第五十七話「秘密物資」
「ゆっくりだ。ゆっくり積荷を降ろせ」
その指示に従って、トラックの荷台に乗せられた筐体を大人が数人がかりで降ろす。
「精密機器だぞ! 慎重にだ!」
上司の声が飛び、部下達は首を引っ込めた。
「おっかねぇなぁ。そんなに大層な積荷なのか?」
「おれもよくは知らないが、これだけでイッシュのスパコンと渡り合えるんだと。どうしてホウエンからこれが流通してきたか、なんて聞くなよ。おれだって知りたいんだ」
肩を竦めてそう返すと男達は筐体の接続作業に移った。接続にはもっぱら、エンジニアが使われるが、そのためのケーブル類などの持ち運びは腕に覚えのある者達によって行われた。
一人がケーブルを取り落とすと上司からの怒声が飛ぶ。
「貴様! 精密機器だと言ったのを忘れたか!」
すぐに平謝りする男だったが、上司の鞭が飛んだ。鞭に打たれる男を見て、男達が囁き合う。
「気味が悪いな……。今どき鞭打ちなんて」
「それほどまでの重要物資なのか?」
まるで奴隷のそれである。
実際、自分達は金で雇われたごろつきばかりなので、誰しも後ろ暗い過去はあったが、あの扱いはあんまりであった。
「ちょっと。そのくらいにしておきなって」
一人が上司の肩を掴む。上司は、「分かっておらんのだ」と息巻いた。
「これだけでカントーの一地方の歴史が変わるぞ」
さすがにそれは言い過ぎだろうと誰もが思った。
一地方を変える文明など持ち込まれるはずがない。そもそもこの筐体自体がホウエンからの払い下げ品であり、ホウエンの技術に遅れを取っているカントーがそのロスを取り戻すために必要だと判じて自分達に輸送――いや、密輸を行わせた。
表立って輸入が行われないのはこの筐体に入っているシステムが他のそれとは一線を画しているからだと言うが、そのような眉唾を信じている者はいない。
「四十年前のポケモンリーグじゃないんだ。そんな大それた文明開化なんて起きるかよ」
四十年前、第一回ポケモンリーグではそれが起きた。
ポケギアの発達。通信網の構築と設備。預かりシステムの初期発足。
あらゆる文化が一斉に花開いた、まさしく発明の時代。しかし、時は四十年も過ぎ、今や世紀の発明というのは起こらなくなってしまった。停滞の時代を自分達は生きているのだ。
「一部の天才でもいない限り、この時代にそんな事が起こるわけが」
「つべこべ言っていないで、手を動かせ! ケーブルの一本でも抜け落ちていれば作動しないのだからな」
上司の声に男達は渋々手を動かす。ケーブルの一本一本を指差し確認し、送電線から電気を引く。
「これってさ」
一人の小柄な男が呟いた。
「犯罪、じゃねぇかな」
「今さらかよ。密輸入なんて犯罪に決まっているだろ」
「でも、給料がいいんだよな」
小柄な男の言う通り、ここにいるのは誰もがその給料のよさに目が眩んだ者ばかりだ。どうせ一端の仕事には就けない身分。ならば、犯罪でも何でも手を貸そうと思っている。それは小柄な男だけではなく、他の全員にも言えた。
「まぁ、爆弾を密輸するわけじゃないし、罪には問われないかもな」
「爆弾、か」
筐体を視界に入れながらぼんやりとこぼす。あの筐体が何のためのものなのか、聞かされていない。知っているのは恐らく現場指揮の上司だけ。それももしかしたら一部情報だけで、本当のところを知っているのは一人もいないのかもしれない。
ホウエンからの土産物、だと聞かされていた。
ホウエンと言えばつい最近、デボンの株が急落したニュースが飛び込んだばかりだ。
デボンコーポレーション。
ポケモン産業をほぼ独占していた企業のスキャンダルは瞬く間に知れ渡った。
そもそも時を前後して企業が兵力を持つべきと主張する過激派が台頭し、PMCもかくやと言われた勢力を保持していたデボンであったが、それがどうしてだか先日、内部告発と保守派との分離によってデボンは空中分解。今は、デボンのシステムの下請けをしていた多数の企業に枝分かれしてシステムが管理されている。
「デボンのスキャンダルと関係あるのかな」
「あってもなくても、おれ達は手を動かすだけだ」
どうせ細かい事はエンジニアの仕事。自分達は重たいケーブルを引きずり、出来るだけ手早く接続するだけ。
電源ケーブルを運んでいた他の部隊が、「電源、行くぞー!」と声を張り上げた。
「電源! 整備班に権限を委譲!」
上司の声に慌ててケーブルの配線を確認し、電源が筐体に通った事を返答する。
「電源、来ました!」
「システム筐体、ネットワークに繋ぎます」
エンジニア達が張り付いて筐体のキーボードを打っている。後はエンジニアの仕事だろう。
男達は汗を拭い、それぞれを労おうとした。
その時、投光機の光が眩く照らし出した。
空を舞う鳥ポケモンが甲高い鳴き声を上げる。
上司が慌てて声にした。
「海上警備隊に見つかった! システム、全停止! ネットワーク途絶だ!」
だがその指示が行き渡る前に火線が貫く。
一瞬であった。海上で何かが火を噴いたと思うと、上司の傍に立っていた男が、上半身を吹き飛ばされていた。
何の勧告もない攻撃。
それにたじろいだのは何も上司だけではない。
全員が蜘蛛の子を散らしたように逃げ出し始めた。
「退け! 退けぇ!」
声を張り上げた人間を基点に再び火線が瞬き、人々を狂乱の渦に巻き込んでゆく。
声を上げては駄目だ、とすぐさま判断したが、鳥ポケモンの投光機の光が停止と静寂を許さなかった。
鳥ポケモンが捕捉すると海上からの攻撃が誰かを殺す。
最早、統率などなかった。
誰もが自分の命かわいさに駆け出した。
その中で筐体に取り付いているエンジニアは必死にキーボードを打っている。
「あんたら何やっているんだ! 逃げろよ!」
「バックアップを取らなければ。でなければこれを密輸した意味がない」
どうやら外部記憶メモリに中身を取り込もうとしているようだったが、待機時間が一時間を超えている。どう考えても間に合わなかった。
「死ぬぞ! そんなのにこだわっていないで」
「そんなのだと! これは人類史を変える発明だ! せっかくホウエンから運んできたこれを、カントーの役人共に封印されて堪るか!」
エンジニアは外部記憶メモリの待機時間を血走った目で見つめている。
もう手遅れなのは火を見るまでもなく明らかであった。
背中を向けて逃げ出そうとするが、投光機を持たない鳥ポケモンが鉤爪を突き立てて逃げ出す男達を空中へと持ち上げた。
ある男は墜落死し、ある男は背中の皮を剥がれて失神した。
血と硝煙の臭いが充満する中、逃げおおせた人間は二、三人であった。他の者達は皆、死んでいったか、海上警備隊に捕まったのだろう。
草むらで生存を確認した男はまず尋ねた。
「エンジニア連中は?」
「全員、死んだか捕まえられた。最後まで筐体に張り付いていたようだが……」
濁した男の声に苦々しい思いが湧き上がる。
自分達は死ぬためにここに来たというのか。しばらく草むらに身を隠していると海上警備隊が上陸し、筐体のエンジニアを引き剥がしているのが目に入った。
「連中、何をやっているんだ?」
「多分、システムの復元か、あるいは筐体からシステムを取り外そうとでも言うのか」
その時、警備隊の人間が叫んだ。
「隊長! 件のOSが筐体の中にありません!」
今、何と言ったのか。男達は目配せする。
「OS? 何でOSなんて気にするんだ? 筐体の中には何が入っていたんだ?」
その疑問に応ずる前に警備隊の声が響き渡った。
「やられたな……。ネットの海にOSを逃がしたか。阻止せねばならない重要案件だというのに」
何を言っている? ネットにOSが逃げた? そんな事が可能なのか。
思わず身を乗り出していたせいだろう。
警備隊の隊員がこちらに気づいた。
「いたぞ! 生存者だ!」
「まずい!」
三々五々に逃げ出すが、すぐに追いつかれてしまう。
そこらかしこで仲間達の呻き声が聞こえてきた。
必死に走った。
追いかけてくる者がいようといまいと関係がない。追っ手を振り切るまで。
気がつくとゲートを抜けていた。
息を荒立たせた男の出現にゲート職員が歩み寄る。
「どうしたのですか? 血だらけですよ……」
「おれは……、おれは……」
仲間はみんな死んでしまったのだろう。男は瞼をきつく瞑り、ゲート職員の制止を振り切った。
訪れた街の喧騒が耳に入ってきたところで、男の意識は途絶えた。
もう走る気力もない。
そう考えて地面に突っ伏す男へと降りかかる声があった。
「軍曹。見慣れない風体ね」
「お嬢、この男、カタギではありません」
意識の薄らぐ中で大男が歩み寄ってきて自分の服装を検分する。
「面白そうじゃない。お祭りの予感がするわ。軍曹、手当てを」
さらに悪夢めいているのは、黒塗りの車の中からこちらを窺う黒衣の少女だった。
興味が尽きない、とでもいうような目つきでこちらを見やっている。
まるで支配者だな、と感じたところで完全に闇に没した。