MEMORIA











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雪化粧の白、死に飾りの街
第五十三話「シンカの極地」

「ポケモントレーナーの極み、という現象が存在する」

 師父は爽やかな風の流れる草原で、唐突に口にした。

 目線は文庫本に落としたまま、ほとんど独り言のようだった。アーロンはその言葉に一瞬気を取られてルカリオの攻撃をさばき切れなかった。横合いからのボディブローが身体に入る。たたらを踏んだ姿勢が隙だらけになった。アーロンは咄嗟にピチューの電撃を放出させ、ルカリオの目を眩ませようとするが浅知恵ではルカリオはやられない。波導を纏い付かせた拳が放たれる。瞬時に身体をずらして直撃を避けた。お陰かどうかは分からないが吹き飛ばされても受け身が取れた。

「師父、何ですって?」

 もう何度も打ち込まれた拳からの脱却は慣れてきていたが、やはりルカリオの波導の一撃は一つ一つが重い。常人ならば耐え切れない拳の応酬を耐えてきた。

 師父は文庫本をパタンと閉じて、「そういうものがある、という話だ」と続ける。

「トレーナーとポケモンの極み……、俗に同調状態と呼ばれるものだ。その先に進化を超える進化も存在する」

「進化を超える、進化、ですか……」

「まだ一般界隈では流布されていないが、実力者達は皆知っている。メガシンカだ」

 メガシンカ。フィクションの一つとして聞いた事があった。トレーナーとポケモンがある一定の状態を超え、極限に至った時現れるものだと。だが実地的に証明する手段に欠け、目にする機会は驚くほど少ない。

「ある、のは知っていますけれど」

「目にした事はあるまい。実力者が切り札として最後の最後まで隠し通すものだ。研究者とて、実際のトレーナーからしかその性能情報は得られん。だからこれは一度しか見せんぞ」

 まさか、とアーロンが身構えていると師父は立ち上がり首にかけたネックレスを取り出す。虹色の石があしらわれたネックレスが光り輝き、瞬時に師父の波導とルカリオの波導がぴったりと一致した。

 直後、エネルギーが反転し紫色の甲殻がルカリオに纏いついた。アーロンは服を煽る風圧に手を翳す。視界の中でエネルギーの波長がまるで変わったルカリオが甲殻を咆哮と共に突き破った。

 拳からして違う。ルカリオの後頭部にある波導を操る房が肥大化していた。まるで蛇のようにのたうつ長大な房と、刺々しさを増した拳と引き締まった肉体。それは純粋に、ルカリオというポケモンの閾値を超えた存在であった。アーロンの眼にはまるでルカリオが生まれ変わったかのようにさえ映った。

「メガシンカ、メガルカリオ」

 アーロンは圧倒されていた。師父のルカリオはただでさえも強いのに、その先があったなど。だが師父は明らかに先ほどまでと違う。どこか緊張をはらんだ面持ちで余裕が消えている。

「師父……、メガシンカを使えただなんて」

 まさかこの状態のルカリオを戦えと? 嫌な予感が脳裏を過ぎったが師父は口を開く。

「安心しろ。この状態のルカリオとやれるとは思っていない。ただ、わたしもこれは大変に疲れるのだ。維持だけでも体力を使う」

 師父の涼しげな目元に初めて焦燥のようなものが浮かんでいる。いつもの余裕が消えて神経を尖らせているのが窺えた。

「それほどまでに、メガシンカというのは」

「ああ、精密作業だ。少しでもトレーナー側の注意が削がれればそれだけで性能はがた落ち。その上ポケモン側に意識を持っていかれかねない。これは同調よりもなお深い泥に浸っているようなものだからな」

「泥、ですか」

 師父は意味のない形容はしない。水でも何でもなく、泥、と言ったのには理由があるはずだ。それを察したのか師父は、「考えているか」と口にする。

「もし、メガシンカポケモンが出現した場合の対処法を」

「ええ、まぁ……」 

 しかし考えを弄してもメガシンカを単純に打ち破れる気はしない。能力値からして桁違いなのだ。波導の眼を使うまでもない。メガルカリオからは余剰波導が可視化されており、それだけエネルギーの塊なのだと知れた。しかし同時に脆く崩れ落ちそうな点も増えたようにアーロンには感じられる。

 メガシンカはただ単純に能力の底上げを行ったわけではない。それが素人目ながらに理解出来た。

「メガシンカとは、それは進化を超える進化。読んで字の如く、この状態のポケモンは通常形態ではあり得ない性能を発揮し、その性能面に至っては同タイプ、同能力のポケモンがいようが比肩するものはあり得ない」

 だがそのように容易い答えに集約される存在ではあるまい。それならば常にメガシンカ状態でいればいいはずだ。だというのにメガシンカのメカニズムは未だに一般公開されず、その存在を疑問視する声もある。という事は、メリット以上にデメリットの高い姿であるという事。

「――察しがついたか。その通り。メガシンカはただ単に強くなるという単純明快なものではない。通常の進化が王道とするのならば、これは邪道だ」

「邪道の、進化……」

「本来ならばこれを使う局面というのは、最大まで追い詰められた場合か、あるいはこれを使わなければ一生決着のつかない相手だと思ったほうがいい」

「つまり使う側も追い詰められている、って事ですか」

 師父は首肯し、「飲み込みも速くなってきたじゃないか」と口にする。褒められた気がしないのは少しでも集中を切ればメガルカリオが突っ込んでくるのではないか、という恐怖があるからだ。もし、あの拳で殴られれば。自分のような小童などただでは済むまい。

「メガシンカは諸刃の剣。相手に使われた場合、まず一つに、焦るな、という事が挙げられる。いいか? 相手がメガシンカを使った、という事に戦力的恐怖を覚える事はない。むしろ、逆だ。相手はメガシンカを使わなければ自分との決着がつけられないほどに、実力が拮抗しているか、あるいは我を忘れている。好機だと思え。ただし、メガシンカポケモンとまともに打ち合おうなどと考えるなよ。脅威には違いないのだから」

 言われなくともとアーロンは竦み上がるのを感じた。メガルカリオの放つこの殺気。禍々しいまでに波導が膨れ上がり、肌を刺すプレッシャーの波と化している。

 波導を読む眼を使うとメガルカリオの姿形が形象崩壊する。それほどに波導が強い。これではメガルカリオという袋の中にパンパンになるまで波導が注ぎ込まれている状態に等しい。

 覚えず汗が額を伝った。彼我戦力差、という形よりもなお色濃い、勝てない、という現実。それが形を伴って目に入る。

「では逆に、この状態のポケモンとトレーナーを突き崩す戦法は可能か? この命題だが、可能だ、と言っておこう」

 だからか、その言葉には驚愕した。どうやってこの状態のトレーナーとポケモンを倒せるというのか。しかし師父は嘘を言わない。倒せるからそう言っている。

「師父、お言葉ですが……。とてもではないですけれど、メガルカリオに隙はありません。どこをどう打ち込んでも、それ以上の力で返されます」

 これまでのルカリオ以上に、メガルカリオの存在自体が恐ろしい。だが師父は言う。

「落ち着け。落ち着いて、メガルカリオの波導状態を目にしろ。読んで、波導の弱点を探れ」

 無理難題だったがやれと言われればやるしかない。アーロンは波導の眼を最大限に使い、メガルカリオの波導状態を読む。メガルカリオ自体は城壁のような波導の持ち主だ。

 矢や鉄砲では突き崩せない。

 しかし、ふとその波導が糸のように細くなって繋がっている先が見えた。それは師父の波導だ。師父とメガルカリオは細い波導の糸で繋がっている。その状態に目を見開く。

「これは……」

「見えたか。それがメガシンカの唯一の弱点。同調状態にあるトレーナーとポケモンを繋ぐ、意識圏の糸だ」

 意識圏の糸。目を凝らせばその糸は一本だけではない。数本の糸がそれぞれ腕や脚、身体と四肢やさらに細分化された肉体に分かれて繋がっている。恐らくその部位の糸は呼応しているのだ。

「でも、師父。どうやれば……。糸が見えたところで」

「そうだな。実際の戦闘時には、糸は絶え間なく動き、こうして眼で見る事は困難だろう。だが、お前はまず、この状態がメガシンカには常に付き纏う事。そしてそれを常に目で追えるように意識しろ。そうすると熟練のトレーナーとポケモンほど、この糸に頼り切っているのが分かるはずだ」

「でも、糸が見えるって事は相当な実力者だという事ですよね。そんな相手の裏を掻くような真似が……」

 可能なのか、と言葉を濁したアーロンへと師父は声を投げる。

「可能不可能ではない。この方法論を自分に組み込め。そうでなくては、メガシンカされれば対応出来まい。勝つには、確実な手段を構築する事が必要だ。だが、お前は先に述べたように放出型の波導使いではない。よって、覚えるべきはこの糸をどうするかだけだ。力技で相手の波導を引き剥がそうなどと思うな。お前は小賢しく、狡猾に、この糸をどうにかする事だけを考えろ」

 今まで師父に教えられた事を統合すれば、それは自ずと見えてくる。

 自分の波導の使い方は切断。つまり、この糸を切る。それが自分に与えられた戦術だった。だが糸を切る、と言っても今でさえ少しの風や体勢の違いで揺れ動く細い糸を、狙って切断するなど出来るのだろうか。

「いいか? 糸を切断する。それだけを考えろ。逆に言えば、それを考えない限り、ピチューでは勝てないし、たとえピカチュウ、ライチュウでも勝てまい。意識圏の糸の切断はお前の集中力と波導を見る眼の力に依存する。いかに窮地に追い込まれようと、あるいは殺されかけようともメガシンカポケモンを相手取るのならば忘れるな。相手は実力以上に弱点を露出させている。忘れなければお前は、どのようなメガシンカポケモンがやって来ようが、あるいはどれだけ強力なポケモンとトレーナーが相手だろうが、勝てる。勝つ事の出来る唯一の手段。それを忘れるな」

 師父はネックレスを指で弾く。するとルカリオのメガシンカが解けた。

「これは疲れる。わたしは数えるほどしかお前の前ではメガシンカを披露しない。だからその数回でお前は覚えろ。メガシンカの弱点を。それを突く術を」

 師父が帽子を目深に被る。先ほどの状態を常に眼に描く。アーロンは息を詰めてルカリオの波導を見た。


オンドゥル大使 ( 2016/05/25(水) 21:25 )