絞られた弓矢だ。矢は、相手の心臓を射抜かなければならない。相手の胸に当たっても優しい、なんてのは、それは矢としての機能は失格だ。俺達は矢に生まれ、矢に死ぬ。それは暗殺者として育ったのならばもう逃れようのない運命だと思え」

 今さら何もかもをなかった事にして生きていくなど出来ないのだ。そのような都合のいい方法論がまかり通るような優しい道は、もう残されていない。

「分かっているつもり。私はこれまで人を殺し過ぎた。これからは殺さないかもしれないと言っても、メイと同じ目線には立てない。それくらいの線引きは出来ている」

「だったら、余計な事に関わっている暇なんてないだろう。人殺しはいけない事です、なんて今さら言うのかと思ったが」

「そんな道徳論なんて、私達はもう踏み越えている」

「明日は電気屋に行く。普段から殺しの神経を走らせておけとは言わないが、もう戻れないのは分かっておけよ。俺はオウミではないし、お前に殺しは命じない。ただ、俺達は殺し屋だ。どうしようもなく、殺し屋なんだ。だから、真っ当に生きて真っ当に死ねるとは思うな」

 当然、自分でも分かっている。

 真っ当には死ねないだろう。この身体はいずれ最も残酷な朽ち果て方をするに違いないのだから。

「今日はこれくらいにしておく。私は、でもメイには人を変える力があると信じている。瞬撃……アンズも変わった」

「人の心は迷宮だ。そう容易く変わるのならば、争いなんて生まれないだろうな」

 もちろん、人殺しもないだろう。

 だが現実には一週間に何度も殺しのニュースは報道されるし、何人だって殺せる人間は存在する。

 人の死をただ単に数字として消費する事に何の迷いもない職業もある。だから殺しを人間の全く介在しない場所に置くなんて事は出来ない。

 生き続ける限り、殺しはすぐ傍に存在する。

 シャクエンは二階へと戻っていった。

 取り残されたアーロンは頬杖を突く。

 すっかり目は冴えてしまった。

「人の心を変える、か。だが、俺には嫌な予感しかしない」

 英雄の遺伝子がもしその要素に介入しているのだとすれば。

 メイは人を変える先導者になってしまう。それは同時に支配の発生だ。人を変える、というのが必ずしもプラスの方向に働くとは限らない。

「人間、そう簡単に本質が変わるものじゃない。俺だって……」

 そこから先は言葉にならなかった。


オンドゥル大使 ( 2016/05/30(月) 20:10 )