第五十五話「まことの人」
グラスを磨きながらハムエッグは今回の収益を計算していた。
結果はドローだ。当然、賭けなのだからどちらかに賭けるか引き分けか、の判断までかかってきている。今回、概ねスノウドロップの勝利だと踏んでいた大多数から金を巻き上げられた。一部のマージンをオウミに流す。電話口でオウミが、『にしても意外だな』と口にした。
「意外、とは?」
『あの波導使いさんもしぶてぇな、って事さ。まさか一度ならず二度までも計算が狂うとは思っていなかったぜ』
炎魔を潰され、今回スノウドロップが引き分けた。その結果にオウミは歯噛みしているのだ。ハムエッグは、「面白くない、かな?」と尋ねていた。
『とんでもないぜ。面白いには面白い。自分の命がかからなくって済む賭けは特に、な』
その賭けの代償が右腕一本か。ハムエッグはギャンブラーであるオウミの生き様に感心する。炎魔の一件とて街を揺るがした一事件だ。本当ならば殺されていてもおかしくない。だというのにオウミは今回も楽しむ側に回った。とはいっても賭けは大損である。やはりオウミもスノウドロップに賭けていたらしい。
「賭け事は適度に、が肝心だよ、オウミ警部。退き際も心得ていないのでは身の破滅を招く」
『肝に銘じておくよ。さて、オレからの提案だが、ハムエッグ。プラズマ団を崩そうとしたの、てめぇの差し金だろ?』
「何の事だか」
『とぼけんなよ。事態の収束に波導使いの死か自分の子飼いの死か、まで突き詰めるほどあんたがギャンブラーでないのはみんな知っている。どこかで確率変動を起こす手はずでも整えていなくっちゃやっていけないさ』
「よく人の裏を掻くものだ。わたしは今回、さしたる事はしてないよ。移りゆくままに任せたさ」
『本当か? にしては自信満々に賭けたよな? 引き分け、の結果に』
オウミの見透かした声音にハムエッグはとぼける。
「何の事だか」
『今回、街の中でもあんたぐらいだろ。引き分けにかけ金を投じたのは』
「単なる予感さ。何もやってはいない」
『それにしちゃ丸く収まり過ぎなんだよなぁ。確率変動も何もやっていないにしては、この街はただ単に祭りにかまけただけじゃない。プラズマ団をまたしても退けた。結果的に、前回と似通っている。ここに何者かの意図を感じないってのはちと鈍い』
「勘繰り過ぎだよ。そこまで予測はつかないさ」
オウミの薮蛇の声をいさめる。相手もそれ以上は危険が付き纏うと判断したのか、憶測を仕舞った。
『しかし、生き残ったのか。波導使い。強いなんてもんじゃねぇな』
ハムエッグも内心感心していた。スノウドロップラピス・ラズリに比肩する暗殺者は存在しないと。しかし彼だけは例外に思えた。
「波導使いはもしや無敵か?」
『そうじゃないのはてめぇが一番よく知ってらぁ。波導使いの弱点、分かってるんだろ?』
「言っておくが教えないよ」
通話口でハムエッグが笑うと、『期待はしてないさ』とオウミが返した。
『ただ、弱点があるって言うだけ、まだ人間らしいな。スノウドロップにはないんだろ? 弱点』
「どうかな」
ハムエッグは言葉を濁す。オウミはその返答もある程度予測していたようだった。
『今回の恨み言はここまでにさせてもらうよ。祭りは結果的にうまく纏った。おかげ様で儲かった人間もいるし損した人間もいる。だが、祭りなんてそんなもんだ』
「それには同意だね。プラズマ団にしてみても深入りは禁物だ」
『一度街を裏切りかけたんだ。その辺の分別は分かっているつもりさ。もう切るぜ。逆探知されても面白くない』
「ああ。またご贔屓にしてくれ」
通話が途切れ、ハムエッグはグラスを磨く。すると通用口が開いて来客を告げた。目線を振り向けると見知った影が立っている。
「リオ君か。どうしたのかな? 怖い顔をして」
リオは片手に拳銃を握ったままの格好だった。今宵の祭りがなければ見咎められているであろう。
「銃を仕舞ったほうがいい。警察も後始末に駆り出すだろうし――」
そこから先の言葉を放たれた銃弾が引き裂いた。ハムエッグの肉体に食い込むかに思われた銃弾は近場の酒瓶を射抜く。派手に割れて中身があふれ出した。
「……どういうつもりかな?」
「あんたは、どこまで人を弄ぶんだ」
先ほどのオウミとの会話を聞いていたのか。あるいは今回の祭りの結果にご立腹なのか。ハムエッグは落ち着き払って声にする。
「君を結果的に事態の収拾に使った事は謝ろう。しかし、わたしは一度として君の頼んだ覚えはないし、それは君がやりたくてやった事だ。わたしに責任はない」
「分かっている、分かっているさ。でも、撃たざるを得なかった。ケジメのために」
今の銃弾一発は許せない自分への罰か。あるいはこの街へと吐いた唾のつもりか。どちらにせよ、この青年は今の一撃では終わるまい。ハムエッグは割れた酒瓶を片付け始めた。
「物に当たるのはよくないね」
「本当はこの弾丸がおれの脳髄を撃ち抜いている事を、あんたは予測していたのか」
ハムエッグは沈黙を挟んだ後、「そんな事は」と返す。
「嘘だ。あんたは、どこまでも他人の行動を操ろうとする」
「人を洗脳するような輩みたいに言わないでくれ。わたしには特にそんな力はないよ」
「そんな力がなければ、どうやって街の盟主になった? 何を使ってスノウドロップほどの殺し屋を育て上げた?」
リオはどうやらそれだけはハッキリさせておきたいらしい。ハムエッグは嘆息を漏らした。
「何も持っていない少女に、かつて何もかもを失ったポケモンが少しだけ手助けをしただけの話さ。その少女は殺し殺されの世界に片足を突っ込んでいたから両足を突っ込むように促しただけ。片足を突っ込むくらいなら、いっその事、という具合にね」
「毒を食らわば皿までか」
「そこまで大層じゃないよ」
ハムエッグは笑いで誤魔化そうとしたがリオは真剣な面持ちだった。仕方がなく、笑みを仕舞い、「どこまで聞きに来た?」と尋ねる。
「スノウドロップをどうやって育てたのか」
「偏屈な事に興味を持つものだ。ポケモンが人の子を育て上げられないと?」
「そういう事では……。ただ、解せないと」
「今回の終幕が、かな? それともわたしとラピスの関係が?」
沈黙を是に、両方だと暗に言っているようだった。ハムエッグはグラスを用意する。
「何か飲むかな? 飲みながらでないとやっていけない話だろう?」
「いや、おれはすぐ帰る。もうすぐメイとスノウドロップの帰ってくる頃合だろう」
「あくまで裏方に専念するか。表で王女様を守るのは波導使いに華を持たせるかい? 君は、名もなき戦士として一生を終えるか。それもよかろう。君の美学だ」
リオは、「一つだけ」と促した。
「今回の結果を予測して、あんたはスノウドロップをけしかけたのか」
「そこまで狡猾だと思わないで欲しいな。わたしとて、翻弄されている部分はあった。プラズマ団がこの街の主権を取ろうと思わなければ波導使いアーロンとわたしのラピスを戦わせようなんて思わないさ」
「それはどちらかが死ぬ事を分かっているから?」
ハムエッグはその質問には応じず、「本当に飲まないのか?」と聞き返す。
「もういい、それだけ聞ければ、これを返しに来ただけだ」
リオが拳銃をカウンターに置く。ハムエッグはそれを手に取って、「いいのか?」と問いかけた。
「君の力だろう?」
「本来なら自殺用だろう? その用途に則さないのだから返す」
さすがに与えた力を自分の力だと誤認するほど馬鹿ではないか。ハムエッグは銃を仕舞った。リオは立ち去ろうとする。
「裏の王子は表には出ないのか? 今回の立役者だ。アーロンにばかり華を持たせるのは惜しい」
「おれには、賛美も、何もいらない。ただ、メイが、あの子が生きていてくれるなら」
「特別な感情を抱いているのだね」
リオは答えずエレベーターに乗って去っていった。ハムエッグはフッと口元に笑みを浮かべる。
「まこと、人間とは分からないものだな」