第五十六話「祭りの後」
アーロンはメイに、もうラピスとは会うなと言おうとしたが、それはやはり無駄だろうと感じた。メイはラピスの事をまだ無垢な少女だと思い込んでいるし、ラピスもメイの事を忘れられないだろう。
ただ今度行く時には自分を呼べ、と言っておく。今回のようなややこしい事態になったのはメイが一人でハムエッグの下に行ったからだ。ハムエッグに会いに行く時には一声かけろと言っておいた。
「子供じゃないですよぉ」とメイは不服そうだったが今回の事態を招いたのが自分だという自覚はあったのか素直に受け入れた。
アーロンは中華鍋にごま油を入れて今日の夕飯に取りかかっている。シャクエンとアンズ、それにメイが食卓を囲んでいた。
「お前ら、よくもまぁ、手伝わずに飯だけ食えるな」
「だってアーロンさん、手伝うと怒るじゃないですか」
「波導使いアーロンのキッチンに立つのは危険、だって分かっているから」
「あたいが毒を盛ったら困るでしょ?」
三人ともがそれぞれの言い訳を使う。アーロンはため息混じりに焼き飯を作った。途中、玉子を引く段階で考える。
Miシリーズ。メイはそのうちの一体だと言っていたヴィーという個体。プラズマ団の目的は英雄の遺伝子の再現。ならばメイは最初から生きている意味はプラズマ団によって作られたのではないか。その事実は最後まで分からなかった。メイが本当にプラズマ団を自分の意思で潰したのか、あるいは英雄の遺伝子がそうさせたのか。どちらにせよ、Miシリーズに関しては調べを進める必要がありそうだ。
身体がところどころ痛む。カヤノの診療所に飛び込んで応急処置はしてもらったもののしばらくは通いつめる事になりそうだった。カヤノ曰く「スノウドロップと打ち合ったにしてはまだ軽症だ。よかったじゃないか」との事だったがいいはずもない。
出来れば金輪際、スノウドロップとは戦いたくなかった。向こうも心得ているだろう。次に戦う時があるとすればそれは街が崩壊する時だと。
「出来たぞ」
焼き飯をそれぞれの皿に盛ってアーロンは食卓に運ぶ。メイが目を輝かせた。
「お腹空いていたんですよね。いっただきまーす」
どこまで能天気なのだか、とアーロンは呆れた。その時、机の下から紙片が差し出された。
シャクエンだ。彼女は何かを書き付けてアーロンに手渡そうとしている。受け取ってアーロンは目を通す。そこには「就寝後、このビルの後ろで待つ」と簡素に書かれていた。
どういうつもりなのか、と目線で探ろうとしたがシャクエンは何でもない事のように焼き飯を頬張り始めた。
「何だ、話とは」
就寝後と指定されていたが何分後に来るとは書いていなかったのでアーロンは寝静まってすぐにビルの後ろで待っていた。シャクエンはメイが眠ったのを確認してから出てきたらしい。
「出来れば、メイには勘付かれたくない」
「それは同意だが、まどろっこしい真似をする。あの場で話せないのか?」
シャクエンは頭を振り、「メイに余計な心配をかけたくない」と答えた。どうして炎魔と恐れられた彼女ほどの殺し屋が一少女に気を遣うのだろう。
「あの馬鹿とてお前の話を遮るほど無頓着だとは思えないが」
「波導使いアーロン。メイについてどこまで分かった?」
まさかMiシリーズの事を知っているのか。アーロンは表情を窺ったがシャクエンは話を切り出す様子はない。
「……変わらないが」
「プラズマ団と会ったのでしょう?」
「会ったからと言って、あいつの話だとは限らないだろう」
「嘘。今回の一件、明らかにメイを中心に回っていた。メイが何だって言うの?」
スノウドロップも、炎魔もどうしてメイ一人のためにここまで出来るのだろう。アーロンには理解出来なかった。
「スノウドロップもそうだが、お前らは殺し屋としての本分を忘れたのか? あんな馬鹿一人のためにどうして命を削る?」
「それが私達に許された贖罪だと、どこかで感じているのかもしれない。スノウドロップも私も」
贖罪か。アーロンは、「どう感じるかは勝手だが」と言葉を継ぐ。
「余計な真似をして俺の前に立つな。殺し屋ならば殺し屋の前に立つ時は命をかける時だと心得ろ」
「言われるまでもない。私は、メイのために命をかけられる」
どうしてそこまで言えるのか。それにも英雄の遺伝子が関わっているのだろうか。
「簡単に言ってくれる。俺は、お前らとは違う。あいつに命までかける義理はない」
「でも、メイを守ろうとした」
「守ろうとしたんじゃない。人質にしたんだ。勘違いをするなと言っている」
シャクエンは言葉を飲み込む。アーロンは譲るつもりはなかった。
「……分かった。波導使いがどう考えていようと、私のスタンスは変わらない。メイを守る。メイが、私を信じてくれたように私もメイを信じたい」
「勝手にやっておけ。……で? 何が言いたくって呼び出した? まさかそんなつまらない所信表明のためにわざわざこの場を作ったわけではあるまい」
シャクエンは一呼吸置いてから、「私は今回、何も出来なかった」と悔恨を呟いた。
「スノウドロップ……。あそこまで力の差があるとは思っていなかった。私は今回、何一つ行動出来なかったでくの坊だ」
「それは生憎だったな。それで俺に同情しろと?」
「違う。どうして、波導使いアーロンは動けたのか、知りたくなった。何で、あれほどの敵意を前に、臆す事もなかったのか、と」
そんな事を聞きに来たのか。アーロンは言ってやる。
「簡単な事だ。自分以外、全員敵だと思えば、誰も頼らなくって済む。俺はお前にも、瞬撃にも何一つ期待していない。俺が信じるのは、最後まで俺の実力だけだ」
予想通りだったのか、あるいはそれ以外か、シャクエンは眉根を寄せた。
「やはり、波導使いは嫌な奴、だな」
「いい奴だと思っていたのか? さっさとその印象は取り払え。お前を生かしているのも偶然の産物だと考えろ。もし、利害が一致しなければ、お前なんてとっくに殺している。それはあの馬鹿も同じだ」
裏の世界に踏み込んだ以上、いつ殺されてもおかしくはない。アーロンの言葉に、「させない」とシャクエンが応じる。
「メイは私が守る」
「勝手にするんだな。必要に駆られれば、俺はお前らなどすぐに見限る。その時に幻滅しないようにしておけ。俺は元々、ただの殺し屋だ」
それ以上でも以下でもない。アーロンの言い草にシャクエンは何も答えなかった。
今回の祭りで随分と儲けられた、と語ったのはラブリだった。
歩道を歩いているアーロンを一台の黒塗りの高級車がクラクションで呼び止め、窓から顔を出したラブリが述べたのはまず謝辞だ。
「生きていてくれて助かったわ。だって、あんな程度で死んだんじゃ拍子抜けだもの」
「ホテルも今回の祭りで得をしたクチか」
「企業として参加したから、儲けを全額充てる事は難しいけれど、でも損はしていない。今回の祭りでたくさんの出資者や資本家も躍起になったわ。ある意味、これからこの街を牛耳ろうとしている悪の芽を摘む役割も兼ねていた」
今回の祭りに食いかかった獲物をホテルがマークし、次から行動に移すようならば迅速に対処する。資本家達はむざむざ自分達の存在を示したに他ならない。ホテルという巨大な組織の目に触れるような真似をした資本家達はこれから動きにくくなる事だろう。
「牽制の意味合いもあったのか。ハムエッグめ。やってくれる」
「牽制レベルで死にそうになったんじゃ割に合わないかしら? 青の死神」
「スノウドロップとやり合うには、時期尚早だった」
「いずれはやり合う事も覚悟していたわけだ。本当、あなたって最低のクズね」
「何とでも言うがいい。……それで、何の用だ? これでも俺は忙しい」
「カヤノ医師のところに向かうんでしょう? ただの怪我じゃないものね」
「何か言いたい事でも」
「いいえ。わたくしは別に。ただ、ボロボロになって歩いている青の死神を見て、ちょっと今回の感想でも聞きたいなと思って呼び止めただけだもの」
アーロンは鼻を鳴らした。
「感想か。一言で言えば最悪だったな。スノウドロップと戦うのは、だから早いと言ったんだ」
「でも、いずれは戦うつもりだったんでしょう?」
一拍置いてアーロンは答える。
「……こんなつまらん目的で合い争うのは間違っている。それだけは確かだな」
「違いないわね。スノウドロップ、ハムエッグ側も今回の戦闘はイレギュラーだと思っているのかしら?」
いや、ハムエッグは、と返しかけてアーロンは考える。ハムエッグは今回の戦い、どこまで見通し済みだったのだろう。自分がラピス・ラズリを殺しかける事まで分かっていて解き放ったのだろうか。
「どちらにしろ、危険な賭けを潜り抜けた事には、少しだけ畏敬の念を抱くわ」
「謝辞はいい。お前らは儲かったか、儲からなかったかだけを考えているのだろう?」
「見透かされているか。でも本当の話、あの子、メイって言ったわよね? あの子が一度二度ならず、今回も中核を担うとは思っていなかったわ。殺し屋に好かれる性質なのかもね」
「何一つ嬉しくなさそうな性質だな」
お互いに皮肉を交し合っていると運転席の軍曹が、「お嬢、そろそろ」と声にした。
「そうね。また会いましょう、青の死神。今度はビジネスで」
「そうだな。お互いにオフィス以外では会いたくないものだ」
窓が閉まり、高級車が静かなエンジン音を立てて走り去っていった。
目を覚ますと今回も失敗だった事が悔やまれた。
研究員達が取り付き、彼に服飾を纏わせる。「記憶の継続性は?」と尋ねられて彼は忌々しげに言い放った。
「ある。……リオとか言う三下に、まさか撃ち抜かれるとは、我が身でありながら憎々しい」
つい数時間前に経験した最期。死に際は何度経験してもやはり慣れない。紫色の服に袖を通して、「現状報告!」と声を飛ばす。すると部下達が電算機を前にして、「現状、プラズマ団の作戦行動を遂行中の団員は三十人」と報告する。
「そのうち十名がヤマブキに潜っていますが……。あの街は底知れません。十名のうち、五名が通信途絶」
ホテルか、あるいはハムエッグに押さえられたな、と彼は感じてプラズマ団の擁するモニタールームを抜けた。その先には研究室が並んでおり、そのうちの一つの部屋に入る。
「ヴィー様。お目覚めでしたか」
こちらへと視線を向けたのは白衣を纏った男性だった。青と金髪の混じった独特の髪型をしており、眼鏡の奥の怜悧な瞳が揺れた。
「アクロマ博士。御大は?」
尋ねるとアクロマと呼ばれた男は一つの培養液で満たされたカプセルに視線を投じる。
「芳しくありませんね」
バイオグラフとこれまでの電算結果の紙を受け取り、「やはり無理なのだろうか」と彼は尋ねた。
「さぁ? わたしとしてみれば、御大の復活はそれほど悲願ではございませんから」
この男は研究心が満たせればそれでいいのだ。自分の欲望に忠実な人間でもある。
「御大の復活こそが、プラズマ団の、我らの悲願」
「しかし、ヴィー様……ではなくもうVi2でしたか?」
「これからはヴィーツーと呼べ」
その言葉にアクロマは頭を垂れる。
「では、ヴィーツー様。御大の身体はあの時、あのメイというMiシリーズに敗北した時点で、もう精神的に再起不能となっております。その点で復活はあり得ないかと」
「あり得ない? そのような簡単に割り切れて堪るか。あのお方の復活は、プラズマ団の全体指揮に関わる」
「別にこのままでも、指揮には問題ないと思われますが」
アクロマという男はプラズマ団という象徴にこだわりがないせいで、こうした考えに陥っている。ヴィーツーからしてみればその存在の持つ圧倒的な力を知っている分、こういう認識の違いが苛立ちに繋がった。
「絶対に復活させねばならない。たとえ以前までの御大でなかったとしても」
培養液の中に浮かぶその姿を見据える。緑色の髪に、全身にチューブを繋がれた肉体――。
「右半身の麻痺は取り去って設計していますが、復活のための躯体としては出来過ぎているほどです。ViシリーズのノウハウとMiシリーズの遺伝子設計を組み合わせたハイブリッドですからね」
英雄の遺伝子と何度死んでも経験の蓄積のある身体の融合体。それはプラズマ団を、ひいてはこれからの世界を牽引していくに相応しい。
「ゲーチス様。その御身の復活こそが、我らの望み」
ヴィーツーはその場に跪いてカプセルの中で昏睡を続ける男へと忠誠を誓った。
第四章 了